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橋爪節也

橋爪節也/美術史家

「あの人は、どんな絵と共に暮らしていたか」。 気になるお題を、美術史家が豊富な事例とエピソードを添えて解き明かす。暮らしのヒントも満載。

第23回 創業100年、河内洋画材料店の“カワチ−ガタ”は、魔法の正方形

 絵を飾るときに重要なものが額縁である。

 高額の油彩画・日本画でなくても、プレゼントされた版画や子供が描いた親の肖像画、下手の横好きで日曜画家として描いた自作を、せっかくだからと額に入れて自宅に飾ることもあるだろう。
 その時の額縁は、専門の額縁屋さんや、絵具や筆も商う画材店で調達するはずだ。版画の場合、額に収めるマットを切ってもらうだけではなく、版画の内容と価格に応じた額縁を店員に選んでもらったりする。

 大阪で画材の老舗と言えば、心斎橋筋から一つ東側に店舗を移したカワチである。
 大阪で美術やデザインにかかわった人で、訪れたことがない人は少ないだろう。現在、油彩画の筆や絵具、カンヴァスから額縁、デザイン、設計用品、コミック、文具まで手広く商売の対象としているが、旧名の「河内洋画材料店」の名が示すように、洋画材料に関係した店として戦前から有名で、画家が絵筆とパレットをもった「画人印」(図1)のマークも愛嬌がある。
雑誌『アトリエ』の裏表紙(表4)広告(1936.2.25発行)
図1 雑誌『アトリエ』の裏表紙(表4)広告(1936.2.25発行)

 このカワチが、今年創業100年を迎えた。心斎橋筋にのれんを掛けて堂々たる1世紀の歴史である。
 そういえば、昭和45年(1970)大阪万博の年に中学生になった私は、美術部に入って初めて油彩画を描いたが、新しい絵の具を買いにカワチに出向いた時、すでに創業50年だったことになる(というか私も年をとったものだ)。

 今回は、大正末から昭和の大阪の洋画史と重なる河内洋画材料店の歴史に触れるとともに、絵を掛ける人のキモチとして、戦前に同店が売り出したユニークな「KAWATI-GATA」(河内型)と呼ぶ額を紹介しよう。


第1次世界大戦も終わった大正9年(1920)の創業

 河内洋画材料店の創業は、大正9年6月である。創業者の河内俊(しゅん)が心斎橋筋の順慶町(じゅんけいまち/現・中央区南船場)で独立して店を開いた。第1次世界大戦が大正7年(1918)に終わり、商品の輸入や画家たちの遊学が再開された時期でもある。

 河内俊はそれまで、中之島の常安橋(じょうあんばし)北詰にある吉村商店に勤めていた。現在のホルべイン画材である。
 明治43年(1910)8月5日の絵日記『断雲日録』(図2)で小出楢重(こいで・ならしげ/1887~1931)が、スケッチ板の箱を買いに巡航船で道頓堀から土佐堀川にかかる常安橋に向かった先も、この吉村商店だったのではないか。その1本東、現在の大阪市立科学館そばの筑前橋付近で佐伯祐三(1898~1928)が《中之島風景》(大阪朝日新聞社所蔵)を描いたのも、吉村商店に立ち寄ったついでかもしれない。
ボートフックを持って立つ道頓堀巡航船乗り場の船員。楢重のバタ臭さとデッサン力が際立つ(『小出楢重絵日記』求龍堂刊より)
図2 ボートフックを持って立つ道頓堀巡航船乗り場の船員。楢重のバタ臭さとデッサン力が際立つ(『小出楢重絵日記』求龍堂刊より)

 商都の中心である船場だが、薬の街の道修町(どしょうまち)や小間物の街の久宝寺町など、地域において商売の対象が異なる。
 河内俊が店を開いた順慶町は、長堀通より北に三本目の東西の町で、独立当初は写真の暗箱を商っていたという。この付近は明治時代から貴金属、時計、眼鏡など舶来品の店が多かった。

 写真機材もそうした品目で、日本最古のアマチュア写真クラブ「浪華写真倶楽部」が本拠とした桑田商会(S.KUWADA & SONS)が心斎橋筋の安堂寺町(あんどうじまち)の角にあったり、「鉄道唱歌」を刊行した三木開成館が、楽器を輸入して三木楽器となったりしている。
 順慶町を選んだのも、輸入関係が多く、文化的な香りも漂う地域との結びつきが深かったのだろう。

 大正末頃だろうか、順慶町から心斎橋筋八幡筋(はちまんすじ)を西に入った地所に移転する。後に「南店」と呼ばれる店だが、ここが卸部も兼ねた本店となる。

 昭和2年(1927)、鳥海青児(ちょうかい・せいじ/1902〜72)、胡桃沢源人(くるみざわ・げんじん/1902〜92)、辻愛造(1895〜1964)、片岡徳太郎(生没年不明)、向井潤吉(1901〜95)らの大阪洋画協会の本部が店に置かれ、画家たちをバックアップする画材店としての活動を広げていく。

 そして、昭和7年(1932)の北尾鐐之助『近代大阪』(「近畿景観」シリーズ第三編、創元社)で「大阪における近代的流行の歩くところ」と評された心斎橋筋の、旧そごう百貨店(現大丸心斎橋店北館)の北側、心斎橋筋1丁目に「小売部」として新店舗を開設する。
 年代は、昭和2年か遅くても昭和3年(1928)正月である。

 この頃の絵地図『心斎橋筋案内』を見ると、そごう百貨店と同じブロックに「小売部」(図3)が描かれている。二階が低いつし二階となった古い日本家屋の店で、間口も狭い。
『心斎橋筋案内』より。鰻谷(うなぎだに)の角から2軒目が[河内洋画材料店]。左端の「十合呉服店」は後の心斎橋そごう。こんなストリートマップが今もあると、買い物がもっと楽しくなるのだが
図3 『心斎橋筋案内』より。鰻谷(うなぎだに)の角から2軒目が[河内洋画材料店]。左端の「十合呉服店」は後の心斎橋そごう。こんなストリートマップが今もあると、買い物がもっと楽しくなるのだが

上記の地図を拡大するとこんな感じ
図3-2 上記の地図を拡大するとこんな感じ

 昭和6年(1931)の商品カタログ『KAWATI-GATA』№7(図4)の広告には、「心斎橋八幡筋西(南店)」と「心斎橋南詰一丁目(北店)」が記され、通信販売は「八幡筋西、当本店宛御申越願ひます」とあるので、本店は南店であった。
『KAWATI-GATA』No.7より(1931年)
図4 『KAWATI-GATA』No.7より(1931年)

 北店と同じブロックにあるそごう百貨店が、村野藤吾設計のモダン建築として生まれ変わるのが昭和10年(1935)。その少し前の昭和7年(1932)に開かれた艸園会(そうえんかい)『第一回洋画夏期講習会案内』の広告に載るイラストのモダンな店構え(図5)は、「心斎橋筋案内」の店舗より間口も広い。
『第1回洋画夏期講習会案内』(艸園会)の広告(1932年)
図5 『第1回洋画夏期講習会案内』(艸園会)の広告(1932年)

 そごうの建て替えに際して、同一ブロックである北店のある古い日本家屋も様々な移動があったかもしれない。艸園会の案内にある新店舗は、そごう新館建設と連動した新しい北店の姿と思われる。

 この頃から盛んに、『中央美術』『アトリエ』『美術新論』など美術雑誌に広告(図6)を載せ、全国に知られる洋画材料店とへと成長する。新文展や二科展、国展、春陽展、独立美術協会、東光会などへの出品の申し込みも店頭で受け付けている。
雑誌『アトリエ』の裏表紙(表4)広告「感じがよくて丈夫で、安いカワチの油繪具組合せ箱」。コピーと書体が洒落ている(1936.4.25発行)
図6 雑誌『アトリエ』の裏表紙(表4)広告「感じがよくて丈夫で、安いカワチの油繪具組合せ箱」。コピーと書体が洒落ている(1936.4.25発行)

 モダンな店舗は“心ブラ”を楽しむ浪花っ子の目に触れ、河内洋画材料店の存在感を高めたはずだ。昭和8年(1933)地下鉄の梅田−心斎橋間も開通している。


「大大阪」の時代であるからこそ

 創業当時を考える上で、もうひとつ重要なのが「大大阪」の誕生である。

 大正14年(1925)大阪市は第2次市域拡張を行い、人口200万人を超えて東京市を抜き、日本第一のマンモス都市に膨張した。人口でニューヨーク、ロンドン、パリ、ベルリン、シカゴに次く世界第6位の大都市にランク付けされている。

 日本最大のマンモス都市「大大阪」となった大阪市は、御堂筋の拡幅や日本初の公営地下鉄建設、築港整備など、都市基盤の整備だけではなく、美術振興策も推進した。

 大正9年(1920)の市議会で決議された市立美術館の建設(結果的に昭和11年〈1925〉開館)や、大阪市立工芸学校(現・大阪市立工芸高校)の開校、美術家たちを組織した大阪市美術協会の設立が進められていた。

「大大阪」誕生を前に、展覧会施設の美術館、教育機関の工芸学校、美術家たちを組織化する美術家協会結成という美術振興プロジェクトが計画され、これに呼応して画家たちも、美術団体設立や研究所、美術学校開校などを積極的に進めていく。

 それが次に述べる赤松洋画研究所や中之島洋画研究所だが、「大大阪」の文化的建設に絡んで河内洋画材料店は、画家たちの活動を裏から支えることになる。


丹平ハウスと赤松洋画研究所

 大正13年(1924)、「南店」がある八幡筋より心斎橋筋を南に入った心斎橋筋2丁目に、丹平製薬が丹平ハウス(図7)を開設する。現在の小大丸ビルの南隣である。

 地上3階、地下1階、鉄筋コンクリートの最新複合商業施設で、1階は心斎橋筋から裏の別館まで通路が抜け、通路北側は薬局、南側のソーダ・ファンテンでは、アメリカ式の大理石カウンターでソーダ水、アイスクリーム、ホットドッグ、サンドウイッチなどを販売した。
丹平ハウス。今もあったとしたら、毎年秋の「生きた建築ミュージアムフェスティバル大阪」の人気建築物として多くの人を集めたに違いない
図7 丹平ハウス。今もあったとしたら、毎年秋の「生きた建築ミュージアムフェスティバル大阪」の人気建築物として多くの人を集めたに違いない

 2階は美粧部(美容室)、写真室、画廊、貸事務所である。美粧部はフランス風を意識しつつ、南地の花街に近い土地柄、日本髪も扱った。別館は各種の医院・クリニックが入った。

 大正15年(1926)、この建物に赤松麟作(あかまつ・りんさく/1878~1953)が赤松洋画研究所を開く。赤松は東京美術学校(現・東京藝術大学) に学び、明治35年(1902)の白馬会展《夜汽車》(東京藝術大学大学美術館所蔵)で注目された。ソーダ・ファウンテンのカウンター(図8)には、赤松の《静物》(個人蔵)が架けられていた。
大理石のカウンター。接客する男性スタッフの帽子がかわいらしい。後ろの絵は赤松の作品
図8 大理石のカウンター。接客する男性スタッフの帽子がかわいらしい。後ろの絵は赤松の作品

 洋画研究所は在籍者250名を越え、普通部、婦人部、夜間部、日曜部を置き、初心者は3階の石膏部で修行した後、モデルのいる2階の人体部に進んだという。丹平ハウスには、安井仲治(やすい・なかじ/1903〜42)、上田備山(うえだ・びざん/1888〜1984)を指導者とする丹平写真倶楽部もあり、写真の審査に赤松も特別参加した。

 大阪におけるモダニズム美術の中心であった丹平ハウスに、河内も購買部的な店を設けたらしい。画家たちとの密接な関係が分かる。


中之島洋画研究所のある大阪朝日ビルディングにも支店が

 赤松に先立つ大正13年(1924)、小出楢重、鍋井克之、黒田重太郎、国枝金三らが四つ橋筋の信濃橋交差点に開いた信濃橋洋画研究所は、昭和6年(1931)中之島に竣工した大阪朝日ビルディングに移転して、「中之島洋画研究所」と改称する。

 朝日新聞社が二科展を応援し、隣接する朝日会館の展示場で「二科展」が開催されていた。そのこともあって移転だろう。このビル2階の「専門大店」に河内の支店が開かれた(図9)。

 前述『KAWATI-GATA』№7は、新店舗開設記念号ともいえる商品カタログである。ビルの3階に中之島洋画研究所、4階に美術新論社画廊があり、2階の催し物会場では洋画展などが開かれた。
 また、先にあげた「心斎橋八幡筋西(南店)」「心斎橋南詰一丁目(北店)」に加えて、新しい支店の「渡邊橋朝日ビル(専門大店内)」がこのカタログに記されている。

 表紙写真には、大阪朝日ビルディング1階のショーウィンドーに河内洋画材料店のディスプレイがあり、「移転改装記念」として中之島洋画研究所主催「鍋井克之 黒田重太郎 国枝金三氏作品展覧会」のポスターが貼り出されている(図4)。
 大阪朝日ビルディングは、金属やガラスを多く用いたモダニズムを象徴する建築で、屋上には飛行機の管制灯台とアイス・スケートリンクがあった。
2013年まで存在した大阪朝日ビル。渡辺橋南詰南西角に張り出したアールが美しい、大阪を代表する「カド丸建築」の一つだった。矢印は専門大店のある2階を指している
図9 2013年まで存在した大阪朝日ビル。渡辺橋南詰南西角に張り出したアールが美しい、大阪を代表する「カド丸建築」の一つだった。矢印は専門大店のある2階を指している


そごうと藤田嗣治

 さらに河内洋画材料店は「大大阪」時代のモダニズムと密接に関係する。
 昭和10年(1935)、そごう百貨店が村野藤吾(1891〜1984)の設計で、“ガラスと大理石の家”をうたった新館を開店させた。

 村野の新建築は、縦のストライプを強調したシンプルでモダンな和風調の造形美が洗練され、大丸と好対照をなした。大丸、そごう両百貨店での美術展覧会を見に来た画家たちが、河内洋画材料店に立ち寄ることもあっただろう。

 そごうの御堂筋側の外壁には、巨匠ロダンの助手・藤川勇造(1883〜1935)の彫刻《飛躍》が取り付けられ、エレベーターの扉は漆芸家・島野三秋(しまの・さんしゅう/1877〜1965)の漆螺鈿装飾、貴賓室扉が奥村霞城(おくむら・かじょう/1893〜1937)の蒔絵、風除室の天井は洋画家・鶴丸梅吉のモザイク、階段踊り場の照明はウイーン工房出身の上野リチ(1893〜1967)のガラスで飾られるなど、建物そのものが美術館であった。

 新しいそごう百貨店の、イタリア人女性支配人がフランス料理を出す6階特別食堂に飾られたのが、藤田嗣治(ふじた・つぐはる/1886~1968)の《春》(図10)である。
 藤田は、欧米都市に劣らない都市美を目指して室内装飾を重視し、大衆に奉仕して、国民全体に美術愛好と鑑賞の機会を開くことを訴えていた。
そごう6階特別食堂に飾られた藤田嗣治《春》(橋爪節也『モダン心斎橋コレクション』より)
図10 そごう6階特別食堂に飾られた藤田嗣治《春》(橋爪節也『モダン心斎橋コレクション』より)

 藤田が手がけたブラジル珈琲店[銀座コロンバン]の内装とともに、空から舞い降りる女神やキューピッドを描いた《春》はそれを代表する。

 帰国した藤田は、制作に当たって画材を求め、建設中のそごうのほとんど隣である河内洋画材料店を頻繁に訪れたという。店内にも藤田によって最新のパリの雰囲気が漂ったことだろう。
 藤田はフランスに帰化するが、戦後、彼が用いた面相筆は河内洋画材料店から送られたという。


カワチガタ−正方形のたのしみ

 ここから本題の「KAWATI-GATA」である。
 先ほどの洒脱な画材カタログのデザインもそうだが、河内洋画材料店では、和風の色紙にも似た形式の額や広告を、自社のオリジナルとして「KAWATI-GATA」「河内型」と呼んだ。正方形に近いプロポーションである。『河内洋画材料店目録』(昭和4年、図11)も判型が正方形に近い。
『河内洋画材料店目録』1929年。カタログの「商品券」の人物が、後述する「画人印」の原型になった
図11 『河内洋画材料店目録』1929年。カタログの「商品券」の人物が、後述する「画人印」の原型になった

 縦横が同じ長さになった正方形に近い画面は、渦を巻くように、どうしても中心へと視線が吸収されたり、逆に中心から四方へとエネルギーが放出されたりする。

 また、昭和10年(1935)開催の、「油絵色紙とみにあちゅる」展のタイトルにある「油絵色紙」は、実際に色紙に油彩で描いたものかもしれないが、言葉が象徴するように和風の感じも演出できる。その辺が「KAWATI-GATA」の面白いところで、こだわりが感じられる。

「油絵色紙とみにあちゅる」展には、大家に依頼した「KAWATI-GATA」のカンヴァスや額縁の小品が展観された。「みにあちゅる」とは小さな細密画を指すが、画家たちに額縁と板を持参して、制作の依頼をしたという。
 凝りに凝った額縁を見せ、画家たちにそれに挑むキモチを起こさせたのである。
梅原龍三郎《櫻島の朝》
図12 梅原龍三郎《櫻島の朝》

「KAWATI-GATA」ではないが、帝展で活躍し、戦後、創元会の結成に参加した矢島堅土(やじま・けんど/1895~1973)が制作した当時の「みにあちゅる」(図13)が残されている。
矢島堅土の作品
図13 矢島堅土の作品

 箱はクルミ材で出来ており、空堀商店街(大阪市中央区)の近所で木工工場をやっていた小西木工の製品だという。 
 高価な大作は購入できないが、価格も手軽な小品によって、洋画そのものを一般家庭に普及させようという狙いもあったのだろう。創業者の河内俊は、なかなかのアイディアマンであった。


ギャラリーと「画人印」

 戦後の昭和37年(1962)頃に「ギャラリー河内」を開設し、採光も兼ねた中庭に、大阪府立園芸高校の専門家に依頼して常緑亜高木のカクレミノの木が植えられた。

 大阪万博の前年昭和44年(1969)には、店舗を新築して三室を備えた「ギャラリー カワチ」(図14)がオープンする。
 私が記憶するのは、後者のギャラリーからである。
ギャラリー カワチ 1969年
図14 ギャラリー カワチ 1969年

 戦前の店もそうだが、洒脱なこれらの店舗を見ていると、大阪にあって遙か欧米の洒脱な画材店や画廊を思わせる。
 心斎橋筋を歩く人たちも、こんな感じで自分の家にも洋画を飾れたらと思ったことだろう。

 最後に現在のカワチのマークである「画人印」である。

 大正末昭和初期、ミナミで「ホリトラさん」の愛称で親しまれた画家・堀寅造がデザインした(図15)。
「槍と盾をもった未開部族の戦士みたいや」と冷やかされたが、洋画材料専門の店らしいモダンなマークである。
ポパイの「オリーブ」を思わせる女性的なシルエット
図15 ポパイの「オリーブ」を思わせる女性的なシルエット

 戦後は、グラフィックから店舗の内装まで手がけたデザイナーの中村眞が手を加える(図16)。
 中村はモダンアート協会の創立会員で、御堂筋の西側にアトリエを構え、抽象絵画も描いた。カワチではパンフレットだけではなく、店舗の正月飾りも中村に依頼するのが恒例であった。
前作に比べると、ちょっと前かがみでいかつくなった
図16 前作に比べると、ちょっと前かがみでいかつくなった

 現在の「画人印」(図17)は、二人のデザインを継承しながらアレンジされたものだが、「画人印」そのものも、どこか正方形の「KAWATI-GATA」に収められていて、徹底したこだわりを感じてしまうのだが、皆さんはどうでしょうか。
腕がしなやかになって、姿勢もよくなったような……
図17 腕がしなやかになって、姿勢もよくなったような……

 ちなみに、現在の[カワチ画材心斎橋店]は心斎橋筋から「鰻谷」の筋を東へ一本入った、最初の十字路(南東角)クロスシティ心斎橋の2階にある。

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