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平尾 剛

平尾 剛/神戸親和女子大学 准教授

元日本代表ラガーマンが書き下ろす「スポーツは、だから面白いし飽きない」。 読めばもっと身体を動かしたくなる、面白いゲームが観たくなること必至。

第18回 三回忌を迎えて

 平尾誠二さんが亡くなってから2年。この10月20日で三回忌を迎えた。
 奇しくもこの日は、神戸製鋼コベルコスティーラーズとNECグリーンロケッツの試合が旧ウイングスタジアム(ノエビアスタジアム)で行われた。試合開始早々のノーホイッスルトライを皮切りに爆発的な攻撃力で序盤から得点を重ね、終盤はNECの猛攻を凌ぎきれず連続トライを許したものの、最終スコア48-31で危なげなく勝利を収めた。

 世界的な名選手であるNZ出身のダン・カーターが加入して世間の耳目を集めている今年の神戸製鋼は、ここまで絶好調だ。第4節でトヨタ自動車ヴェルブリッツに引き分けた以外はすべて勝利を収めている。相手ディフェンスの間近で細かくボールをつなぐ攻撃的なスタイルが功を奏し、防御網を意図的に崩してトライを重ねている。総得点が全16チームで唯一300点を超える爆発的な攻撃力もさることながら、なにより観る者の目にオモシロいラグビーをしているのがいい。

 このまま12月に行われる決勝トーナメントを勝ち切って、今年こそは優勝してほしい。先月、パ・リーグのクライマックスシリーズでソフトバンクホークスが優勝したように(日本シリーズまで制覇した)、どのスポーツでも一発勝負のトーナメントでは番狂わせが起きる可能性はある。だが、今年の戦いぶりからすればかなりの確率で優勝が期待できると僕はみている。

 ラグビートップリーグでは、その試合で最も活躍した選手を表彰するMOM(マン・オブ・ザ・マッチ)という制度がある。この試合は山中亮平選手(SO,CTB)が選ばれた。彼には過去にドーピング違反で2年間の資格停止処分が下った経験がある。そのとき手を差し伸べたのが平尾誠二さんだった。プロ契約選手だった彼を社員として再雇用する道を用意し、仕事をする傍ら、スポーツジムで一人汗を流す彼を励まし続けた。攻守に活躍し、3つのトライを記録して文句なしのMOMに輝いた彼の胸には平尾さんへの思いがあったはずだ。

 昨年までキャプテンを務めていた橋本大輝選手(FL)は、ミーティングで平尾さんの功績をまとめた映像を流したと試合後にコメントしている。平尾さんと面識のない選手も含めたチーム全員の、この試合にかける意気込みがうかがい知れる。確かに僕の目から見てもこの日の神戸製鋼はいつもより気迫が溢れていたように映った。
 自身も建設に関わったこのスタジアムでの試合で、かつての教え子たちが縦横無尽に走り回っている。これには天国にいる平尾さんもおそらく目尻を下げているだろう。


 時が経つのは早いもので平尾誠二さんが亡くなって、もう2年になる。この間、ふとしたときにその存在を感じつつも、夜になれば眠り、朝目覚めて仕事をするといったいつもの日常を送ってきた。生前には、特に約束などしなくとも試合会場やイベント会場などいつかどこかで会えるだろうという安心感があった。だが、亡くなられてからその安心感は跡形もなく消え去った。亡くなった直後は一抹の寂しさに涙がこぼれそうになったりもしたが、悲しいことにこの寂しさにもだんだん慣れつつある。

 時間は残酷だ。人が生きていくのに必要な忘却を、望んでもいないのに容赦なくもたらす。恩師が亡くなるという哀しみすら過去の出来事として記憶の片隅に追いやられる。いつまでも哀しみに暮れていたら生きていけないのはよくわかるが、たった2年でここまでの心持ちになるとは想像していなかった。日常の瑣末な出来事に腹を抱えて笑うこともできるようになった今、僕という人間は、自分が思うよりもずっと薄情だったのではないかと自責の念に駆られもする。

 この社会のどこかで平尾さんが僕と同時並行で生きているという安心感はなくなった。それが「亡くなる」ということなのだから仕方がない。受け入れるしかない。でもこの感懐に代わって僕の心に居座り、今もなお増幅し続けるのがその「存在感」である。

 亡くなってからの方が平尾さんのことがよく思い浮かぶのだ。こうして原稿を書いているときはもちろん、大学での講義やラグビー関連のイベントで話をするときなど、まるでその場に居合わせているかのように感じるときがある。話をするなかで思わず平尾さんが言いそうなことを口走り、思わずドキリとすることもあった。そんなとき、あらためて自分が平尾さんから薫陶を受けたことを実感する。話のコンテンツというよりも、思考の仕方そのものを僕は平尾さんから学んだのだと、とくにラグビーについて話をするときには思う。これはなにも僕だけに限らず、平尾さんのもとでラグビーに親しんだ者は似たような思いを抱いているのではないだろうか。


 先日、平尾体制のラグビー部でスタッフをしていたチームメイトと酒を飲んだ。先述の神戸製鋼がNECに快勝した平尾さんの命日に、試合後のトークイベントに一緒に出演したあと三宮に繰り出して、日付が変わるまで飲み明かした。現役時代の話に花を咲かせ、絶好調の神戸製鋼の今シーズンの行方や来年日本で行われるラグビーW杯について話をするなかで、たびたび平尾さんはその存在を散らつかせた。

 すっかり酔いが回った2人が3軒目にたどり着いたのはラグビーバー[サードロー(THIRD ROW)]だった。店主は平尾さんと同時代にプレーした、元ワールドファイティングブルの金村泰憲さん(FL=第3列)で、生前をよく知るこの3人が集まれば当たり前のように平尾さんの話で持ちきりになる。

 金村さんはあるとき平尾さんに、30日連続で店に来てくれるお客さんがいるという話をした。それを聞いた平尾さんは、負けず嫌いな性格なのかそれとも遊び心からか、「じゃあおれは31日連続で来る」と言い、さらりとやってのけたという。そういうところが平尾さんなんやと、金村さんは目元に一抹の寂しさを覗かせながら眼光鋭い強面の顔を崩した。

 隣で焼酎の水割りを連打するチームメイトもまたその想いを口にした。
 平尾さんは情熱の人だと、彼は言った。クールな面持ちで冷静沈着なイメージがつきまとう平尾誠二を、スタッフとして近くで支えた彼がそう形容するのは、自チームの試合を観ているときの平尾さんを知っているからだ。平尾さんは選手が戦う様を見ながらとにかく一喜一憂する。ときに激しい言葉で非難したり、感情が昂ぶってペットボトルを投げつけるのだという。そのペットボトルを静かに拾い上げたことが幾度となくあるらしい。
 平尾さんは、彼をはじめとする限られたスタッフの前では感情を露わにすることを厭わなかった。

 だが、その感情的な面を選手の前では決して見せない。試合後のロッカールームでは、失敗をあげつらうことなく選手に励ましの言葉をかける。それが平尾さんなんだと、大きな体を揺すり、酔いが回って今にもカウンターにうずくまりそうになりながら訥々と話してくれた。

 この話を聞きながら、ふと思い出したことがある。
 2017年2月10日に神戸市内のホテルで追悼の意を込めて開かれた「感謝の集い」での、ノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥氏の弔辞だ。「助けることができなくてごめん」と始まる話は胸に迫るものがあり、その中で山中氏は「人を叱るときの4つの心得」を平尾さんから学んだのだと語っていた。

1. プレー(行動)は叱っても人格は責めない
2. 後で必ずフォローする
3. 他人と比較しない
4. 長時間叱らない

 先の元チームメイトの話からは試合後のロッカールームで平尾さんがどのような言葉がけをしたのかまではうかがい知れなかったが、想像するに平尾さんはこの叱り方を実践しておられたのだと思う。

 この4つの心得を実践するためには冷静さが欠かせない。試合中のどのプレーを叱るのか、それをわかるためには試合を繰り返し観た上での分析が必要だ。のちにフォローするためにはその選手の性格を把握していなければ最適な言葉がけができない。他人と比較せずにその選手の欠点を指摘するには、過去から現在に至るまでのその選手のプレースタイルや成長の度合いをつかんでいなければならない。長時間叱らないためには感情を抑えて言葉を選ぶという作業が求められる。

 これらすべては感情が昂ぶる試合後のロッカールームではできない。またチーム全員を前にしたときと、選手一人一人に向き合うときに求められる言葉遣いはまるで違う。だから平尾さんは、昂る感情と折り合いをつけつつ努めて冷静でいるように心がけていたのだ。燃え盛る情熱を手放すことなくそれをコーティングする術を、試合のたびにそう振る舞うことによって身につけていったのだと思う。

 僕も平尾さんは情熱の人だと思っている。
 平尾さんが亡くなってほどなく、共通の友人から連絡があった。平尾さんからある物を僕に渡してほしいと頼まれたという。その友人は、「渡せばわかるから」と理由を告げられないままに病床の平尾さんからそれを受け取ったと言っていた。

 後日、その友人から手渡されたのは1本のボールペンだった。映画監督であるフェデリコ・フェリーニの生誕にちなんだ限定生産のこのボールペンは、実際に平尾さんが使っていたものだ。ある講演に同行したとき、控え室でその日話す内容を整理するためにこのボールペンで仕切りになにかを書き込んでおられた。ほどよく華美で、平尾さんの手に馴染むそのボールペンが気になった僕は、講演の準備が一段落したタイミングを見計らって声をかけた。なにか特別な物ではないかと気になったからだ。そのときのことを平尾さんは憶えていてくれた。

 その友人は、平尾さんが病床で語る言葉を聞き逃すまいと、手元にあった茶封筒の表裏にそれらの言葉を書きつけていた。その茶封筒を丁寧に見返しながら、平尾さんが病床で語った僕への思いを語ってくれた。

「これから書き手として生きていくのにしょうもないペンを使ってたらあかん」
「ラグビーをプレーやしゃべりで伝える人はたくさんいるけど、書いて伝える人はほとんどおらん。平尾(剛)にはこれからどんどん書いていってほしい」

 実は、平尾さんが亡くなるまでの数年は直接話をする機会がほとんどなかった。疎遠になりながらもその間ずっと僕を気にかけてくれていたことが、なによりうれしかった。と同時に、不義理をしていると思い込んでいた僕の胸には無念さが広がった。もう二度と平尾さんと話をすることができない。その現実に押しつぶされそうになった。

 あたたかな伝言とともにペンと茶封筒を受け取った僕は、まるで映画の脚本のようなこの贈り物に、あらためて平尾さんの人柄を感じて涙をこらえきれなかった。
 誰かのことを思い続ける。この思いを持続できるのはその人に対して敬意と情熱を抱いているからだ。平尾さんと直接関わったOBはたくさんいる。その内の一人に過ぎない僕にさえそれらを向けてくれたのだから、近しい人たちにはどれほどだろう。あらためて平尾さんが亡くなったことが悔やまれてならない。

 声やリアクションが大きかったり、全身からみなぎるような情熱のほとんどは、往々にしてその場限りだ。ライターでつけた火は風が吹けばすぐに消えるが、焚き火はそうではない。薪をくべればずっと燃え続ける。音を立てて崩れる薪から散った火の粉で延焼することもあり、その火は徐々に周囲へと広がってゆく。平尾さんの中に秘められた静かなる情熱は、まるで焚き火のように至るところに火種として散らばって、あちらこちらで発火している。少なくとも僕の中に燃え移った火種は、日増しにその勢いを強めているのは確かだ。
 思い起こせば、あの日[サードロー]のバーカウンターはお互いに薪をくべ合うようにそれぞれの「炎」を燃やしていたのだろう。


 そういえばあの日、すっかり上機嫌となったチームメイトと二人で[サードロー]のドアを開けたとき、二人組の先客がいた。カウンターの端っこでしんみりとお酒を飲んでいた彼らの目の前にはグラスが3つ置いてあった。そう、平尾さんの分だった。

 マスターに聞けば、一人の男性はラグビー経験がないにもかかわらず平尾誠二がきっかけでラグビーにハマったのだという。経験者ではない人間を魅了するほどのプレーや試合を、かつての平尾さんとそのチームは体現してこられた。平尾さん自身が与り知らないところで、どこの誰だかわからない人にまで情熱の炎は広がっている。
 この現実を目の当たりにして、平尾さんが生前にしてこられたことの偉大さにあらためて触れたような気がしている。

 口数が少ないその男性は、平尾さんが好んだマッカランのボトルを入れてほどなく店を出て行った。
 平尾さんがラグビーに注いだ情熱の炎は、今もどこかで、静かに、でも確実に燃え続けている。たとえ鬼籍に入っても恩師はこうして僕たちの心の中で、その存在感を増しつつある。

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