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平野 愛

平野 愛/写真家

その日の記憶を文字だけでなく写真と一緒に残せたらどれだけ素敵だろうか。 身の回りの「残像」を積み重ねていく楽しさを書きとめていきます。

第1回 色で繋がる暮らしの残像

 北側の窓を開けると遠くの建物と近くの木々に反射した光が、そよそよと届く。ここ大阪西区の靱(うつぼ)で暮らしはじめて7年が経った。
 ただいま34歳。夫と3歳の息子との三人暮らし。仕事はフィルムカメラで写真を残すこと。

 大阪に来るまでは、京都の実家以外で暮らした事がなかったわたし。ひとり暮らしも、海外留学も、長期旅行も。とにかく27年間一歩も。
 実家は京都御所の南側の一角に建つ、築90年ほどの洋風町家。伝統的な京町家の構造を備えながらも、丸窓やステンドグラスやアーチ状のエントランス、内装には 漆喰の壁と造作の小窓や暖炉、壁一面の作り付け本棚、床と畳とカーペットなどがコラボレーションする。
 西と東に向いた窓からは、朝は白、昼は青、夕は赤の光がまっすぐ届いた。京都特有の長細い家ながらも、暗くはなかった。いや、暗い部分もあった。光が届ききらない一階の真ん中あたり。あの部分は、黒。真っ黒でいつだって怖かった。だけどその黒があったから、光が余計に色づいて見えたんだ。何だかよく分からないけど、ちょっと変わってて味わい深くて、ここから出て行く気など湧くこともなった。
 
 そんな洋風町家で20歳を迎えて、写真の仕事に出会った。学生ながらも掴み取った仕事。いきなりプロになってしまったわたしは、「26歳」の顔をして挑んだ。
 いつしか、赤い光が射し込むわたしの部屋はオフィスとなり、カメラの窓に射し込む光を眺める日々へと移り変わっていった。

 そうして仕事に没頭しながら暮らしていくうちに、ほんのり"異国"への冒険心が芽生えたのが27歳。結婚という機会にも恵まれ、外の世界を見てみようと留学気分で出たのがここ、大阪だった。忙しい街、ややこしい街、絶対住むことはないと唯一思っていた、この街。
 当時は東京での仕事も多く、新幹線で毎週金曜日に通勤するという生活もしていた。ゆえに東京で暮らすという選択肢もあったはず。しかし、それはあっさりスルーしていた。

 なぜだったのか。
 いまにして思い返せば、東京はまぶし過ぎた。反射する物体が多くて、光に翻弄され、とても疲れていた。
 そんな折にふらりと通った靱の公園。それまでに見た事のない緑の光が前を横切った。風に揺らめいた木々の葉の反射だった。京都御所のあのどっしりと深い緑ではなく、都会の軽やかで爽やかな緑。風に乗ってそよそよと流れるような、ほどよい緑の光だった。
 そしてその光の先に繋がるように、パン屋さんや雑貨屋さん、植物屋さんに服屋さん、デザインオフィスに印刷屋さん、肉屋さんに八百屋さん、そしてカフェが見えてきた。
 たった一回のこのひと時で、忙しさもややこしさもどこかへ消えて、人生初の"出国"を決めたのだった。

 それから7年。いまも変わらず緑の光はほどよく窓を通って、食卓まで届いている。

 このまましばらくここで暮らしてみようか。

 そう想い巡らし、考える日々。
 光で繋がる暮らしの残像を、ここからしばしお届けできればと思う。

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