住ムフムラボ住ムフムラボ

平川克美

平川克美/文筆家

人生の「後退期」もまた楽し。おもしろい話は家のまわりにいくらでも転がっている。 50歳を過ぎたあなたに届けたい達人の「住まい方」指南。

第29回 路地裏映画館⑪ 天国と地獄の光景 『素晴らしき哉、人生!』と『何がジェーンに起こったか?』

 お盆ということで、墓参以外には特段の予定はない。ということで、毎日昼ごろ寝床から這い出して、水を飲んで、オンデマンドの映画を観るということになる。
 2ヵ月後ほど前に、眼瞼下垂の手術をし、目が二重まぶたになってしまったのだが、これがすこぶる具合が悪く、いつもまぶたがめくられているような塩梅で、違和感が半端ではない。面白半分で手術などしてはいけない。

 そのストレスがあったのかどうかは確かではないが、その後「ぶどう膜炎」になってしまった。「ぶどう膜炎」とはあまり聞きなれない病名だが、「虹彩炎」とも言うらしく、瞳が炎症を起こす病気である。目を開いていられないほどの痛みが続き、これはたまらんと、近所の眼科をたずねると、その足で大学病院へ行けとのお達し。何やら不穏な空気になった。

 大学病院に行くと、血液検査、尿検査、レントゲン検査などが始まり、「俺は目の病気でここにきたはずだが」と訝る気持ちで看護師に訪ねると、「ぶどう膜炎」の原因を追求しているのだと言う。つまりは、目にゴミが入ったとか、細菌に感染したとかといったことでは、なかなかこの病気にはならないそうで、内科系の疾患が原因になることが多いと言うことである。膠原病とか、糖尿病とかからくる合併症と理解すれば良いのかもしれない。

 その後、暗室で眼球に光を当てて何かを調べて測定するという検査があった。検査の間中、地獄めぐりのような光景が目の前に展開するのが興味深くもあり、恐ろしくもある。光の雨が降り注いだと思うと、赤と緑の点滅が繰り返され、光の雨が湾曲して複雑な模様を描き出す。

 検査が済むと、医師との面談である。「ぶどう膜炎ですね。色々な原因が考えられるので、一通りの検査をしました。結果は1週間後になります。原因は内科系の疾患が考えられるのですが、半分ぐらいは原因不明ということになります」とわかったようなわからないような説明を聞く。わたしはこの「半分ぐらいは原因不明」という言葉に、この医者は信じても良いかもしれないと思ってしまった。何であれ正直は信頼できる。

 4本の点眼薬をもらって、30分間隔でさしていたら、1日で痛みが消えていった。結局、医師が言った通り、原因不明だったが、とにかく日常生活に復帰することはできた。ただ、炎症の後遺症で瞳に歪みが生じており、右目と左目では暖色と寒色ほどの違いが残ったままで、長い間文字や映像を見ているとえらく疲れてしまうようになってしまった。
 古来、モテるのは「目病み女と風邪ひき男」だそうだが、わたしの場合は、目病み男になってしまったわけで、これはただ不便なだけである。

モノクロームの世界
 そんなわけで、天然色映画を見続けるのが辛くなり、この頃は好んでモノクロームの映画を観ることになった。最近作ではアルフォンソ・キュアロン監督の『ROMA』という映画を観たが、キュアロン監督の自伝的な物語ということで、モノクロームの作品にしたところも正解で、この監督の趣向がうかがえる。画面に甘みが出るのである。

 最近作をモノクロームで撮影した『ROMA』は例外的な作品で、一般的にモノクロームの傑作を探そうとすれば、1940年代、50年代のアーカイブを渉猟しなければならないわけである。モノクローム時代の傑作といえば、何故かイタリア映画を思い出す。ピエトロ・ジェルミ監督の『鉄道員』(56年)、『刑事』(59年)、フェデリコ・フェリーニ監督の『道』(54年)、『カリビアの夜』(57年)。イタリア映画ではないが、アンジェイ・ワイダ監督の『灰とダイヤモンド』(58年)、キャロル・リード監督の『第三の男』(49年)などヨーロッパ映画の傑作は数え上げればきりがない。

 この頃の映画に特徴的だったのは、音楽が実に効果的に使われていたこと。『第三の男』のアントン・カラスのチター演奏も素晴らしかったが、『刑事』のラスト、アリダ・ケッリの歌う「アモーレ、アモーレ、アモーレ、アモレミオ」を聞いたときは、それこそ全身に鳥肌が立った。クラウディア・カルディナーレの色気にも陶然としたが。色彩が無い分だけ、音楽が身にしみるということもあるのかもしれない。欠落によってしか獲得できないものがあるということだろう。

 40年代、50年代のヨーロッパ映画の傑作は、ほとんど観ているのだが、わたしは何故かアメリカ映画を観てこなかった。モノクロームの陰影と、アメリカのあっけらかんとした明るさが結びつかなかったのだろうか。あるいは、西部劇全盛だったアメリカ映画にあまり興味を抱かなかったかもしれない。

 もちろん、アメリカ産のモノクロ映画を全く観ていなかったわけでは無いのだが、自分の中に、モノクロームの世界はヨーロッパの街路樹や、戦後の瓦礫や、犯罪の匂いのするパリのアパルトマンや、屋根裏部屋に生息する芸術家たちが似合っていると勝手に想像していたのである。モノクロームの世界とは、光と影のコントラストによって作られており、アメリカの光は強すぎて、微細な陰影を必要とする物語にはなじまないと思い込んでいたのかもしれない。

『ローマの休日』は53年制作の紛れもないアメリカ映画の傑作だが、わたしはこの映画をヨーロッパ映画としてみていた。舞台がローマだったということもあったが、ヘップバーンがイギリス人であったということも、ヨーロッパの空気が全編に漂っていた。

 これほど繊細で、機知に富んだ作品が、アメリカのフィルムメーカーによって作られることが、当時のわたしには想像できなかったのである。もちろん、これは偏見であるわけだが。もし、わたしの偏見から何か意味のあることを見出そうとするならば、「わたしは何故、このような偏見を持つに至ったのか」というところにしかないだろう。

 そんなわけで、わたしは多くの40年代、50年代のアメリカ映画の傑作を見逃してきたのであった。恋愛映画の金字塔ともいうべきケーリー・グラント、デボラ・カーの『めぐり逢い』(57年、レオ・マッケリー監督)や、生涯の一本ともいうべきロナルド・コールマン、グリア・ガースンの『心の旅路』(42年、マーヴィン・ルロイ監督)を観たのは、映画を意識的に渉猟し始めた還暦過ぎてからなのである。青年期、いかに、ヨーロッパ映画のテイストにはまり込んでいたとはいえ、思い込みというのは怖いものである。

秀逸なストーリーと、向日性
 偏見はほとんど得るところのないものだが、よかったこともある。実のところ、この時代のアメリカ映画の傑作を、今になって初見で見ることができるということである。美味しい料理を最後に残しておくタイプの人間にとっては、これはなかなかの愉悦であると言える。

 最近、フランク・キャプラの傑作『或る夜の出来事』(34年)と『素晴らしき哉、人生!』(46年)を観ることができたのだが、どちらの作品もその題名だけ知っていて見逃していたものであった。『或る夜の出来事』は、ボーイ・ミーツ・ガールという単純な話型にも関わらず、話がどこに転がっていくのか読めないという面白さがある。こういうのをスクリューボール・コメディというらしい。映画のラスト、主人公の花嫁略奪のシーンには、思わず拍手をしたくなる。マイク・ニコルズによるアメリカン・ニューシネマの快作『卒業』の下敷きには、この映画があったのではないかと思う。この傑作が、1934年という戦前の映画であることに、驚かざるをえない。

『素晴らしき哉、人生!』は、キャプラの脂がのりきった時期の作品ということになるのだろう。危機に陥った主人公を、二級の天使が救うというお伽話なのだが、こうしたお伽話にリアリティを与えてしまう手腕には、脱帽せざるを得ない。わたしは、あまり期待しないで、テーブルにお菓子と飲料を置いて見始めたのだが、すぐに引き込まれてしまい、お菓子は手つかずのままテーブルの上に残ったままであった。

 映画の主人公はジョージ・ベイリーという善人。幼い自分に、凍った池で溺れそうになった弟を助けるが、その時の怪我で片方の耳の聴力を失う。長じたジョージは、小さな町で貧しい人々を救済するための住宅貸付組合を経営する。小口のお金を組合員から集めて、住宅が必要な人にローンを提供する仕組みである。

 ジョージは、次々に新しいプロジェクトを作り、組合も順調に発展するのだが、町一番の強欲な銀行家であるポッターから目の敵にされる。組合には時折、銀行から監査が入り、資金ショートや不正がないかを調べられる。その監査の日、あるはずの預金が口座に振り込まれていないことが発覚し、ジョージは横領で告発されてしまう。預金する予定の金を紛失した結果なのだが、ポッターは金の行方を知りながら、ジョージを追い詰める。

 ジョージは、進退窮まって川に身投げしようとするが、その時に二級の天使であるクラレンスが現れる。クラレンスは、善人ジョージを救済するために、この世界に遣わされたのだが、何しろ二級の天使である。なかなかうまい具合にことが運ばない。しかし、「何の役にも立たない」「生まれてこなければよかった」というジョージの言葉で名案を思いつく。このアイデアが、逆説に満ちた素晴らしいものであった。

 それは、ジョージが生まれてこない世界の中に、ジョージを放り込むというものである。その世界はジョージがいる世界とは全く別のものになっている。あり得たかもしれない現実の世界を見せることで、クラレンスは、「人間一人の力は、直接的には大きなものではないかもしれないが、間接的にはあらゆる場面に影響を与えている」ことをジョージに教えるのである。弟が今生きて立派に成長したのも、貧困な老人が自分の家に住めるようになっているのも、街が健全に発展していることも、どこかで、ジョージの影響が作用している。ジョージは、小さなネジのような存在だが、そのネジがなければ今の世界は、目の前にあるようには存在できないのである。

 終盤、ジョージにかつて世話になった人々が、ジョージに救いの手を差し伸べる場面は、この映画のハイライトである。まさに、人生は素晴らしいと思わせる終わり方。正直に生きていれば、それだけで何か良きことが待っていると思わせてくれる、世界の向日性に対する信頼が漲っている。世の中捨てたものじゃない。

この世の地獄
 この世は天国であると思わせてくれた『素晴らしき哉、人生!』の対極にあるのがロバート・アルドリッチ監督の1962年の映画『何がジェーンに起こったか?』である。天国の対極とは、地獄である。

『何がジェーンに起こったか?』は、何とも、おぞましく、恐ろしい映画であった。その予兆は、開始早々から感じ取ることができる。主人公の一人であるジェーンの子役時代。劇場で歌い、踊る早熟の天才ベイビー・ジェーンは時の人である。しかし、早すぎる成功は、得てして不幸な余生へつながる。ジェーンは、そのあまりの早熟と、人気ゆえに、すでにバランスを欠いた子供として生きることを余儀なくされていたのであった。商品として販売されたベイビー・ジェーンという人形には、どこか狂気が宿っている。ジェーンも、使い捨てにされる人形でしかないことが冒頭で、すでに暗示されている。

 ジェーンが人気の絶頂だった時、その姿を嫉妬と羨望の眼差しで眺めていたのが姉のブランチであった。長ずると、姉妹の立場は逆転し、ブランチは人気女優として成功し、ジェーンは過去の人となっていた。今度はジェーンがブランチに嫉妬し、ついにはブランチを自動車事故で傷つけてしまう。以後、ブランチは車椅子の生活となり、ジェーンはブランチが買った邸宅の二階に姉を幽閉状態にして、ブランチの印税を頼りに生活している。ジェーンは、ことあるごとにブランチを虐める。この虐めの陰惨な場面のおぞましいこと。

 この映画のラストには、あっと驚く仕掛けがあるのだが、その仕掛け以上に観客の度肝を抜くのがジェーンを演ずるベティ・デイヴィスの演技である。醜女、人鬼、魔物、ゲテモノなど女性を貶めるあらゆる形容を体現したその演技は、まさに鬼気迫るものがある。怖いですよ、ほんとに。

 この映画の成功の大部分は、ベティ・デイヴィスの演技にあるのだが、ブランチを演じたジョーン・クロフォードの演技も見逃せない。こちらは、車椅子生活にも関わらずバランスのとれた善人然としたペルソナを被っており、その内側ではじわじわと狂気の妹を傷つける残忍さを隠してもいる。こうした、難しい役をクロフォードは見事に演じている。

 二人の名優がこの映画を際立たせているわけだが、本当の主人公は、この二人の間を往還する「嫉妬」と「羨望」という人間の持つ最も暗い、ジメジメとした感情である。

 観客は、「嫉妬」と「羨望」が、周囲に狂気を撒き散らし、死の匂いを発散させ、空気まで汚染させてゆくのを嫌というほど見せつけられる。ここには、どこにも救いがない。観客は、その息苦しさから逃避するために、姉のブランチに共感を寄せてしまうかもしれない。ロバート・アルドリッチは、それを見越して、さらに残酷な仕掛けをしつらえている。ネタバレになるので、これ以上は説明しない。

 さて、こんな映画を誰が喜んでみるだろうと思うのだが、展開の読めない映画のラストシーンまで目が離せない。そして、映画を観終わったのちに、自分が「虚無」という深淵を覗き込んでしまったような気持ちになる。

 もし、映画に最高の褒め言葉を与えるとすれば、それを観る前と、観た後で世界が違って見えるという体験ができるということだろう。その意味では、『何がジェーンに起こったか?』を観ることは紛れもなく、映画でしかできない体験を共有することだと言えるだろう。

コラムニストから選ぶ

PAGETOPへ