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橋爪節也

橋爪節也/大阪大学総合学術博物館教授

「あの人は、どんな絵と共に暮らしていたか」。 気になるお題を、美術史家が豊富な事例とエピソードを添えて解き明かす。暮らしのヒントも満載。

第17回 大阪市中央公会堂に住むとすれば……竣工100周年の美しき館をめぐる些細な妄想


大阪市中央公会堂の誕生
 中之島にネオ・ルネッサンス様式を基調とした大阪市中央公会堂が竣工して2018年の10月で100年となる。

日が暮れるとライトアップされる外観がまた美しい
日が暮れるとライトアップされる外観がまた美しい

 前回紹介した天六の[大阪くらしの今昔館]での「大大阪モダニズム展」も、それを冠に設計コンペの外観パースや図面等が展示された。

 公会堂誕生の物語はあまりにも有名だ。
 明治42年(1909)、渋沢栄一を団長とする海外視察実業団に、株式仲買人で北浜の風雲児と呼ばれた岩本栄之助(1877〜1916)が参加する。

岩本栄之助はインテリで学問好き、私費を投じて塾を開講する教育者の顔も持っていた
岩本栄之助はインテリで学問好き、私費を投じて塾を開講する教育者の顔も持っていた

 視察で、米国諸都市における公共施設の立派さと、富豪たちによる慈善事業や寄付の習慣に強い印象を受けた岩本は、わが街大阪市のために進んで一肌脱いだ。公会堂建設に100万円(現在の50億円相当とされる)を寄付したのである。

 設計競技の結果、参加13名の中から岡田信一郎(1883〜1932)の案が第1位となり、辰野金吾(1854〜1919)・片岡安(やすし/1876〜1946)が実施設計を行った。

第一席となった岡田信一郎案の透視図。現在の外観に比べると、建築時に少し修正されたのが分かる
第一席となった岡田信一郎案の透視図。現在の外観に比べると、建築時に少し修正されたのが分かる

 こうした寄付は、博愛や人類愛などに基づき、純粋に人々に奉仕するフィランソロピー(Philanthropy)の精神による。カーネギーホールで知られるカーネギーやロックフェラー、ビル・ゲイツなどの富豪が、フィランソロピストとして有名である。また、われわれのような庶民による個人的な奉仕にもフィランソロピーの精神は発揮される。
 日本では企業によるものが多く、大阪で活躍した企業家をテーマに、大阪商工会議所創立120周年を記念して本町橋西詰に開設された[大阪企業家ミュージアム]でも、そうした企業家の活動は顕彰されている。

 中央公会堂の建設工事着工は大正2年(1913)である。

建設中の中央公会堂を東側から見る。奥の建物は府立中之島図書館
建設中の中央公会堂を東側から見る。奥の建物は府立中之島図書館

 両側を川が流れる川中の島のため、地盤が軟弱で、それを補強するため約4,000本もの杭が地中に打たれたのは驚きである。

その杭の1本が保存処置を施され、中央公会堂地階に展示されている
その杭の1本が保存処置を施され、中央公会堂地階に展示されている

 しかし第一次世界大戦の勃発が岩本の人生を狂わした。大阪仲買人組合の代表である岩本は、株価の高騰に注意しながら、それが暴落することを予想して対処していたが、歯止めがきかず手詰まりとなって、大正5年(1916)、公会堂の完成を見ないまま、39歳の若さでピストル自殺する。

 辞世は「その秋を待たで散りゆく紅葉かな」。2年後の大正7年(1918)11月、大阪市中央公会堂はオープンする。

 歳月は流れ、戦争から戦後復興、高度成長期を経て、大阪万博からバブルの時代となり、公会堂の建物は老朽化し、阪神淡路の大震災も体験する。修復のための赤レンガ基金が設けられ、平成11年(1999)から保存・再生工事がなされ、積層ゴムとダンパーによる免震装置を地下に設けて耐震性を確保し、工事が完了した平成14年(2002)のリニューアルオープンとともに国の重要文化財に指定された。

同じ中央公会堂地階の展示室では、100年のメモリアルが一堂に。胸像は岩本栄之助
同じ中央公会堂地階の展示室では、100年のメモリアルが一堂に。胸像は岩本栄之助

 修復に入る直前の平成10年(1998)10月30日から11月8日には、大阪を本拠に活躍する世界的なアーティスト・森村泰昌さんのプロデュースで多くのアーティストが参加して、全館を建物内の環境ごと作品にする「テクノテラピー」が開催されている。

「テクノテラピー」は、アートドキュメンテーションとして記録され、映像が市販されている。写真は中集会室(後述)。『The Image of Techno Therapy』より ©Ufer! Art Documentary
「テクノテラピー」は、アートドキュメンテーションとして記録され、映像が市販されている。写真は中集会室(後述)。『The Image of Techno Therapy』より ©Ufer! Art Documentary


 さて本題に戻ろう。この連載は「絵を飾る人のキモチ」である。中央公会堂に住んでみたいという人もおられるかも知れないと考え、公会堂を借りて住めるとしたらどこがよいか、どの部屋を選ぶか、現状の天井画やモニュメントを含め、備え付きの美術品はどうなっているのかなどなど、ご参考までに公会堂各室と美術品を紹介してみよう。シミュレーションとして、30代半ばで自分の住まいを固めたいという夫婦と子ども二人の家族を想定しておく。

大集会室
 まずは正面玄関を入ってすぐの大集会室。これは広い。広すぎる。が、強気で借りてみよう。

豪華で重厚。昭和12年(1937)の改修で床に勾配が付けられ、席も固定に
豪華で重厚。昭和12年(1937)の改修で床に勾配が付けられ、席も固定に

 開館当初、この部屋は固定の椅子席ではなく、コンサートや式典、講演会、演劇などのほか、商品見本市なども開かれるフロアだった。
 ここで開かれた催しに関して「大大阪モダニズム展」では昭和6年(1931)の「山田耕筰氏帰朝記念演奏会ポスター」を展示した。

ソヴィエト経由でパリから帰国した山田耕筰(1886〜1965)が、宝塚交響楽協会を指揮し、自作の交響曲「かちどきと平和」とオペラ「あやめ」、ロシア・アヴァンギャルドのモソロフ作曲「造鋳(鉄工場)」(日本初演)を演奏している
ソヴィエト経由でパリから帰国した山田耕筰(1886〜1965)が、宝塚交響楽協会を指揮し、自作の交響曲「かちどきと平和」とオペラ「あやめ」、ロシア・アヴァンギャルドのモソロフ作曲「造鋳(鉄工場)」(日本初演)を演奏している

 昭和12年(1937)には、世界的にも知られたオペラ歌手の三浦環(たまき/1884〜1946)がプッチーニの「お蝶夫人」を全幕邦語上演したし、京劇の近代化を進めた名優・梅蘭芳(メイ・ランファン/1894~1961)の公演もここで開かれた。むろん、市や団体が主催する各種の式典や、政治の演説会なども開かれている。

いまではあまり見かけないが、ダイヤ柄の罫線が入ったポスターデザインが洒落ている
いまではあまり見かけないが、ダイヤ柄の罫線が入ったポスターデザインが洒落ている

 そんな歴史と格調ある劇場だが、家族4人でどのように住むか。2階席両翼を2人の子ども部屋にあてるとしても、スポットライトで明るくした正面舞台での生活が、コンパクトで一家団欒に便利だろう。

 ただ、1階の810席、2階の351席の計1,161席もある真っ暗な客席に腰掛けた、公会堂に棲む演劇の神様かオペラ座の怪人みたいな影が、家族の日常や夫婦の物語、子どもの成長にともなう人生の喜怒哀楽が新喜劇のように繰り広げられるのを見つめている気配を感じるかもしれない。
 怪談めいて少し不気味だが、将来、お子たちが俳優や漫才師、音楽家などにデビューするならば、ステージ慣れにはもってこいである。

 加えて眼差しは舞台の上の、そのまた上にもある。天井近く正面舞台上部に飾られた蘭陵王の舞楽面である。

修復中に足場を組んで撮影した写真。人間(右端)と比べると、かなり大きな舞楽面であることが分かる
修復中に足場を組んで撮影した写真。人間(右端)と比べると、かなり大きな舞楽面であることが分かる

 大阪の芸能は、能狂言から文楽、歌舞伎、落語、漫才など多種多彩だが、なかでも四天王寺の舞楽が古い。それに由来する蘭陵王の大きな舞楽面が舞台の真上に付けられているのである。

 中国北斉の蘭陵武王こと高長恭は、誰もが見とれる美貌と美声の持ち主だった。しかし、そのため戦場で敵に侮られる。そこで勇敢に戦うため、恐ろしい仮面をつけて出陣し大勝利を収めた。その舞が舞楽「蘭陵王」である。

「蘭陵王入陣曲」とか「陵王」とも呼ばれ、内田百閒に短編「蘭陵王入陣曲」があるほか、中国・台湾のテレビドラマ「蘭陵王」や、本年秋の宝塚花組公演「蘭陵王−美しすぎる武将−」など、最近でも人気がある。舞台上の舞楽面も、まん丸の目に頭の天辺に小さな竜がいて奇々怪々。

昭和2年(1927)竣工の先斗町の歌舞練場の屋根瓦にも蘭陵王が鬼瓦のように設置されていて、芸能の神様みたいな存在だ
昭和2年(1927)竣工の先斗町の歌舞練場の屋根瓦にも蘭陵王が鬼瓦のように設置されていて、芸能の神様みたいな存在だ

 さてそこで大集会室に絵を飾るとすると、周囲は客席なので舞台に壁を立てるしかない。しかし、それでは芝居の小道具か、背景の書き割りっぽく見えてしまう。
 マクベス「人生は歩きまわる影にしかすぎない。哀れな役者だ」byシェークスピア。そんな言葉が浮かんでくる。

中集会室と小集会室
 3階の中集会室はどうか。ここも最大500名が入ることができる。円い窓や天井のステンドグラスも美しい。床は平らで、竣工時は大食堂としても用いられた。

いまもパーティーなどが開かれているほか、社交ダンスのクラブが会を開いて踊っているのを見かける。時代を超越して夢見心地になる空間だ
いまもパーティーなどが開かれているほか、社交ダンスのクラブが会を開いて踊っているのを見かける。時代を超越して夢見心地になる空間だ

 昭和27年(1952)、俳優の内田朝雄(1920~1996)が会社員時代、劇団「大阪円形劇場・月光会」を旗揚げして、中集会室で演劇の公演を行った。内田さんは映画『トラ・トラ・トラ!』の東條英機や『仁義なき戦い』シリーズ、テレビドラマの「細うで繁盛記」などが印象的な役者だ。円形劇場とは、名が示すように部屋の真ん中にステージがあって、観客は廻りを取り囲んで観劇する芝居である。

大阪円形劇場の『廃墟』公演会場。『フィロカリア』第35号 鈴木寛和「制作者集団「極」再考」より(2018年、待兼山芸術学会)
大阪円形劇場の『廃墟』公演会場。『フィロカリア』第35号 鈴木寛和「制作者集団「極」再考」より(2018年、待兼山芸術学会)

 そんな歴史を思うと、ここに住むにしても円形劇場のように中心を意識して、真ん中に畳を敷き、冬は昔懐かしいこたつに家族で入ってミカンを食べるというのはどうだろうか。夜は窓から阪神高速道路の照明が漏れてきて、都会的な夢を見ることができるかもしれない。

 別のアイディアもある。床の荷重計算が大事だが、中集会室に家を新築することもできるだろう。前述した森村泰昌プロデュース「テクノテラピー」でも、この部屋に小さな塔が建てられ、観客は万華鏡のように鏡張りになった通路を抜け、階段を上って塔から会場を見下ろすことができた。
 絵を掛けるとすればこの新築の家だが、どんな絵を掛けるかは、家のスタイルによるので、お好みに任せます。

 中集会室の西側にある小集会室は、部屋も狭く、150名なので、間借りにはお手頃かも知れない。同じ重要文化財のお隣の府立中之島図書館のドームが窓の外に大きくそびえ、堂々たる偉容を眺めながら生活していると、なんだか生きる自信が日々湧いてきそうな気もする。

「公会堂」なので研究発表や市民講座にも使われるが、豪華さに驚いて来場者が熱心に写真を撮る光景をよく見る
「公会堂」なので研究発表や市民講座にも使われるが、豪華さに驚いて来場者が熱心に写真を撮る光景をよく見る

 それにここは、むかしは宴会などバンケットの部屋にも用いられ、西側の天井近くにあるステンドグラスのデザインは、籠に盛られた薔薇の花とバナナ、いちご、洋梨などのフルーツである。天井中央の照明具のまわりの飾りもフルーツ籠をあしらい、どことなく食欲も湧いてくる。

 この部屋も天井まで6メートルあることと西日が射し込む難点があるほか、絵を掛けることができる壁がないが、仮設の自立壁に重厚な洋画ならばマッチするだろう。いやむしろ、季節のフルーツを盛った大きな籠を豪奢な飾り台に置いた方が、ロココ調で気が利いているかもしれない。

天地開闢の特別室
 公会堂正面3階の円形の窓のなかが特別室だ。机と椅子が設置されて32名が利用できる広さである。

フレームに入りきれない大型のステンドグラス。筆者撮影
フレームに入りきれない大型のステンドグラス。筆者撮影

 魅力は鳳凰と大阪市の市章・澪つくしをデザインに組み込んだ窓の美しいステンドグラスと、天井や壁面に描かれた雄大な絵画である。特別室の名にふさわしい至極の時間を独占できる。

中集会室(西側)に接するエントランスからの景色。東の窓が大きく開け放たれている
中集会室(西側)に接するエントランスからの景色。東の窓が大きく開け放たれている

 天井画や壁画は、洋画家の松岡壽(ひさし/1862~1944)が「日本書紀」をモチーフに制作したもので、半円形のかまぼこ型になった天井の《天地開闢(かいびゃく)》は、天つ神が伊弉諾・伊弉冉(いざなぎ・いざなみ)に天沼矛(あめのぬぼこ)を授ける瞬間を描く。鉾で海をかき混ぜたしずくから日本列島が誕生したのである。

 南と北の壁には、商工業都市を象徴するものとして《商神素箋鳴尊(すさのおのみこと)》と《工神太玉命(ふとたまのみこと)》の絵がはめ込まれている。太玉命は、天照大神が岩戸にお隠れになったとき、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)や八咫鏡(やたのかがみ)などを下げた天の香山の五百箇真賢木(いおつまさかき)を捧げ持った神で、それを作成したとして工業の神とされる。

 壁には、太玉命を中心に機織りや勾玉を制作する人々の姿を描いているが、土器なども含め、こうした古代の文物の描写には、当時最新の考古学研究の成果が反映されたという。中集会室との境界の扉の上には、半円形の壁に、大阪市歌にも歌われた仁徳天皇の国見が描かれている。

 ここを家族で借りるならば、改めて絵画などを飾る必要はない。なんとも贅沢な空間だ。日本の神様たちに囲まれて生活できる。布団に入れば、8メートルの頭上から天つ神と伊弉諾・伊弉諾が見下ろし、降臨する。

 松岡は明治以降に建てられる西洋建築を、どのように装飾するかを学びにローマに留学し、東京高等工芸学校(現・千葉大学工学部)の初代校長も務めた。画題は万事、日本風だが、豪奢な建築に腰を据えるとヨーロッパの貴族になった気分を味わえるかも知れない。神様たちが夢の中にも出てきて、熟睡できるかどうかは保証しませんが……。

 なお、森村泰昌さんはこの部屋を舞台に、チャップリンの『独裁者』を題材とした作品を制作し、見事に部屋の意匠を活用した。

森村泰昌《なにものかへのレクイエム(独裁者はどこにいる3)》(2007年)を表紙にした『ユリイカ 特集=森村泰昌-鎮魂という批評芸術-』(2010年3月号)。筆者も「“モダニストM” とモダン都市 大阪と森村泰昌/森村泰昌の大阪」を寄稿している
森村泰昌《なにものかへのレクイエム(独裁者はどこにいる3)》(2007年)を表紙にした『ユリイカ 特集=森村泰昌-鎮魂という批評芸術-』(2010年3月号)。筆者も「“モダニストM” とモダン都市 大阪と森村泰昌/森村泰昌の大阪」を寄稿している

お勧めの一室
 以上紹介した部屋は広く立派だが、うーむ、家族で住むには少し難儀かもしれないという方に、お勧めの部屋がある。
 公会堂を外から眺めていて、周囲にある小さな望楼が気になる人は多いだろう。屋根がドームになった小さな塔である。公会堂の東西南北に八つあり、そのうち六つは吹き抜けになっていて上ることはできない。屋根などを点検するなどの目的で、南東と西北の二つが上がることができるが、あの中がどうなっているのか気になって仕方がないという方も多いだろう。

 私は公会堂正面の屋根にあるメルクリウス(公会堂ではメルキュールと呼ぶ)とミネルヴァの銅像をより近くで見るため、上らせていただいたことがある。下の写真はその小部屋からのものだ。
 ローマ神話のメルクリウスは、ギリシア神話のヘルメスにあたる商業神として知られ、明治期の『大阪商業雑誌』表紙などにすでに登場する。英語ではマーキュリーで、天文では水星のことである。

望楼の小部屋から望む、東に向いた正面屋根に建つメルクリウス(手前)とミネルヴァの銅像。視線の先にあるのは大阪城か、商都の未来か。筆者撮影
望楼の小部屋から望む、東に向いた正面屋根に建つメルクリウス(手前)とミネルヴァの銅像。視線の先にあるのは大阪城か、商都の未来か。筆者撮影

 神様としての姿に特徴があり、翼のある帽子をかぶり、翼のある靴を履いて、二匹の蛇が巻きついた翼のある杖「カドゥケウス」をもつ。この杖のデザインは、旧制大阪商科大学(大阪市立大学)の校章にも用いられた。
 さらにメルクリウスの像は、大阪万博のイタリア館にも展示され、万博を記念にイタリアから寄贈された銅像が天満橋のOMMビルの前に置かれている。

 その像がローマ神話の女神ミネルヴァと並んで屋根の上にあるのだが、南東の望楼の小部屋から、銅像を観察させてもらったのである。
 望楼の小部屋。これがお勧めの一室である。ただし家族全員向きではない。ひとことで言うならば、お父さんの書斎である。窓で明るく十畳ほどの広さがあり、ここにこもって原稿を書けたとしたら、集中できてよさそうな気がする。

外の景色を眺めながらほっこりする筆者(左)と中央公会堂の黒田毅さん
外の景色を眺めながらほっこりする筆者(左)と中央公会堂の黒田毅さん

 眺めも味わい深い。窓を通した都会風景がそのまま一幅の絵画となる。それに眼下の土佐堀川を眺めていると、『方丈記』の鴨長明の気分になってくる。

「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。」

 風水害や地震に悩まされる昨今の大阪の状況と、武家政権に移行して政治的にも混乱するとともに、大火や飢饉、大地震に苦しめられた長明の時代も似ている気がする。

 この小部屋に籠もれば、面倒な人づきあいもまぬがれて、昼間は飛んできたハトたちに餌をやって過ごし、煌々とした月夜などは屋根の上を散歩して、猟奇小説の怪人かマーベル・コミックの超人のように、ふはははは、と高笑いしそうな気もする。
 ただし現実は、長い梯子を自力でのぼるのが大変で、トイレや食事のたびに上り下りしなくてはならない。オペラ座の怪人を気取るにしても、いろいろ大変なことである。

 ……などと色々書きましたが、中央公会堂のみなさん、関係者諸氏、ごめんなさい。すばらしい建築に妄想が広がっただけで他意はございません。なによりも100周年おめでとうございます。

難波(なにわ)橋南詰から西を望む。土佐堀川の南岸に並ぶ飲食店の「土佐堀テラス」隆盛の立役者はなんと言っても「川越しに佇む中央公会堂」だろう
難波(なにわ)橋南詰から西を望む。土佐堀川の南岸に並ぶ飲食店の「土佐堀テラス」隆盛の立役者はなんと言っても「川越しに佇む中央公会堂」だろう

※大阪市中央公会堂の建築関連・歴史・館内写真でクレジットの入っていないものはすべて大阪市中央公会堂提供

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