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かぞくのカタチ

劇的進行中~“夫婦の家”から“家族の家”へ

近藤雄生

近藤雄生(ライター)
子どもができると夫や妻は「親」になる。
海外で5年間、放浪の旅を続けて帰国した「遊牧夫婦」が、やがて「遊牧家族」に変わっていく日々を。

かぞくのカタチ

劇的進行中~“夫婦の家”から“家族の家”へ

第17回 見送る側

 また卒業式の季節がやってきた。
 我が家は今年は、卒業や卒園というイベントはないけれど、たまたま近くの学校の前を通って卒業式がやっていたり、式を終えたらしい親子連れや大学生のグループが歩いているのを見かけると、それだけで少し感傷的になっている自分自身に気づかされる。
 いまや自分は完全に親の視線でその風景を眺めている。大きな節目を迎えた子どもを前に親御さんはいまどんな気持ちなのだろう。やはり嬉しいものなのだろうか。それ以上に寂しさもあったりするのだろうか。自然と親の表情へと視線が向かう。

 長女は今年、小学2年、誕生日がくれば8歳になる。もし高校を卒業してすぐに、遠くの大学に行くなり就職なりで家を離れることになるとすれば、いまのように毎日一緒に過ごせる時間はすでに4割ほどを終えてしまったことになる。まだ乳幼児のころの印象を重ねながら接してしまうこともあるために、そう考えると本当に驚かされる。日々、娘たちが大きくなっていくことに喜びを覚えながら、ふと、“残り時間”に意識が向かうことが多くなった。
 子どもと一緒にいられる残り時間、こうして働ける残り時間、そして人生の残り時間。まだまだ、ではあるけれど、そんなに長くないことも確かである。40代に入って急にそう思う機会が増えた。年度が替わり、娘たちがそれぞれ進級するこの季節は、そんな思いがいつにも増して鮮明になった。

 そうしたこの時期、初めて自著の文庫本が発売になった。宣伝のようになって恐縮ではあるけれど、6年前に出した自分と妻の長旅についての本『遊牧夫婦』が文庫化されたのだ。
 単行本を出したときから考えると、現在の自分自身の文章に対する考え方、感覚、または技術的な面は随分変わったように感じている。それゆえ、文庫化の話をいただいたとき、せっかくの機会であり、しかも他社からの刊行ということもあって、単行本とは別の作品にしたいという気持ちが強くなった。そうして年末から年始にかけて、1,2カ月ほどで文章を全面的に見直し、書き改めることにしたのである。

 その作業にあたって、今回久々に単行本を読み返した。一文一文を吟味しつつ読みながら、まだ20代だった当時の自分の気持ちを思い出し、さらに、単行本を書いていた30代前半のころの感覚を思い出した。さまざまな記憶が蘇り、ときに懐かしくなって当時の写真を眺めたり、何冊にもわたった日記を見返すこともあった。旅に出たのはすでに14年も前のこと。そのことに改めて思い至り、あれから随分遠くまで来たことに感慨を新たにした。
 書き直しは主に文章表現の技術的な面を中心に行ったが、ところどころ、40歳になった現在の自分の視点や気持ちが入り込んでいったことは間違いなかった。

 単行本の中に投影された自分自身と現在の自分とを比べたとき、一番の大きな違いは何かといえば、やはり親になったことだと思う。単行本の後半部分を書いていたころにはすでに長女は生まれていたが、誕生間もなかったころであり、ぼくにはまだ親としての自覚が十分に芽生えてはいなかった。

 今回、書き直しを行う中で、自分自身の中に生じたそのような変化をもっとも強く感じたのは、本の序盤の、長い旅への出発の場面、関西空港で家族に見送られるシーンを読んだときのことだった。単行本の中の自分の視点は、まさにいま旅立とうという20代の自分自身のものだけだった。しかし今回読み返すと、自分の視点が、旅立つ側から、見送る親の側にぐっと近づいていることに気づかされた。
 当時妻は27歳でぼくは26歳。結婚してまだ3カ月しか経ってなく、妻は仕事をやめた直後で、ぼくはライター志望のフリーター。二人とも仕事はなく、それぞれに貯めたお金を切り崩しながらなんとか自分たちなりに道を切り開かなければという状況だった。当然のことながら、先行きは全く見えないし、あてにできるものもほとんどなかった。

 そんな状態で大きなバックパックだけを抱えてあてもなく何年も旅に出ようというぼくたちを、あの日両親はどのような気持ちで見送っていたのだろうか。改めてそのことが気にかかった。20年後ぐらいに、もし自分が親の立場として同じような状況で空港から娘を見送ることになったら、どういう気持ちになるのだろうか……。
 そんな思いがとめどなく沸き上った。それゆえこの場面に、ぼくは自然に、母親の言葉を入れたくなった。単行本を書いたころにはおそらく浮かぶことのなかった視点である。それがいまの自分にとってはとても重要なものになっていたのだ。写真も見返し、その日の両親の姿を思い出した。そしてぼくはこの場面の最後を次のように書き改めた。

「くれぐれも気を付けてね。無理はしないでね……」
 母はぼくに、何度か念を押すようにそう言った。
 親たちはみな笑顔で送り出してはくれたものの、心配していないはずはなかった。そんな思いを多少なりとも感じながらも、ぼくの気持ちはこれ以上ないほど高揚していた。
 さあ、出発だ――。

  (『遊牧夫婦 はじまりの日々』(角川文庫) 1 旅立ちの前 より )
 
「この本にはね、そよが知らない、昔のお父さんとお母さんの外国での面白い話がたくさん書いてあるよ。だから、いつか読んでね」
 7歳の長女は、ぼくが、自分たちの過去の日々について本を書いていることは知っているので、ときどきそのように話したりする。長女はいつも、「えー、どうしようかな」などと言うのであるが、きっといつか読んでくれるだろうとは思う。おそらく次女も。
 そのとき彼女たちはいったい何を思うのであろうか。場合によっては、自分が書いた本の影響で、いずれ長い旅に出たいと考えるようになるかもしれない。そうなれば嬉しいことではあるものの、しかし、実際に娘を見送る立場になったら、自分は何を感じるのだろうかとも、いまはふと想像する。

 ぼくの両親も妻の両親も、先行きの見えない旅立ちに対して、特に何も言うことなく送り出してくれた。何を言っても無駄だとあきらめていたのかもしれないが、多かれ少なかれ、ぼくらの選択を信じてくれていたことも伝わってきた。特に妻の両親が、まともに働いた経験もない自分と妻との結婚と、無計画な二人での旅立ちを驚くほどすんなりと認めてくれたことへの感謝の気持ちは年を追うごとに増している。と同時に、自分も同じようにできるだろうかとよく自問する。いまはなんとも分からない。でも自分たちがしてもらったように、自分も温かく背中を押して、送り出すことができればと心から思っている。

 刷り上がった文庫本が手元に届くと、ぱらぱらと読み直してみた。書き足した母の言葉を読み返すと、自然にぼくは、空港で見送ってくれた両親の姿に未来の自分自身を重ねていた。そしてそれが決してそれほど遠い未来ではないかもしれないことに気がついて、思わずはっとしたのであった。

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かぞくのカタチ

近藤雄生
ライター

1976年東京生まれ。大学院修了後、結婚直後に妻とともに日本を発つ。世界各地 で取材・執筆活動をしながら5年半の海外「遊牧」生活を送る。2008年秋に帰国以来、妻の地元・京都市在住。著書に『旅に出よう』(岩波ジュニア新書)、『遊牧夫婦』シリーズ3巻(ミシマ社)。最新刊は、先のシリーズ第1巻を大幅に書き改めて文庫化した『遊牧夫婦 はじまりの日々』(角川文庫、2017年3月刊)。雑誌『新潮45』に「吃音と生きる」、『考える人』に「ここがぼくらのホームタウン」をそれぞれ連載。ウェブ連載には、本連載のほかに「遊牧夫婦こぼれ話。」(みんなのミシマガジン)がある。2009年生まれの長女、2013年生まれの次女と4人家族。
http://www.yukikondo.jp/

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