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平尾 剛

平尾 剛/神戸親和女子大学 准教授

元日本代表ラガーマンが書き下ろす「スポーツは、だから面白いし飽きない」。 読めばもっと身体を動かしたくなる、面白いゲームが観たくなること必至。

第17回 「ロシア2018」雑感

 FIFAワールドカップロシア2018が先月閉幕した。フランスがクロアチアを破って通算2度目の優勝を果たした今大会は、数々の番狂わせを演じながら約1ヶ月にわたって熱戦を繰り広げた。

 メッシのいるアルゼンチン、ロナウド率いるポルトガル、ネイマール擁するブラジルなど、際立つ個を中心に戦う強豪国はいずれも敗退し、前回大会優勝国のドイツはなんと予選で姿を消した。これに対し、開催国ロシアやアイスランドが下馬評を覆す健闘をみせ、わが日本代表も格上コロンビアに勝利を収めて決勝トーナメントに進出した。ベスト4にブラジル、オランダ、アルゼンチン、ドイツが顔を揃えた前回大会とは違い、今大会は「混沌」の様相を呈したといえる。

 強豪チームが実力通りに勝利を収めるのもオモシロいが、格下のチームが想定外の健闘をみせるのもまたオモシロい。それぞれ好みはあれど、「横綱相撲」も「下剋上」もどちらもスポーツの醍醐味である。判官贔屓の私は、サッカーに限らずどのスポーツを観ても実力下位のチームをつい応援したくなる性格で、競馬にたとえればガチガチの本命に突っ込むよりも高配当や万馬券を狙いにいくタイプであるからして、今大会は願ってもない展開だった。

 そんな私だから心情的にはクロアチアの優勝を密かに望んでいたのではあるが、よくよく考えてみると混戦に次ぐ混戦のままに大会を終えるのはどうにも締まりが悪い。実力国が軒並み敗退し続けて幕を閉じるのはどこか乱世を予感させるし、最終レースまでずっと万馬券が続く日はやはり負けが込む。想定外の事態が連続すれば漠然とした不安に陥るのが人の常だろう。
 だからフランスの優勝で幕を閉じるという結果は、それはそれでよかったと思う。喉元に魚の骨が刺さったような、なんともいえない後味の悪さがなかったという点で、理想的な筋書きだった。突出したスピードで注目を集めた19歳のエムバペ選手というニューヒーローも誕生したわけだし。

 決勝トーナメントの初戦でベルギーを追い詰めた日本代表の躍進を含め、今大会は総じてとてもエキサイティングで、ワールドカップしかサッカーを観戦しない俄かファンの私としても十分に楽しめるものだった。
 かくしてFIFAワールドカップロシア2018は大いに盛り上がった。

 だがしかし、優勝をめぐる各国の戦い振りといった勝負ベースの視点はさておいて、大会にまつわる周辺問題についてその詳細を丁寧に振り返ってみれば、日本代表のチームマネジメントやその戦いぶりには考えさせられることが多かったのもまた事実である。一俄かファンならばそれに触れることなくここで筆をおいても許されるのであろうが、曲がりなりにも私はスポーツの文化的な側面を明らかにしようと努める研究者であるからして、ただオモシロかったという感想を綴るだけでは物足りない。やはり思うところはある。
 今回はそれについて書いてみたい。


 まず挙げられるのは大会直前での「ヴァヒド・ハリルホジッチ監督の電撃解任」である。
 大会2ヶ月前に監督が解任されるという事態に、代表選手は大いなる驚きを感じたはずだ。どのスポーツにおいても監督は目標から逆算してチーム作りを行う。おそらくハリルホジッチ氏も、2018年ワールドカップ出場から本大会での優勝を目指して指導してきたはずである。監督は、戦略をもとに戦術を組み立て、それを遂行できる選手を選び、長らくの練習を通じてチーム全体にそれを落とし込むことで徐々に結束力を高めていく。選手は、監督が掲げる戦術を理解すべく努め、ピッチ上でそれを実践するために練習を繰り返して、それなりの時間をかけてコミットしていかなくてはならない。

 当然のことながら監督が変われば戦術も変わる。ともすればこれまで推奨されていたプレーがタブーになることだってあるし、そもそも代表に選出されなくなることだってある。監督交代は選手にとってその生命を左右される一大事であるし、なによりチームは時間をかけて作られるものだから、「大会2ヶ月前」という解任のタイミングは実に不可解だった。

 チーム作りがおざなりになるというリスクを背負ってでも交代を決断したのだから、それ相応の理由があるに違いない。いや、なくてはならない。そうでなければ監督交代によって代表メンバーから外れることになる選手の立つ瀬がない。不祥事か、それともオシムのときのように病気か、あるいは無視できないほどに膨らんだチーム内の不和やそこから生じる反発かと、解任理由について想像を膨らませた。
 しかし、いざサッカー協会から発表された理由はなんと「コミュニケーション不足」だった。

 頭の中にクエスチョンマークが飛び、理解に苦しんだのはいうまでもない。
 当然のことながら各方面から解任理由に対する憶測が飛び交った。なかには一部の選手によるクーデターだという陰謀論もあって、穏やかならぬ空気が瞬く間に醸成された。サッカー事情に疎い私にことの真相がわかるはずもなく、サッカージャーナリストや研究者によるテクストを読み漁ったものの、どうにも釈然としない。それほどサッカー熱が高いわけではない私は、その背後でなにがしかのパワープレイが行われたであろう気配を感じとって一気にワールドカップへの関心が薄れてしまった。

 今から思えばだが、このときの私の心境は、スポーツに内包されているはずの「公平性」が損なわれたかもしれないことへの嫌悪感だったように思う。
 解任されてほどなく、ハリルホジッチ氏は名誉を傷つけられたとしてサッカー協会を提訴した。驚くことに彼の要求は「慰謝料1円と謝罪広告の掲載」であった。世界三大スポーツ大会のひとつであるサッカーW杯に出場するチームの監督を解任する理由が、「コミュニケーション不足」で通用するはずがない。慰謝料目的ではないこの提訴には、真の解任理由を知りたい彼の忸怩たる思いが凝縮しているように思われる。
 この一件は、サッカー日本代表あるいはその協会にまつわる「ダークサイド」をほのめかすには十分であった。


 この一連の騒動を受けて生じた「興醒め」は、初戦のコロンビアに日本代表が勝利を収めるまでずっと続いた。大方の予想をいい意味で裏切って掴み取ったこの勝利に、電撃解任の余波はかき消されたかのように思えた。手の平を返したかのようなマスメディアの過熱報道に押されて、日本中がサッカー日本代表を前向きに応援するムードが瞬く間に醸成された。
 
 次のセネガル戦でリードされてもその都度追いつくという粘りで引き分けに持ちこんだあと、迎えたポーランド戦でみせたのが「あの戦い方」である。
 日本代表はこの試合で引き分け以上ならば自力で決勝T進出を果たせる。たとえ負けたとしても、同時刻に行われているコロンビア対セネガルの結果次第ではそれが可能となる。セネガルが負け、その点差が日本と同じならば得失点差で並び、フェアプレーポイントの差で日本は勝ち上がることができる。
 こうした条件でキックオフを迎えた。

 残り時間20分を切った時点で日本は0−1で負けていた。このままだと自力での決勝T進出は叶わない。だが幸運にもこの時点でセネガルが0−1で負けていた。つまり両試合ともにこのままスコアが動かず試合終了のホイッスルが鳴らされれば日本は決勝Tに進出できるわけだ。
 セネガルがリードされているとの情報を得ていたベンチは、このまま試合を終えるよう選手に指示を出した。もしセネガルがゴールを奪えばその時点で予選敗退が決まる。そのリスクがありながらも西野朗監督はそうならないように祈りを込めて、あえてこのままの点差で負ける道を選んだ。

 途中出場した長谷部誠選手を通じてベンチからの伝令を受けた選手たちは、中盤あたりで攻撃の放棄を意味するパスをつなぎはじめた。いわゆる「時間潰し」である。不用意に攻めてカウンターアタックを食らうリスクを避け、またカードをもらうような激しいプレーを回避すべく、ただただ無意味なパス回しに徹したのである。この試合に勝とうが負けようが予選敗退が決まっている対戦相手のポーランドは、当然アグレッシブにボールを奪いにくることはしない。

 ピッチには途端に無気力さが横溢し、ただ時間を浪費するだけの空虚さに耐えかねた観客はブーイングを浴びせた。なかには試合終了を待たずにスタジアムを後にする者もいた。そのまま試合終了。無事にセネガルが負けてくれたことで、またコロンビアが勝利を収めてくれたお陰で、日本の決勝T進出が確定した。
 他力本願、ここに成就せり、である。

 試合後の会見で西野朗監督は、「不本意」という言葉を繰り返してほとんど謝罪に近いコメントを残した。長谷部誠選手は「真実は結果の中にしかない」、長友佑都選手は「見苦しい試合になったかもしれない」と口にした。彼らが言葉を発する様からは忸怩たる思いが滲み出ており、これでよかったのだ、これで正しかったのだと自分自身に言い聞かせるような口ぶりだった。

 国内メディアおよびSNSを通じて届いてくる意見は賛否両論であったが、時間が経つにつれておおよそ肯定する意見が過半を超えたように思われる。英紙ガーディアン、ブラジル有力紙グロボ、韓国の中央日報などの海外メディアが痛烈に批判したのとは対照的だった。とりわけ元選手をはじめとするサッカー関係者は一様に肯定的に捉えており、あえて負ける戦い方を選択した日本代表に賛辞を送るコメントすら口にしていた。


 この戦い方を目の当たりにした私は、試合後しばらくは筆舌に尽くしがたい思いを引きずることとなった。このときの思いがどのようなものだったのかは、試合翌日にツイッターでつぶやいた以下の内容を参考にしてほしい。

「昨夜行われたポーランド戦が物議を醸している。時間潰しの是非はさておき、僕が感じたのはスポーツの成熟度の差。試合後あの戦い方をいくつかの外国メディアが即座に批判したのに対し、日本はその是非を巡って両論併記の報道に終始している。」

「決勝Tに進んだ結果か、そこに至る過程か、そのどちらに重きを置くのか。スポーツの価値が日本と諸外国では大きく異なっている。シセ監督のコメントをはじめ、どうみても敗退したセネガルの方に魅力を感じるのは僕だけだろうか。」

「僕は、観客の目にどう映るかを勘定に入れてここまで拡大したサッカーが、それを無視してまで勝利に拘泥したのはある種の没落だと捉えている。あの光景を子供たちがどう捉えたのかを思うと、そう感じざるをえない。」

「だから当の選手たちが感じている忸怩たる思いは、子供をはじめとする観客に対しての申し訳なさだろう。各選手のインタビューは、この思いを振り切るようにして自己肯定する様を浮き彫りにしていたように思う。」

「決勝Tに進出したことはうれしい。だがあの戦い方に夢や希望を抱くことはできない。アスリートが社会のロールモデルに挙げられた時代はもう終わったように思う。結果だけを重視する勝利至上主義が、これほどまで蔓延していることに憂いを覚えるのが偽らざる気持ちである。」
 
 改めて読み返してみても、このときの気持ちは今も変わらない。「スポーツの成熟度の差」というのが、畑違いながら長らくスポーツ選手だった私の直観だった。

 それを裏付けてくれたのは試合後のセネガルの対応である。
 セネガル代表のアリウ・シセ監督は試合直後に「それがルールだ」として肯定的に受け入れていたが、セネガルサッカー連盟(FSF)は結果を不服として、国際サッカー連盟(FIFA)にルールの見直しを訴えるとともに日本代表が見せた「時間潰し」を非難した。
 敗者の立場からの訴えは、往々にして「負け犬の遠吠え」として捉えられてしまう。日本代表としても、ルール違反をしたわけではないのだからその行為を咎められるべくもないわけで、セネガルのリスクたるや小さいものではない。にもかかわらず不服を申し立てたのにはそれなりの理由があった。

 セネガルは、あの戦い方が「サッカーの理念に反すること」を問題視し、その上で「日本の監督が事実を否定しなかったこと」にショックを受けたと、スポークスマンを通じてコメントしている。サッカーというスポーツそのものが毀損されることへの危惧と、それを公の場で認めてしまった指導者の未熟さを、あえて指摘した。つまりセネガルは、サッカーそのものの価値を守ろうとしてアクションを起こしたのだ。

 決勝Tへの進出に重きを置く戦い方を選択した、つまり勝負に徹したこと自体は批判せず、それを監督がうしろめたさに引きずられて公然と認めたことに「ショックを受けた」点に、私は成熟度の差をみせつけられた気がしている。


 理念に反する戦い方を選択したことを監督が公の場で認めるとどうなるかは想像に難くない。背任行為への責任とも言い換えられるこの「うしろめたさ」は、それを実践した選手にまで波及する。監督が背負いきれなかったこの「うしろめたさ」こそが、ベルギー戦での大逆転負けを呼び込んだのだと私は思っている。
 その理由について述べる。

 2−0という有利な状況でありながら日本代表は果敢にも3点目を狙いにいった。俄かファンの私の目には、後半も半ばを過ぎた時点での2点差は圧倒的に優位に映る。190cmを超える選手が何人もいるベルギー相手に守り切ることは難しいといった声も聞かれたが、ワールドカップの決勝Tで0−2からの逆転勝利は過去に6例しかないことからも、よほどのことが起こらない限り勝利できると考える方が妥当だろう。

 ほぼ勝利を手中に収めているという状況でありながら、なぜ逃げ切れなかったのかがよく理解できなかった。ポーランド戦で合理的な戦術を選択できたチームが、なぜあの場面でわざわざ挑戦的でリスキーな戦い方を選んだのかが不可解なのだ。残り時間をうまく使い切るような冷静な戦い方ができなかったのはなぜなんだろう。「よほどのこと」が起きたのはなぜなのか。
 それをずっと考えていた。

 そうしてたどり着いた結論が「うしろめたさ」である。チーム全体に浸透した「うしろめたさ」が冷静さを失わせたのではないか、と。

 これまでの戦いぶりで、日本代表はポーランド戦でスタジアムに足を運んでくれた観客および日本から画面を通じて応援するファンを少なからず失望させた。その罪悪感は、ベルギーに快勝することで拭い去ることができる。こう無意識的に考えたのではないか。
 後半アディショナルタイムにベルギーが見せたお手本通りの見事なカウンターアタックからの3点目。それにつながるコーナーキックをショートコーナーにして時間を稼いで後半を終了させ、延長に持ち込むことをしなかった、いやできなかったのは、選手や監督の無意識に鎮座していた「うしろめたさ」がそうさせたのではないかと思うのだ。

 そしてこの「うしろめたさ」は、元をたどればハリルホジッチ監督の電撃解任に端を発している。当事者であるハリルホジッチ氏にはもちろん、ファンへの説明責任を果たさずにお茶を濁したことへの「うしろめたさ」は、いくらかは決勝T進出という目標達成の原動力にはなったものの、続くポーランド戦であの戦い方を選択せざるをえない状況そのものを招き入れた。
 打算的な「時間潰し」によってさらに増幅した「うしろめたさ」は、結局のところベルギー戦での大逆転負けに帰結することになった。
 これが私の見立てである。


 思い起こせば、このたびの「うしろめたさ」は組織のトップがとった態度によって生じた。
 サッカー協会は電撃解任の理由を明らかにしなかった(あるいはできなかった)。代表監督が公の場で本音を吐露してしまった。方向性を指し示すべき指揮官の弱みはそのまま集団の士気に影響する。

 たえず理念との整合性を確認しながら指揮を執るべき立場に立つ人間の、頼りなき立ち居振る舞いが、後押ししてくれるはずの多くのファンを失望させ、それを肌で感じる選手にまで波及した「うしろめたさ」がこのたびの敗因だと考えると、今大会における日本代表選手の奮闘ぶりは特筆すべきである。あまりに正直すぎた指揮官の下であれほどのパフォーマンスをするのだから。

 ともすればネガティブな感情である「うしろめたさ」に引きずられないよう気持ちに整理をつけ、闘志に火を点けて決勝T出場を成し遂げた。なにより「赤い悪魔」と称されるベルギーをギリギリまで追い詰めたことは賞賛に値する。

 今大会の日本代表の戦い振りを読み解くキーワードは「うしろめたさ」だと私は思っている。あくまでも雑感として、また一俄かファンの戯言として、読み流していただければありがたい。

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