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仲野 徹

仲野 徹/大阪大学大学院医学系研究科教授

大阪が生んだ「世界一おもろい生命科学者」が、みんな知ってるようで意外に知らない「カラダと健康」についてフレンドリーな語り口で明らかにしていきます。

第17回 黴菌との闘い(その4)

 4回にわたる「黴菌との闘い」シリーズも、今回が最終回であります。自分でも完全に忘れてたくらいなんで、誰も覚えておられないと思いますが、その第1回冒頭に、このようなことを書いてます。

 日本語には有害な微生物を指す「ばい菌」という便利な言葉がある。ばい菌の黴はなかなかにおどろおどろしい字だが「かび」のことなので、黴菌というのは、「かびや細菌などの有害な微生物の俗称(広辞苑)」ということになる。この定義でいくと、ウイルスは黴菌にもいれてもらえない。

 ウイルスというのは、微妙な「生き物」です。DNAあるいはRNAを遺伝物質に持っていて、その周りをタンパク質の殻で囲まれているだけなのですから。細胞を利用せずに単独で生き続けることはできませんし、その反面、鉱物のように結晶化することが可能です。生物と非生物の中間のような存在なのです。

 では、いったい生物ってなんでしょう? 「なまもの」じゃなくて、「いきもの」。書いてあるとおり、生きている物だが、何をもって生きていると言えるのでしょう。いささか哲学めいた命題ですが、一般的には、自己増殖、代謝、(細胞膜による)外界との境界、の三つがその性質としてあげられています。
 ウイルスは、細胞の力を借りると自己増殖できますが、代謝する能力はありません。外界との境界は一応ありますが、膜はありません。

 なので、ウイルスが生物かどうかということについては、意見が分かれるのであります。遺伝情報の維持に重きを置く人は、ウイルスは生物であると考えます。三拍子そろわないとだめという人は、生物ではないと考えるのです。まぁ、どっちでもええっちゅうたらええことなんですけど。



 今回は抗ウイルス薬、ウイルスをやっつけてくれるお薬の話である。
「黴菌との闘い その2」に書いたように、細菌をやっつける抗菌剤が最初に登場したのがおよそ100年前、それから約10年遅れて抗生物質が発見された。それに対して、抗ウイルス薬の歴史はおおよそ50年と短い。
 しかし、わたしが医学生だったころ、たかだか40年前に、ようやく本当に効果のある抗ウイルス薬が開発され始めたにすぎないことを考えると、その進歩たるや猛烈な勢いである。

 抗ウイルス薬には、細菌や真菌、寄生虫に対するお薬と大きな違いがある。後者は、ほとんどの場合、けっこう広い領域、すなわち、似た種類の細菌や真菌、寄生虫を攻撃することができる。
 それに対して、抗ウイルス薬は、特異性が非常に高い。ヘルペスならヘルペス、インフルエンザウイルスならインフルエンザウイルス、というように、あるお薬はある特定のウイルスにしか効果がないのだ。

 ウイルスが持っている遺伝子の数というのは非常に少ない。すなわち、ウイルス特有のタンパク質の種類も少ない、ということである。だから、いろいろなウイルスに共通のターゲットがあまりないので、固有の抗ウイルス薬が必要になる。
 しかし一方で、ウイルスは遺伝子の数が少ないので、その感染や増殖を抑えるためのターゲットを絞りこみやすいという利点もある。

ヘルペスの脅威を抑える「アシクロビル」

 今はワクチンの定期接種がおこなわれるようになって激減しているが、ひと昔前までは、子どもというのは、水疱瘡(水痘)に罹ったものである。また、口唇ヘルペスを経験したことのある人も多いだろう。
 水疱瘡は水痘・帯状疱疹ウイルス、口唇ヘルペスは単純ヘルペス、と、少し違うが、いずれもヘルペスウイルスによって発症する病気である。

 最初に登場した画期的な抗ウイルス薬は、アシクロビルという、ヘルペスに対するお薬だ。30年ほど前、まだお医者さんをしていた時代、血液内科で白血病の患者さんを受け持っていた。ちょうどその頃、アシクロビルの臨床治験がはじまった。白血病に対して抗がん剤を投与すると、患者さんの免疫能は著しく低下する。健康な人ならヘルペス感染は自然におさまっていくが、こういう患者さんの場合は死に至ることもある。

 お薬の治験というのは、一般的に「二重盲検法」がとられる。実際に効果がある薬と、見かけは同じであるが効果のない薬である偽薬を用意する。そして、患者さんをくじ引きでランダムに振り分けて、どちらかを投与する。そのとき、投与する医師には、本当のお薬か偽薬かは知らされない。そうすることによって、先入観なしで薬効を判断することができるという手はずになっている。

 受け持っていた白血病の患者さんがヘルペスに感染した。命取りになりかねない。発売前であったアシクロビルの治験に参加した。効果は絶大だった。ヘルペス感染は広がるどころか、水疱がすぐに小さくなっていった。運良く、偽薬でなく、ほんとうのお薬にあたったのだ。あのときほど、くじ運と医学の進歩に感謝したことはない。

アシクロビルが効く原理

 では、アシクロビルはどのようにして効果を発揮するのだろう。ちょいと難しいけど、説明してみよう。細胞の遺伝情報はDNAという核酸に蓄えられていて、そのDNAというのは、A(アデニン)、C(シトシン)、G(グアニン)、T(チミン)という四つの塩基がつながってできている。そして、DNAは一本鎖ではなくて、AとT、CとGが対をなして、二本鎖の状態になっている。

 細胞が分裂するときには、前もってDNAが複製、すなわちひとつの二本鎖からふたつの二本鎖が作られる。でないと、細胞分裂の後、遺伝情報が元の半分になってしまって細胞は生きていけない。
 DNA複製では、まずDNAの二本鎖がほどける。そして、一本鎖になったDNAを鋳型にして、もう一方の鎖が合成されていき、再び二本鎖になる。そのとき、Aの向かい側にはT、Cの向かい側にはGというように、A、C、G、T、四つの塩基が取り込まれて、つなげられていく。こうすることによって、元と同じ二本鎖DNAが複製されるのである。

 アシクロビルは、このうちの“G”によく似た構造を持った薬剤だ。これもちょっとややこしいのだけれど、アシクロビルは、リン酸化という化学修飾をうけると、DNAが合成される時に、Gと間違えて取り込まれてしまう。
 しかし、似て非なる物質であるリン酸化されたアシクロビルは、DNA複製に取り込まれたら、そこで反応がストップしてしまう。その結果として、細胞は増殖できなくなるのである。

 ん? それなら、どの細胞も増えなくなってしまう。そうすると、副作用が強すぎて、投与された人も死んでしまうのとちゃいますのん?と、賢い人は気づかれたかも。そうですよね、すべての細胞のDNA合成がとまったら、細胞が分裂できなくなるから、死んでしまいますよね。ところが、であります。先に書いたリン酸化という過程がミソなのであります。

 リン酸化というのは、酵素によっておこなわれるのだが、その酵素は、ヒトの細胞には存在していなくて、ヘルペスウイルスだけが持っているのだ。だから、アシクロビルのリン酸化は、ヘルペスウイルスが感染した細胞でしかおこらない。
 なので、ヘルペスウイルスに感染した細胞でだけ、リン酸化アシクロビルによってDNAの複製がストップするが、感染していない細胞には影響がないのである。ウイルスは細胞の中でしか増えられないのであるから、細胞のDNA複製が止まるとヘルペスウイルスの増殖も止まって、感染が抑えられる、という段取りだ。ガッテンしていただけましたでしょうか。

 ほんとにうまいことできてますよね。もちろん、このようなお薬が一朝一夕にできたわけではありません。核酸の構成成分である塩基に似た物質、核酸アナログ、がお薬になるという強い信念で続けられた研究の結果なのであります。   
 その研究に従事し、アシクロビルやその他のお薬を開発したバローズ・ウェルカム(現グラクソ・スミスクライン)社のジョージ・ヒッチングス(1905〜1988)とガートルード・エリオン(1918〜1999)は「薬物療法における重要な原理の発見」で、1988年のノーベル生理学・医学賞を受賞しています。これだけ効くお薬を開発したんですから、当然ですよね。

HIVウイルスに対抗する「AZT」は日本人が見つけた

 核酸に似た構造を持った薬剤といえば、エイズを引きおこすウイルスであるヒト免疫不全ウイルス(HIV)に対する薬が有名だ。エイズ=後天性免疫不全症候群は、1981年にはじめて報告された疾患であり、1983年にその原因ウイルスとしてHIVが同定された。
 致死のウイルス感染症であったことから、その薬剤開発には多くの研究グループがしのぎを削った。考えてみたら恐ろしい研究である。実験中になんらかのトラブルでHIVに感染してしまったら命取りになる可能性があるのだから。

 そんな中、臨床応用が可能な初の抗エイズ薬を見つけたのは、アメリカで研究していた日本人研究者・満屋裕明先生(1950〜/国立国際医療研究センター臨床研究センター長)である。満屋先生は、研究ができるだけでなく、おしゃれでナイスなおっさんだ。縁あって、結構よく知っているのだけれど、いつお会いしても明るくて楽しい先生である。
 なんでも、昔、佐世保高校の先輩である小説家の村上龍と恋敵だったことがあるとか、いろんなおもろい逸話もある。こんなことを書くと、またナカノの奴はいらんことを言う、と叱られそうだけれど、まぁええでしょう。どうせこの文章なんか読まないだろうし。

 その薬AZT(アジドチミジン)も核酸アナログで、これはGではなくてTの誘導体である。AZTは抗がん剤として、やはりバローズ・ウェルカム社が作製していた薬物である。抗がん剤としては使い物にならず捨て置かれていたのを、満屋先生が抗HIV薬として掘り出されたのだ。細胞内においてリン酸化されたAZTが、ウイルスの増殖に必須な逆転写酵素という酵素を阻害するというのが作用機序だ。

 他にも、あまりにも高額なために問題となっているC型肝炎の特効薬も核酸アナログのひとつである。いやぁ、先に書いた、核酸に目を付けたヒッチングスとエリオンはほんまに偉かったっちゅうことがよくわかりますね。

 いまや、他のメカニズムの阻害剤も併用することによって、HIV感染症の治療が可能になっている。残念ながら、HIVを完全になくすには至っていないが、HIVの増殖を抑制し、エイズが発症するのを防ぐことは可能になったのである。実にすごいことだ。まったく未知の病気が、たった30年ほどの間に押さえ込めるようになったのである。ここは、無理矢理にでも感動を覚えてほしいところだ。

 いちばんなじみのある抗ウイルス薬といえば、インフルエンザウイルスに対するタミフルだろう。インフルエンザウイルスは、細胞の中で増えて、細胞の外へ放出され、次の細胞へと感染していく。細胞の外へ飛びだす時に必要なのがノイラミニダーゼという酵素で、タミフルは、その酵素の働きを阻害するお薬だ。だから、タミフルが作用すると、インフルエンザウイルスが細胞内に閉じ込められた状態になって、感染が拡大せず、終息に向かうのである。
 タミフルを服用したことがある人にはわかるだろうが、実に切れ味のいいお薬である。ちょっと語弊があるかもしれないが、ぐずぐずと長引く普通の風邪よりも、インフルエンザでタミフルを飲んで治した方が早く片が付くような印象さえある。もちろん、副作用の問題はあるけれども、相当に画期的な薬であることは間違いない。



 と、まぁ、このあたりで、大村智先生のノーベル賞受賞記念に始まった、病原体に対するお薬の話は終わりにします。病気を引きおこすいろいろな生物に対して、叡智をもって人類がいかに闘ってきたか、の一端がおわかりいただけていたら嬉しいところでございます。
 ちょうどいいタイミングで、この8月1日(月)から31日(水)まで、日本経済新聞の「私の履歴書」に大村先生の自伝が連載されているので、併せてお読みください。

 人類は、いろいろな病原体との「軍拡競争」を繰り広げてきたわけですが、この100年ほどは、衛生状態の向上や、医学の進歩による数多くの薬剤の開発で、人類がかなり優位にたっているように見えます。
 しかし、進化というのは恐ろしい。軍拡競争が反転して、薬剤耐性菌がどんどん増え、再び、結核などの細菌感染が人類の脅威になる日が来るのではないかと考える人もいます。
 未来の予測は難しいのですが、現在のことだけでなく、近未来のことも見据えて考えて薬剤を使わないとだめなことだけは間違いなさそうです。

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