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いきかたのカタチ

街的わが家〜アート・音楽・グルメ

江 弘毅

江 弘毅(編集者)
住まいと街の健全な「交通」が行われてこそ人がハッピーになる、
という街的生活者の住生活充実コラム。今日も「ごきげんなネタ」てんこ盛りで。

いきかたのカタチ

街的わが家〜アート・音楽・グルメ

第14回 商店街で「交換」されるもの

 よく言われていることだが、市場や商店街のお店と、スーパーマーケットやコンビニとの違いは、コミュニケーションの有無だ。
 端的に言うと、商店街は「喋りに行くとこ」であり、これは商店街の喫茶店と、チェーン店系のセルフ・カフェを見比べるとよく分かる。

地下鉄九条駅からは北にも南にも商店街が走り、本通りもにぎやかだがそこから枝分かれした商店街歩きがまたおもしろい(大阪市西区・以下同)

 商店街の喫茶店は「馴染みの客」が幅をきかせている。
 といっても別に地元の町会長や商店会理事長とかの顔役がぶいぶい言わせているということではない。それはお店のご主人やあるいは常連の地元客とのたわいもない会話であり、勘定と引き替えのコーヒーをトレーに載せて、カウンターの空き席についておもむろにスマホを取りだしてラインやFacebookをやり始めるのとの違いだ。

 ジャーナリスト出身で効率的近代都市計画への痛烈な批評家であるジェーン・ジェイコブス女史は、『アメリカ大都市の生と死』で以下のように述べる。


 短い言葉で表わすならば「信頼」ということである。街路に対する「信頼」は何年間にもわたって、おびただしい数にのぼる歩道でのちょっとしたつき合いから形成されてくるのである。「信頼」はバーでビールを飲むために足を止めたり、食料品店のおじさんから話しかけられたり、売店の売子に話しかけたり、パン屋で、買物に来た他の人とパンの品定めをしたり、ソーダ・ポップを飲んでいる男の子たちに「ハロー」と挨拶したり、「夕食の用意ができましたよ」と呼ばれるまで通りを通る女の子たちを眺めていたり、腕白小僧たちをさとしたり、金物屋の主人から商売の話を聞いたり、ドラッグ・ストアのおやじさんから一ドル借りたり、近所の赤ちゃんをほめたりすることから生れてくるのである。その習慣は多種多様である。――ある近所では自分の飼っている犬を自慢し合ったりする者もあれば、自分の家主をうわさの種にしたりする者もある。
 このようなことはちょっと見ると一つ一つとてもつまらないことだと思われるかも知れないが、全体を集めてみたらつまらないどころの話ではない。このようなあまり程度の高くない気まぐれな、公共の場での人のいろいろなつき合い――こういった接触は大ていの場合偶発的に見えるが、いろいろな目的があって行なわれ、全部が全部自発的に行なわれるものであって、決して他人によって強制されたものではない――を寄せ集めてみると、公の場の中でお互いが誰なのかがわかるし、社会的な尊敬と信頼のきっかけなり、個人的なよりどころとなると同時に、近隣住区のたよりどころになるのである。街路に対する信頼がないということは街路にとっては一つの災難である。街路に対する信頼を高めることは制度化しえないものである。といっても、街の一人一人の個人に委ねてしまうという意味ではない。
(『アメリカ大都市の生と死』鹿島出版会:P68~69)



 この文章が1961年に書かれたものだというのに驚く(翻訳はなんと建築家の黒川紀章さん)。
 この「信頼」は、「街路」つまり街がもたらす人々の「お喋り」が、セキュリティを含めた都会の「生」を守るのだ、ということにつながるのだが、買いたいものをあれこれカゴに放り込んでレジへ持っていって、バーコードでピッと読み取ってもらっておカネを払って持って帰る、というスーパーやコンビニのシステムからは生まれてこない。
 なんだか社会学みたいな話になってきたが、商店街の買い物は「人と人との関係性」で決まるということだ。それを「信頼」が支えている。

 商店街の店になんだか行きづらいと思うのは、店に立っているおっちゃんおばちゃんが怖いからではなくて、「知らないから」なのであるのだが、例えば塩干店の店頭でうまそうな干物を見つけて、「これ、どうやって焼いたらいいんですか」と聞けば、「オーブントースターがいいけど、あとが臭くなるから、フライパン中火でそのまま裏表10分」というふうに返ってきて、一発で知り合いになれる。

 そこから「地元」や「馴染み」が立ち上がる。
 とりわけこのところの若い層は「地元志向」が強くなってきていて、友人がやりはじめた立ち呑みのバルや、知り合いの手づくり系のカフェに集っているようなシーンを目にする。
 そこでの会話は、ファッションや音楽など流行軸の話題に加えて、近所の世間話的なものが多い。
「あそこの市場の端っこにある豆腐屋さんの厚揚げは焼いて食べるとめっちゃうまい」とか「あの魚屋で大きなアサリを見つけてボンゴレにしたら最高だった」など、食べ物についての話題が案外多いのに気がつく。

 デパートの地下食料品売場で買った厚揚げやアサリは当然おいしいだろうが、そういうグルメ的な話と、商店街の市場の話はまったく楽しさが違う。
「今度その豆腐屋、行ってみるわ」とか「え、どこの何て魚屋」とかは、消費にアクセスするだけの話ではなくて、地元生活者レベルの話なので「味がある」し、街を歩きたくなる。



 さいわい京都、大阪、神戸には、都心のデパートへ行くより近いところに市場付きの商店街をさがすことができる。
 地下鉄で2駅とか、バスに乗って商店街へ、というのも「ありきたり」だけれど「スペシャルな感じ」がして、自分でほほえましくなる。

 その場合も、あっちこっちの市場や商店街をめぐって「比較する」というスタンスではなく、「とりあえず近場のところ」に行ってみる。それで1回歩き回ってみる。
 2回目、3回目と行きつけるうちに、だんだん余計に楽しくなる感覚が身についてくると、もう商店街は「わが地元」である。

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いきかたのカタチ

江 弘毅
編集者

1958年岸和田生まれの岸和田育ち。神戸大学農学部園芸農学科卒。京阪神エルマガジン社時代に雑誌『Meets Regional』の創刊に関わり、12年間編集長に。2006年4月より編集集団140B取締役編集責任者。著書に『岸和田だんじり祭 だんじり若頭日記』(晶文社)、『「街的」ということ』(講談社現代新書)、『ミーツへの道』(本の雑誌社)、『「うまいもん屋」からの大阪論』(NHK出版新書)、『飲み食い世界一の大阪』(ミシマ社)、『有次と庖丁』(新潮社)など。毎日新聞夕刊に「濃い味、うす味、街のあじ。」(毎月第4火曜)を連載。

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