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橋爪節也

橋爪節也/美術史家

「あの人は、どんな絵と共に暮らしていたか」。 気になるお題を、美術史家が豊富な事例とエピソードを添えて解き明かす。暮らしのヒントも満載。

第7回 “モノ”こそ物狂おしけれ 立体物を飾るキモチ

“してやられたり”の空間

 今回は、絵を飾るキモチからテーマを広げ、絵画すなわち平面 、 、ではなく、立体物 、 、 、で部屋を飾るキモチを探ってみよう。ここで指す立体物は、彫刻・工芸など美術品から、旅先で入手した思い出の品、コンペのカップ・ペナントまで多種多様である。本来は美術用語である“オブジェ”も含まねばならない。これらの立体物を、絵画と区別して“モノ”と呼ぶことにする。

 手はじめは、個人宅に“モノ”がどのように飾られているかを考察すればよいのだが、われわれ同様という標準的なマンションや建て売りではもうひとつ迫力がない。他人のお宅を訪問して“モノ”に出会い、その存在感に圧倒されて「してやられた 、 、 、 、 、」というキモチになった経験から話してみよう。他人のお宅を訪問して応接間に通されると、主人が満を持して出てきて、どっかとソファに腰掛ける。その背後の飾り棚に何が詰め込まれているかを想像してみる。

 世代によって浮かぶものは違うだろうが、私などすぐ浮かぶのは、年代物の洋酒壜(琥珀色)やワイングラス、競技大会の優勝カップ・ペナント、一冊何万もする豪華美術全集が詰め込まれた棚だったり、贅沢なオーディオセットの脇に天井まで何百枚も並ぶLPレコード、画家でもないのに石膏デッサン用のアグリッパの胸像、ヘッドホンをしたベートーベンの隣で首をかしげるビクターの陶器の犬だったりする。そういえば、郷土玩具を近所の書店から毎月取ってコレクションしている家もあった。

 棚のディスプレイは、その家の主人の人柄、実力、知性、美的センスなどを伝えてくる。職場では同程度の役職、地位であっても、遊びに行ったらディスプレイで圧倒され、「してやられたり」というキモチで、すごすご帰宅したことはないだろうか。
 来客を圧倒する“モノ”に満ちた接客空間を自宅に構えることは、かつてステータスだった。応接空間には、“モノ”たちが空間に集中的にレイアウトされ、主人の社会的地位や力量、知性とか趣味とかを、訪問客への視覚的メッセージとして襲いかかるように十分に工夫されていた。
 特に、絵画には希薄な、立体物特有の存在感や物質感 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、が、この場合、効果的に作用するのである。

 今回は『方丈記』に出てくるような小さな閑居に“モノ”を一点、配した実験の成果は別の話としよう。まず、住まいに立体物を飾った場合の総合的な“モノ”の魔力の話である。


圧倒された記憶

 1970年代なかば、私が高校生のころ、繁華になる前のミナミのアメリカ村の弁護士事務所の一室で、少人数の学習塾が開かれていた。事務所の各部屋は書籍や資料があふれかえり、本棚に収まりきれない本がいたるところにあふれ出ていた。目に付いたのが、廊下に横積みにされた岩波書店「中国詩人撰集」全33巻で、数学ⅡBの問題はさっぱり解けないものの、梅堯臣、黄庭堅など詩人の名を自然と覚えた。

 私が最初に“モノ”があることに圧倒された体験をしたのは、この時である。“積ん読”の状態ならば、書籍も“オブジェ”の一種に見なせるの意味で、ここは“モノ”とお認めアレ。この時の「圧倒された感」から、本棚が無くとも本は増えたら横づみで「いいんだよねぇ~」と納得したことで、足の踏み場もないわが家の今日の惨劇がはじまるのである…。

 次の記憶も“モノ”としての書籍の山である。東京都台東区谷中に、「東洋のロダン」と呼ばれ、東京美術学校教授であった彫塑家・朝倉文夫(1883~1964)のアトリエがある。現在は台東区が管理する朝倉彫塑館だ。学生時代に入館料をはらって見学し、巨大なアトリエや洒脱な数寄屋風の住まい、中庭の池と巨石を眺めて“帝室技芸員”の権威に驚いたが、ドキドキしたのが、アトリエ脇の床から天井まで本棚になった書斎である。

朝倉彫塑館の書斎

 半世紀早く私が生まれていて、取材か何かでここに通されたら、先生がお出ましになる前に、空間のパワーに圧倒されてしどろもどろ 、 、 、 、 、 、になってしまっただろう。そんな圧倒的な空間であった。

 雰囲気は一変して三度目に私が圧倒されたのが、以前にも紹介した大阪の版画家、前田藤四郎とうしろう先生(1904~1990)のアトリエである。阿部野神社の近くにあり、室内には、鳥の剥製や骨の標本、世界の人形、菓子箱、貝殻、海浜の漂着物、画材、画集、そして自身の作ったオブジェがいたるところに置かれていた。アトリエ内部はそのまま超現実主義的であり、おとぎのスペースである。

アトリエで制作中の前田藤四郎

 戦前にマックス・エルンストに触発され、シュールリアリストとして創作活動を開始した前田先生が自分の目で選んだ“モノ”たちが並び、本人も身近にそれらを置くことで、創作のインスピレーションを得たことが実感できた。“モノ”の存在は、主人の精神的あるいは社会的活動をも高揚させるのである。

 芸術的雰囲気に圧倒された前田邸だが、残念ながら没後、火災で焼失してしまう。関西周辺で文化人の住まいやアトリエを見学しようとすれば、池田にある小林一三記念館、京都の橋本関雪の白沙村荘、奈良の志賀直哉旧宅などが代表格だが、大都市である大阪市内にこうした施設が残されていないのが残念だ。


原点としての書院−座敷飾りから対面所へ

 ここで「そもそも日本人は…」という話になる。日本人が生活空間に美術品を飾りだした原点の一つが、室町時代、足利義満の北山文化で客間に用いられた会所での「座敷飾り」である。

「座敷飾り」とは、「押し板」と呼ばれる長板を敷いたスペースを設け、背後の壁に掛け軸を掛け、前机に「三具足」をおいた室内の飾り付けのことである。「三具足」は、香炉、花瓶、燭台の三種を指し、西本願寺所蔵の14世紀半ばの『慕帰絵詞ぼきえことば』には、連歌会に柿本人麻呂の絵像を掛け、香炉や料紙を飾りつけているのが描かれている(画面中央部上)。これらを、今回のテーマである室内でパワーを発揮する“モノ”の原点としよう。

『慕帰絵詞』国立国会図書館デジタルコレクションより

 そして日常生活を芸術化する茶道、華道など、時代の流れによって「座敷飾り」は発展し、対応した空間として「書院」が登場する。「書院」は中国で書斎を意味する言葉だが、書見や執筆のために「押し板」を作り付けにした「付け書院」と、器物を飾り付けて並べる「違い棚」、掛け軸をかける「床の間」で構成される。「書院」の原型とされるのが文明17年(1485)に、足利義政が慈照寺(銀閣寺)の東求堂とうぐどうに設けた「同仁斎どうじんさい」である。

 この時期の「座敷飾り」を記録した相阿弥そうあみ(生年不明~1525)は、祖父の能阿弥、父の芸阿弥と同じく足利将軍家に同朋衆として仕え、山水など絵も描くほか、舶来の書画の鑑定や美術品管理、造園や連歌、茶道、香などで活躍した。今風に申せば、将軍家直属のアートディレクターと申せましょう。

君台観左右帳記くんだいかんそうちょうき』には、能阿弥や相阿弥によって、義政の山荘である「東山殿」に飾られた座敷飾りの器物と配置が記録され、「床の間」は掛け軸に香炉や花瓶、「違い棚」には茶椀や茶入れ、「付け書院」には硯、筆、文鎮などが飾られた。他に相阿弥には座敷飾りを記した『御飾記おかざりき』(1523年)もある。

『君台観左右帳記』愛媛大学鈴鹿文庫HPより

 この「書院」というスペースを核に、室町から近世初頭に新しい住宅様式として発展し、完成したのが「書院造しょいんづくり」である。「書院造」の主室には、「床の間」「違い棚」「付け書院」のほかに「帳台構え」が設けられた。
 時代劇でご存じの大坂城や聚楽第など城郭の御殿がそれで、金碧の豪華な障壁画が描かれ、秀吉や家康など権力者が諸大名と対面したり、大名が臣下に褒美を与える対面所の機能も果たすようになる。二条城を思い浮かべてもらってもよい。


たのしみは我がこころにあり−文人趣味の文房飾り

 一方「書院」と似た言葉に「文房」がある。「文房」もまた、中国での書斎のことで、高級知識人である“文人”が読書したり、詩作したり、揮毫したり、鑑賞したり、接客に用いたりする空間であった。現代も用いる「文房具」という言葉は、筆や硯、紙などの、「文房」つまり書斎で使う道具の意味なのである。

 けれども、中国の名だたる文人のように裕福で、スケールの大きな「文房」を設けられる知識人は、わが国には少なく、日本人が自らを中国文人に擬して、意識的に“文人”らしい生活をしはじめたのも江戸中期以降であった。身分も商人や農民、武士であったりして、中国とは全く異なる。“武人”である武士が“文人”だなんて考えてみたら矛盾してますでしょ。

 ニューヨーカー風とかパリ左岸とか、「いま世界でこれが新しい」とライフスタイルや思想を紹介する雑誌やネット情報に触発されるように、四書五経など漢籍や詩文を学び、日本社会の枠組みのなかで自己のアイデンティティーを模索した結果、憧憬する中国知識人のように生きるライフスタイルとして、“文人”風を模倣した高等知識人が日本に続出したのである。

 中国の文人趣味を伝える上で影響が大きかったのが煎茶である。千利休の茶道は抹茶だが、煎茶道の開祖は江戸初期に渡来して黄檗山おうばくさん萬福寺を開いた隠元隆琦りゅうき(1592~1673)とされ、中期に売茶翁こと高遊外こうゆうがい(1675~1763)が文人趣味とともにそれを広めた。大阪などは煎茶の盛んな土地で、町人学者として知られる北堀江の木村蒹葭堂けんかどう(1736~1802)も煎茶に打ち込んで有名である。

 煎茶そのものの話は割愛するが、大阪を拠点に活躍する一茶庵宗家の佃一輝宗匠のお話では、煎茶の場合、文人趣味の書画の軸をかけ、筆や硯などの文房具を飾れば、精神的な意味において、どこでもその室礼のある場所が「文房」になるのだそうだ。
 関西大学大学博物館での一般参加の勉強会でうかがったお話だが、夏にあわせて趣向を凝らした「文房具飾り」がなされ、変哲もないセミナー室が脳内宇宙のなかで風雅な「文房」に早変わりした。そして、掛け軸に記された漢詩や文房具飾りを題材に、そこに秘められた趣向の高度に知的な謎解きが、参加者一同によってはじまるのである。


現代では…

 以上にあげた「書院」と「文房」から室内に“モノ”を置くことの意味として、まずは二つの方向性が浮かんでくる。“モノ”の放つオーラを結集して、主人の存在感を外に示す場としての対面所機能を持つ「書院」(とか「書院造」)のタイプAと、客も招くが、“モノ”による文化的結界をはり巡らし、内的世界の成就を目指す煎茶の「文房」的なタイプBである。

 現代に投影すれば、タイプAは、官庁や企業や学校で対面所にあたる応接室に、組織の権威付けのために様々な記念品が置かれてあるのがそれだろう。競技大会の金銀まばゆい優勝カップも、「ごっつあんです」と聞こえそうなほど大きければ迫力が増して客を圧倒する。
 個人宅でも、床の間のある和室が「書院」であり、個人的な趣味を色濃く反映する“モノ”たちの存在によって、来客があげる「へへーっ」「ほほーっ」といった声を聞いて、お宅の主人が悦に入るように計画されているのである。つまりは“見せびらかし”。

 ただし、このタイプは、飾り棚を設けて“モノ”を存分に置くことができる確固たるスペースが自宅にないと、存分な対面所機能を発揮させるにはいたらない。そうしたスペースのない一般的なご家庭ならば、担任教師の家庭訪問などもキッチンですまし、日頃はしまい込んでいる絵付けの大皿を出して食器棚に置く演出ぐらいのことになろう。

 むしろ現代社会では、相阿弥の遺伝子を継いだアートディレクターたちが活躍し、大阪でもグランフロントから阪急東通り、心斎橋筋からパークスなど、街を歩くだけで空間に巧妙にレイアウトされた“モノ”たちの放つオーラを浴びることに我々は宿命づけられている。つまり閉鎖的な空間ではないが、現代人は、いつも何者かに、お目通り、対面を強いられ続けているとも考えられないではない。

 他方、タイプBのプライベートな「文房」の世界は自由自在で、簡易なテントのなかであっても、魔法の法具のように特定の機能を課して意味付けした“モノ”たちを配列することで、ドラえもんかハリー・ポッターのごとく、どこにでも自分だけの書斎を出現させることも可能となるのである。

 しかしまた、テレビの「ビフォアーアフター」などで、こどもの勉強部屋の確保に書斎を断念していたお父さんたちが、廊下の隅や階段の下の三角スペースに板を机代わりに置き、パソコンとインターネットをつないで書斎を確保した気になっているのを見るが、少し切ないタイプBである。

 むしろ現代のタイプBでは、“モノ”の選択や配列を取り決めるだけで世界観を共有できる仲間同士の内的な世界を構築する点で、秋葉原や大阪の日本橋を行くオタク系の趣味なども、これに含んで無視できないかもしれない。

 さらに、21世紀にジャパンクールな“大名”(信長みたいな)がいたら、オタク系のタイプBがタイプAに転じて、先祖伝来の甲冑のように「書院」に等身大のガンダムのフィギュアを飾り、家臣に「ザク」など量産型のモビルスーツのフィギュアを褒美としてつかわのだろう。家来は家来で内心「それがしはエヴァンゲリオン初号機がようごさる」とか「みどもは黒執事」とか「T-Rex」とか「ワンピース」とか「進撃の巨人」だとかつぶやいたりして…。


“モノ”たちの王国

 “モノ”の有る無しによって居住空間が、外にも内にも活性化することを日本の伝統文化に見たが、これら“モノ”たちを無法状態に放つのではなく、整理分類し、自分の理想型に配列することは、己が主宰するプライベートな小宇宙ミクロコスモスに秩序をもたらすことにおいて、創造主、つまり神のなせる業とも言える。

 しかしデアル。私などの部屋は、横づみ、縦づみ、斜めづみ、散乱する書籍や雑多な資料が室内に氾濫し、7,000枚は越すかと思われるCDなども、落城前夜の大坂城内やザンバラ髪の落ち武者のごとく散乱し、なにがなんだか分からない。整然と整理したら、どんなに美しい秩序が訪れるかと胸躍らすが、それを果たせぬまま、私の寿命が尽きるのかとも思い、浅ましくも情けなくなる。

 “モノ”がうまく並ぶよう工夫に成功し、本やら地図やらCDが整然と並んだ棚がカウンターを挟むようなバーかカフェでも開いて、マスター面して住ムフムラボの原稿でも書いているのが私、といった風景が微笑ましく想像されもするが、店の開店までの行程は真っ暗闇のトンネルで、向こう出口の灯りも見えない。整理整頓を信条とする上から目線の角張った諸氏に、「そこが君と僕との違い棚(ちがいだな)」と皮肉をかまされそうで嫌だ。

 しかし考えてみれば、“モノ”をたくさん置いて空間を意味づけることは、絵画を一点掛けて日常生活のなかで静かに鑑賞するスタイルよりも、どこか別種のマグマが煮えたぎって、エネルギッシュで熱のある楽しみであるように思えてくる。

 平面として影(イリュージョンの意味)のような絵画は「幽霊」みたいな存在だが、手で触れることができる“モノ”は、しっかりした実在感がある。立体物として照明や配置で見え方も千変万化する点も、歳月を経て付喪神になる器物、人を化かす「妖怪」に近い。
 こうした妖力の強い“モノ”たちをいかに蒐集できるかは欲の皮の張り具合と比例して重要だし、妖怪ウォッチみたいに“モノ”が存分に力を発揮できるかは、当方の力量しだいである。

 徒然なるままに日暮らし、硯に向かって、心に映りゆくよしなし事をそこはかとなく書きつくれば、怪しうこそ物狂おしいと兼好法師はいう。御自宅の“モノ”の御飾りの記録をつけてみるのもハッピーだろう。
 ただし…ディスプレイに凝り出すと、とめどもなく凝りに凝って物狂おしく、百鬼夜行の絵巻よろしく“モノ”たちと一緒に踊り出すのでご用心。

鳥山石燕『百器徒然袋』妖怪画の「瀬戸大将」

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