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仲野 徹

仲野 徹/大阪大学大学院医学系研究科教授

大阪が生んだ「世界一おもろい生命科学者」が、みんな知ってるようで意外に知らない「カラダと健康」についてフレンドリーな語り口で明らかにしていきます。

第1回 病気ってなに?

 はじめまして、仲野徹です。「(あまり)病気をしない暮らし」というタイトルで書かせてもらうことになりました。大阪大学医学部で、厳しい教授と学生に嫌われながらも、病理学を教えていることからご指名いただいたようです。病理学の教授ですから、病気の成り立ちについてはある程度知っていますが、病気にならない生き方はあまり知りませんし、無理してそんなことをしなくてもいいんじゃないかとも思っています。
 しかし、せっかくいただいた機会ですから、病気に関係することについて、あれこれ書かせてもらおうと思っています。何卒よろしくお願いします。まず、病気というのはいったい何なんだろう? というところから始めていきたいと思います。

 学生にはいつも、わからないことがあれば、とりあえず広辞苑を引いてみるべきである、と指導している。あらためて【病気】をひいてみると、
『①生物の全身または一部分に生理状態の異常を来し、正常の機能が営めず、また諸種の苦痛を訴える現象。やまい。疾病。疾患 ②比喩的に、悪いくせ。』
 とある。②は自分のことを言われているのかと気になるがほっておくとして、①の定義は木で鼻をくくったみたいやし、ほんまにそうなんか、という気がしてしまう。

 レポートを書く時にウィキペディアなどを参考にしても、正しいかどうかわからないんだから、そのようなことをしてはなりませぬ(<会津若松風)と、学生には指導している。しかし、自分では、講義の前にウィキペディアでの下調べをしょっちゅうしている。
 言い訳するわけではないが、これは私だけでなくて、周囲の正直者の教授もみんなそう言っている。ただ、嘘つき教授は、そういう正直なことを言わないから、ほんとうにウィキペディアをひいていないかどうかはわからないのであるが。

 さすがはウィキペディアである。「病気は曖昧な概念であり、何を病気とし、何を病気にしないかについては、政治的・倫理的な問題も絡めた議論が存在している。」と、広辞苑にくらべると、ずいぶんと納得のいく説明が書いてある。が、それではなんにも言うてへんのといっしょやがな…。

 病気というものを客観的に定義するには、広辞苑の説明にあるように、どうしても、正常から逸脱した『異常』であることが、どういう状態であるかということを言う必要がある。どう考えても、「正常だけれど病気です」というのは誰も受け入れてくれないだろう。


 では、いざ、どこまでが正常でどこからが異常かというと、これは難しい。昔は検査値などでも「正常値」という言葉が使われたが、今は、何をもって「正常」というかが定義しにくいということで、「基準値」という言葉が使われるようになっている。
 その基準値をはずれた時にはちょっと考えてみましょうね、ということなのである。しかし、基準値の定義として「正常な人のうち95%があてはまる値」、とされている。ん? この定義なら、基準値というのは、正常な人というのがわからなかったら決められないではないか…。そんなこと考えてちゃ、夜も眠れなくなっちゃう(三球・照代風、古いからわからない人は気にしなくていいです)。

 ということで、いくら考えてもきりがないから、いささか無責任だが、広辞苑にある『生理状態の異常を来し』、というのは無条件に受け入れて、異常である、ということはどういうことかわかったことにして、論を先にすすめましょう。
 と英断したにもかかわらず、次にまた『正常の機能が営めず』とくる。ええかげんにしてくれよ…、と言いたくなるが、私も心の底では、物わかりのいい教授とよばれたい。思い切って正常と異常のことはすんだことにしよう。

 最後の『また諸種の苦痛を訴える現象』というのもいかがなものか、という気がする。たとえば、である。多くの初期がんは、本人もまったく気づかないし、機能的にもまったく正常なはずである。それに、諸種の苦痛を訴えたりもしない。

 ということは、あんた、なにかえ、初期がんなどは病気じゃないっちゅうのかえ。ということは、あんた、なにかえ、病気じゃないのに手術をしたりするっちゅうことになるのかえ。と、からみたくなるカラミティージェーン(ここも知らない人はスルーしてください)と言いたくなる。

 ここまで書き進めておいて、こういうことを言うのもなんなのであるが、「病気」というようなありきたりの言葉を広辞苑で調べるということ自体が誤りだったのかもしれぬ。すまぬことであった。

 しかし、ほとんどの人は病気、というと、一定のイメージを持っているだろう。自分で病気になったとわかることも多い。しかし、自分で病気であると思っても、病院へ行って何もないと言われてしまうと、正常なのだと納得せざるをえない。

 一方で、初期がんのような場合は、自分では病気とは思っていなくても、医師に病気である、と診断されたら、病気として治療を開始するだろう。いずれの場合にしても、病気というのは、医師が決定するということになる。
 医師にはそれだけの権利(というのだろうか)が与えられているのだから、たいしたものである。なんだか釈然としないけれど、そんなものかという気もする。あらためて、お医者さんってやっぱり偉いんやなぁ、と思ってもらえたらちょっとうれしい。

 しかし、誰だって病気になって医者の世話にはなりたくない。が、病気にならずに一生を過ごすというのは、よほどの幸運に恵まれて、すこしも風邪もひかず、最後に事故死でもしなければならないのであるから、ほぼ不可能だ。
 できるだけ病気にならないライフスタイルというのも、あるにはあるだろう。しかし、残念なことに、飽食しかり深酒しかり、体に悪いと言われるようなことに限って楽しいし、したくなるのが人情である。

 スポーツは健康にいいと思われているが、それもあやしいものである。私の知る大先生の名言に、「スポーツはからだに悪い」というのがある。逆説的に聞こえるが、スポーツをして体をこわすというのもよく聞くことである。ちゃんとした統計などとりようがないだろうけれど、あながち暴論ではなかろうと思っている。

 野菜だけ食べていたら病気にならずに長生きするという本とか、一日一食にしたら若さを保てるとかいう本がベストセラーになっているのを見ると、世の中は、私などとはちがって、よほど我慢づよい人が多いのかと思う。
 こういった本は、もちろん書いておられる人の経験に基づいているのだろうが、みんながまねをしても、ご本人のようになれるとは限らない。人間というのはとんでもない複雑系であって、それぞれの体質というのは大きく違っているはずなのだから。

 自慢じゃないが、私など、野菜だけの食事とか一日一食だけの生活を強いられてしまったら、それだけで寿命が縮んでしまうに違いない。まぁ、どれだけの人が本のとおりに実践して、どれだけの効果がでているのかは知らんのであるが。
 とはいうものの、実は、けっこうダイエットフェチなのである。効果がありそうなものから、やめときゃいいのに、まったくなさそうなものまで、かれこれ10種類ほどのダイエット法を試したことがある。結局のところ、毎日体重をつけるダイエット以外、ほとんど長続きしなかった。そんな経験から、体にいいことは自分には不向きであるとなぐさめている。

 そんな奴がこんなタイトルのエッセイを書くな、と言われそうである。自分でもそう思う。
 けど、乗りかかった船、病気や医学について、ちょっとおもろそうな話を紹介していけたらと思っています。
 ご愛読いただければ幸いにございます。ということで、よろしくお願いいたします。

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