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平川克美

平川克美/文筆家

人生の「後退期」もまた楽し。おもしろい話は家のまわりにいくらでも転がっている。 50歳を過ぎたあなたに届けたい達人の「住まい方」指南。

第13回 隣町通信②一枚の葉書とランデヴー

 隣町珈琲のお客さんの平均年齢は、60歳を超えるかもしれません。簡単に言えば、爺さんと婆さんのたまり場なのです。

 もともと、そういう喫茶店をつくりたかったわけで、こちらの目論見が当たったということですね。いや、当今では、どこの喫茶店でも、年寄りのたまり場になっており、若いやつら(失礼!)は、スタバやタリーズに行くのでしょう。

 カウンターの前で並んで、なんじゃらマキアートとか、ほんじゃらフラペチーノだとか、わけのわからない名前のメニューを見て注文するなんて、じいさんばあさんにできるわけないじゃないか。

 そもそもひとは、これから自分が食べたり飲んだりするものが何であるのかについては、事前に分かっているから安心できるのです。それらは、あらかじめ身体に登録されているのです。

 カレーライスを食べたいと思った時には、頭の中がカレーライス状になっており、かつ丼が食べたいと思った時には、胃がかつ丼のかたちになっているものです。

 なんじゃらマキアートなんて、わたしの身体のどこにも登録されてはいません。ということで、こういった店は、はなから年寄りは相手にしていないということなのでしょう。

 でもね、この老齢化日本において、年寄りにだって、ちょっと立ち寄って一服する場所は必要なわけでして、わたしの経営する[隣町珈琲]は、まさにそうした年寄りのための喫茶店なのであります。

 そんなわけで、[隣町珈琲]のお客さんで一番多いのがじいさん、次が年配のマダム、続いて商店街の顔見知りということになります。ほとんど縁がないのがアベック(こう言うと、いつも若い子に笑われます)。年寄りがディズニーって言えなくて、デズニ―と言っているように思うんですかね。

 いつの間にか、アベックとかランデヴ―っていう、洒落た響きのフランス語が使われなくなって、カップルとかデートとか英米中心の言葉に置き換わりましたね。

 釈迦に説法ですが、avec は英語のwith。だから、avec vous で、with you つまり「あなたと一緒」。rendez-vousも「待ち合わせ」というフランス語ですね。ついでに帽子はシャッポで、これもフランス語のchapeau。じいさまが、よく帽子を探しながらシャッポ、シャッポって言っていたのを思い出します。

 わたしのような、還暦過ぎの人間にとっては、カップルなんていうと、何だか機械の部品みたいな響きを感じてしまい、アベックの方がしっくりくるわけですが、いったいいつのころから変わったのでしょう。

 明治、大正の文人・画家がフランスに憧れ、フランス流の言い回しを小説や随筆の中に取り入れ、それが市井の人口にも膾炙していったわけですが、昭和三十年代、高度経済成長が終わって、消費社会になると今度は一斉にアメリカの文化や言葉が町にあふれ出してきたような気がします。
 いや、はっきりとした証拠があるわけではないのですが、なんとなくそんな気がするということです。

 そして、この消費社会というやつは、いったん始まってしまうと、草木を焼き尽くしてしまう燎原の火のごとく、日本の隅々まで広がって、言葉も風景も変えてしまったという印象なのです。

 スタバや、タリーズってのは、まさに消費社会における店舗形態で、チェーン店化で大量仕入れして商品コストを下げ、余計なサービスをしないことで人件費を下げ、客もまたコーヒーを飲んで打ち合わせがおわれば、すぐに席をたつといったところで、回転を速めて利潤を出すような仕組みなのでしょう。
 
 効率重視、時間短縮、利潤の最大化といった消費社会の中に組み込まれたコーヒー屋を、わたしは「喫茶店」とは呼びたくないのですが、かれらとて喫茶店とは呼んでもらいたくない。じゃなんだということですが、カフェですね。あ、ここはいまでもフランス語ですね。



 その日も、いつものように、池上線に乗って通勤し、仕事前の朝のコーヒーを喫していると、店長の美奈ちゃんが、店の外にある郵便箱から郵便物を持ってきて、その中から一枚の葉書をわたしに手渡してくれました。
 そこに書かれた文字の美しさに、わたしは一瞬で見惚れてしまい、思わず声をあげてしまったほどです。

「いい字だなぁ」
「そうですかぁ」と美奈ちゃん。
「いや、いい字だよ。うん、こういうのは珍しいな。いい字だ」

 差出人の名前には見覚えがありませんでした。
 そこには、何か特別なものがあると確信したのですが、若い美奈ちゃんには、わたしの言わんとしていることが伝わりません。

 どうやら、この葉書の差出人は、渋谷で長年喫茶店を経営しているらしく、経営難もあって、店じまいをするかどうか迷っていたらしいのです。

 たまたま、わたしの書いた本を手にし、何かを感じてくれたらしく、葉書には「なんだか気持が落ち着きました」とあり、「もう少し頑張ってみようかとおもいます」と結ばれていました。

 わたしは、端正な文字と、そこに印刷された明朝風のレタリング文字に強い印象をもちました。
 そして、この葉書の差出人はどんな女性なのだろうかと、興味をそそられたわけです。

 もう、何十年も喫茶店を経営しているのだから、ある程度の年齢の方なのでしょうが、女ひとりで、ギャラリーを併設した喫茶店を切りまわしてきたわけで、並大抵のひとではないなと想像したわけです。

 また、その店の名前がとてもいいのです。古風な、それでいて瀟洒な感じのする、ある英国人の名前をそのまま店名にしてありました。
 いつか、その店を訪ねることがあるかもしれないなと思いながら、鞄の中に葉書を放り込みました。

 そして、いつものように、その葉書のことは忘れてしまいました。



 その後、原稿の締め切りや、会社の資金繰りに追われる日々が続き、週に一回の喫茶店マスターもままならないほど忙しく、そのうち体調も徐々に下り坂になって、体のあちこちが痛んできました。

 宿痾(しゅくあ)の腰痛も耐えられないほどになり、以前より最後の頼みの綱である、カイロプラティックの先生に相談しに行くことにしました。

 その施術所は、以前は親子でやっていたのですが、数年前に親父さんの方が逝ってしまい、いまは息子がひとりで切り盛りしています。

 わたしは、親父さんと倅(せがれ)の両方の先生に診てもらいましたが、どちらかといえば倅の若先生のほうが、合っているようでした。
 腰痛でほとんど歩けない状態のとき、十か所ぐらいの病院や、治療所を渡り歩いたのですが、最後に行き着いたのがこの施術所でした。

 宮益坂を上ったところにある、入口に小料理屋のある、おんぼろビルの7階の、あまりきれいとはいえない施術所なのですが、口コミで評判が広がり、予約なしでは診てもらえないほどたくさんの客がついています。
 なんでも、有名な相撲部屋の力士たちや、全日本女子バレーボールチームの選手たちも常連になっているそうです。

 いちど、フジテレビの放送に呼ばれて、女子アナウンサーと話をしたとき、どういうわけか、腰痛とか、肩コリの話になりました。そこで、いいところを教えてあげるよと言ったところ、彼女はすでにこの施術所を知っていて、同僚の女子アナウンサーたちも何人か通っているとのことでした。

 施術が終わり、それまで歩くのもやっとだった腰痛が、嘘のように楽になり、ちょっとお茶でも飲んで行こうかという気分です。

 わたしは、このあたりにはちょいとした土地勘があるのです。というのは、二十年前ぐらいのことですが、宮益坂を登りきったところに建っている仁丹ビルの中に、三フロアばかり間借りして会社を営んでいたことがあったからです。
 食事も、食後のコーヒーも、近所の食堂や、喫茶店で済ませる日々が10年ほど続きました。
 だから、路地裏の隅々まで、知り尽くしている場所だったのです。



 青山通りを挟んで仁丹ビルと反対側の路地裏を歩き、確かこのあたりにいい喫茶店があったはずだがと、昔の記憶を辿りました。
 そうすると、古いビルの並びの入り口に、厚い板に「珈琲」と書かれた路上看板を見つけました。土産物屋にある大きな将棋の駒の置物のような、あれです。
 その喫茶店は二階にありました。

 店の名前は[ウィリアム・モリス]。
 19世紀のイギリスの詩人であり、デザイナーで、ケルムスコットプレスという出版社をつくり、美しい装丁の本を出版した、モダンデザインの父と言われている人物です。
 このひとの作った本は、ひと眼見ればそれとわかる、凝ったデザインが施されています。小説や評論のアルファベットの最初の一文字を大きな、蔦の絡まるような精緻な絵文字にしてあるあれです。
 店には、音量の小さなジャズが流れており、壁一面には額装された絵画が飾られて、まるで小さな画廊にいるような気持になれる空間です。
 カウンターの中には、細身で目鼻立ちのはっきりした美人がドリップコーヒーを淹れていました。

 わたしは、二十年前の会話を思い出していました。
「いいお店ですね」
「お客さんは、絵がお好きなんですか」
「いや、特に好きだということはないのですが、空気がとてもいい」
「まだ、開店したばかりなんですけど、月替わりで絵を展示していますので、よろしかったらまたいらしてください」
「はい、また是非寄らせてもらいます」

 その後、わたしは、何度か足を運んだのですが、そのうちに、自分のオフィスの引っ越しがあって、そのまま足が遠のいたままになって。

 誰でもそうでしょうが、脂の乗り切った四十男の毎日は、仕事漬けの日々でした。日本が順調に経済成長している時代であり、自分が興した会社も毎年業績を伸ばしていました。仁丹ビルのフロアはすぐに手狭になってしまい、千駄ヶ谷にある大型ビルの広いフロアに引っ越したのです。

 多忙な日々のなかで、やがて、この店は、わたしの記憶から消えてしまいました。
 たまたま、腰を悪くして、昔馴染みのカイロプラティックに診てもらったおかげで、消えていた、昔日の記憶が蘇ってきたようです。



 二十年前と同じように、壁には、様々にデザインされたレタリングの文字が額装して展示されています。

 わたしは、カウンターの前に座り、コーヒーを注文しました。
 わたしのほかには、四人がけのテーブルに若い男女が談笑していました。
 目の前では、五十を少し越したほどの、品のいい細身の女性が、わたしが注文したコーヒーを淹れてくれています。

 ああ、そうか。
 そうだったのか。
 それは、切れ切れになって散らかっていた糸くずが、一斉に結び直されて一本の糸になっていくような不思議な感覚でした。

「あの、葉書、くれましたよね」
「えっ」
「隣町珈琲からきました」
「……」
 一瞬、女性は何が起きたのかわからないように大きく目を見開き、わたしを目つめました。

「ヒラカワさん、なんですね」
「ええ。実は偶然、この店に入ったんです。もう二十年も前に、何度か来たことがあって」
 それから、わたしたちは、お互いにすれ違っていた二十年間について、話をしました。
 それは、二十年ぶりのランデヴーでした。
 まるで、宇宙の果てを漂流していた人工衛星が、偶然出会ったようなものです。
 デートではなく、ランデヴー。

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