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橋爪節也

橋爪節也/美術史家

「あの人は、どんな絵と共に暮らしていたか」。 気になるお題を、美術史家が豊富な事例とエピソードを添えて解き明かす。暮らしのヒントも満載。

第10回 世界文化遺産に突っこみつつ、
「環境絵画」としての襖絵が面白いという噺

 2016年7月17日、東京都台東区上野公園にある国立西洋美術館がユネスコ「世界文化遺産」に登録された。20世紀を代表する建築家ル・コルビュジエ(Le Corbusier、1887~1965)が設計した17の資産(うち10件はフランス国内、他はインド、アルゼンチンなど。全7か国)をフランス政府の主導で共同推薦していたのが通ったものである。


▲昭和34年(1959)の開館を感じさせない国立西洋美術館(台東区上野公園7-7)。9:30〜17:30(冬期は〜17:00)、金曜は20:00まで。※入館は閉館の30分前まで 月曜休(休日の場合は翌火曜日)、年末年始 http://www.nmwa.go.jp/ ©国立西洋美術館

 テレビのニュースでは、地元の上野や御徒町(おかちまち)・アメ横の商店街が湧いている様子や、登録当日に開館前の美術館入口に並ぶ人たちのインタビューが放送された。
 寛永寺(寛永2年=1625=創建)が開かれるなど江戸時代からの歴史に富み、現在も東京国立博物館、国立科学博物館、東京都美術館、東京藝術大学大学美術館ほか文化施設が集積する上野公園に立地していることも、「世界文化遺産」登録に好印象を与えている。

 東京でのにぎやかな様子を見ていて、大阪では、近代建築に関するこんな熱気は起こらないだろうなと思った。最近の大阪では、戦前のいわゆる“大大阪”時代の建物が取り毀されたり、建て替えられたりしていることが目につくからである。

 その筆頭が東西の旧中央郵便局である。昭和6年(1931)、逓信省営繕課の吉田鐵郎(1894~1956)の設計により、東京駅前丸の内側に東京中央郵便局が竣工した。ブルーノ・タウトが絶賛したモダニズム建築である。そこから80年近い歳月が流れ、現代の再開発にあたり、取り毀されることになった。
 そこで、国の重要文化財に価する建物として、日本建築学会から旧庁舎の保存を求める要望書が何度も提出される。しかし結局、旧郵便局の外観など一部を保存するにとどめて、地上38階、地下4階の「JPタワー」として全面開業する。

▲JPタワーの低層部(旧東京中央郵便局の外観部分)には建物の“記憶”を思い起こさせる商業施設「KITTE」があり、広々としたアトリウムが人気だ

 一方、同じ吉田鐵郎が大阪駅前に設計し、昭和14年(1939)に竣工した大阪中央郵便局旧局舎も取り毀された。大阪中央郵便局は、東京の中央郵便局よりも8年を隔てて、さらに進んだ建築様式を誇るものとして竣工当時から世界に知られ、日本建築学会をはじめ、地元で「大阪中央郵便局を守る会」が結成されて国の重要文化財指定を目指していたにもかかわらずである。

 戦時下という時局柄、迷彩色で覆われた外観だが、柱と梁で構成されるシンプルな外観は、モダニズム建築の理想を実現した本格的な建物として世界的に高く評価されていた。
 戦前の日本の建築界には、国立西洋美術館を設計したコルビュジエを崇拝するフランス系モダニズムの流れと、吉田鐵郎など合理性を追求するドイツ系モダニズムがあり、後者が具現化されたのが大阪中央郵便局だったのである。

▲懐かしの大阪中央郵便局。田宮二郎の代表作『白い巨塔』(1966年/山本薩夫監督)で、財前五郎役の田宮がここから郷里の母親に現金書留を送るシーンは有名だ ©髙岡伸一

 東西どちらの郵便局も取り毀されたのだが、これが東西の違いというのか、東京中央郵便局は外観の一部を保存して、国際ビジネス・観光情報センター「東京シティアイ」や学術文化総合ミュージアムなどの施設が入り、復原した東京駅とともに、レトロな時代を偲ばせる都市景観を生み出して観光の拠点として機能している。

 対して大阪中央郵便局は、あっさり毀されただけだ。跡地に新しい建物が建つのも先のことである。急いで毀す必要があったのだろうか。
 東京中央郵便局は、せめて外観を残したことで、それが存在したことの“記憶”を街や人の心に遺したが、大正年間に開校した大阪市立工芸学校(現・大阪市立工芸高等学校)にもつながるドイツの先進的な美術学校「バウハウス」の造形理念とも密接な国際的モダニズム建築であったわが大阪中央郵便局は、それが存在した“記憶”に至るまで大阪から蒸発して消し去られてしまったのである(私など急ぎの原稿の発送にあの壮麗な建物に走ったものである)。

 この違いに、大阪人の近代建築保存、文化に対する意識の低さを感じざるを得ないわけである。

 面倒くさい話は止めよう。さて、今年の夏も暑い。現代人は地球温暖化に手を貸すとしても、とりあえずクーラーの効いた室内に逃げ込めるからよいが、昔はどうしていたのだろう。
 日本家屋が、冬の寒さではなく、夏の暑さ対策を優先して作られたことはよく聞かされる。では、家の中で涼を感じさせるための絵画や展示の演出などにも工夫があったのだろうか。

 ひとつのやり方は実に単純だが、床の間の掛け軸を、涼しそうな画題に懸けかえることである。しぶきをあげる瀧、たのしげに鮎の群れが泳ぐ渓流など、いかにも避暑地にいるかの如く錯覚させる画題がいい。
 今にも遭難しそうな峨々たる雪山の図なども暑さを吹き飛ばすかも知れないが、そうした絵はあまり用いられない。うだるような真夏の座敷ではリアリティがわかないのである。

 日本人には、世代を超えて蓄積されてきた季節感の情報がある。絵画に接した視覚からの刺激で、季節に応じた涼の感覚、文化的なストックがよみがえる。
 現代でも、アロハシャツを着てブルーハワイのカクテルを飲んでいる壁紙と、南極の雪原の壁紙のどちらが涼をリアルに感じるかということだろう。ただし、かき氷やフラッペを食べるときは、氷山やペンギン、白熊の絵があってもよいかもしれないが。

 昔の日本人は四季のうつろい、花鳥風月に敏感で、室内の装飾に工夫を凝らした。江戸時代以前の襖絵(障壁画)をみてみよう。面白いことに「四季山水図」「四季花鳥図」など、春夏秋冬の景色・草花鳥獣を描いた襖絵がある。ひとつの室内に四季が描かれた贅沢な絵画ワールドである。

 これら贅沢てんこ盛りの絵画は、いつの季節に見ることを想定しているのだろう。恐らくは一年を通して、今がいつの季節でも四季の景色を眺めることができる、それがこうした画題の身上かも知れない。
 むろん四季が描かれているといっても、夏の場面には、炎天下は描かれず、先に述べた掛け軸のように、瀧の絵や青々と茂った木々の間を渓流が走る避暑地が描かれることになる。

 現代の狭隘な住宅事情では、いくらそれが好きであっても、自宅で存分に襖絵を展開し、その世界を堪能することは難しい。けれども、襖絵には先人の美意識と知恵が盛られている。現代人の必ずしも幸福ではない生活環境を潤すためには参考になるかも知れない。

 三十年も昔、美術史の学徒たる私は東京藝術大学の助手時代、京都紫野大徳寺の塔頭である聚光院の拝観に、芸大日本画科の学生を連れていった思い出がある。聚光院は戦国時代の雄である三好長慶の菩提を弔うため笑嶺宗訢(しょうれいそうきん/生年不詳〜1584)を開山として建立された。利休をはじめ三千家の墓所もある古刹である。

 方丈に描かれた障壁画は、桃山画壇の巨匠として名高い狩野永徳筆『花鳥図』(16面)と『琴棋書画図』(8面)、永徳の父親である狩野松栄筆『瀟湘八景図』(8面)と『竹虎遊猿図』(6面)など、いずれも国宝である。

▲ 狩野永徳『花鳥図』全景。2017年3月26日(日)まで、大徳寺聚光院創建450周年記念の特別公開中。
http://kyotoshunju.com/?temple=daitokuji-jukoin ©京都春秋事務局

 
 制作年代に新説も提起されているが、永徳二十歳代の作品とされてきたもので、そこで私は老松の幹や枝、捻れた根の太く力強い墨線をあげ、天才・狩野永徳の力量を発揮する名作として学生に熱弁をふるった。
 
 すると学生の一人が、「ですが、しかし、これは結局“壁紙”なんでしょう?」と聞いてきて私は絶句した。

 永徳という桃山画壇の雄について私には、他人とは異なる世界を創造した画家、個性を尊重する近代的な芸術家のイメージがあり、風雲児ともいえる長谷川等伯とともに個性を発揮した天才として語ったのだが、たしかに学生の言うように、“壁紙”か否やと問われたら「そうですねぇ……」としか答えようがない。

 美術館のガラスケースのなかに、もったいぶって襖絵が並べられていたら、まだ芸術作品とでも言える雰囲気があったのだろうが、本来あった建物のなかでは、建具の一部として描かれ、はめられているのだから、やはり“壁紙”なのである。

 逆に私の方が、彼の言葉に刺激され、以来、襖絵を“壁紙”として見たら何が言えるかが気になるようになった。それを踏まえ、私が思う襖絵の絵画としての魅力をここで語るとすれば、第一に襖絵は「鑑賞絵画」である以上に「環境絵画」であることに注目したい。

 聚光院の永徳『花鳥図』 は、方丈の中央にある仏間に面した礼拝の部屋「室中の間」の、北側8面と東4面・西4面の「コ」の字型に連続した全16面の襖絵から成る。
 梅、松、竹に鴛鴦(オシドリ)、鶺鴒(セキレイ)、鶴、雁などが描かれ、梅の咲く春から夏、雁の飛ぶ秋へと時間、空間が展開していく。南側の縁側は石庭に面し、柔らかい外光が入る障子が囲っている。

 部屋の真ん中に座れば、16面の襖絵は、自分を取り囲む自然の景色として違和感なく連続して眺められるはずだ。画面に中心はなく、あくまで鑑賞者である自分が世界の中心であり、自分を取り囲む「環境絵画」つまり“壁紙”である襖絵群のなかに、私自身が取り込まれていることに気がつく。

 さらに「環境絵画」としての襖絵群は、いくつかの造形的な要素によってコントロールされる。その一つが視線の高さである。日本家屋の座敷の畳に腰を下ろしたとしよう。目の高さはどのあたりだろうか。目の高さ−−正座でもあぐらでもよい。
 つまりは何が一番、よく見えるかということである。恐らく目の高さは、襖の開閉のために取り付けられた引き手金具より少し上−−10㎝ぐらい上だろうか−−に来るだろう。これが基準となる目の位置であることを覚えていて欲しい。

 また、面白いことに永徳の『花鳥図』において、腰を下ろした人間の視線は、両目が左右に配列されているように、襖に描かれた梅や松の巨木、鳥たちを追って、引き手金具付近の高さから水平方向、左右に動く。
 座った時の目の高さで、ぐるっと室内を視覚的に一周するのである。それを意識して観察すると、昔の襖絵では、襖の画面の上下にあまりモチーフを描かず、余白をとり、モチーフのポーズなども左右に視線が移動しやすいよう描いていることが分かる。

 聚光院の「花鳥図」に描かれた梅の巨木は、上に伸びる主幹よりも巨大な、襖4面にわたって真横に伸びる枝があり、視覚が水平方向へと誘導されていく。幹の上にとまる鳥たちの顔や羽が示す形も水平方向を意識する。枝にとまる小鳥が「あれを見給え」としゃべっているかのように羽を上げている。

▲ 狩野永徳『花鳥図』東面の梅 ©京都春秋事務局

 加えて、この東側4面の梅から、北側の8面へと移るコーナー(角)には、東側と北側にまたがる形で小さな瀧や岩場を流れる水流が描かれる。
 現実の室内では、物理的に90度の関係で位置する東面と北面の襖絵だが、岩場と水流という同一モチーフでつないだことで、視覚的にコーナー(角)が、なめらかに円く連続した風景として目のなかに溶け込んでくるのである。全景写真に戻って右奥を見ていただきたい。



▲ 狩野永徳『花鳥図』東面全景。左側が北面との角 ©京都春秋事務局

 襖の上下にモチーフをあまり描きこまず、描写を簡略化する表現も、室内で自分が中心にいることを実感させる「環境絵画」の演出として効果的である。
 古都の名刹で近現代の画家が描いた襖絵を見ることがあるが、「鑑賞絵画」として一枚の額絵に仕立てたように、襖絵の画面を上から下までビッシリと彩色したものが多い。何か勘違いしている気がする。

 この描き方で極彩色の絵の具で塗り込められた場合、部屋の中央に座ると襖の上までいちいち見上げることになり、面倒くさいし上部が詰まって視覚的に圧倒され、重たい印象しか残らなくなる。
 昔の画家たちは、そうした実用の空間を理解していた。時にはそこに人間が登場することを想定し、あらわれた客人に焦点があうように、襖絵は「環境絵画」−“壁紙”として、視覚の背景に退くことを意識して、視覚的に薄く描いたように思うのである。そうした慎ましさも造形的な計算のうちである。

 同じ現象は日常生活でも言える。道を歩いていても、我々が意識的に認知するのは、目の高さで水平方向に展開する風景である。地面の部分や見上げるような高さの物は、視野の周辺にチラリと映っていても、少しぼやけて詳細には認識しない。

 襖絵を描くときに絵師が留意したのは、目の高さで克明に見なければならない水平方向の視野であり、見上げたり、見下ろしたりする上下の視覚とは差異を設けた。
 文楽の黒子のように、存在は分かっていてもあまり気にせず、見過ごせるような表現で処理したのである。それが画面の重圧感を緩和して、四季の風景に爽快感を生み、夏の場面では涼しさを感じさせるのではなかったか。

 襖絵の歴史的な成立過程と様々な工夫については別の機会に書くことにして、最後にひと言。

 吉田鐵郎は、大阪中央郵便局を設計するに際して、故郷である富山県の雪見障子などのイメージを投影したという。日本の古典的な美意識が最新のモダニズムと合致して名作を生んだわけである。
 襖絵もクラシックであるが、日本人が住まいに対して蓄積してきた美意識やマニュアルを伝統として伝えてきた手段の一つであり、そこに秘められた工夫を探った上で部屋の模様替えを考えると、現代においても、かえって新しいに違いない。

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