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平川克美

平川克美/文筆家

人生の「後退期」もまた楽し。おもしろい話は家のまわりにいくらでも転がっている。 50歳を過ぎたあなたに届けたい達人の「住まい方」指南。

第30回 路地裏映画館12 『男はつらいよ』ができるまで

天(そら)が泣いたら 雨になる
 ある雑誌で、映画特集の責任編集者をやることになり、映画特集ということならどうしてもこの人を欠かすことはできないということで、川本三郎さんにインタビューをした。

 川本さんはわたしが最も信頼する作家であり、その作品は新刊が出るたびに読んできた。氏の『銀幕の東京』はわたしにとっての映画バイブルであり、何度も読み返してきたのだが、不思議なことに、自分の本棚を探すと、これがなかなか見つからない。それで、同じ本を3冊も買う羽目になった。不思議なもので、新しい本を買うと、あれほど探して見つからなかった本が、2冊もすぐに出てきたのである。

 内田樹や石川茂樹という子供の頃からの友人たちにとって、神に近いような崇敬の存在である、大瀧詠一師匠も川本三郎に多大な影響を受け、自ら成瀬巳喜男の『秋立ちぬ』『銀座化粧』と小津安二郎の『長屋紳士録』のロケ地発掘の研究に就いた。その研究成果を見る機会を与えていただいたが、驚くべき精緻さで、戦後昭和のはじめのロケ現場を突き止め、映画の主人公たちが歩いた銀座や晴海の町並みを再現してくれていた。後年、師匠を囲む座談会の中で、この手法を『銀幕の東京』から学んだと自ら話してくれた。

 画面の片隅に映り込んだちょっとした風景を手掛かりに、ロケ現場を探索する手法は、蓮實重彦が言うところの「表層批評」とは対極にある映画鑑賞法で、一本の作品が隠し持っている撮影秘話や、監督の思いや、関連する文学作品へと話を広げていく。時に、映画そのもののストーリーや味わいとは別の方向へ転々とするのだが、それがまた映画を観るということの醍醐味なのだ。

 例えば、上記の『秋立ちぬ』や『銀座化粧』には、今はもう埋め立てられてしまった築地川が映し出される。今はもう橋柱しか残っていない木造の橋が映る。そこには、失われてしまった東京が生き生きと描き出されている。この失われた風景は、もはや映画の中にしかないのである。

 そんなわけで、川本さんとの話のテーマは、主に、成瀬巳喜男、小津安二郎、川島雄三といった日本映画を代表する監督の作品についてのものだったが、その中で、川本さんが『男はつらいよ』を高く評価していることを知ることとなった。川本さんのエッセイのファンであるわたしは、これまでも雑誌記事などで、かれが『男はつらいよ』に言及していることは知っていたが、これほどまで『男はつらいよ』に対する愛着を語るとは思っていなかったのである。

 なるほど、『男はつらいよ』を川本的な角度から見直してみれば、今はもう失われた日本が、画面のいたるところに写り込んでいる。津和野や、尾道、あるいは備中高梁といった後に観光名所になるようなところも、いち早く目をつけて映画の舞台にしているのだが、そこにあるのは、もはや失われた日本の原風景とでもいうべきものである。いや、風景だけではない。フーテンの寅という人物もまた、すでに失われた日本人の原型だと言えるだろう。

 先日、恒例の箱根麻雀で、内田樹や小田嶋隆さんと話をしていたら、たまたま『男はつらいよ』シリーズの話になった。その折、小田嶋さんが、彼の息子さんに『男はつらいよ』を観せたらしいのだが、これが不評で、とにかく傍若無人、他人の迷惑を顧みず、中小企業労働者をバカにし、つまらない啖呵を切り、渡世人を気取って悦に入るどうしようもない車寅次郎という主人公に全く共感できなかったらしい。

 若い人から見たら、この車寅次郎という男のパーソナリティーは理解不能であり、なぜ年配の人間たちが、この「いかなる共感」もできない映画を見続けてきたのかは不可解なことなのかもしれない。

 川本さんの愛着と、小田嶋ジュニアの反発もあって、わたしはなんだかもう一度『男はつらいよ』のすべての作品を観てみたくなった。多くの作品をわたしは、実家の近くにあった[安楽座]で観て面白がっていたのだが、果たしてそれらの作品は今観ても面白いのだろうか。

車寅次郎とは誰なのか
『男はつらいよ』の成功は、何と言っても山田洋次による車寅次郎というどこにでもいそうで、どこにもいないパーソナリティーの造形にあるだろう。

 小田嶋さんらと箱根で話したとき、『男はつらいよ』には前身があったはずだと思ったのだが、その時はそれがなんであるのかを思い出すことができなかった。ただ、わたしの中では、『男はつらいよ』の前身となるテレビドラマを随分面白がって観た記憶が確かにあった。しばらくのち、ふとした拍子で、そのシリーズが何であったのかを思い出した。主題歌が突然、わたしの頭の中に舞い降りてきたのである。渥美清の唄う「天(そら)が泣いたら 雨になる 山が泣くときゃ 水が出る〜」

 そのテレビドラマとは、わたしがまだ高校に入ったばかり、1966年からTBS系列で放映された『泣いてたまるか』というテレビシリーズ。このシリーズの主人公には、渥美清だけではなく、青島幸男や西田敏行も起用され、長寿番組となった。渥美清が主人公を務めた回だけで54話に及ぶ。その最終回のタイトルが「男はつらい」というもので、監督の山田洋次はこの作品を気に入り、それが『男はつらいよ』のテレビシリーズにつながった。

 わたしは父親と毎週この番組を欠かさず観た。この度、どうしてももう一度、『泣いてたまるか』を観たいと思い、アマゾンにボックスを注文した。デアゴスティーニから全54話解説付きが発売されているのだが、それはかなり高価になっていた。ボックスは4巻出ているが、第4巻には最後の10話が収められており、価格も手が届く範囲だったので、早速購入した。

『泣いてたまるか』最終話の原作は、山田洋次と稲垣俊で、脚本が大西信行。このドラマは後年宮崎晃監督で映画化もされ、なんと倍賞千恵子、佐藤蛾次郎、ミヤコ蝶々が脇を固めている。テレビドラマのそれ以前のものは、毎回、独立した話だが、渥美清のキャラクターは、後の寅さんを彷彿とさせるものばかりで、違うとことは、寅さんが渡世人であるのに対して、こちらの主人公は多くの場合は教師だったり、トラック運転手だったりと、堅気の人間である。それでも、一本気で、惚れやすく、義理人情に厚いが純情で、一刻者というキャラクターは、ほとんど寅さんそのものなのである。

『泣いてたまるか』最終話、「男はつらい」の筋書きはこうである。長距離輸送トラックの運転手、平山源太郎(源さん)が、新潟の国道沿いで、男に乱暴されそうになっている娘を助けることになる。彼女は家出をして東京に出る途中だったが、事情を聞いた源さんは彼女(弘子)の行く末を案じて、自分の住んでいるアパートに住まわせ、運送の街道沿いにある行きつけのトンカツ屋の仕事も紹介する。トンカツ屋には、源さんを兄貴のようにしたう弟分の一郎がいた。

 一郎は、気立てが良く、愛嬌のある弘子に惚れてしまう。そして、源さんに、どうやって弘子に打ち明けたら良いのかを相談する。源さんは複雑な気持ちになりながらも、青年に恋の手ほどきを伝授する。「押しの一手よ」これが、源さんの手ほどきだった。後日青年は、弘子を旅行に誘い、好きだと打ち明け抱こうとするのだが、弘子は、自分には別に好きな人がいるのだと一郎の求愛を断る。一郎に事の経緯を報告され、源さんは自分が弘子を説得してやるといって、弘子に会う。そして、弘子の好きなのは源さんだったと知ることとなるのである。

 ここから先は、『男はつらいよ』と同じである。源さんは、弟分の一郎から弘子を奪うようなことはできないと、涙ながらに弘子を突っぱね、街道沿いのトンカツ屋にも顔を出さなくなる。久々にトンカツ屋に顔を出すと、弘子はすでにやめており、一郎に事情を聞くと、嫁に行ったという。そして、一郎は源さんに「もしも、弘子の好きだったのは源さんだったら、源さんはどうしたと思う」と聞くのである。

 この結末は、映画版とは少し違う。映画では一郎ではなく小料理屋に努める源さんの腹違いの弟五郎が登場し、ラストで弘子は五郎と夫婦になる。そして、それを知った源さんは「よかったよかった」と顔で笑い、心で泣きながら工事現場へ帰っていく。
 どうです。まるで『男はつらいよ』と同じだと思いませんか。

 この源さんこそが、寅次郎になって帰ってきたのである。もう一人、源さんの分身がこの少し後に生まれている。それはヤクザ映画で名を馳せた菅原文太のもう一つの当たり役、『トラック野郎』の星桃次郎である。長距離トラックの運転手というところ、マドンナの存在、そして主人公のキャラクターは、まるで『泣いてたまるか』(男はつらい)と同型である。

『泣いてたまるか』(男はつらい)は1968年、映画版『男はつらいよ』の第1作は1969年。『トラック野郎』の第1作は1975年。昭和の時代、義理人情を至上の価値として、一本気で、不器用で、それでいて傍若無人。社会の規範に馴染めず、ヘマばかりしている人間に、多くの人々はシンパシーを寄せたのである。

 実際の日本は、高度経済成長が終わり、すでに経済大国としての歩みが軌道に乗り始めた時代であった。そんな中で、義理人情よりは合理的で賢い生き方が称揚され、義理や人情に縛られた古い世代の人間たちは煙たがられるようになっていった。それでも、出世と金のために筋を曲げ器用に世渡りしている自分にどこか後ろめたさを感じながら、繊細であるが故に傍若無人を装い、真っ当に生きようとしていつも道を踏み外す不器用な男に自分の気持ちを投影させていたのかもしれない。

 寅次郎だけではない。どんなに迷惑を被ろうがこの与太郎を迎い入れるおじちゃん、おばちゃん、いつも寅次郎の味方であるさくらとその夫が作る疑似家族こそが、昭和の時代の日本人の作る共同体のロールモデルであった。それは、日本の前近代への憧憬でもあったかもしれないが、近代化を果たした日本には、前近代が生み出した人間類型はとっくに風化してしまったようである。時代は、純情な一本気な男を、自分勝手で過剰で、うざったく傍迷惑な存在に変えたのであった。車寅次郎は、日本のどこにもいないが故に、もはや古典になったとも言える。

 いや、まだ、日本のどこかにはひょっとしたら車寅次郎のような人間が密かに生息しているのかもしれない。たとえば岸和田辺りで。

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