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平野 愛

平野 愛/写真家

その日の記憶を文字だけでなく写真と一緒に残せたらどれだけ素敵だろうか。 身の回りの「残像」を積み重ねていく楽しさを書きとめていきます。

第12回 シャインマスカットを食卓に。

 今年はなんと雨の日の多いことよ。すかっとしない9月があっと言う間に過ぎていった。

 そんな日々、毎日の楽しみといったら1にも2にも我が家は「シャインマスカット」だった。シャインマスカットが冷蔵庫から切れないように、野菜室にはつねに前のシャインマスカット群と最新のシャインマスカット群とが重なり合うように入っていた。

「さすが、シャインやな」
「最新シャイン補充しました!」
「皮ごと食べれて、しかも種がないとか、最高やな」
「えーーーー! 食べ過ぎやん! あかん!」

 という会話が響き合う。なぜ家族でそんなふうに拝み、喜び合い、取り合い、暮らすことになったのか。

 それはある日突然、静かにやってきた。

 遡ること7月。神戸の岡本に住まう友人が、御影の山の上に引っ越すことになりその引っ越し風景を写真で追いかけていた。一連の撮影を終え、ウェブマガジン「OURS.」での連載にも掲載(http://ours-magazine.jp/7daysscene/hirano-01/)され、ひと仕事終えた8月の終わりに家族も一緒に彼女の新居で打ち上げ会をすることになった。
 その買い出しで立ち寄った小さな小さなスーパーで、わたしは初めてそれに出会ったのだった。

 シャインマスカットが高級食材なことも、それが前からあることも、知らなかった。そもそもわたしは食には保守的で、知っているものしか見ないし買わないタイプ。だからか、彼女と一緒にスーパーに行くことで、新しい食材も恐れなくタッチできたのかもしれない。こどもがフルーツが好きで、葡萄はかなり好きだったのも後押し。「シャイン」という名もなんだかすごそうだし、大きいし、値段も一房1,000円を超えているから、特別感があって今日くらいいいか……というのが正直なところだった。

 料理好きの彼女(写真左)の家に着くと、引っ越して1カ月とは思えないくらいすでにキッチンは彼女色に染まっていた。ところ狭しとならぶ食材にキッチンツール、スパイス、タオル。魚を焼く網もぶら下がり、棚には長年集めて来たという器が登場を待つ選手のように控えていた。

 そして注目してほしいのが息子の手もと。自らシャインマスカットを必死にむしり取っては水で洗い、器に盛りつけていた。初めての家で、初めてのキッチンというのに……。

 本当に好きなものには、自然とそこへ向かうものなのかもしれない。

 確かに彼女もそうだった。

 実家からこの家に引っ越しする際の3日間に密着していたのだが、彼女が最初に整えはじめたのはキッチンだった。中でも、器。持ってきた1枚1枚に語りかけるように、畳の上に並べては写真を撮ったりしていた。何時間も、並べては見てを繰り返す。その姿を延々と幸せな気持ちで眺めていた。

 彼女の作る料理は、食材をそのままシンプルに活かしたものが多い。お気に入りの器に、あのお気に入りの小さな小さなスーパーで買う食材たちを愛でるように、盛りつけていく。

「キッチンが窓の近くにあったから、この部屋にしたの」というくらい、彼女にとって光も重要。自然光がなみなみと入ってくるその位置は、器も食材もさらに愛でられるのだった。

 ふと思った。我が家はどうだっただろうか。引っ越して、最初に向かったもの。整えたもの。大事なもの。何だっただろうか。

 息子は、おもちゃ。
 夫は、本。
 わたしは、わたしは、そうか、植物だった。

 それぞれがそれぞれの位置で、それぞれの愛でたいものを整えていっていた。それが集まって、重なりあって、家ができてきたんだな。

 9月の終わり。今度は彼女が我が家にやってきた。お休みの彼女は、仕事がピークの我々に朝からたくさんのお昼ご飯を仕込んで車に乗って来てくれた。炊き込みごはんから、みそ汁まで。鍋2つとストッカーには総菜をいろいろと詰め込んで!仕事場から夫も駆けつけ、大人3人での昼食会。

「しまったー忘れたーー!」と彼女が叫んだのは、大盛りのシャインマスカットと巨峰。あの小さな小さなスーパーでまた買って用意してくれていた袋をまるごと、自宅の玄関に忘れてきたそうなのだ。今が旬なので、値段も安くなっていたらしい。鍋はルクルーゼとストウブ。石のように重い鍋たちを2つも抱えていたらそりゃ忘れるわ、と思いながら心で泣いた。

 代わりに、野菜室にほんの少し残っていた“前の”シャインマスカットを食卓に。

 食べること、はたまた食材を愛でること、そんなことの意味に改めて気づかせてもらった日々だった。

 我が家の秋が深まっていく。

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