Interview

多様な生き物を招く“自然”をつくる 今森光彦さん/写真家・切り絵作家

今回の森の情報便のゲストは、ネイチャーフォトグラファーとして琵琶湖をとりまく自然と人間との関わりを長年撮影し、90年代に「里山」という言葉とその大切さを世に広めた今森光彦さんです。
私たちは今回、琵琶湖の西側、比叡山の麓に位置する今森さんのアトリエを訪問。アトリエを囲む約1000坪の敷地には、雑木林や花畑、ため池などがあり、その自然豊かな空間は“オーレリアンの庭”と呼ばれています。

多様な生き物が暮らす環境に
生まれ変わった庭。


“オーレリアンの庭”の入り口に立つと、目の前にはアトリエへと続く1本の小道。深い森へと誘われているような、どこか幻想的な雰囲気です。小道の右側は新緑の雑木林。左側はクヌギが規則正しく植えられた土手で、その下には様々な植物を育てているガーデンエリアが広がっています。
今森さんが最初に案内してくださったのは、小高い丘になっている雑木林。「この葉っぱは、芽生えたばかりのウリカエデ。秋にはきれいに紅葉しますよ。だから草刈りのときも刈らずに残しています。」「これはコバノガマズミ。秋になる赤い実は鳥たちの大好物なので、大きく育てているところ。」「こっちはヤマイモ。僕の大好きなダイミョウセセリという蝶が卵を産み、幼虫はこの葉をエサにして育ちます。」
今森さんの口からは、植物の名前や生き物の生態の話などが次々と。“森の生き字引”という言葉が頭をよぎります。今はこのように気持ちのよい雑木林ですが、32年前に今森さんがこの土地を手に入れた当時は、まったく様子が違ったそうです。
「敷地の大部分はヒノキが密集した暗い林で、日光がほとんど射し込まないために地面には何も生えていないし、鳥の声も聞こえませんでした。」
そこで今森さんは密生するヒノキを、広葉樹のクヌギとコナラに植え替え、むき出しになっていた地面には養分補給のために、かつてシイタケ栽培に使われていた古いホダ木を敷きつめました。
「3年ほどすると、朽ちたホダ木の間からアケビ、コシアブラ、ヤマウルシなどいろんな植物が顔を出し、成長し始めたんです。どれも実がなる植物なので、おそらく鳥たちのおかげでしょうね。」
つまり、どこかで実を食べた野鳥がここへ飛んできて、種を含んだフンを地面に落とし、やがてそこから芽が出てきたということ。自然の営みの不思議さ、植物の逞しさを感じます。
こうして真っ暗だったヒノキ林は、明るい雑木林に生まれ変わりました。


今森光彦さん


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切り絵作品「アカタテハとオールドロース」。色鮮やかで生命感に満ちた今森さんの作品は、すべてハサミ1本で仕上げられています。


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コバノガマズミ


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木の葉の陰でカタツムリがひと休み


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サッカー場の半分ほどの広さに相当する敷地には、ヒノキ林だけでなく、畑やため池、さらには江戸時代につくられた土手もあり、今森さんはこうした元の地形を生かしつつ、庭を整備していきました。その際に考慮したのが、“エコトーン(移行帯)”という考え方です。
「エコトーンというのは、森と草原、陸地と池、というように性質の異なる環境が接している場所のことです。自然愛好家の間では“そこに身を置くだけでさまざまな生き物に出会える、最高の観察スポット”として知られています。
大事なのはグラデーション。たとえば、あの日当たりのよいガーデンと薄暗い雑木林は、その境目に“木漏れ日の揺れる小道”があることで、グラデーションを描くようになめらかにつながっています。生き物たちは、そういう環境が大好きなんです。」
その結果オーレリアンの庭は、さまざまな木々や草花で埋めつくされ、多彩な生き物たちと出会える場所になりました。たとえば野鳥なら30種類以上、蝶はなんと70~80種類にもおよび、ときにはオオタカも姿を見せるそうです。
“多様性の大切さ”に人々が着目するはるか昔に、今森さんが膨大な知識と先人たちの知恵を駆使してつくりあげた、まさに多様性あふれる庭に身を置いていると、なんだか無性にワクワクしてきます。


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今森さんが立っていらっしゃるのは、畑→湿地→ため池と環境がグラデーション状に変化しているエリア


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「生き物たちは、陽の光がまばらなこの小道が大好き。蝶もここをヒラヒラ通ります。」土手に並ぶクヌギは、竹をくくりつけて稲を干すための「稲木」。最適なサイズを保つために毎年刈り込んでいるので、先端がコブ状になっています。


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ルドベキアが咲き誇る夏の庭



ところで“オーレリアン”の意味をご存知でしょうか。これはラテン語に由来する単語で、“蝶を愛する人たち”という意味もあるのだそう。その名の通り、今森さんの庭には蝶のための工夫がいくつも施されています。
「ただ単に花をたくさん咲かせるだけの“蝶を呼ぶ庭”ではなく、“蝶が卵を産み、幼虫が蝶へと成長する庭”、つまり蝶の生息エリアにしようと考えました。蝶の幼虫というのは、種類ごとにどんな植物の葉を食べるのかがだいたい決まっていて、たとえばキアゲハの幼虫はニンジンやセリ、アゲハチョウの幼虫は柑橘類やサンショウが大好物。ですから、こういった植物を育てていると、それを好む幼虫の母親(蝶)がどこからか飛んできて、卵を産んでくれるわけです。もちろん、蝶が吸う蜜をふんだんに提供してくれる花々も、随所に植えています。」
今森さんは、なぜ蝶に惹かれるのでしょう?
「“この蝶がいるということは、ここにはあの植物があるんだ”とすぐにわかるから、環境のバロメーターになるところがおもしろいし、どれも美しくて個性とスター性がある。庭のヒーローといったところでしょうね。」


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レモンはアゲハチョウの仲間が卵を産みます。「葉っぱを食べ放題にさせてるけれど、毎年大量のレモンが収穫できますよ。害虫に怯えて農薬をまくのは、無意味なことかもしれません。」


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オオムラサキの幼虫が大好きなエノキ。「窓ごしにオオムラサキが見られるよう、3本のうち1本は家の前に植えました。」


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ブッドレアにやって来たツマグロヒョウモン
撮影:今森光彦


棚田の美しさに惹かれ
活動の拠点に。


ところで今森さんは、そもそもなぜこの場所を仕事場に選び、大変な労力をかけて“オーレリアンの庭”をつくったのでしょう?その発端となるできごとは、1970年代初頭に起こりました。
小学生の頃から虫、魚、鳥といった生き物が大好きだった今森さん。蝶に夢中になった高校時代は夏休みのたびに日本各地を巡り、なんと卒業までに日本に生息する230種類すべての蝶をコレクション。そして大学に入学した1972年、さらに多くの生き物との出会いを求め、4ヶ月に渡ってインドネシア各地を旅します。そこで今森さんがもっとも心を奪われたのは、意外なものでした。
「いちばん長く滞在していたスラウェシ島という島で、ある日、おびただしい数の棚田が並ぶ風景に出会ったんです。あの神々しいほどの美しさは、ほんとうに衝撃的でした。」
その感動を胸に帰国した数週間後、琵琶湖の周辺をドライブ中に道に迷ってしまった今森さん。いったん車を下りて見晴らしのよい丘にのぼったところ、目の前に広がっていたのが、滋賀県大津市を代表する棚田地帯のひとつで、のちに今森さんがアトリエを建てる仰木地区の風景でした。
「インドネシアで目にした光景とまったく一緒に見えて、気がつくと涙があふれていました。」
日本にも美しい棚田があることに感動した今森さんは、さっそくそこを生き物観察の拠点に定め、毎日のように通い始めます。そして、自然を撮影する“ネイチャーフォトグラファー”という職業の存在を知り、独学で生き物の撮影をスタート。生き物の姿を的確にとらえるだけでなく、その生態にもめっぽう詳しく、自ら解説文も書けるとあって、ほどなくプロ写真家として順調なスタートをきることができました。
こうして滋賀での活動をベースにしつつ、世界各国でも生き物を撮影していた今森さんが、30代を迎えた頃に出会ったのが「里山」という”自然”でした。


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仰木地区の美しい棚田
撮影:今森光彦


生き物を育む“環境”へと
関心が広がる。


滋賀に軸足を置きながら、熱帯雨林や砂漠など世界各地を飛び回って生き物の生態を撮り続けていた今森さんですが、30歳を迎えた頃から被写体の選び方に変化が現れます。
「大好きな生き物たちの命は、何によって支えられているのだろうと考えていたら、そこにはいつも人の気配がある、ということに気づいたんです。当時は“手つかずの森や原生林こそが自然であり、人の手が加わったものは自然ではない”という考えが一般的でしたが、“それなら僕がいつも目にしている光景は一体何なんだ?!”という疑問がふつふつと湧いてきました。だってトンボやカエルを撮影しているすぐ脇で、おじいちゃんが田んぼを耕しているし、琵琶湖へ魚の撮影に行くと、そこには必ず漁師さんの姿があるんですよ。」
滋賀県大津市の中心市街地で育った少年時代を思い出してみても、セミや蝶は神社の境内にいたし、クワガタを捕りに雑木林へ行けばそこを管理しているおじさんがしいたけを採っている……。あらためて考えてみると、今森さんにとっての“自然”とは、常に人々の暮らしとつながっていたのです。
「このことに気づいた僕は、そこからにわかに“風景”や“環境”を意識的に撮るようになりました。」
そして数年後、今森さんは現在アトリエを構える仰木地区に土地を見つけ、自らの手で“オーレリアンの庭”をつくり始めました 「自然に抱かれているような空間を持ちたかった、というのがいちばんの理由。“蝶が向こうから来てくれる環境”に身を置いてみたかったんです。ほら、外から通っている身だと、蝶を追いかけてばかりでしょ? あと、いつも撮影しながら見ている“農家の人たちがやっていること”を実践してみたくなったというのもあります。」


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未来に残したい日本の里山
撮影:今森光彦


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庭でつんだミントを乾かす。


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薪ストーブは鍛鉄作家の作品。「作品といっても試作品。本当に燃えるのか、ここで試していましたよ(笑)。真冬もコレだけで十分温かいです。」


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ストーブの薪にする木は、すべて「オーレリアンの庭」で調達し、もちろん今森さんが薪割り。昔からの里山での暮らしを日々実践しています。


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アトリエ「奈良の建築家に建てていただきました。鉄筋と木造を組みあせたユニークなつくりです。」



さて、かつての日本には、平地はもちろん山の傾斜地にまで多くの田んぼがあり、人々は近くの雑木林で薪や炭にするための木を手に入れ、クヌギやコナラの落ち葉で堆肥をつくって田んぼにまいていました。そうやって人間が定期的に雑木林に手を入れたので雑木林の中に太陽の光が差し込み、そのおかげでさまざまな植物が元気に育ち、それを食べる生き物たちにとっても好ましい環境になる。このように、人間の営みと自然のサイクルがうまく噛みあい、互いに恩恵を受けられるような環境が、かつては日本じゅうにあったのです。
今森さんは1980年代の末頃から、この田んぼと雑木林を中心とする、日本ならではの農業環境が培った“人と生き物が共存する第二の自然”を表すキーワードとして、“里山”という表現を使い始めます。
「この単語は、もともとは植物学や生態学の研究者が“薪や炭をつくるための雑木林”という意味で使っていた造語でしたが、僕が追い求めている“風景”や“環境”を表すのに、まさしくぴったりだと思ったんです。」
1992年には、自然をテーマにした雑誌「マザー・ネイチャーズ」で「里山物語」の連載を開始。「里山」という言葉は世間の注目を集め、日本のどこにでもあるような水田を中心とする里山環境が、熱帯雨林にもひけをとらないほど多様な生物の宝庫であることが少しずつ知られるようになっていきました。


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土手に生えているのはチガヤという在来の植物。「土の中に根を張り巡らせて、土手を強くしてくれる非常に大切な存在です。」


人々がその気になれば
里山は必ず復活させられる。


田植えや稲刈りのための大型機械を入れられるよう、古くからある小さな田んぼをまとめて大きな区画の田んぼに整備され、化学肥料の採用により、雑木林の落ち葉が不要になる……。日本の農業が変化するにつれ、緑豊かな雑木林と、水田が描くやわらかな曲線が魅力的な里山の風景は徐々に失われていきました。
「環境省によると、絶滅危惧種の8割以上が里山に生息しているそうです。よく“生き物がいなくなる”という言い方をしますが、そうじゃない。“環境”がなくなるから、そこに棲んでいた生き物が生きていけなくなるんです。環境を壊しているのは人間。だから僕は写真家として、この一見なにげないけれど、生物多様性の源である里山の風景をしっかりと記録して、里山の大切さを知らない人たちに見せなきゃいけないし、次世代に伝えていく責任があると感じました。その気持ちは今も変わりませんし、それが写真家として活動を続ける原動力になっています。」


現在残っている里山も、やがて消えていく運命なのでしょうか。
「このままだと、10年後にはほぼ壊滅状態になっているでしょうね。原因はひとえに後継者不足です。若者は都会に行ってしまい、高齢者だけが残されると、山の管理ができません。でもね、里山はつぶれるのも早いけれど、回復も早いんです!僕が育てたこの雑木林がそれを証明していますよ。ヒノキを伐採し、背丈ほどのクヌギとコナラを植えてから、5年も経たないうちに、とてもよい状態の雑木林になりましたから。
悲観する必要はありません。労働力と里山の大切さを理解する気持ちがあれば、里山再生は十分に可能です。農家で生まれた人たちだけにまかせるのではなく、都会から若者に来てもらえばいい。地方での暮らしに目を向ける若者が増えていることもあり、僕に言わせれば、明るい兆しがすぐそこに見えています。」


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風が気持ちよく吹き抜けるアトリエ。部屋のあちこちに、世界各国から持ち帰った思い出の品々が


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今森さんは、積水ハウスの「5本の樹」計画(3本は鳥のため、2本は蝶のために、日本の在来樹種を植える取り組み)のアドバイザーでもあります。「子どもの頃は町家住まいで、小さな坪庭に蝶がいっぱい来ていました。ああいう光景を取り戻したいなぁ、というのが発想の原点です。」


  • 今森光彦

    今森光彦

    写真家・切り絵作家

    1954年、滋賀県生まれ。写真家。琵琶湖をのぞむ田園風景の中にアトリエを構え活動する。自然と人との関わりを「里山」という空間概念で追い続ける。一方、熱帯雨林から砂漠まで、地球上の辺境地の取材をつづけている。また、近年は、自然のかたちをハサミひとつで鮮やかに切り出す切り絵作家としても知られ、その作品は、全国の美術館などを巡回している。
    第20回木村伊兵衛写真賞、第28回土門拳賞などを受賞。NHKスペシャルで「里山」をテーマにした番組を多数放映、現在もNHKBSプレミアムにて「オーレリアンの庭 今森光彦の四季を楽しむ里山暮らし」を不定期放映中。
    写真集に『里山物語』、(新潮社)、『湖辺』(世界文化社)、『世界昆虫記』(福音館書店)、写真文集に『萌木の国』(世界文化社)、『里山を歩こう』(岩波書店)、写真絵本に『神様の階段』(偕成社)など多くの著書がある。

    1954年、滋賀県生まれ。写真家。琵琶湖をのぞむ田園風景の中にアトリエを構え活動する。自然と人との関わりを「里山」という空間概念で追い続ける。一方、熱帯雨林から砂漠まで、地球上の辺境地の取材をつづけている。また、近年は、自然のかたちをハサミひとつで鮮やかに切り出す切り絵作家としても知られ、その作品は、全国の美術館などを巡回している。
    第20回木村伊兵衛写真賞、第28回土門拳賞などを受賞。NHKスペシャルで「里山」をテーマにした番組を多数放映、現在もNHKBSプレミアムにて「オーレリアンの庭 今森光彦の四季を楽しむ里山暮らし」を不定期放映中。
    写真集に『里山物語』、(新潮社)、『湖辺』(世界文化社)、『世界昆虫記』(福音館書店)、写真文集に『萌木の国』(世界文化社)、『里山を歩こう』(岩波書店)、写真絵本に『神様の階段』(偕成社)など多くの著書がある。

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