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仲野 徹

仲野 徹/大阪大学大学院医学系研究科教授

大阪が生んだ「世界一おもろい生命科学者」が、みんな知ってるようで意外に知らない「カラダと健康」についてフレンドリーな語り口で明らかにしていきます。

第5回 親と子、男と女、そして倫理

 親と子ってなんだろう? そんなものわかりきっている、と言われるかもしれない。しかし、福山雅治が主演した映画『そして父になる』のような、産院での取り違えというようなケースを考えてみると、かなり深くて難しい問題であることがわかる。

 すこし事情が違うけれど、そのようなミステークではなく、意図された生殖補助医療が作り出した「親子問題」について考えてみたい。

 動物にはオスとメスがある。卵子をつくるのがメスで精子をつくるのがオス、というのが定義だ。では、卵子と精子の違いとは何だろう。卵子と精子はともに「配偶子」と呼ばれるが、大きい配偶子が卵子で小さい配偶子が精子である。だから、逆に、生物学的には、大型の配偶子を産生するのがメスで、小型の配偶子を産生するのがオスである、ということになる。

 しかし、人間になると、ことはそれほどシンプルではない。生物学的には男性として生まれたけれど、心理的には女性である人、あるいは、その逆の人がいる。そのような人たちのために、平成15年(2003)に『性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律』が制定され、

「生物学的には性別が明らかであるにもかかわらず、心理的にはそれとは別の性別(以下「他の性別」という。)であるとの持続的な確信を持ち、かつ、自己を身体的及び社会的に他の性別に適合させようとする意思を有する者であって、そのことについてその診断を的確に行うために必要な知識及び経験を有する二人以上の医師の一般に認められている医学的知見に基づき行う診断が一致しているものをいう。」

 とされている。このような人が、

一  二十歳以上であること。
二  現に婚姻をしていないこと。
三  現に未成年の子がいないこと。
四  生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること。
五  その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること。

 という要件を満たした場合に、戸籍の性別変更が認められる。戸籍の性別変更が認められると、当然のこととして、変更後の性をもっての婚姻が可能になる。

 性同一性障害で性別を変更した「男性」の子供を戸籍の上で実子と認めるかどうかについて、最高裁で判決が出された。大きく報道されたので覚えておられる方も多いだろう。裁判官5人中3人の多数意見により「血のつながりがなくても夫の子と推定できる」として、法律上の父子関係が認められたのだ。

 この判決を聞いて、どう思われただろうか。いろいろな意見があるとは思うが、わたしなどは、性同一性障害者の性別変更が認められるようになって10年もたっているのに、こんな当たり前のことが争われること自体に驚いた。

 戸籍上みとめられた“ふつうの”夫婦に子供ができたら、両親と血のつながりのある実子と見なされる。しかし、夫婦であっても、その子供と父親にほんとうに血のつながりがあるかどうかは100%確実なことではない。なんか、あそこの息子さん、隣のおっちゃんにえらい似たはるけど、だいじょうぶかしらん。ちゅうようなこともある。

 そんな艶っぽいお話ではなく、生殖補助医療のひとつとして、第三者の精子をつかっての妊娠、非配偶者間人工授精というのが、不妊の夫婦に対しておこなわれてきた。そうして生まれた子供は、あたりまえのことながら、父親とは血縁がない。しかし、この場合であっても、夫が同意しておこなわれたものであれば、嫡出子として認めなければならない、という判例がある。

 さて、先の性別変更夫婦とは何が違うのだろうか。どちらも法的には夫婦であって、夫が不妊、そして、子供との血縁はない。もし、性別を変更した夫を父と認めないとすると、法律的な「夫婦」に二通りあることになってしまう。どう考えてもおかしな話である。性別の変更を認めれば、いつかこういうケースが生じることはわかっていたはずだ。

 ある離婚裁判があった。親権が父親にいきそうになった。そこで母親が爆弾発言。「それはあなたの子ではありません。私が勝手に非配偶者間人工授精で産みました」。実際にあった話らしい。血縁を重視すると、確かに父子ではないから親権を与えるのはおかしい。こうなると、考えただけで脳みそがよじれそうになってくる。

 父子にくらべると母子は明らかだ。いや、正確には、明らかだった、と言わなければならない。いまでは代理母の問題がある。我が国では公に認められていないが、不妊の女性が卵子を提供して他の女性に産んでもらう、いわゆる“借り腹”である。

 さて、この場合、生まれた子供のお母さんは誰だろうか。本邦においては、母子関係というのは、だれが分娩したかによって規定されている。だから、この子供は妊娠した女性の子供ということになる。が、血縁から考えると、明らかに卵子を提供した女性の子供である。ここでも、法整備が現実についていけていない。

 親子というのは、血縁によるのか、戸籍によるのか、それとも、家族として養育することによるのか。簡単なように見えて、なかなか難しい問題だ。もちろん、多くの場合では三者が一致しているけれど、必ずしもそうでない場合もあるのだ。

 自分には関係ないから考えても意味はない、と思われるかもしれないが、そんなことはない。こういったケースをじっくりと考えることによって、親子や家族について、あたりまえと思えることを新たな視点からとらえなおすことができてくる。

 さて、あなたは、血縁派、戸籍派、それとも、養育派? どれが決定的に正しいと決めることはできないだろう。それに、置かれた立場によって、考え方が変わることもあるだろうし、あってもいい。

 ここにあげたようなことは、生殖補助医療がなかった時代には問題になりようがなかったことだ。その意味で、技術革新が社会に判断を迫っている一例である。そして、技術革新は、法律の制定だけではなく、倫理的な判断も要求してくる。

 生殖補助医療の一つ、体外受精はどうだったろうか。世界ではじめての「試験管ベビー」ルイーズちゃんが生まれた時、もう30年も前の話であるが、マスコミも宗教者も一般の人も倫理的に問題があると考えた。

 しかし、今となってはどうだ。先進国では2~3%の赤ちゃんが体外受精で生まれているし、開発者のエドワーズ博士はノーベル医学生理学賞に輝いた。

 倫理というのは、時代とともにうつろっていく。新しい技術がもたらされたとき、その安全性が確認されて、望む人が多くて、メリットが十分にあって、周囲に迷惑をかけることがなければ、倫理的なことなどふっとんでしまうこともある。体外受精はこういったことの例である。

 体外受精を応用した技術のひとつに着床前診断がある。体外受精をおこなってから数日たった初期胚、8個から数十個の細胞からなる胚、から一部をとってきて、その遺伝子を調べて「診断」する。そして、望みの遺伝子をもっている胚を「選別」して母体に戻すのである。

 この技術を用いることにより、遺伝性の疾患をもった子供を産むリスクを回避することができる。男女を産み分けることもできる。現状では難しいけれども、もしかすると、背が高い、頭がいい、美人、とかいうようなことも選別できるようになるかもしれない。

 着床前診断には、完全容認派から絶対反対派までがいて、ここでも、誰もが納得できる正解はない。日本産婦人科学会は、「重篤な遺伝性疾患児を出産する可能性のある、遺伝子変異ならびに染色体異常を保因する場合に限り」認めている。

 さて、あなたは着床前診断に賛成だろうか、反対だろうか?

 重篤な遺伝性疾患を避けるためならいいではないか、と考える人もいるだろう。しかし、もし、あなたが、その重篤な遺伝性疾患の患者だとしたらどうだろう。自分の「生」というものを否定されたような気がしないだろうか。

 絶対反対、という人は法規制を望むかもしれない。しかし、たとえ規制したところで、外国へ行けばおこなえるのであるから、金持ちだけが先端技術を利用できる、ということになりかねない。

 先端技術を受け入れるかどうかを、他人事としてではなく、自分の頭で考える、それも、いろいろな角度から考える、というのは、科学技術の時代を生きていくのに必要なことだ。医療や生命科学だけでなく、原発を容認するかどうか、も、似たような問題である。

 男女、親子、そして出生前診断、というのは、身近で考えやすい問題だ。ほんとうにむずかしい問題であって万人が納得する結論はありえない。しかし、こういったことをしっかり考える、ということが、科学リテラシーを身につけるための第一歩である。意外な考えをする人もいたりするから、友人や家族と話してみるとおもしろい。ぜひ、酒席の話題でもいいから、いちどしっかり考えてみてもらいたい。

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