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平尾 剛

平尾 剛/スポーツ教育学者

元日本代表ラガーマンが書き下ろす「スポーツは、だから面白いし飽きない」。 読めばもっと身体を動かしたくなる、面白いゲームが観たくなること必至。

第4回 「強いカラダをつくる」という病

 ラグビー日本代表は先日行なわれたアジア五カ国対抗で優勝し、来年イングランドで行なわれるW杯への出場を決めた。アジアで無敵を誇るジャパンは、フィリピン、スリランカ、韓国、香港のいずれの試合においても危なげない試合運びで勝利を収めた。過去7回行なわれたW杯にはすべて出場してはいるが、いまだ決勝トーナメントに進出したことはなく、通算で1勝しか上げていない日本代表でも、アジアでは敵なしである。

 テレビでその試合を観ていて改めて感じたのは、選手のカラダの大きさである。デカい。現役だったころに比べると格段にデカくなっている。今の日本代表ならば、線の細い僕などは箸にも棒にもかからないだろう。
 ぶつかり合いが許されているコンタクトスポーツだから当然なのだが、そもそもラグビー選手はデカい。

 10年ほど前にジャージの素材が一変した。綿素材の襟付きに代わりカラダにぴったりフィットの「ぴちぴちジャージ」になって、ボディラインが強調されるようになったのだが、カラダのデカさがより鮮烈に視界に飛び込んでくるようになった。隆起した筋肉だけでなく、ぽっこり突き出たお腹も強調されるのは、まあ、ご愛嬌というかなんというか。

 生身のカラダとカラダがぶつかり合うラグビーでは、体重は重ければ重いほどアドバンテージとなる。とはいえゴール型の球技で、あの広いグラウンドで行なうのだから重たすぎて走れないのは論外。走力が落ちなければという条件付きで、体重はできるだけ増やした方がよい。

 というわけで、今日はラグビー選手のカラダ作りについて書いてみたい。

 走れて当たれる(ぶつかれる)カラダを作るにはどうすればよいか。
 経験者じゃなくともすぐに思い浮かぶのは筋力トレーニングと食事だろう。筋肉を肥大させ、それを維持してゆくためには栄養価の高い食事を口にする必要がある。コンビニ弁当や菓子パンばかりではあんなふうな筋骨隆々にはならない。高タンパク低カロリーな食事を心掛けることで、体当たりをされてもそう容易には怪我をしないカラダができ上がる。
 カラダを作るには、その材料となるタンパク質がたくさん必要となる。タンパク質は、損傷した筋繊維を回復させるために必要な栄養素で、激しい運動を繰り返すスポーツ選手には必要不可欠なのである。

 負荷の高い運動をすることによって僕たちは筋肉痛になる。たとえば引っ越しの際に重い段ボール箱をいくつも運んだとか、仲間に誘われてハイキングに行ったとか、友だちの家に遊びに行って小さな子供と半日遊んだとか、普段の生活であまり行なわない動きをすると、翌日は筋肉痛になる(人によっては翌々日かもしれないが)。
 慣れ親しんだ生活リズムで日々を過ごすだけでは筋肉痛は起こらないが、「いつもはしない動き」をすれば筋肉痛になる。これはなぜかというと、普段は使わない箇所を、普段とは違う方法で使ったからである。
 原則的に痛みとはカラダからのアラームだ。痛いということは筋肉に何らかの異変が起きていることに他ならない。いったいどんな異変が起きているのか。答えは簡単。筋肉が破壊されているのである。正しくいうと、筋肉を構成している筋繊維が壊れている。だから痛みを発する。

 壊れているから痛みが出る、至って単純な図式である。つまり筋肉痛とは、筋肉からの訴えかけに他ならない。その訴えかけを僕なりに訳してみると次のようになる。
(おいおい、いつもと違う動きをしたらそらこっちもビックリするで~。せやけどよう頑張ったやろ、オレ。だからしばらく休ませてや~)
 だから筋肉痛に襲われているときは休むに限る。カラダからのアラームに従って、無理な動きをしないように日々を過ごすか、カラダを横たえてテレビでも見るか本でも読んでいるのがよろしい。そのうち痛みはだんだん小さくなって、またいつものように動けるようになる。
 と、まあわざわざこんな風に書かなくても、みなさんすでに経験済みのことだとは思う。かなり痛むときであればただ立ち上がるときも、トイレにしゃがむときも、この上ない痛みに襲われたに違いないし、痛くて動けないから部屋でじっとしていたに違いない。

 でもスポーツ選手は休めない。身体能力の限界を超えるために、ほぼ毎日、練習を行なう選手たちは、思うようには休めない。筋肉痛で練習を休むなんてことはもちろんだがあり得ない話である。練習の強度に慣れてくれば、毎日、筋肉痛になることはないけれど、でもこれはただ体感しないだけで、ミクロな視線で筋肉を観察すれば当然のように筋繊維は壊れている。だから少しでも早くその壊れた筋繊維を修復する必要がある。
 そこで食事である。筋肉を構成する材料とであるタンパク質をできるだけたくさん摂取することで、修復を助ける。

(タンパク質なら肉ってことか。そうか、肉を食らえばいいのか)
 と、浮かんだあなたはやや短絡的だ。タンパク質がたくさん含まれる食べ物の代表格は確かに肉だが、肉にはたくさんの脂質も含まれている。スポーツ選手にとってはできることなら脂肪がつくことは避けたい。脂肪を増やさずに筋肉量だけを増やす。そのためには高タンパク低カロリーの食事が推奨される。できるならば純度の高いタンパク質を摂取したいと、まあこういうわけなのである。ボディビルダーを始め、カラダ作りに努めるアスリートが好んで脂肪分の少ない鶏肉を食べるのもこの理由からである。

 ここで登場するのがプロテインサプリメント。食事で十分に摂取しきれない分をプロテインサプリメントで補う。計量スプーンですくった白い粉を牛乳か水に溶かして一気に飲み干すのである。
 はっきり言わせてもらうと、これがまた、むちゃくちゃ不味い。プロテインサプリメントが開発され、商品化されて市場に出始めた頃と比べると幾分かはマシになっているとはいえ、口が裂けてもおいしいとは言えない。ココアとかバニラとか微妙な味つけを施したところで、あの粉っぽさはどうしようもなく不快である(あくまでも僕の個人的な感想です)。
 僕が飲んでいたのはほぼ10年前の話だから、今では改良されているのかもしれない。けれど、あの粉っぽさは思い出すだけで唾液の量が減る。

 つまりこういうことだ。
 スポーツ選手は練習や試合で激しく動き回る。それに伴って筋繊維が壊れる。壊れた筋繊維を少しでも早く修復させるためにはその材料となるタンパク質が必要だが、3食の食事だけではそれは賄えない。だからプロテインサプリメントで補う必要がある、と。基本的にはこうしたスタンスで大きなカラダを作り、維持している。
 
 さて、ここからはしばらく思い出話におつき合い願いたい。
 もともと痩せる体質だった僕は体重を増やすのに苦労をした口である。中学、高校と、足だけは速かったが体重が軽い分、コンタクトプレーは弱々しかった。なんとかして体重を増やそうと試みたものの、なかなか増えなかった。
 プロテインサプリメントを飲むようになったのは大学に入ってから。これで大きくなれるかもしれないと期待はしたものの、先にも書いたようにあまりにも粉っぽくて不味い。どうしたってスムースに喉を通らない。そうなれば知らず知らずのうちに敬遠するのが人の性ってなもんで、チームの目を盗んでは飲んだふりをして誤摩化していた。それと並行して筋力トレーニングを行なってはいたものの、終わってからの全身筋肉痛が不快すぎて、こちらも適当にサボっていた。
「おいおい、どこが苦労してんだよ、ただ逃げてるだけじゃねーかよ。真面目にやればよかったじゃねーか」と、突っ込まれれば言い返す言葉もないけれど、嫌なものは嫌だった。合わないものは合わないし、「不快」はできることなら避けたい。格好よくいえば、カラダからの要求に素直に従っていたともいえるが。

 すでに2年生からレギュラーだったこともあり、もしかすると現状に満足していたのかもしれない。だから増量したいという思いはそれほど強くなかった。これを向上心の欠如だ、と言われたらすみませんと謝るしかないが、あくまでも自然体でラグビーに取り組んでいたことだけはお断りしておきたい。ラグビーだけでなくスポーツはやはり楽しく行なうものだし、学生スポーツならなおさらだ。そもそもプロとしてやっていく気などさらさらなかったわけだし。

 それがある日を境にガラリと変わる。

 社会人になってすぐ、日本代表候補選手に選ばれたときだ。「このままのカラダでは世界を相手に太刀打ちできず、メンバーに選ばれることもない。だからとにかく体重を増やすこと、筋肉を増やすこと」と監督から指摘された。
「体重を増やせば日本代表選手になれるかもしれない」
 日の丸をつけたジャージが目の前にちらついた途端、これはいっちょやったろうやないかという気になった。明確な目標ができてやる気になった。我ながらまことにわかりやすい性格である。
 かくして僕のカラダをづくりの日々が始まった。本格的に筋力トレーニングを始めたのはだから社会人になってからである。周囲を見渡してもそれは遅すぎる開始であり、その遅れを取り戻そうとかなり息んでいたのが昨日のことのように思い出される。

 筋力トレーニングの主たる目的は筋肉を鍛えることにある。筋肥大を目指して僕たちはダンベルやバーベルを担いで上げたり下げたりを繰り返す。ベンチプレス、スクワット、デッドリフトというメニューを合わせて「ビッグ3」というのだが、これらは胸や肩、ケツや太腿、お腹や背中などの大きな筋肉を鍛えるための種目。大きな筋肉を肥大させることで体重を増やそうという、まことにシンプルな意図がここにはある。

 なぜ筋力トレーニングをすれば筋肉がつくのかについても書いておこう。
 それは「超回復」というメカニズムが働くからである。破壊された筋繊維は、十分な栄養(タンパク質)と睡眠(成長ホルモン)をとることによって効率よく回復するのだが、その際に、以前の状態よりも太く大きくなる。これが「超回復」である。この仕組みを最大限に利用するのが筋力トレーニングなのだ。
 たとえば腕を鍛えたいとしよう。いわゆる「力こぶ」である上腕二頭筋を肥大させるためのメニューに「アームカール」がある。映画やドラマなどで鉄アレイを交互に持ち上げるシーンがたまに出てくるが、まさしくあれである。腕を下にだらんと伸ばした状態でダンベルを握り、そのまま肘を曲げながら肩の辺りまで引き上げる。すると「力こぶ」ができるが、それは上腕二頭筋がそれだけ働いているということだ。筋肉が隆起することはつまり、その部位に負荷がかかっているということなのである。

 効率よく破壊するためには、ターゲットである筋肉だけを集中的に使った方がよい。負荷が他の筋肉に散ってしまえば当然のように破壊度は減じられる。なので上腕二頭筋だけに負荷がかかるように、脇を閉めて腕だけに力が入るようにし、下半身の反動を利用しないよう壁に背中をつけるか、あるいは椅子に腰掛けるかする。その体勢を保ち、上腕二頭筋をたえず意識しながら反復する。これが「アームカール」の理想的なフォームとなる。

 そうして各筋肉を「個別に」鍛え上げるのが筋力トレーニングの目的である。そして誤解を恐れずにいえば、筋力レーニングとは意図的に筋繊維を破壊する行為なのだ。自らで傷つけてその回復を待つ。つまり筋トレは、より高度な動きを身につけるための運動ではなく、筋肉そのものを傷つけるための運動なのである。

 僕は必死のパッチになってこれらを行なった。それと同時に食事にも気を使い、もちろんプロテインサプリメントも、不味いのを我慢して口にした。
 すると驚くなかれ、2ヶ月もしないうちに体重は10kgも増えた。見る見るうちにというのはやや大袈裟だが、徐々に大きくなるカラダを見るのが楽しくて、鏡の前で眺めては太くなった腕や脚に見とれた。生涯でもっともナルシストだった時期である。
 その日に行なった筋力トレーニングのメニューとその重量を毎日ノートに記録していたのだが、当たり前だがその数値はだんだん増えていく。このオモシロさといったらなかった。重量値や体重などの数値が、右肩上がりに増えていくものだから楽しくて仕方がない。肉体的には過酷な状態が続いているにもかかわらず、なんともいえない快感が全身を襲う。ああ、これがカラダ作りのオモシロさなのか。

 そしていつしかプロテインサプリメントの不味さも気にならなくなっていた。それから高タンパク低カロリーに配慮しての食事も、当初はめんどくさく感じていたものの積極的に考えるようになり、いつのまにか当たり前のようにトンカツの衣は外すようになった。
 トンカツの衣を外す?
 肉を食べるなら牛よりも豚がよい。トンカツは衣を外せば余分な脂質を摂取することなくタンパク質を取り込めるメニューである。できることなら揚げ物は避けるべきだが、外出先など食べざるを得ないときは衣を外しなさい。というのが栄養士からのアドバイスであった。
 だがこんなことがあった。

 あるときトンカツ屋で食事を済ませ、店を出る際に、お皿の上に外された衣が散乱しているのに店主が気づいて怪訝な顔をされた。当時は、アスリートとして然るべきことをしているのだからと、突き刺さる視線をやり過ごしたけれど、今から思えばこれは明らかに僕に非がある。調理をした人に対して、どれほど失礼なことをしていたのかを思えば、ただ俯いて赤面するしかない。だが、この時はそうは思えなかった。「食事に配慮している」、つまりカラダを気づかっているという手応えを快く感じていたからだ。あのときの違和感に正直になっていればよかったのにと思い返すも、こればかりは後の祭りである。

 ざっと概観したに過ぎないが、大まかにはこんな風にして現役時代の僕はカラダ作りを行なっていた。今となれば懐かしい思い出だが、一方で苦い思い出でもある。というのは、引退するまでに僕はたくさんの怪我をしたからであり、引退を余儀なくされたのも怪我が原因だったからである。あちこちの靭帯が切れ、手術痕が残り、数本のボルトが埋め込まれたこのカラダを考えれば、どうも僕のやり方は間違っていたとしか思えない。
 どこでどう間違えたのか。これはそう簡単にわかることではなく、これから少しずつ明らかにしていくべきことだと思っている。今まで取り組んできたことの間違いを認め、その理由と根拠について語るにはそれ相応の時間がかかるものだ。今はまだ時期尚早だ。だから現時点で言い切れることを最後に書いて、筆を置くことにする。

 食事を気づかっていたとき、テーブルに並べられたお皿を一望すれば、それぞれに含まれる栄養素やだいたいのカロリーがぼんやり頭に浮かんだものだ。数字が浮き出るまではいかないにしても、だいたいが把握できた。同席するのがチームメイトだったり、ひとりのときは別にそれでも困らないのだが、たとえばラグビー選手以外の友だちとの会食などでは困った。大変に困った。

 たとえば豚の角煮は脂質が多く含まれる食べ物で、僕としてはなるべく口にするのは避けたい。というより僕の中では、豚の角煮は「からだに悪いもの」として登録されている。脂質が多くカロリーが高いものは「からだに悪いもの」なのだ。だから「からだに悪いもの」を平然と口に運ぶ友だちの様子が気になって仕方がない。おせっかいが働いて「そんなもの食べないほうがいいで」という言葉がつい口をついて出そうになる。

 こんなだから落ち着いて食事ができるはずもない。
 いつしか友だちとの食事をつまらなく感じるようになった。すべてがそのせいだとは言い切れないにしても、友だちからの誘いも断りがちになり、仲間うち(チームメイト)だけで過ごすことが多くなった。あくまでも今から思い返せばということだが。
 たぶん食を選ぶという行為は人と人の間に線を引くことになりかねない。やはり食事はみんなと分かち合って楽しく食べるものだ。そういえば、親しくなりたい人への誘い文句は「ご飯を食べにいこう」である。食は人と人をつなげるもので、分断するものじゃない。だから今では食べたいときに食べたいものを食べるようになった。おいしく食べればすべての食べ物はカラダによいと、今は本気で思っている。ようやく栄養素やカロリー数が浮かばなくなってホッとしているところだ。

 それから筋力トレーニングについてだが、このトレーニング方法はきっぱりと否定しておきたい。というのも、部分を鍛えてそれを合わせるという考え方では、伸びやかでしなやかに動く身体になるとは思えないからだ。要素還元的な考え方が身体には馴染まないことは火を見るよりも明らかで、怪我だらけのこのカラダが如実にそれを物語っている。怪我の多さはカラダが硬いなど他の原因も考えられるし、たくさんのファクターが影響しての結果であることは確かである。だからもちろん断定はできない。しかし、考えうるたくさんの要因の中でも筋力トレーニングが及ぼした影響は、かなりのウエイトを占めると僕には思われる。

 各部の筋肉が肥大したことに伴って、身体全体を統一的に使うその感覚を失ってしまったのだと思う。たとえば転んだときには衝撃を最小限に抑えるべく身体全体を働かせなければならないが、ある特定の筋力が発達し、しかも「筋肉を意識する」習慣が身についてしまえば、その筋肉のみで衝撃を受けようとカラダは対処する。もちろん無意識に。それがたとえば腕なら真っ先に地面についてそこを痛めることになるし、場合によっては骨折すら引き起こす。あくまでもこれは憶測だが、これまでに経験した数々の怪我した場面を振り返ればこのように考えざるを得ないのである。
 明確な根拠は僕の身体実感でしかない。だが、そうに違いないと確信している。


 みるみる大きくなった選手たちのカラダを見て思う。今はどんなふうにカラダ作りをしているのだろうか。もしもまだ僕と同じようなカラダ作りをしているのだとすれば‥‥‥。いやそんなことはないか。スポーツ科学は日進月歩で進化しているはずだからだ。
 無事是名馬。怪我もせず、柔軟でしなやかでしかもデカい身体がグラウンドを縦横無尽に走り回る日を、心より願っている。

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