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仲野 徹

仲野 徹/大阪大学大学院医学系研究科教授

大阪が生んだ「世界一おもろい生命科学者」が、みんな知ってるようで意外に知らない「カラダと健康」についてフレンドリーな語り口で明らかにしていきます。

第14回 黴菌との闘い

序 ウイルスは「ばい菌」にあらず

 今年のノーベル医学生理学賞、ご存じのとおり、大村智先生がご受賞になられた。米国のキャンベル教授との共同受賞で、その理由は「寄生虫による感染病に対する新しい治療法の発見」。イベルメクチンをはじめとする抗生物質の発見だ。

 感染症を引き起こす『生物』には、いろいろなものがある。小さい順でいうと、ウイルス、ついで細菌、それから、水虫をおこす白癬菌のような真菌、マラリアといった原虫。そして、フィラリアや回虫など、目で見えるような寄生虫である。

 日本語には有害な微生物を指す「ばい菌」という便利な言葉がある。ばい菌の「黴」はなかなかにおどろおどろしい字だが「かび」のことなので、黴菌というのは、「かびや細菌などの有害な微生物の俗称(広辞苑)」ということになる。この定義でいくと、ウイルスは黴菌にもいれてもらえない。

 ウイルスが発見されたのは、たかだか100年前。ものすごく小さくて、細菌を濾過するための器具を通り抜けることができる、というので、最初は「濾過性病原体」と呼ばれていた。あまりに小さいので、普通の顕微鏡でなく、電子顕微鏡でしか見ることができない「生物」だ。

 かっこつきで「生物」と書いたのには理由がある。ウイルスは、それだけでは生き続けることができず、他の生物の細胞に寄生して増殖する必要があるのだ。ほかにも、鉱物みたいに結晶構造をとることができるなど、生き物ではないような性質を持っているので、ウイルスは生物と非生物の中間と考える人もいる。

 細菌となると、誰が何と言おうと、ちゃんとした生き物である。ただし、動植物の細胞が核のある「真核生物」であるのに対して、細菌は核を持たない「原核細胞」である。リケッチアやマイコプラズマというのも細菌の一種である。ツツガムシ病などをひきおこすリケッチアは、細胞だけれど、ウイルスと同じように、他の細胞に寄生しないと増殖できない。結核などの原因になるマイコプラズマはもう少し上等で、自分だけで生きていける細胞のうちで最小のものだ。

 それに対して、原虫と真菌は、単細胞ではあるが、ちゃんと核をもった真核生物。そして、寄生虫は多細胞の真核生物で、サナダムシなんぞになると10メートルにも達する、えらく大きいやつまでいたりするのだ。

太古から続いていた闘い

 と、まぁ、ここまでが基礎中の基礎知識。いまでこそ、生活環境が清潔になっているし、予防やお薬による治療も可能になっているから、エボラ出血熱のような特殊な場合を除いて、感染症でバタバタと人が死ぬようなことは希になった。
 しかし、人類は、これらの病原性生物と戦い続けてきたのである。というと、抗生物質の開発を思い浮かべる方が多いかもしれないが、実際の闘いは、はるか昔からおこなわれてきたのだ。

 聞き慣れない名前だが、サラセミアとか鎌状赤血球貧血という遺伝性の貧血がある。ヘモグロビンは赤血球の中にぎっしり詰まっていて、酸素を体のすみずみまで運んでくれる。サラセミアも鎌状赤血球貧血も、そのヘモグロビンを構成するグロビン蛋白の遺伝子に突然変異があるために生じる疾患である。

 日本で耳にすることはめったにないのは、これらの遺伝性貧血は、アフリカや地中海沿岸など、マラリア流行地域出身の人たちだけに認められるからだ。その原因となる突然変異は劣性遺伝なので、一対ある遺伝子のうち両方に突然変異があると貧血になるが、片方だけだと何ら問題がない。そして、片方にだけ突然変異があると、ある程度マラリアにかかりにくくなるというメリットがあるのだろうと考えられている。
 だから、サラセミアや鎌状赤血球貧血という犠牲を払いながらも、これらの変異遺伝子は、マラリア感染地域でだけ進化的に残ってきたのだ。いってみれば、人類がマラリアの防御策として身につけた突然変異なのだ。

 我々の体は、免疫反応によって異物を攻撃することができる。その免疫反応は、病原微生物に対処できるように適応・進化してきたものだ。たとえば、インカやアステカといった中南米の文明が滅んだのは、武器によるよりも、天然痘の爆発的な感染の方がはるかに大きな要因だった。天然痘によってどうしてそんな大惨事が引き起こされたかというと、スペイン人がやってくるまでそれに対する備えがなされていなかったということなのである。

 こういった感染症に対する防御機構は、人類が誕生するはるか以前から、何億年という気の遠くなるような歳月をかけて進化してきた。それに比べると、薬剤による感染症に対する攻撃など、ごく最近に始まったものにすぎない。

 感染症の記載は、メソポタミアやエジプト、中国といった紀元前10世紀ころの古代文明で認められる。しかし、ずっと長い間、それらは何らかの厄災と考えられていた。おそらく伝染性であろうということがわかるには、11世紀、イスラム世界が生み出した最高の知識人イブン・スィーナーを待たねばならなかった。

「微生物」に原因を特定する大発見

 伝染性がわかったといっても、その原因が明らかになったわけではない。細菌のような微生物が「見える」ようになったのは、17世紀、レーウェンフックがオランダのデルフトで顕微鏡を発明してからのことである。レーウェンフックは、池の水などに、小さな生き物=微生物がいることを見つけた。しかし、それが病気と関係する可能性など誰も考えなかった。微生物が病気を引き起こすことがわかったのは、さらに200年も後のことだ。

 そこで大活躍するのが、ご存じフランスのルイ・パスツールとドイツのロベルト・コッホ。今となっては、それまで誰も思いついて確かめなかったのが不思議なくらいなのだが、微生物が伝染病の原因ではないかと考えて研究を進めたのがパスツール。そして、炭疽菌でそれを最初に証明したのがコッホだ。

 以後、続々と感染症を引き起こす細菌が発見されるようになる。ちなみに、コッホは結核菌の発見でノーベル医学・生理学賞を受賞している。このあたりの話は『微生物の狩人(岩波文庫)』に詳しい。
 著者は、野口英世と同じ頃に、同じロックフェラー研究所にいたポール・ド・クライフ。研究者としては大成しなかったけれど、この名著に名前を残している。この岩波文庫の本、長らく絶版となっていたのが再版されたので、興味のある人はぜひお読みいただきたい。むっちゃおもろいです。

「日本の偉人」野口英世の限界

 ついでに言うと、野口英世は、いわば遅れてやってきた微生物の狩人であった。他の人には見えなくても自分には見える、というほどの、ちょっと困った信念を持った野口は、黄熱病をひきおこす細菌を見つけたと、多くの論文で大々的に発表するが、完全な誤りであった。後にわかったように、黄熱病はウイルスによって引き起こされる疾患だったのだから。

 残念ながら、今では、野口の業績のほとんどが否定されている。もちろん、すべてが誤っていた訳ではない。進行性麻痺と呼ばれていた脳疾患が脳梅毒、すなわち梅毒の進行したものであるという発見は画期的なものであった。しかし、全体としては、病原体としてのウイルスを十分に理解せず、時代に乗り遅れた研究者という感は否めない。

 ついでに付け加えておくと、野口自身、亡くなった時には、かなり進行した梅毒患者であった。研究テーマであった黄熱病に感染して殉死したように信じられているが、そうではなくて、梅毒性の血管障害が直接の死亡原因ではなかったとする説もある。いずれにしても、渡米する前に梅毒に感染していたことは確実なようだ。野口英世、お札にふさわしいかどうか、微妙である。

19世紀ドイツの「魔法の弾丸」以後

 パウル・エールリッヒは、医学史上もっとも着想力にとんだ科学者といっていいかもしれない。19世紀の後半、重化学工業が盛んであったプロイセンで、いろいろな色素で染色することにより、血液細胞を分類する方法を開発した。栴檀は双葉より芳し、まだ20代のころの業績である。その実力を認められて、すでに大家となっていたコッホの弟子になり、抗体についての研究でノーベル医学・生理学賞を受賞する。

 ある種の色素が特定の細胞や病原微生物だけを染めることを発見したエールリッヒの思考は次元を越える。病原微生物にのみ結合して、その病原微生物を選択的に殺す物質を見つけることができさえすれば、感染症を治療できるのではないか、と。そして、そのような物質を『魔法の弾丸』と名付けた。

 その仮説に基づいて梅毒の治療薬のスクリーニングをおこない、特効薬、606号ことサルバルサンを見つけ出す。この薬は、ペニシリンが使われるようになるまで、駆梅薬(梅毒の治療薬)として広く用いられていた。サルバルサンの発見では、当時、エールリッヒの研究室に留学していた、北里柴三郎の弟子である秦佐八郎が大活躍したことはよく知られているところだ。

 どうでもいいことではあるが、かつては黴毒の字があてられていた梅毒は、天然痘が旧大陸から新大陸へと持ち込まれたのとは逆に、新大陸からコロンブスたちが持ち帰ったとされている。天然痘のように、すぐに命にかかわる病気ではないが、その伝播速度は速かった。アメリカ大陸発見の翌年、1493年にはバルセロナで流行、1495年にはナポリで大流行。日本での最初の記録は鉄砲伝来よりも早くて1512年。当時の交通事情を考えるとすごいスピードだ。性病かくも恐るべし…

 サルバルサン以後、続々と『魔法の弾丸』が見つかっていった。というほど、話はうまく進まない。それから20年、多くの人による多大な努力にもかかわらず、まったくそのような薬剤は開発されなかった。そして、『魔法の弾丸』というアイデアが捨て去られようかという時、ドイツ人ゲルハルト・ドーマクによって開発されたのが、サルファ剤とよばれる抗菌薬である。第二次世界大戦のころ、多くの人命を救ったサルファ剤であったが、薬剤耐性が出やすいなどの欠点があり、抗生物質へとその座を譲っていくことになる。



 抗生物質の話を書こうと思って書き始めたのに、抗生物質前史で終わってしまいました。えらいすんません。
 浪曲じゃないけれど「ちょうどぉ時間となりましたぁ~、この続きは次の回、同じ場所でといたします~」ということでご勘弁をば。

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