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平川克美

平川克美/文筆家

人生の「後退期」もまた楽し。おもしろい話は家のまわりにいくらでも転がっている。 50歳を過ぎたあなたに届けたい達人の「住まい方」指南。

第31回 路地裏映画館13 アカデミー賞が明らかにした韓国映画の現在―『パラサイト』と『弁護人』

アカデミー作品賞に輝いた『パラサイト』
 韓国映画『パラサイト』(ポン・ジュノ監督)が、2020年カンヌ国際映画祭パルム・ドールに続いて、アカデミー賞作品賞・監督賞・脚本賞・国際長編映画賞を受賞した。それ以外にも、英国アカデミー賞外国語作品賞、ゴールデングローブ賞外国語映画賞などほとんどの映画賞を総なめにしたと言ってよい。

 以前2度ほど、このコーナーで韓国映画の実力について書いたことがある。その一つは、ポン・ジュノ監督作品『殺人の追憶』についての記事であった。わたしは、『パラサイト』以上に、『殺人の追憶』を高く評価していることをここに書いておこうと思う。同作品のラストシーン、かつて未解決事件の捜査員であったソン・ガンホが画面から観客に向けた視線(それはこの作品を見ているであろう真犯人に向けての視線だと後に監督は語っている)は、おそらくは韓国映画史の中で、語り継がれることになるだろう。

 そして、韓国の映画監督の列には、ポン・ジュノだけではなく、『オアシス』や『ペパーミント・キャンディー』のイ・チャンドン、『国際市場で逢いましょう』のユン・ジェギュン、『新感染ファイナル・エクスプレス』のヨン・サンホ、『タクシー運転手 約束は海を越えて』のチャン・フン、『工作・黒金星 ブラック・ビーナスと呼ばれた男』のユン・ジョンビン、『息もできない』のヤン・イクチュンなど、数え上げればキリがないほどの、優れたフィルム・メーカーが連なっている。

 そう考えると、今回『パラサイト』が外国映画として初めてアカデミー賞作品賞に輝いたことは、特筆すべき意味があるかと思う。アカデミー賞の授与者は、映画芸術科学アカデミーという団体で、アメリカ合衆国を中心とする映画関係者によって構成されている。ロサンゼルスのビバリーヒルズに拠点がある。

 アメリカ人が中心だが、映画界に功績のあった人間なら、外国人も会員として登録される。アカデミー賞の受賞に関しては、当然、アメリカ映画に審査員の票が集まる可能性が高いが、外国映画にもチャンスはある。ただ、アカデミー賞の部門賞として、国際長編映画賞があり(別名外国語映画賞)、普通であれば外国語作品である『パラサイト』はこちらの賞の対象になったはずである。外国語映画賞なら、かつて日本映画作品も、勅使河原宏の『砂の女』や市川崑の『ビルマの竪琴』など、何度か受賞している。黒澤明の作品は、外国語映画賞の常連のようになっている。

 しかし、アカデミー賞の最高賞である作品賞には日本映画だけではなく、ヨーロッパの映画も選ばれたことはない。『パラサイト』の受賞は、そうした前例を覆したのである。おそらくそこには、単に『パラサイト』が2020年の映画界で突出した名作であったという理由だけではない、別の理由があるだろうとわたしは思っている。

 結論を先に言えば、それは韓国映画の水準が、ハリウッドのそれと同じほどに達しているということである。わたしがここで言う水準とは、単に映画監督の力量を指すだけではない。役者の演技力、スタッフの采配、観客動員数、他の監督を含めたフィルムメーカーの才能など、総合的なパワーのことである。アカデミー賞のような賞の栄冠に輝くためには、こうした総合力の後押しが必要なのだ。
 それは、たとえばスポーツの世界で、水泳や、陸上といった個人競技において、世界のトップを競うためには、その裾野である地域でのスポーツ活動全体が活性化していて初めて可能になるのと同じである。選手個人だけではなく、コーチや、トレーナーの力も向上し、サポーターや支援団体の後押しも充実していることが必要なのである。

 今回の『パラサイト』の受賞は、監督のポン・ジュノや役者のソン・ガンホの力量が傑出していたことはもちろんだが、それ以上に、彼らを生み出す韓国映画界の総合力の水準が賞に見合うところまで成熟したと言うことだろう。つまり、韓国映画界の裾野が、世界レベルになっていると言うことなのだ。さらに重要なことは、韓国の大衆が映画を身近なものと感じており、韓国国内にしっかりとした映画市場が出来上がっていると言うことである。

 2019年映画館観客数は日本1億9千万人、韓国2億2千万人である(人口比は1億2千600万人:5千百60万人)。映画監督である深田晃司氏によれば、2008年の段階ですでに、韓国では年平均3.0本の映画が鑑賞されていたが、日本では1.3本であった。要するに日本ではこの10年程度で一人あたり約0.2本しか鑑賞される映画が増えていないが、韓国では1.2本以上も増えている。
 これは、従来言われてきた、韓国は映画の市場が小さいので、最初からハリウッドを市場として想定して映画製作を行なってきたと言う俗説を覆す数字である。

 縮めて言えば、韓国映画は、韓国市場においてもしっかりと根を下ろし、国民によって支持されていると言うことである。だから、作品に予算も付けることができるし、国家の犯罪や恥部に切り込んだ社会的な映画づくりもできる。こう言うのを産業の裾野と言うのだ。

 裾野は目に見えないところで広がっている。その裾野の広がりの一つの成果が今回の『パラサイト』受賞なのだ。映画芸術科学アカデミーの審査メンバーは、おそらくそのことを熟知しているはずである。この作品が、外国語映画賞ではなく、アカデミー賞の最高賞としてふさわしいものであると判断した理由の中に、そうした事情があったことは容易に想像できる。言い方を変えれば、この作品の受賞はフロックではないと言うことである。

 残念ながら、現在の日本映画界は韓国に大きく遅れをとってしまった。それは、映画の世界に止まらない。日本がかつての経済大国の栄光にすがり、夜郎自大な自己肯定を続けている間に、学術、経済、政治、文化などあらゆる局面で、隣国に並ばれ、追い越され、凋落の一途を辿っていることに気づくべきである。

韓国政治史の暗部を抉った『弁護人』
 こうした現状を見るにつけ、わたしは文化資本と言うものが、どのようにして勃興し、そして凋落していくのかについて考えないわけにはいかない。

 端的に言って、文化資本の活性化と政治は切っても切れない関係にある。いわゆる芸術至上主義的な観点から見れば、そんなことはありえない、文化の担い手は、政治とは無関係な個人の力量に追っているはずであると考える方も多いだろう。しかし、映画のような総合芸術においては、芸術的民度というようなものがその作品の完成度を左右することが多く、芸術的民度は政治的な成熟度と大きな関係にあると言わざるを得ないのだ。

 現在の韓国映画界を支えている母体は、韓国民主化運動を支えてきた人々に重なっている。韓国映画の名作の一つである『弁護人』(2013年 ヤン・ウソク監督)は、1981年に軍事政権下の韓国で実際に起きた事件を背景にした作品であり、ソン・ガンホが演じている主人公の弁護士のモデルは、民主化運動の担い手の一人であった、後の盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領がモデルである。

 時の大統領は、軍人上がりの全斗煥(チョン・ドゥファン)。この軍部勢力主体の政権は、韓国全土に圧政を敷き、民主化勢力を弾圧した。映画のテーマになったのはこうした弾圧事件の一つである「釜林事件」で、釜山でマルクス主義などの本の読書会をしていた、学生や教師、サラリーマンなど22人が、令状もなく突然逮捕され、不法監禁され、過酷な拷問を受けていた。この事件の被告側の弁護を担当したのが、若き日の盧武鉉であった。お金儲けが目的の税金対策弁護士をしていたノンポリ金儲け主義の盧武鉉は、この事件を知ってそれまでのお金儲け主義を捨てて、人権派の弁護士へと変貌してゆく。

 この作品は、言わば韓国の政治史の恥部を抉り出す結果になっている。そして、弁護士を演じたソン・ガンホもまた、朴槿恵(パク・クネ)政権下において危険分子扱いのブラック・リストに含まれた映画人の一人であった。

 ソン・ガンホは当初、この作品への出演をためらったと述べている。盧武鉉から変わった李明博(イ・ミョンバク)大統領は、検察改革などを推し進めてきた政敵政治家である盧武鉉を、政治資金スキャンダルで追い詰め自殺に追いやった。盧武鉉自身は潔白だったが、妻が事業家から不正資金を受け取ったとして連日の取り調べをして追い詰めたのである。

 しかし、韓国の民主化の偶像の一人である盧武鉉の人気はそれ以後も続いたのであった。この作品はこうした実在した人物を描いたドキュメンタリー的な色彩が強いものだった。ソン・ガンホはそこに一瞬の恐れを抱いたのかもしれない。だが、その理念に共感して出演した作品は、最終的に1,100万人を動員するヒット作となった。それは、単にこの作品が政治的メッセージの強いものである以上に、娯楽作品としても一級品であったことを示している。

 そのことは、同じソン・ガンホが主演した『タクシー運転手 約束は海を越えて』でも同じである。

 戦後の韓国政治史を見ると、朝鮮動乱期の李承晩(イ・スンマン)、軍事クーデターで政権について圧政を敷いた朴正煕(パク・チョンヒ)、再び軍事クーデターの主役だった全斗煥とその後継である盧泰愚(ノ・テウ)、軍政に終止符を打った金泳三(キム・ヨンサム)とそれに続く人権派リベラルの金大中(キム・デジュン)、盧武鉉、そして保守派の巻き返しによる李明博、朴槿恵、再び人権派の盧武鉉の側近だった文在寅(ムン・ジェイン)と、たびたび保守派と人権派の大統領が交代する激しい政権争いが続いている。そして当然のことながら、その背景には北朝鮮との戦争関係がある。そのような時代の変遷と緊張関係の中で、映画人たちは優れた作品を作り続けてきたわけである。

 政治的なメッセージだけで、映画作品ができるわけではない。しかし、政治や社会という現実と正面から向き合うことを避けては、リアリティのある作品は生まれては来ない。政治的圧力や社会矛盾が、映画監督や、役者を鍛えてきたのである。

 翻って、日本映画の現状はどうだろうか。もちろん、幾人かの優れた映画人は不屈の精神で良い作品を作り上げてはきている。しかし、スポンサーや、プロダクションや、広告代理店の意向を受けて、つい昨日までグループタレントだったものばかりが画面に登場する日本映画には、失望を禁じ得ない。

 韓国の役者たちが、年若いアイドル的な存在も含めて、ほとんどアクターズスクールから出てきているのとは対照的である。文化資本の充実とは、スポンサーやプロダクションが作るのではなく、映画を作ることが社会に何事かの貢献をすることと心得た一人一人が、志を持って自分を鍛え上げていくような土壌の中に育まれるものだと思う。

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