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仲野 徹

仲野 徹/大阪大学大学院医学系研究科教授

大阪が生んだ「世界一おもろい生命科学者」が、みんな知ってるようで意外に知らない「カラダと健康」についてフレンドリーな語り口で明らかにしていきます。

第11回 美味しいものは体に悪い

 美味しいものをお腹いっぱいたべたい。誰しも思うことだが、そんなことを続けているとぶくぶく太って、生活習慣病になりかねない。しかし、美味しいものを食べ続けることって、意外と難しいんとちゃうんかという気がする。
 経済的な問題があるのはもちろんだが、それ以前に、生理学的な問題もある。美味しいものを食べ続けると、美味しさに慣れてしまって、あまり美味しいと感じなくなるような気がするのは私だけだろうか。思い出してほしい。それまで食べたことがなかった美味しいものを初めて食べた時の感動を。
 そんなに美味しいものでも、食べ続けているうち、知らず知らずの間に、だんだんあたりまえの食べ物になってきてはいないだろうか。それに、たとえば鯛とかの場合、美味しさを強く感じるためには、同じ鯛でもより高価で美味しいものを食べないと満足できんようになってきてはいないだろうか。人間というのは勝手なものなのである。

 こんなことを考える時、いつも辻調理師学校(現・辻調理師専門学校)の創始者である辻静雄を描いた伝記小説『美味礼賛』(海老沢泰久/文春文庫)を思い出す。もう亡くなられて20年以上になるから、ご存じない方も多いかもしれないが、辻静雄、「本物」のフランス料理を日本に根付かせた料理研究家である。
 天下の美食家だった。当然、一流の店に行く。顔も売れているから、最高の食材で最高の料理を出してくる。うらやましい。文字通りよだれがでそうな、垂涎の状態だ。しかし、どんなに美味しいものが出てきても、仕事柄、どうしても批判的な舌で味わってしまう、というのだ。考えさせられる話ではないか。60歳という年齢で、肝臓障害でお亡くなりになっておられるだけに、余計にそう思う。

 味を感じる受容体は、言うまでもなく舌にある。その基本は、甘味、酸味、塩味、苦味、うま味、の五種類。甘味から苦味までは大昔から知られていたが、うま味は比較的新しくて、20世紀の初めに、日本の化学者・池田菊苗(きくなえ)によって「発見」された味である。

 池田は、昆布の出汁の研究から、うま味を感じさせる物質がグルタミン酸ナトリウムであることをつきとめた。その発見による特許を元に、鈴木三郎助が事業を大展開した。明治時代に日本でなされた世界に誇る大発見から産まれたベンチャービジネスが、いまの味の素株式会社へと発展したのである。
 英国留学中の池田は、夏目漱石と同じ下宿で暮らすほど懇意であった。というよりは、池田が漱石の世話をやいた、といったほうがいいだろう。文学にも造詣が深かった池田は、神経衰弱気味の漱石に小説を書いてはどうかと勧めたとされている。池田がいなければ、文豪・漱石は誕生していなかったのかもしれんのである。

 いやぁ、明治時代の偉い人というのは、どこまで偉いんやろ。池田菊苗のような人の伝記はもっと知られるべきやと思われませんか。『「うま味」を発見した男』(上山明博/PHP研究所)という評伝小説がありますんで、興味のある人はぜひどうぞ。むちゃおもろいです。
 西洋人というのは、出汁のような繊細な味がわからなかったのか、うま味というのは、長い間認められなかった。しかし、うま味に対する受容体(グルタミン酸受容体)が舌に存在することもわかり、いまや広く知られている。だから、英語でもうま味はumamiなのである。



 基本的には五種類の味しかないのに、我々が感じる味の種類は膨大である。舌で感じる、とよく言うけれど、実際には脳で感じている。そして、味覚というのは、視覚や聴覚に比べると、「学習」によるところが大きい。子どもの頃、とても食べられなかったものが、大人になってから食べられるようになることがあるのもそのためだ。
 子どもの頃、ものすごく好き嫌いが多かった。今は、ほんとうに好き嫌いがなくなり、なんでも食べる。母親に言わせると、あれだけ食べさせるモノが少なくて困ったのに勝手な息子や、とぼやかれる。しかし、違うのである。どうも、私は、母親と味覚が違って、母親が美味しいと思うものが美味しくないのが原因みたいなのである。親不孝のような気がするが、そうなのだから、しかたがない。

 そのような味をめぐる家庭内問題はいいとして、いろいろなものの味は、単に味覚の組み合わせだけで決まっているわけではない。ちょっと考えただけでも、噛み応えというような食感が思い浮かぶだろう。嗅覚も味に大きな影響をあたえることが知られている。
 何かを口に入れると、味覚だけでなく、嗅覚も同時に動員される。「風味」とはよくいったもので、嗅覚と味覚の両方が大事なのである。だから、嗅覚に異常がある人は、味がわかりにくい。風邪をひいたりすると、何を食べても美味しく感じられないのも、嗅覚が鈍るのが原因だろう。さらに、嗅覚だけでなく視覚も、味を感じるのに大きな影響を与えている。
 昔、「探偵!ナイトスクープ」で、味覚をめぐるむちゃくちゃおもろい依頼があった。高速道路のパーキングエリアで買ったイチゴ味のかき氷、トンネルにはいって黄色の照明をうけて緑色に見えたとたんメロン味になった、というものだ。いろいろ調べてみたら、色がわからなかったら、かき氷の味の種類などようわからん、という結論であった。それくらい、視覚は味に大きな影響を与えている。味覚と嗅覚と視覚、それに、触感までがいっしょになって、「味」として学習されていくのだ。
 たぶん、同じスズキ目の仲間である鯛と鱸の刺身なんかは、食感が似てるし、暗闇で食べたら、ぜんぜん区別つかへんのとちゃうやろうか。いつも目をつぶって食べる習慣をつけたら、安い食材で満足できるようになって、寿司屋でも安くついてええかもしれん。って、そんなことしても、ぜんぜん楽しくないやろうけど。



 妊娠中、つわりになると、味覚に変化が生じて、酸っぱいものがたべたくなったり、口の中に苦みが感じられて特定の食べ物に吐き気をもよおしたりすることはよく知られている。そのつわりについて、おもしろい説がある。
 つわりの時期というのは、ちょうど母親の胎内で人間らしい形ができあがってくるタイミングである。それは、同時に奇形が生じやすいタイミングでもある。当然その時期は、少しでも奇形を生じさせる可能性がある物質−専門用語では催奇形性物質といいます−を避けることがのぞましい。つわりは、そのようなものを食べないようにする防御反応ではないか、という考えである。検証するのは難しいけれど、つわりのような不快な現象が生じるには、それなりの理由があるはずなので、正しいような気がしている。
 ビター味のチョコレートは美味しいし、ビールに苦みがなければたよりなさすぎる。けれど、とことん苦味が好き、という人は少なかろう。基本的に苦味は不快な味なのだ。ならば、感じない方がいいような気がするが、そうではない。つわりの場合だけでなく、苦味は、我々にとって防御的な役割を持っているらしい。
 苦味は、毒や腐った物など体に有害なものを避けるために進化してきたのではないかとされているのである。毒物の多くは苦い(らしい)ことや、腐った物は苦味が強くなる、そして、苦味の閾値は他の味に比べてはるかに低い、いいかえると、ものすごく感じやすい、ことなどが、その考えを支持している。酸味については、個人的な好き嫌いがかなり大きいような気がするが、ある程度は、苦味と同じように防御的な働きがあるらしい。

 一方、甘味、塩味、そして、うま味、はおおよそ美味しい。これらは、体に悪いものが持っている苦味とは逆に、体に必要な食べ物に含まれる栄養素が持っている味だ。そういった物は、美味しいと感じてちゃんと摂取する必要がある。逆に、これらの味の食べ物を不快と感じたら、生きていけない。



 人類がそこそこ食べられるようになり始めたのは、およそ2万年前、農耕の起源の頃からだ。そのころから、ヒトの遺伝子多様性が爆発的に大きくなっていった、すなわち、生存にそれほど適していない遺伝子を持つヒトであっても生き延びることができるようになっていった、という面白い研究がある。農耕によって食べ物が安定的に供給されるようになり、遺伝的弱者も生き残れるようになったというのだから、えらいやないか、農耕。

 先進国においてさえ、ほとんどの国民が十分に食べられるようになったのは、たかだかこの一世紀くらいの間だ。人類の進化を考えてみると、短すぎて見えないくらいの期間でしかない。数百万年にわたる人類の歴史において、ほとんどの間は飢餓状態であったのだから、生活に必要な栄養素を喜んで食べるように淘汰圧がはたらいたのは当然のことだ。
 いいかえると、味覚の面からは、栄養になりそうなものを美味しいと感じて、できるだけたくさん食べるように進化する必然性があったということだ。味覚が違うから、お母ちゃんのくれるものが美味しくないなどという贅沢をいって食べなかったりする子は、死んでいくしかなかったのである。

 いまの日本、その気になれば、いくらでも食べるものが手に入ってしまう。そんな環境で、思いに任せて甘いものを食べすぎると生活習慣病になるし、塩味をとりすぎると血圧が高くなる。飽食の時代が延々と、これから何百万年も続けば、ひょっとすると、味覚が「進化」して、必要な栄養素をそれほど美味しく感じなくなる可能性がないわけではない。しかし、すくなくとも現世の人類はそのようにできてはいない。
 このように、残念ながら、美味しいものが体に悪いのは、進化と環境の変化のせいであって、どうしようもないのである。しかし、飢餓に比べたら、食べたいものをちょっとガマンするくらいチョロいもんだ。ご先祖さまたちの餓えに思いをはせ、食べ過ぎないように留意して健康に暮らす。それこそが、現代人の正しい生き方なのである。

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