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平川克美

平川克美/文筆家

人生の「後退期」もまた楽し。おもしろい話は家のまわりにいくらでも転がっている。 50歳を過ぎたあなたに届けたい達人の「住まい方」指南。

第3回 工場のアジト

 その頃、つまり高校を卒業して間もない頃、わたしは、実家の工場の二階の六畳一間に自室を与えられていました。自室とはいっても、真下は工場であり日中は旋盤やプレス機械の音が響いており、昼間はほとんど使いものにならないのですが、夜間、機械が止まったあとはちょっとしたアジトのような空間になりました。わたしの部屋には、往来から直接上がって来られる外階段がつながっており、誰でも自由に出入りできるようになっていました。そんな便利さもあって間もなくそこは近所の不良どもの集会所になっていきました。

 不良とはいっても、当今のような暴走族でもないし、学校裏で待ちかまえて後輩を脅して小銭をむしり取るといったようなワルでもないのですが、かといって学生生活を謳歌する優等生であるはずもなく、どこか思いつめたような暗い目をした反抗的な子どもといったところです。
 実際、わたしの部屋に出入りしているやつらは、一様に暗い目をしていて、いつ誰が殺傷事件を起こすか、自死を選ぶかわからないような、あやうい雰囲気を醸し出していました。

 いや、青年期というものは、いつの時代でも同じようなものなのでありましょう。その青年期を無事に潜り抜けることができるのか、それとも暗い目をしたまま裏道へと迷い込んでしまうのかはほとんど紙一重の違いです。
 ほとんどの人間は、青年期の危機すら感じることなく大人へと脱皮できるのかもしれませんが、わたしの二階に吸い寄せられてきた若者たちは、もちろんわたしも含めて、この行き場のない、遣る瀬のない時間をむしろ自分から引き寄せていたといえるのかもしれません。

 その中の一人に武谷くんという浪人生がいました。
 武谷くんはわたしが、これまで出会った友人たちのなかでは、最も物静かで、それでいてひとを惹きつけずにはいられない独特の吸引力をもった男でした。
 わたしが、かれと出会ったのは、たまたま予備校が一緒だったからで、二言三言言葉を交わすと、住んでいる場所が同じ町であり、共通の知人がいたということがわかり、すぐにつるんで予備校をサボる仲間になりました。
 孤独な予備校生にとって、仲間になるにはどんなきっかけでもよかったのかもしれません。

 かれの実家は久が原の高級住宅街にあって、父親は大手商社の役員、兄貴はスタンフォード大学で理論物理学を学んでいるというハイソな家柄の二男坊で、かれも将来は物理学を学んで、地方の大学の研究室に職を見つけるという進路を思い描いていたようです。
 武谷というのは、本名ではなく、物理学者で有名な武谷三男から借りてきたペンネームで、かれもまた物理学者として名を上げたいと思っていたのでしょうか。

 武谷三男を有名にしたのは、いわゆる三段階論というやつで、「人間の認識は現象論的段階、実体論的段階、本質論的段階の三段階を経て発展する」というものでした。当時の学制運動家にとっては、カリスマ的な存在で、この三段階論もマルクスの弁証法を下敷きにした理論だろうと思われます。
 ほとんどの理系の学生にとっては、武谷の学問的な業績に関してはちんぷんかんぷんだったのでしょうが、その反権力的な論説に惹かれたのでしょう。
 一方の武谷くん、つまりわたしの二階のアジトを頻繁にやってきた武谷くんは、自分が何ものであるのか、何をしたいのか、これから先どのようになるのかについて、まだ何も知らない、何処にでもいる気弱で、それでいて頑固な青年でした。

 ある日の午後、池上線の千鳥町という駅からほど近い喫茶店、「まがり角」のドアを開けて入っていくと、武谷くんとバッタリと鉢合わせしました。
 あの日のことは今でも鮮明に覚えています。
 その喫茶店はわたしのお気に入りだったのです。いや、その喫茶店を手伝っていたちぐさちゃんという色白でグラマーな女性の色気にわたしは翻弄されていました。
 ちぐさちゃんはその喫茶店のマスターの妹で、ときどき店を手伝いに来ているのですが、わたしはかれ女目当てで、毎日その喫茶店「まがり角」に通っていたのです。

 マスターはいつもチェックのベストを着てコーヒーを淹れたり、水割りをつくったりしていました。
 カウンターとテーブル席二つという小さな店でしたが、カウンターに座っているのは地元の工場労働者で、いつもテレビを見ているか、競馬の話をしていました。どうやら、この店は競馬のノミ屋も兼ねていたようで、時折その精算をしている現場を目にしましたが、わたしはもちろん見てみぬふりをしておりました。
[まがり角]はわたしたちのような予備校生が通う喫茶店ではなかったということです。

 ですので、そこでわたしの二階に集まる友人たちとは出会うことはめったにないのですが、その日は何故か武谷くんが先客として居座っていました。かれは、入口の直ぐ近くのテーブル座って本を読んでいました。わたしに気付くと本を閉じて、両手で顔を覆いながら天を仰ぐような不思議な格好をして瞑目しました。なんだか、ボーっとした感じで、しばらくそのままの格好で固まっていたのです。
「おう、武谷」と声をかけると、夢から覚めたようにこちらを向きひとこと「ああ」と声を出しました。

「何やってんだ」
「べつに・・・」
「べつにって、本読んでいたじゃないか」
「ああ、読んでいたよ」
「お前、本なんてあまり読まなかったよな」
「ああ、でも読んでいた」
「面白いのか」
「面白くはない。だけどすごいことが書いてある」
 そう言ってかれは、本をわたしに差し出しました。
 わたしは、本を開き、ぱらぱらと中身を確かめましたが、そこには、フランスの画家が、日本人をモデルにして絵を描いた顛末が記されており、そのどこが凄いのか、また、武谷くんがどこに惹かれたのか、よく理解することはできませんでした。
 わたしが、手渡された本を読んでいると、突然かれはこう呟きました。
「おれ、絵描きになるよ」

 わたしには、その言い方が「わだばゴッホになる」と叫んだ東北の異能の画家、棟方志功を連想させ、思わずかれの顔を見つめてしまいましたが、かれはうつむいたまま、決意したように、「おれは、今日から絵描きになろうと思う」ともう一度呟いたのでした。

 後日、わたしはその本を入手して、あらためて読んでみたのですが、そこには芸術家というものの執念が息苦しいほどの筆致で描かれていました。書いたのは画家のモデルをつとめた日本人の哲学者でした。確かに、すばらしい本でした。それでも、この本を読んで、一日のうちに、人生を変えてしまうほどのことがあるとは思えませんでした。ところが、武谷くんはその本を読んで、これまでの全ての人生がひっくり返ってしまうような体験をしてしまった(と後にある人物からわたしは教えられたのです)らしいのです。

 その日から、武谷は予備校にまったく出席しなくなりました。
 いや、ほとんど消息不明になってしまったのです。
「おれ、絵描きになるよ」
 武谷くんはそう言っていた。だから、絵の修業に出かけたのかもしれないとわたしは思いました。しかし、絵の修業で山籠もりするというのもおかしな話で、いったいどこに消えてしまったのか。
 それからひと月ほどして、かれがひょっこりとわたしの部屋を訪ねてきました。

 わたしはかれの顔を見て、ほとんど声をあげそうになりました。なぜならこれまで見知っていた武谷くんの風貌とは全く違うものがその顔に浮かび上がっていたからです。一気に十年ほど老けたというか、疲労と虚無が顔全体を覆っており、その瞳は何か深淵を覗いているようでもあるのですが、同時に風が通り過ぎるただの空洞のようでもあったのです。
 それ以上に驚いたのは、右側の眼窩の周囲が殴られたように腫れあがっており、ところどころどす黒く変色し、その周囲は色褪せて黄色身を帯びていました。

「どうしたんだ、その顔」
 何かがあったことは分かるのですが、わたしは冷静を装って尋ねました。
「殴られた」
「喧嘩でもしたのか」
「いや、そうじゃなくて・・・」
「誰になぐられたんだ」
「よく知らない男」
「どういうことだよ。喧嘩じゃなくて、何でよく知らない男に殴られなくちゃいけないんだよ」
 そう尋ねながら、わたしはかれが消息不明になってからひと月の間、どこで何をしていたのか全く知らなかったことに思い当たりました。
 その話を聞かなくてはいけないと思ってしばらく、想像をめぐらしていたのですが、次の瞬間にかれは意外なことを口走ったのです。

「なあ、わるいけど三万円ほど貸してくれないか」
「えっ。なんだよ、いきなり。なんでお金が必要なんだよ」
「理由は言いたくない。担保はおれが持っている小林秀雄の全集でどうだ。今持ってくるんで、少し待っていてくれよ」
 なんだかわからないままに、かれはひと月ほど空けていた自宅に戻っていきました。
 しばらくすると、大きな段ボールを箱を抱えて俺の部屋に戻ってきて、段ボール箱の中から小林秀雄全集を取り出してわたしの目の前に積み上げたのです。

 あれから、四十年以上経ちましたが、わたしの本棚にはあのときの全集が並んでいます。かれはわたしから借りていった三万円を返すことができなかったのです。
 それは、かれに返す意図がなかったのではなく、このことがあってから数年の後にかれは精神病院に入り、ほどなくして死んだという知らせが届いたのです。

 いったいかれはどうして死んでしまったのか。
 病気だったのか。自殺なのか。
 空白の一か月に武谷くんの身の上に何があったのか。
 そして、わたしから持っていった三万円は何に使ったのか。
 なぜ、かれは精神に異常をきたしたのか。
 わたしには、謎のままでした。

「うちの画家さんは、いちまいも絵を描かずに逝ってしまった」と、のちにかれのご母堂がおっしゃっていましたが、武谷くんは「俺は絵描きになる」とはいったものの、結局いちまいの絵も描くことなく死んでしまったのです。
 空白の一か月の間の出来事については、かれの死後、五年ほどたってから[まがり角]のちぐさちゃんに教えてもらいました。

 わたしが、かれと最後にあった[まがり角]での一件のあと、かれは足繁く鈴ヶ森刑場先にある、大井の歓楽街に出入りしていたようです。いったい、どういう顛末があってそうなったのかわかりませんが、かれはまもなくその筋の店に住み込みで働くようになったそうです。
 何週間か経過した後に、その店で働く女性との仲を、男に疑われて、袋叩きにあったということでした。わたしの二階のアジトに転がり込んだときに、顔中にあざが残っていたのは、その直後だったのでしょう。
 ちぐさちゃんが何故、武谷くんの空白の一か月の消息を知っているのかについては、いささか複雑な事情がありました。

 どうやら、その大井の歓楽街の店のオーナーは、喫茶[まがり角]のマスターのギャンブル仲間であったようで、ちぐさちゃんは、当時裏街道に迷い込んできた不思議な青年の噂を聞き及んだということらしい。
 でも、その説明を何度聞いても、わたしにはかれが何で死んでしまったのか、その原因はわかりませんでした。
 そもそも、画家になるという思いと、その後のかれの行動とのあいだに、どんな合理的な理由も見出すことができません。
 わたしは、かれの内面で何があったのか、それについて知る必要があると感じていました。

 大井の裏町でどんなことがあったのかについては、ほとんどおぼろげな事実しかわかりませんでしたが、それ以上何があったかを追求するつもりもありませんでした。
 しかし、かれの内面で起きていたことは、それがあまりに唐突であり、あまりに合理性を欠いていたがゆえに、わたし自身を納得させる道筋を見つけ出す必要があると感じていたのです。

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