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平尾 剛

平尾 剛/スポーツ教育学者

元日本代表ラガーマンが書き下ろす「スポーツは、だから面白いし飽きない」。 読めばもっと身体を動かしたくなる、面白いゲームが観たくなること必至。

第2回 スタジアムに行こう!

 神戸市営地下鉄海岸線で三宮から約15分。御崎公園駅を下車して東に歩くと、やがて左手に見えてくる無機質な建物がノエビアスタジアム神戸である。幹線道路から入り、エントランスに続く石畳の道添いには各チームのブースが軒を連ねており、キックオフの時間が近づくにつれて徐々に活況を呈してくる。マスコットキャラクターのスーパーウイングがファンとの記念撮影に応じる姿もお馴染みの風景だ。

 このスタジアムには、毎年、ラグビー観戦を希望する学生と一緒に訪れている。大学でラグビーの実技を担当する立場として、このスポーツをよりよく理解してもらうための観戦ツアーである。ラグビーは、野球やサッカーと比べればマイナーであるし、何よりルールが複雑だから初心者には取っつきにくいことこの上ない。僕からすればこんなにもオモシロいスポーツは他にないと感じているのだが、それがあまりうまく伝わらないことが多く、いつもとても歯痒い思いをしている。ラグビーが内包するオモシロさの、たとえ一端であってもわかって欲しいという切実なる願いのもと、毎年ここに足を運んでいる。
 せめて試合観戦を楽しめる程度にまでは理解してもらいたいと、実況および解説を交えているのだが、これが意外にも難しくて今になっても難儀している。
「えっ? ずっと選手だったのだから実況や解説なんて朝飯前じゃないの?」 
 と思われた方は早計である。実況や解説は、試合の流れを分断することなく短い言葉でわかりやすく的確に行なわなければならない。そのためには僕自身がすべてのルールを十分に理解しておく必要があるのだが、どうやらこの理解度が思った以上に浅かったようなのである。これでよく選手を続けてこられたなあと我が身を案じなければならないほどに、わかってなかった。
 だから、ツアーを企画してまだ間もなくのころは、現役時代には読んだこともないルールブックを開いて勉強した。モールの成立条件も、グラウンドに引かれたラインの名前も、数種類あるオフサイドも、学生たちに説明する必要に迫られてからきちんと覚え直したことは、ここだけの秘密である。

 ちなみにこのスタジアムだが、昨年までは「ホームズスタジアム神戸」と呼ばれていた。さらに時を遡って、日韓共催サッカーW杯のために建設された2002年当初は「神戸ウイングスタジアム」であった。ウイング⇒ホームズ⇒ノエビアという順でスタジアムの名称が変更しているのである。
 これはいわゆる「ネーミングライツ」というやつで、スポンサーが施設の命名権を購入し、自社名の宣伝効果を狙ったビジネスのひとつである。たとえば神戸総合運動公園野球場だと、開業当初の愛称は「グリーンスタジアム神戸」だったが、それが「Yahoo!BBスタジアム」から「スカイマークスタジアム」を経て2011年より「ほっともっとフィールド神戸」へと変更している。野球を見にスタジアムに足を運ぶのは数年に一度の甲子園だけなので、このスタジアムにはほとんど馴染みがない。とはいえ、この変遷ぶりには小さくない違和感を覚える。「ネーミングライツ」が資金を集めるための効果的な手法であることは認めても、「名前が売買される」という事態を僕はどうしても受け容れられない。

 僕が現役を引退したのは2007年、ちょうど「ホームズ」になった頃である。だから現役選手として試合に出ていた時代はずっと「ウイング」だった。なので選手時代の記憶は「ウイングスタジアム」の語感とともにある。それは今でも変わらない。格好よくトライを決めたり、相手に吹っ飛ばされたり、勝ったり負けたり、シーズン終盤で大ケガをして優勝を決める大事な試合を苦虫をかみつぶしたような気持ちで眺めたりした記憶が、べったりと張りついている。
 だからあのスタジアムのことを話すときにはつい反射的に「ウイングスタジアム」という言葉がまず浮かぶ。こればかりはもうどうしようもない。身体がそう言いたがっているとしか思えないくらい自然にそうなる。しかしながらそれでは話が通じない場合があるので、「ウイングスタジアム」という言葉が音になって口から出てゆく寸前に「ホームズスタジアム」と言い直すことにしている。つまりは身体からの声を脳ミソが直前で制御するという作業を、これまでずっと行なってきたし、今でもまだそうしている。あのスタジアムを表現する際にはいつのときも脳による訂正を余儀なくされる。これはちょっと面倒くさい。さらに追い討ちをかけるように今年からは「ノエビアスタジアム」になったというのだから、もうてんやわんやである。
 スタジアムのみならずとも名称には各々の思い入れが宿るものである。たとえば幼い頃に足を運んだ公園が数年ごとにその名称を変えるとなれば寂しい気持ちになるだろう。なにより世代間で話が通りにくくなるのは火を見るよりも明らかだ。学生に「ウイングスタジアム」と言ってももう通用しない。それから名前にまつわる思い入れはずっとその名前にまつわり続けるはずであって、おそらくそう容易に消え去ることはない。それに、こんなにころころ変えられたら感情移入そのものが難しくなって、どうせまた変わるのだからとそもそも思い入れを抱こうという気持ちそのものが萎えてしまうのではないか。
「ネーミングライツ」が奪い去るものについては十分に想像を働かせておきたいものである。言葉の裏側にある数々の記憶は、その言葉が喚起することでしか顕在化しないと僕は思っている。

 さて、まだその裏側には何の記憶も隠れていない「ノエビアスタジアム神戸」だが、このスタジアムは「フットボール専用球技場」である。具体的にいうとサッカーおよびラグビーのためのスタジアムなのである(当初はアメリカンフットボールも含まれていたが現在では行なわれていない)。たとえば神戸ユニバー記念競技場や東京・国立競技場には陸上競技を行なうためのトラックがあるが、ここにはない。観客席からグラウンドまでの距離がトラックの分だけ遠いスタジアムと比べると、圧倒的に臨場感が違う。純粋にサッカーとラグビーを楽しむためのスタジアムなのである。
 この「トラック分の距離」があるのかないのかの違いは、特に肉弾戦のオモシロさが大半を占めるラグビーにとってはとても重要な要素である。観客席にボールは飛び込むし、選手同士のかけ声は聴こえてくるといった臨場感がライブ観戦の醍醐味であるが、それに加えてラグビーの特徴は何と言っても「人と人とがぶつかり合った時のいやにリアルな衝撃音」である。初めて聞いた方は、生身の人間同士がぶつかったような音には到底聞こえないと皆一様に驚く。鍛え抜かれた肉体同士が鎬を削り合うときに生じるこの特殊な音こそ、ラグビー観戦がもたらす最良の果実であると僕は思っている。

ラインアウトの攻防。息づかいさえも聞こえるこの近さ。俯瞰的に観戦したい人は上部席だが、臨場感を味わいたい人は最前列に陣取るべし!









 そしてこの「トラック分の距離」は選手にもまた影響を及ぼす。観客との距離が近い分だけ、グラウンドレベルで聞こえてくる歓声がうねりとなって、客席からせり出してくるかのように感じられるのだ。それを身体ぜんぶで受けとめた選手たちの気持ちは当然のように昂る。まれにこの重圧に押しつぶされる選手もいるが、大半は声援と期待を一身に受けることでより精度の高いパフォーマンスを発揮することができる。こうして選手と観客とが一体になるが故に生まれるのがビッグプレーで、だからフットボール専用球技場の方が白熱する(たぶん)。
 この点でスタジアムの構造は意外にとても大切であり、ウイン・・・じゃなかった「ノエビアスタジアム神戸」はラグビー観戦にはもってこいだ。

 さらにもうひとつ同じようなスタジアムが東大阪にある。花園ラグビー場だ。年末年始に開催される全国高校ラグビー選手権大会である通称「花園」は、文字通りここで行なわれる。高校ラグビーマンなら誰もが憧れる聖地であり、昭和4年(1929)に建設されて今日まで続く由緒あるスタジアムでもある。
 この花園がまた特殊なスタジアムで、こちらは「ラグビーフットボール専用球技場」である。つまりラグビーだけのためのスタジアムだ。こうしたスタジアムはもうひとつ東京にもあって、神宮球場に隣接する「秩父宮ラグビー場」がそれにあたる。「花園」と「秩父宮」は、日本ラグビーにおける2大スタジアムといえる。というよりも現実的なことを申せば2つしかない。老婆心ながら2019年に日本で開催されるラグビーW杯はきちんと運営できるのだろうかと、実はちょっと心配している。

 「花園」と「秩父宮」。この2つは他のスタジアムにはない特別な事情を抱えている。なんと風呂場が一つしかない。試合を終えたばかりで泥にまみれた両チームの選手が一つの風呂に入らざるを得ないのである。建設費削減の煽りを受けてそうせざるを得なかったのが本当のところ・・・ではもちろんなくて、これにはある明確な意図がある。
 ラグビーというスポーツの特性のひとつに「ノーサイドの精神」がある。試合終了を「ノーサイド」というラグビーでは、試合が終われば敵味方の区別なくお互いを讃え合おうという精神が貫徹されている。要するに「試合が終われば恨みっこなしよ」ということだ。格闘技とも称されるほどに激しいぶつかり合いが許されているラグビーでは、どうしても他のスポーツに比べて遺恨が残りやすい。ラグビーを形作った当時のイギリス人たちはそれを見越してこの精神を大切にしたと考えられている。
 この「ノーサイド精神」を体現したものが「風呂場一つ」なのである。つまり、歯が折れたとしても、血まみれになったとしても、試合が終われば握手を交わし、皆で仲良く風呂に入ってすべてを流してしまおやないかということである。
 現役時代を振り返ると、相手選手とシャンプーの貸し借りをしたこともあるし、大学時代の先輩や後輩たちと裸で語らう束の間の時間でもあった。場合によってはそこで飲みに行く約束を交わしたときもある。負けた時は悔しさをかみ殺しながら、勝った時は奢らないように、振る舞いや言動に気をつける。不甲斐ない負け方をした時ほど胸を張り、大勝したときは相手の良かったプレーを褒める。「んなもん綺麗事や、そんなことできるわけあらへん」と、ときに邪魔くささを感じたりもしたが、今となればそのわずかな時間がどれほど得難い経験であったのかに思いが至る。

ノーサイド後、バックスタンドに挨拶するフィフティーン。負け試合のときほど笑顔で。苦虫を噛み潰さずに笑うのは相当に難しいのだ









 「ぶっつぶしてやる!」と自らのに潜む凶暴性をできる限り高めて走り回っていた試合中には「猛々しさ」が求められる。相手の身体をくの字に曲げるようなビッグタックル、相手の顔面を押さえつけつつ突進してのトライが、称賛に値する振る舞いである。その数十分後にはこれまでとは打って変わって社交的な態度が求められるわけだ。暴れ狂う心に折り合いをつけて「慎ましやか」に相手と接しないといけない。「アイツらなんかと一緒に風呂なんて入れるかい!」という暴力性を、「そうして駄々をこねるのは恥ずかしいんや」となだめすかす。
「猛々しさ」から「慎ましやか」へ。まるで精神修行である。それが本人が意識せずとも自然にそう振舞うようにスタジアムが設計されているのだから、今となっては恐れ入るしかない。ラグビーを創設した当時の人たちの思想や意思がこういうかたちで受け継がれていることに、厳かな気持ちにならずにはいられない。試合を通じて学んだこと以上に、僕はこんな風にしてラグビーに育てられたのだと思うと感無量である。

 かつては自らを表現する場であり、様々なことを学ぶ場所だったスタジアムも、今では学生たちにラグビーのオモシロさを伝える場所になった。個人的には純粋に観戦を楽しむ場所として、心を昂らせることなく気軽に足を運べるようにもなった。また、ここでは書けなかったが、ずっと僕のことを応援してくれていたファンの方に声をかけられる場所でもある。中には僕自身が忘却の彼方に置き忘れていたプレーをはっきりと憶えてくださっている方もいて、そんな話を聞くと勇気づけられるし、救われたような気持ちにもなる。
 スタジアムはいつになっても僕に何かを与え続けてくれる。

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