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仲野 徹

仲野 徹/大阪大学大学院医学系研究科教授

大阪が生んだ「世界一おもろい生命科学者」が、みんな知ってるようで意外に知らない「カラダと健康」についてフレンドリーな語り口で明らかにしていきます。

第2回 『ヒポクラテス症候群』

 あたりまえのことなのであるが、医師になるには、相当に勉強しなければならない。うち(大阪大学医学部医学科)にはいってくる子などは、小学校から受験勉強を闘い抜いてきた『歴戦の勇士』たちであるから、入学した時点ですでに疲弊してしまっていることも多い。
 入学したら楽になると思ったらとんでもない間違いで、勉強し続けなければならないのだ。「大学にはいってもこんなに勉強せなあかんとは思いませんでした」という子もたくさんいるし、怠けてしまう子もいる。

 しかし、考えてみてもらいたい。なにもこちらから来てくださいとお願いした訳ではないのである。志願してきたからには、しっかり勉強してもらうしかない。ということで、かなり厳しく教育している。
 医学部も、他の学部と同じで、入学したら、とりあえずは一般教養を学ぶことになる。一般といっても、化学とか物理とか生物とか、医学を学ぶために必要な科目が多いのは言うまでもない。

 そして、いよいよ医学を勉強する。まずは、解剖学、生化学、遺伝学…など、いわば体の正常なことについて学ぶ。そして、次の段階として、私が担当している病理学で、はじめて病気のことについての勉強を始めるのである。
 大学によっても違うだろうけれど、うちの医学科教授の講義時間はそう多くない。おそらくいちばんたくさん講義をしている私でも、60分×3時間を15回、というくらいである。その講義の最後に、いつも、簡単なアンケートを書かせている。
 
 その内容のいくつかを次の講義の時に、匿名で発表している。もちろん、講義で分かりづらかったことについての質問や医学的な質問が多い。が、自由記述なので、とんでもなく脱線することもある。
 いちばんおもしろかったのは、ある女子医学生の「同級生の女子にも目をむけてほしい」という男子生徒へ向けてのコメントを発端に、「うちの女子医学生は態度がえらそうだからあかん」とか、「男の子はたよりなさすぎる」とか、乱打戦になった時だろうか。これはおもしろすぎた。

 そんな中、毎年、「病気」というものを学びはじめて、必ず出てくるコメントというのがある。そのひとつが、「講義で○○という病気が出てきましたが、自分がそうではないかと心配です」というものだ。
 これは古代ギリシャの医聖・ヒポクラテスにちなんで『ヒポクラテス症候群』とよばれている。と書いてみて、どれくらい一般的な言葉かとググってみたが、ヒット数は意外と少ないから、あまり一般的な言葉ではないのかもしれない。

 ヒポクラテス症候群、という言葉をはじめて知ったのは、たしか、大森一樹監督の『ヒポクラテスたち』(1980年)という映画であったと記憶している。この映画は、大森監督の母校である京都府立医科大学などでロケされたもので、医学生の生態をうまく描いてあり、公開当時、相当なシンパシーを感じて見たものだ。
 自殺してしまった古尾谷雅人が主演で、その同級生に、柄本明やこの作品で芸能界に復帰した伊藤蘭。手塚治虫や、映画監督の鈴木清順なんかもちらっと出てくる、というなかなかにおもしろい作品であった。まぁ、時は流れて、講義でこの映画おもしろいで、と言って紹介しても、アンケートに「古くさかったです」と書かれるのが落ちなのであるが…

 話がそれたが、ヒポクラテス症候群として心配される病気のいちばん人気(?)は、エーラス・ダンロス症候群である。あたらしく病気を見つけた医師に病気の命名権というのがあって、その医師の名前が病名になっているものがたくさんある。
 この病気の名前も、20世紀のはじめころに、エーラス先生とダンロス先生が記載したことから名付けられている。命名する方にとっては栄誉なことでいいかもしれないが、あとになって、病気の性質とまったく脈絡のない名前を覚えさせられる医学生にとっては迷惑しごくなことではある。

 この病気は、先天的にコラーゲンがうまく作れないという病気だ。コラーゲンというと、健康のために飲んだり注射したりするもの、と思っている人もいるかもしれないが、我々のからだにとってなくてはならないタンパクであり、全タンパクの40%をもしめている。
 皮膚や靱帯、軟骨、骨、などに大量にふくまれているから、その異常による疾患であるエーラス・ダンロス症候群は、そういった場所に異常があらわれる。たとえば、ほっぺたをひっぱると、びよよょんと伸びてしまう、とか、関節がものすごく柔らかい、とかいう「症状」がある。

 こういった病気を紹介すると、「先生、私、体が柔らかいのですが、だいじょうぶでしょうか」、というアンケート回答が必ずでてくるのである。比較的まれな疾患なので、多くの場合は正常範囲の柔らかさにすぎない。心配になられる方がおられるといけないので、念のために書いておくと、この症候群の場合、手の指を後にぐいっと曲げると、手の甲につくくらい柔らかくなる。
 アクロバットの名人といわれる人は、ほとんどがこの病気である、と、教科書には書かれている。確かにそうだろう。普通の人にはとても真似のできるものではない姿勢をとれたりするのだから。そう思って上海雑伎団などを見ていると少し哀しくなってしまうのであるが。
 
 からだが柔らかいだけなら問題はないのだけれど、怪我がなおる時などにもコラーゲンは必要である。だから、エーラス・ダンロス症候群の人は傷が治りにくいとか、病型によっては血管が破れやすい、とか、してしまうのである。
 現在では病気として記載されている症候群だけれど、それ以前の時代を考えてみたらどうだろうか。単に、からだが柔らかくて、ちょっと傷がなおりにくい人、くらいに思われていたのではないだろうか。

 病気というのは、医師が病気と判断した時に病気となる、ともいえるのである。そのためには、病気としてどこかに記載されていることが大前提として必要なのである。でないと判断のしようもない。「正体見たり枯れ尾花」ではないけれど、医学というのは、ある意味では、病気の記載からはじまったといっていい。
 病名をつけたら一段落という意味では、医学側からだけでなく、患者さん側からしても、そういった面はあるだろう。なんだか調子が悪くて病院へ行った時、なにもありませんよ、と、言われるよりも、あなたはこういう病気です、と言ってもらった方が安心できるようには思われないだろうか。

 病気の種類というのは、数え方が難しくて、いくつあるのか、誰にもわからない。悪いことに、ひとつの病気であっても、その病型や原因の違いから、どんどん細かく分類されていく傾向にある。
 一昔前までは、いくら細かく分類しても意味がないのではないかと思っていた。しかし、今は違う。かつては分類のための分類、と言いたくなるような状態であったが、最近では、治療方針のための分類、という側面がどんどん強くなってきているのだ。

 その背後には、医学の進歩がある。いろいろな病気に対して、薬剤をはじめ、有効な治療法というのがたくさん開発されてきた。その結果、この病気にはこの治療法が最適、ということがわかってきたのだから、これまでとは逆に、治療法に合わせた分類をおこなうことが必要になってきているのだ。
 2年や3年のスパンではなかなかわかりにくいのであるが、10年、20年という単位で眺めると、医学の進歩というのはほんとうにすごいと実感できる。同時に、医学の限界というべきものも、次第にわかりつつあるのではないかと感じている。医学側としてはそうなのであるが、患者さんの側からはどうなのだろうか。必ずしも、両者の意識は歩調をあわせているとは思えないのであるが。

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