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仲野 徹

仲野 徹/大阪大学大学院医学系研究科教授

大阪が生んだ「世界一おもろい生命科学者」が、みんな知ってるようで意外に知らない「カラダと健康」についてフレンドリーな語り口で明らかにしていきます。

第15回 黴菌との闘い(その2)

 前回は、ウイルスやら細菌やらという微生物とはどういった「生き物」なのか、それに対してどのような防御機構が進化してきたのか、そして、その研究の歴史を簡単に紹介したのでございます。
 なんだかずいぶん昔のような気がいたしますが、大村智先生のノーベル賞ご受賞を記念して書き始めたものでございます。しかし、結局、そこまでお話を進めることができませんでした。
 いよいよ、と言いたいところではございますが、今回の『黴菌との闘い』第2回目は、抗菌剤の開発、抗生物質の発見についてでございます。ただし、はっきりいうときますが、むちゃくちゃ勉強になります!


ドーマクが発見した「プロントジル」

 病原微生物を特異的にやっつけるような「魔法の弾丸」があるという独創的な発想に基づいて、プロシアのエールリッヒと日本人留学生・秦佐八郎が、1910年に梅毒のお薬・サルバルサンを発見したところまでは前回に書いたとおり。その発想でどんどんお薬が見つかっていった。という訳ではなく、20年以上の間、まったく成果はなし。

 ビギナーズラックにすぎなかったのではないかという落胆の中、ドイツの化学会社であるIG・ファルベンだけはあきらめなかった。さすが、ドイツ人はしつこい。そういえば、エールリッヒは、研究には4つのG(Gedult 忍耐、Geschick 技能、Glück 幸運、Geld 資金、ドイツ語です)が必要だと語っていて、ひとつめは忍耐なのである。余談になるけれど、この会社は、ドイツの化学企業が合併して作られた巨大企業であり、その前身は第一世界大戦において毒ガスを製造していたし、その子会社が強制収容所において使われた毒ガスを製造した、という、ちょいといわくつきの会社である。

 第一次世界大戦は大量殺戮兵器がはじめて登場した戦争であった。膠着した戦線において多くの負傷者が出たことはいうまでもない。当然のように感染が生じ、それによって亡くなっていく兵士も多かった。なにしろ、感染症に対する薬剤は何一つなく、消毒するしかなかったのである。ドイツの衛生兵であったゲルハルト・ドーマクも、そのような兵士をたくさん見ていた。そして、戦争の後、病理医となったドーマクは、IG・ファルベン社において連鎖球菌--扁桃腺炎やケガのあとに膿んだりする時の原因になる菌--に対する魔法の弾丸の研究に携わることになる。

 化学者チームが次々と合成する化合物を、自らが作り上げたスクリーニングシステムで片っ端から調べていくドーマク。そして四つのGが実った。「プロントジル」という化合物が著効を示すことを発見したのだ。そのプロントジルを基礎にして開発された一連の抗菌剤は、抗菌活性を持つ部位に硫黄(英語ではサルファ)分子があるため、サルファ剤と呼ばれるようになった。

 ドーマクは1939年に「プロントジルの抗菌効果の発見」でノーベル賞に輝く。サルファ剤はどれだけの人命を救ったか数えしれない。それに、抗菌剤だけでなく、それまで、これほどに効く薬剤など皆無に近かったのであるから、当然だろう。しかし、いまやサルファ剤という名はほとんど知られていない。それは、後で書くように、耐性ができやすい、という弱点があったためなのだ。

 いまさらであるが、抗生物質とは何か、である。読むと、生き物--といっても主として微生物--に対して効果をあらわす、すなわち、殺したり増殖を止めたりする物質かという印象だろう。しかし、その定義はもう少し細かくて「かびや放線菌・細菌によって作られ、他の微生物を抑制し、または制癌作用を持つ物質。(広辞苑)」である。だから、サルファ剤のように化学合成によって作られたものは、抗菌剤ではあるけれど、抗生物質とはいいません。で、ようやく抗生物質のお話にはいっていきまする。


「鼻汁」と「青カビ」がフレミングに微笑む

 いうまでもなく、最初に抗生物質を発見したのはイギリスの医師、アレクサンダー・フレミングだ。実用化は、サルファ剤よりもペニシリンの方がはるかに遅かったので、なんとなく、ドーマクの方がフレミングより年長だろうという気がしたけれど、実際にはドーマクが1895年生まれでフレミングが1881年生まれ。ドーマクの方が一回り以上も若い。
 これも余談になるが、第二次世界大戦中の1943年、肺炎にかかったウィンストン・チャーチルをペニシリンが救った、と語り継がれているのは誤りである。なぜか誤報が世界を駆け巡ったらしいのだが、実際に使われたのは、敵国ドイツで開発されたサルファ剤である。

 ドーマクが努力型であるのに対して、フレミングは天才型といっていいだろう。第一次世界大戦に医師として従軍したフレミングは、戦場で外傷による敗血症--全身性の感染症--により亡くなっていく戦士を数多く経験した。当時は消毒薬を使うしかなかったのであるが、消毒薬による処理は、細菌を殺すよりも、むしろ体の持つ抵抗力をなくすのではないかと考えるようになっていた。

 戦争後、研究を始めたフレミングは、ある日、細菌培養をするペトリ皿の上に、うっかりと鼻汁をたらした。すると、その場所にだけ細菌がはえなかった、すなわち、細菌の成長が抑えられたのだ。鼻汁だけでなく、涙、唾液、母乳などにもそのような物質が存在し、細菌を溶かす(lysis)させる酵素(enzyme)があったことを発見し、lysozyme(英語ではライソザイム、ドイツ語ではリゾチーム)と名付けた。

 いわば、フレミングが予想したように、体が細菌に対する抵抗性を示す酵素である。残念ながら、リゾチームの活性はそれほど強くないので、薬剤として使うことはできなかった。しかし、大発見であることは間違いない。そして、再度、科学の女神はフレミングに微笑みかけることになる。

 リゾチームの論文から6年後、1928年の9月3日、夏期休暇から戻ったフレミングは、休み前にほったらかしにしておいたペトリ皿を片付けようとした時に、奇妙な現象を発見する。一枚のペトリ皿にカビが落ちていて、その周囲には細菌が生えていなかったのだ。「なんやおかしいなことがおきとるなぁ」というフレミングに、助手が「リゾチームを発見した時とおんなじやおまへんか」と答えたという。

 あるものを探している時、偶然に予想外のものを発見するのをセレンディピティーという。同じ人に、同工異曲としか言いようのない偶然が二度も生じるというのは、かなりの驚きである。と考えるのが普通かもしれない。けれど、ひょっとすると、培養皿に鼻汁をたらしたり、カビを生えさせてしまうようなことは、結構な頻度でおきているような気もする。それを二度も見逃さなかったフレミングがえらかったのだ、という方が正しいのとちゃいますやろか。

 生えていたのが青カビ(学名がペニシリウム)だったので、細菌をやっつける物質にペニシリンという名前をつけて発表した。が、ほとんど興味をひかなかった。いちばんの理由は、大量生産できなかったことだ。しかし、1940年、フローリーとチェインがペニシリンを単離し、大量生産への道をひらく。そして、ノルマンディー上陸作戦までには、連合国にあまねく使えるようにいきわたった。日本でも、論文に基づいて陸軍軍医学校が「碧素」として1944年に精製したが、大量生産にいたる前に終戦となった。ま、あたりまえですかね。
 もちろんフレミングもノーベル賞に輝いている。この「ペニシリンの発見、および種々の伝染病に対するその治療効果の発見」による受賞は、フローリー、チェインとの共同受賞だ。発見だけではなくて、大量生産がいかに重要であったことを物語っている。この受賞は1945年、ドーマクよりも7年後だ。ただし、ナチスはドイツ人のノーベル賞受賞を禁じていたので、実際にドーマクが受賞したのは1947年、フレミングより2年後のことである。
 ちょっと小難しいことをいうと、ペニシリンは、細菌の細胞壁の主要成分であるペプチドグリカンの合成を阻害する。動物の細胞には細胞壁などないので、細菌だけを選択的にやっつける魔法の弾丸たりえるのだ。ついでに言っておくと、サルファ剤は、細菌における葉酸の代謝を阻害することにより、増殖を抑えるのである。


新たな伏兵—耐性菌の出現

 以後、おびただしい数の抗生物質や化学合成による抗菌剤が開発されていった。その結果、一時は、細菌感染症はほぼ克服できるのではないかと考えられるまでになった。しかし、そう甘くはなかった。いろいろな耐性菌--抗生物質や抗菌剤が効かない細菌--が出現してきたのだ。
 細菌というのは、増殖速度がものすごく速い。分子生物学の研究でよく使われる大腸菌は、最適な条件だと、およそ20分に一回分裂するから、一時間で8倍になる。実際にそこまではいかないが、計算上は、一日で8の24乗、おおよそ500垓(垓=がいは1兆の1億倍)という、どれくらいたくさんかわからないくらいの数に増えることができるほどだ。

 分裂するたびに、細菌には一定の頻度で突然変異がはいる。もちろん、生きていくのに困る突然変異が多いのだけれど、中には薬剤に対する耐性をもつ突然変異がはいることもある。サルファ剤に対する耐性はそういったメカニズムで獲得されている。サルファ剤のように構造が単純な薬剤には、耐性ができやすい。
 ペニシリンの耐性は、ペニシリンの構造を破壊する酵素によるものだ。そのような薬剤耐性の遺伝子は、こまったことに、プラスミドという小さな輪っか状のDNAに乗っかって、細菌から細菌へと移りわたることができてしまう。人類が全知全能をかけて抗生物質や抗菌剤を開発しても、細菌の突然変異と薬剤耐性伝播には勝てそうにないのである。

 院内感染のニュースでときどき見かけるMRSAというのは、正式名称をメチシリン抵抗性黄色ブドウ球菌という薬剤耐性細菌の一種である。名前が示すように、ペニシリンのお友だちであるメチシリンに耐性を持つ細菌だ。MRSAはメチシリンだけでなく、他の抗生物質にも抵抗性を持つ多剤抵抗であり、治療が難しいのである。

 20世紀の初めには死因の2位であった結核であるが、多剤併用療法によって治癒しうる病気になった。しかし、その結核にも耐性菌、それも多剤耐性菌が見つかっており、なかには、化学療法がほとんど効かないような結核菌もある。昔とちがって栄養状態や衛生環境がよくなっているので、爆発的に流行するようなことはないだろうけれど、ちょっと怖い話ではある。
 寒いロシアの刑務所では結核罹患率が高く、さらには不十分な治療がおこなわれている可能性があり、それが多剤耐性結核の温床となっているのではないかともいわれている。寒いところなのに温床とはこれいかに、とか冗談を言うてる場合ではありまへんな。

 結核だけではなく、効くはずの抗生物質が効かなくなると、当然、困ったことになる。多くの場合は、中途半端な抗生物質投与によって薬剤耐性が生じると考えられている。だから、不要な抗生剤の投与などは避けるべきなのだ。風邪で抗生剤を処方されたりすることもあるが、風邪はウイルスによって引き起こされるものなのだから、抗生物質など効きはしない。それどころか、中途半端な投与になって、耐性菌を作ることにもなりかねない。他にも、牛や鶏などの飼料として漫然と与え続けることも原因になるのではないかとされている。
 
 抗菌剤や抗生物質が効かない細菌だらけの世の中というのは、そら恐ろしい。ドーマク以前の時代にもどってしまうのだ。そうならないように、こういったお薬はきちんと使うことが大事である。細菌が死滅しきるまで服薬すること、自覚症状がなくなったとしても、お医者さんがもうやめてよろし、というまできちんと薬を使うことが重要なのである。

 ということで、今回は、細菌感染に対して、どのようにして薬剤が開発されてきたか、そして、そのような薬剤によって細菌感染症は克服されるかのように見えたが、耐性菌の出現という新たな問題ができてきた、というお話をいたしました。
 
 えっと……ということで、今回も大村智先生のお話にまでいたりませんでした。すみません。
 次回は、抗ウイルス剤の話と、いよいよ、ノーベル賞の対象となったイベルメクチンなど、抗原虫剤のお話をする予定でございますので、何卒ごかんべんのほど。

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