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いきかたのカタチ

スポーツ、観るする

平尾 剛

平尾 剛(神戸親和女子大学講師)
元日本代表ラガーマンが書き下ろす「スポーツは、だから面白いし飽きない」。
読めばもっと身体を動かしたくなる、面白いゲームが観たくなること必至。

いきかたのカタチ

スポーツ、観るする

第13回 アスリート世界への覗き窓

 現役を引退してから10年が経過した。13歳から始めて19年ものあいだずっと「するスポーツ」だったラグビーは、いつしか「観るスポーツ」になった。「花園」と称される高校ラグビー全国大会、帝京大学が前人未到の9連覇を果たし、その記録が未だ継続中の大学選手権大会、全国社会人大会に代わって2003年に創設されたトップリーグに、数々の日本代表のテストマッチ(国同士の試合)を観るのが、今では休日の楽しみになっている。

 選手時代を思い返せば、今ほど試合を観ていなかったように思う。対戦チームの戦術や自分のトイメン(マークする選手)の特性を知るために分析的に観ることはあっても、ただ楽しむために観戦することはほとんどなかった。そもそも映像媒体が少なく、あっても有料コンテンツだったりして、今ほど映像が手に入らなかったという切ない事情もあるにはあるが、練習以外の時間、たとえば夕食後に寮の一室でリラックスするなどのプライベートな時間までもラグビーに染めたくないと思っていたのが本音である。

 大学時代は年頃の学生らしくデートに忙しかったし、社会人のころは練習帰りにTSUTAYAに立ち寄って観たい映画のDVDを借りるのが日課で、読書に目覚めた引退間近の晩年は来る日も来る日も本を読み続けていた。見る人から見れば、日本代表でありながら海外を始めとする様々な事情を知ろうともしない怠惰なラガーマンに映るかもしれない。だが、一つのことに夢中になればなるほどそれとは別のなにかに目移りするのが僕の性向で、デートや本および映画と、ラグビーの両者にまたがることで心身のバランスをとってきたからこそ、19年ものあいだラグビーを続けてこられたのではないかと思う。

 事を為す上では一つのことに集中するのをよしとする考え方が、なんとなく世間では主流になっている。でも僕にはどうもしっくりこなかった。「あれもこれも」と見境がないのはどうかと思うが、「あれとこれと」と二つくらいに興味や関心を向けておく方が、うまく事が運ぶような気がする。
 話が逸れつつあるので元に戻す。

 ようするに現役時代は、試合を観るのをあまり好まなかったというわけである。ただこれは僕だけに限ったことではなくて、往々にして周囲には僕のような選手が大半を占めていたように思う(少なくとも僕が所属したチームではそうだった)。
 今でもたまに顔を合わせるかつてのチームメイトの中に、引退してからはほとんど試合を観ない後輩がいる。いつだったか、前年のトップリーグ優勝チームがすぐに浮かばずに「それはアカンやろ!」とみんなからダメ出しされる、そんなこともあった。この後輩はあまりに極端だとしても、たまに集まるこのメンバーのほとんどは、普段からラグビーを観るという習慣を持っていない。

 とはいえラグビーを避けているというわけではなく、今でもたまに食事をするとラグビーは必ず話題に上がる。現役時代の練習や合宿や試合などでの一コマを思い出しては懐かしがる。会うたびに同じ話を繰り返して懐かしがるのはスポーツOBの習性だろう。それと合わせて、かつてのチームメイトが引退後の人生をどんな風に歩んでいるのかについての情報交換もよくする。母校に戻り指導者を務めていたり、社業に専念していたり、セカンドキャリアは違えども、とにかく元気に過ごしているかどうかを確認しては杯を傾ける。

 ラグビーにまつわる話はする。たくさんする。でもラグビー観戦を楽しんでいるかというとそうともいえない。むしろ現在のラグビー事情には疎いといっていいかもしれない。巷間を賑わせた2015年W杯でのあの南アフリカ戦でさえ、翌日に結果を知り、録画映像を借りて観たという者もいたのだから。

 僕の実感では、現役引退後はラグビーそのものへの興味、関心が薄まる人の方が多いように思う。「するスポーツ」で培った仲間との絆や経験は重んじていても、それがそのまま「観るスポーツ」を楽しむことには繋がらない。「する」と「観る」のあいだには思いのほか大きな溝がある。

 僕自身がこの溝をまたぎ、「する」から「観る」へとシフトできたのは、研究者になって、またはコラムを書くという仕事に携わるようになったことが大きく影響しているように思う。ラグビーを知らない人にラグビーのなんたるかをわかってもらうための文章は、現在のラグビー事情を抜きには書けない。時の優勝チームを知らなければ、その戦いぶりを把握しておかなければ、経験則をツラツラとならべただけの排他的なテクストになりかねない。すなわち取材をしなければならないのである。経験則だけで語る文章の射程距離は短い。ビギナーの心を掴むまでには到底至らない。

 取材目的で観ていたらだんだんオモシロくなって、いつのまにか「観るスポーツ」になっていた。またラグビーに関する文献を読み解き、その成り立ちやルール、儀式の意図について理解が進むと、実に深みのあるスポーツだったのだと改めて思い知った次第である。

 試合を観る楽しみを覚え、ラグビーだけでなく他のスポーツにも関心を向けるようになって気がついたことがひとつある。それはインタビューを受ける選手が発するコメント内容である。スポーツを問わずアスリートが口にする言葉がどこか物足りなく感じるのである。

 本欄でも取り上げたようにイチロー選手は別格で、滋味深い言葉のオンパレードに僕の探究心は止めどなく掻き立てられている。イチロー選手は、今現在のパフォーマンスを間髪入れずに言葉で表現するという荒技をさらりとやってのける。曖昧模糊な身体感覚を言葉に置き換えて説明する作業は、ときに身体知を解体する方向にも働くから厄介で、身体知の解体、つまりパフォーマンスが低下する恐れのあるこの作業を現役選手でありながらもイチロー選手は躊躇しない。言語による説明を手放さず、パフォーマンスの向上に努めるイチロー選手のその姿勢は、僕の目には異次元の営みのように映る。

 誤解しないで欲しいのだが、アスリートの誰しもにイチロー選手のようなコメントを求めるわけではない。あの高みに誰もが登れるとは思ってはいないし、身体的パフォーマンスを至上命題とするアスリートに、そこまで求めるのは望みすぎだとも思っている。先ほども述べたようにイチロー選手は別格なのだ。

 とはいえ、トップアスリートが経験している世界を少しでも理解したいと望む一スポーツファンからすれば、やはり言葉はほしい。淡々と試合内容を振り返って「次、頑張ります!」とかのストックフレーズや、勝利のよろこびと敗北の悔しさに収斂する感情的な表現だけでなく、当の本人にしかわからない身体感覚や心の揺れ動きが知りたい。たとえその一端だけであっても、素人が解釈し、想像するための足場となる言葉が欲しいのだ。

 率直に言おう。スポーツの言葉が痩せている。そんな気がしてならない。

 元アスリートとしていわせてもらえれば、これを選手の言語能力だけに原因を求めるわけにはいかない。スポーツ記者をはじめとするメディア側にも原因があると思われる。パフォーマンスに集中しなければならない選手は、試合後に質問に答えるかたちで心情を吐露する。質問をきっかけに試合を振り返り、その場で言葉に置き換えるわけだ。もしもその質問が意に沿わないものであったなら、あるいはてんでお門違いな内容だったら、アスリートの身体実感や本心は表現されることなく心の奥底に眠ったままになるだろう。

 つまり選手とインタビュアーの関係性、そこにスポーツの言葉が痩せる原因が潜んでいる。言葉による表現を軽視する選手と、的を射ない質問を口にするインタビュアーのあいだに大きな隔たりができている。その結果としてスポーツの言葉が痩せ細っているのではないだろうか。そしてこの傾向は年々強まっている。

 ご存知のように僕はかつて選手だった。試合後に記者からの質問に応える立場だった。当時を振り返れば、どの試合を回想しても稚拙な受け答えに終始していたように思う。タイムマシンに乗ってその場に戻れるとすれば、あまりにお粗末な受け答えをしている自分を見つけることになるだろう。赤面しながらただ俯くしかないのは火を見るよりも明らかだ。想像しただけで冷や汗が出る。

 その中から一つだけ紹介しておきたい。その内容からは恥を晒すことになるが、僕の中で長らく引きずっていることでもあるし、今まで抱え続けた罪悪感をここらへんで手放したいという身勝手な望みもある。それよりもなによりも、試合後のスポーツ選手の心境を知る上での一つのケーススタディになればという期待を込めて、思い切って書いてみたい。

 あれは2001年全国社会人大会準決勝のサントリー戦のあとだった。東大阪にある花園ラグビー場で行われたこの試合は、ロスタイムに入ってからの逆転トライで我が神戸製鋼が勝利を収めた。そのトライを決めたのが僕だ。劇的な幕切れの立役者として、試合後はたくさんの記者に囲まれた。

 トライシーンを簡単に説明すると、同僚のアンドリュー・ミラー選手が蹴り込んだボールを、追いかけた僕がキャッチしてそのまま走りきったというもので、言うなればコントロールよく絶妙なキックを蹴ったミラー選手の判断が演出したトライだった。

 実を言えばキックを蹴った瞬間、「ここで蹴るか!?」という疑念が脳裏をよぎった。ロスタイムに、相手に攻撃権が渡ってしまう可能性のあるキックというリスキーな選択に、疑問符がついたのだ。彼の判断に半ば驚きはしたものの、流れるようにプレーが続くラグビーではそこで立ち止まるわけにはいかない。プレーが継続している限りはボールを追いかけなければならない。
 判断の正否は脇に置き、とにもかくにもボールを追った。

 驚くことに、一歩一歩ボールに近づくにつれて徐々にスペースが開けてきた。と、その瞬間、「トライに至る道筋」がはっきりと見えた。「なるほど!狙いはこれだったのか!」と納得した僕は、その道筋をただなぞらえるだけでゴールラインまで走りきることができた。

 あのトライは紛れもなくミラー選手の卓越した判断から生まれたものだった。
 しかし、勝利を決定づけるトライを決めた張本人として、試合後すぐに僕は取材陣に囲まれた。当然ながら僕は興奮していた。とてもとても興奮していた。そんな状態でたくさんの記者に囲まれたのだから、浮き足立たないわけにはいかなかった。

 一人の記者から「あのトライの心境を聞かせてください」という質問を受けた僕は、咄嗟に「アンディ(ミラー選手の愛称)、裏(に蹴れ)!」と声をかけましたと答えてしまった。
 そう、僕は嘘をついた。嘘がつい口から出てしまったのだ。

 興奮冷めやらぬ状態で「あの瞬間」を冷静に振り返ることなど、チームに入ってまだ2年目の未熟な僕にはできなかった。矢継ぎ早に質問が繰り出されるなかで、「あの瞬間」のアンディと僕の微妙なやりとりを説明できる言葉は一向にみつからなかった。だからといって黙り込むわけにもいかず、とにかく頭に浮かんだ言葉をなんとか音声にして伝えようと試みた。なにか気の利いた答えを口にしなければと、ありったけの語彙を注ぎ込んだ。

 その結果、「トライをとるまでになにがしかのアクションをしたはずだろう」という記者の思惑を感じ取った僕は、それに応えるべくリップサービスをしてしまった。
 翌日の新聞を開くと、その言葉がそのまま紙面に載っていた。当時は大きく紙面を飾った自らの写真に陶酔するだけで、掲載されたコメントは見て見ぬ振りを決め込んだ。真実とかけ離れた記事内容だったがそれには目をつぶった。だがやはり罪悪感は残った。

 なぜあのとき嘘をついてしまったのか。
 そのトライに自らが積極的に関わったんだという自負と、記者が望む答えを用意しなければという焦りが、そうさせたのだと思う。僕自身のボキャブラリーが貧困だったこともそれを後押しした。とはいえこれらはすべて言い訳だ。一社会人として、人気チームの一員として備えておくべきメディアリテラシーを欠いていた。ラグビーへの理解もまだまだ浅く、体感が言葉になるにはいつも「後づけ」であるという、言葉と感覚の関係性も理解していなかった。
 本当に申し訳ないことをしたと思っている。

 あれから16年が経過し、今だからわかることがある。
 超越的な経験をした直後にその感懐を言葉で表現することはとても難しい。身体が知覚した数々の現象はカオス以外のなにものでもなく、なにかを感じていることだけはわかるが、その感じているものの正体はとかくつかめない。実感としてはただ胸の内がモヤモヤとしているだけだ。モヤモヤとした違和感を抱えるそんなときは、それを名指す言葉がみつからずにただためらうことしかできない。その経験が超越的であればあるほど言葉になるまでには時間がかかる。

「あの瞬間」は確かにアンディとのあいだに無言のコミュニケーションが成立していた。キックという選択肢に疑問は感じたものの、それを払拭できるだけの確信が僕の中にはあった。だからキックと同時にスタートが切れたわけで、その後に「トライに至るまでの道筋」が見えたことがそれを如実に物語っている。あの場面におけるトライまでの最適な動線を、僕は辿ることができたのだ。

 自分自身には見えているスペースをキックという手段を用いてアンディは僕に見せようとした。未だ確認できないスペースの存在を、アンディのキックを頼りにして僕は予感した。声をかけずとも、視線を交わさずとも、キックというプレーを通じて両者のあいだでコミュニケーションは成立していた。数秒というわずかな間をおいてのちに成立する、高度なコミュニケーションが。この身体的コミュニケーションのあいだに、頭でこしらえただけの「キックへの疑念」が入り込む余地などどこにもない。
 僕とアンディの身体同士が呼応し合って、あのトライは生まれたのだ。

 今ではあのトライは偶然ではなく必然だったと思っている。得体の知れない空気感が身の回りに漂っていたし、背中から押される歓声の重さも感じていた。なぜだか時間感覚が欠落していて、なんの根拠もなくこのままずっと試合は続くと思い込んでいた。周囲の空間と切り離された、まるで異空間に身を置いているような身体実感が今もありありと思い出される。

 しかし、試合後の興奮冷めやらぬ状態では、この胸の内を表現できる言葉を僕は持ち得ていなかった。できればじっくり振り返った後でコメントをしたかった。あるいはためらいながら訥々と話をしたかった。でもそれは許されない。わかりやすく、歯切れのよいコメントを残さなければならない。インタビュアーの質問からはそれを望んでいる様子が手に取るようにうかがえた。

 そこでつい口をついたのがある種の作り話だ。読者やファンにも理解しやすいであろう、「僕がアンディに声をかけ、声を聞いたアンディはキックを蹴り、それをキャッチしてトライに至る」という単線的な物語であの瞬間を象ってしまった。
「あの瞬間」は、今ならこんな風に説明することができる。

 スポーツの言葉はアスリートとインタビュアーとの共犯関係において生きた言葉になる。試合を終えたばかりの選手が、そのときの身体実感や心情を的確に言葉に置き換えることは不可能に近い。身体実感や心情という漠然とした胸の内は、試合後時間をかけて振り返ることによって、適切な言葉があてがわれる。それなりの時間を経ることでそれらを象る言葉が見つかり、物語のレベルへと引き上げられる。

 つまり試合後すぐに答えられることと、そうでないことの線引きを、アスリートとインタビュアーで共有すれば、スポーツの言葉はふくよかになるのではないかと思うのである。

 出来合いの、使い古された物語に収斂するのではなく、またマニュアル的な受け答えに終始することのないやりとりから生まれた言葉に、私たちはなにかを感じる。意味や因果を超えたところにアスリートの身体的実感はあって、それは聴く側が身を乗り出すように耳を傾けることでかろうじて感知できる代物だ。的確な質問を投げかける記者と、それに応えようとして身悶えするアスリートのあいだで、身体実感や心情はその一部を露わにする。
 こうしてアスリートが経験する世界への「のぞき窓」は築かれてゆくのだと思う。

 選手を引退して書き手となった今、ためらいのうちにこぼれ落ちる生きた言葉を拾うべく、これからも身を乗り出さなくてはならないと思っている。これがかつて嘘を口にした元アスリートの、せめてもの償いだ。アスリートの言葉のうちにその真意を探りながら、これからもスポーツ観戦を楽しみたい。

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平尾 剛
神戸親和女子大学講師

1975年大阪生まれ。同志社大学を卒業後、三菱自動車京都を経て神戸製鋼所に入社。1999年、ウェールズでの第4回ラグビーW杯日本代表(FB)に選出。2007年に現役を引退し、現在は神戸親和女子大学講師。著書に『合気道とラグビーを貫くもの』(内田樹氏との共著、朝日新書)。この秋、ミシマ社から『近くて遠いこの身体』を上梓した。

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