住ムフムラボ住ムフムラボ

仲野 徹

仲野 徹/大阪大学大学院医学系研究科教授

大阪が生んだ「世界一おもろい生命科学者」が、みんな知ってるようで意外に知らない「カラダと健康」についてフレンドリーな語り口で明らかにしていきます。

第3回 おなかの中の小宇宙

 マダガスカルを旅してきた。
 いろいろな意味ですごい国であった。食べ物は、旧宗主国フランス風でどれも美味しかった。自然の中で育てられた食材は、背中にコブを持った牛であるゼブ牛や鶏といった肉類も、トマトといった野菜類も、卵までもが実に力強かった。しかし、悲しいことに、わたしはおなかが弱いのである。

 かつてメキシコを旅行したとき、ひどい下痢で食べ物を受け付けず、わずか1週間で5キロも痩せてしまったことがあるくらいなのである。だから僻地へ行くときはずいぶんと注意をしている。もったいないと思いつつも歯磨きすらミネラルウォーターである。今回もかなり注意を払っていたのであるが、つい油断してしまった。

 衛生状態の悪そうな国では、野菜類は食べないことにしている。しかし、これまでの経験で、菜っ葉のたぐいは絶対にだめだが、トマトやキュウリは大丈夫とふんでいた。が、今回はそのトマトにやられたようなのである。もちろんトマトそのものではない。おそらく洗った水が悪くて、それが残っていたのだ。

 おなかの強い弱いには個人差がものすごくある。マダガスカルでは、かなり僻地へ行ったのであるが、現地の人は川の水を平気で飲むという。わたしなら、間違いなく下痢で死んでしまうだろう。体質と言ってしまえばそれまでである。
 しかし、いわゆる体質、我々の体そのものが持っている性質、ではなくて、腸の中に棲まわせている、いや、腸の中に住んでいただいている細菌類の違いによる可能性が高い。

 腸の中には、500種類程度、100兆個以上の細菌が住んでいると考えられている。我々の体を作っている細胞の種類が200、総数がおよそ60兆といわれているから、その多さがわかるだろう。ヒトの細胞にくらべて細菌はずいぶんと小さいので、腸の中にコンパクトにおさまってくれているのだ。大便というのは食べ物を消化した残りかすだけではない。およそ半分くらいは腸内細菌の死骸なのである。

 腸内に存在する細菌は、全部ひっくるめて、腸内細菌叢(そう)、あるいは、腸内フローラ、と呼ばれている。フローラというのは、「植物相」という意味の生態学用語である。どういうことかというと、たとえば、マダガスカル島のフローラ、というと、一本一本の植物ではなくて、その島に全体としてどのような植物が生えているか、その総体をさす言葉なのである。

 だから、腸内細菌叢、すなわち、腸内フローラ、というのは、腸の中に生息している細菌の総体、その全体像のことである。
 腸内細菌たちはお互いに共生することによって、腸の中にひとつの生態系を形成しているのだ。それだけでなく、我々の体とも共生関係にある。たとえば、外傷により出血してもしばらくすると血が止まる血液凝固に関係するビタミンKは腸内細菌で産生され、我々の体はそれを吸収している、というように、腸の中でウンコまみれになって有用な物質も作ってくれている。一方で、細菌はおならのような好ましくないものも作ってしまうのであるが。

 腸内フローラが重要であることはずいぶんと昔から認識されていたが、その実体を把握することはきわめて困難であった。腸内フローラを詳しく調べるには、どのような細菌が腸内に存在しているかを調べなければならない。そのためには、細菌を分離、培養しなければならないが、その適当な方法論がなかったのである。

 いまでもそのような方法は確立されていない。しかし、違う方法を用いて、腸内フローラを調べることができるようになってきた。その方法はゲノム解析。そう、我々のゲノムを調べるのと同じ方法で、腸内フローラの「ゲノム」を調べることができるようになってきたのである。

 ヒトゲノムといえば、ヒトのDNA全部の遺伝情報を担う塩基配列、すなわち、ACGT(A=アデニン、C=シトシン、G=グアニン、T=チミン)の情報をさす。このように、ゲノムというのは、ある生物におけるDNAの塩基配列すべてを意味する言葉である。腸内フローラというのは一つの生物ではなく、いろいろな細菌の集合体であるから、ゲノムという言葉を使うのはちょっとおかしい。そこで、腸内フローラ全体の塩基配列情報のことは、「高次の」とか「超」を意味する「メタ」という言葉をくっつけて、腸内フローラのメタゲノムと呼ばれている。

 腸内フローラのメタゲノムを解析するには、糞便からDNAを抽出して、その塩基配列を決定する。と書けば簡単に聞こえるが、実際には、膨大な量のDNAの塩基配列を決定し、スーパーコンピューターを用いた解析をおこなわなければならない。次世代シークエンサーという機器が開発され、塩基配列の決定が比較的安価で行えるようになったからこそ可能になった、最新の解析なのである。

 おなかの中の赤ちゃんは無菌であるから、腸内フローラは生まれてからできはじめる。最初は産道から、その後は食べ物や環境からはいりこんだ細菌が腸に棲みついてフローラが形成されていくのだ。乳児と離乳後では腸内フローラが大きく変化する、親子や夫婦でも必ずしも腸内フローラは似ていない、といったことがわかってきている。また、各人の腸内フローラにはけっこうな違いがあるが、個人個人の腸内フローラは比較的安定しているとされている。

 面白い報告もある。われわれ日本人はノリや昆布などの海藻類をよく食べる。一方で、海洋細菌には海藻壁を消化する酵素を持っているものがある。腸内フローラのメタゲノム解析で、日本人だけ、海藻類をよく食べる我々の腸だけに、その海藻壁を消化する酵素を持つ細菌が存在することがわかったのである。食文化が腸内細菌との共生に影響を与えるようで、ちょっと驚かれないだろうか。

 食べ物から腸に細菌がはいってくれば、当然、腸内フローラは影響をうける。おそらく、各個人の腸内フローラによって、外からやってきた細菌に対する防衛に秀でたものとそうでないものがあるのではないかと想像している。わたしの腸内フローラはきっと防衛能力が弱いのである。それはさておき、いろいろな疾患の発症と腸内フローラが関係しているのではないかと考えられ始めている。

 最近、「原因不明の腸のやっかいな病気」と言われているクローン病や潰瘍性大腸炎といった炎症性腸疾患と呼ばれる疾患は、我が国では比較的少なかった疾患であるが、近年、急速に増加している。これらの炎症性腸疾患の発症には腸内細菌が関与しており、腸内フローラを改善することにより、ある程度の治療が可能ではないかと考えられ、研究が精力的に進められている。

 生活習慣病と腸内フローラについては、肥満した人に、一年間低カロリーダイエットをしてもらう、という研究が報告されている。その結果、肥満者は正常体重の人と腸内フローラの組成が違っていること、また、ダイエットにより体重が減ると、腸内フローラも正常体重の人に近づいていくこと、がわかった。腸内フローラが肥満の原因なのか、それとも単なる結果なのかはわからないが、何らかの因果関係があることは間違いなさそうだ。

 腸内フローラのバランスを改善してやれば、生活習慣病の治療、とまではいかなくとも、予防くらいはできるのではないかと期待されている。このような、生きた細菌を用いて腸内フローラを改善して疾患を予防する方法はプロバイオティクスと呼ばれる。プロバイオティクスは古くからある考えであるが、最近は乳酸菌飲料のCMでも話題になるほど、再び脚光を浴び始めたのだ。

 よく、善玉菌、悪玉菌、とか分けられているが、腸内フローラは、その中にある細菌の種類や数が膨大なことからわかるように、とんでもない複雑系である。特定のプロバイオティックを投与して簡単にうまく調節するのは難しいだろう。
 しかし、これから腸内フローラのメタゲノム解析が進めば、もしかすると、腸内フローラをコントロールする適切な方法が見つかるかもしれない。

 我々の体は、腸内に細菌フローラという小宇宙を持っており、その小宇宙が我々の体に大きな影響をおよぼしているのだ。
 いつの日か、腸内フローラの研究が進んで、どんな僻地へ行って何を食べても下痢をしなくて住む日がくればいいのに、と、個人的に小さく夢見ている。

コラムニストから選ぶ

PAGETOPへ