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仲野 徹

仲野 徹/大阪大学大学院医学系研究科教授

大阪が生んだ「世界一おもろい生命科学者」が、みんな知ってるようで意外に知らない「カラダと健康」についてフレンドリーな語り口で明らかにしていきます。

第26回 命の値段

 本庶佑先生のノーベル賞、誠におめでたいことです。平成2年(1990)の10月から5年足らずの間、京都大学大学院医学研究科の本庶研究室で、助手から講師として在籍していました。なので、不肖とはいえ、正真正銘の直弟子なのであります。<(`^´)>エッヘン。

 さすがはノーベル賞です。弟子にまで、おめでとうございますと、実にたくさんの方から言っていただいております。もちろん、ありがとうございます、とおこたえしています。ようわかりませんけど、師匠に慶事があったのですから、それでええんでしょうね。
 個人的には、自力とはまったく関係ないけど、ノーベル賞受賞者の弟子に格上げされたわけで、やっぱりうれしいことであります。

 この10月から、月1回「茶屋町駄談会」と題した鼎談会をはじめてます。放送作家の東野ひであきさんの発案で、MBS毎日放送の西靖アナと3人で、役に立たないどうでもええことをうだうだと話し続けるという、ゆるゆるの会です。その第1回がノーベル生理学医学賞の発表日で、スタンバイ中にひょっとしてと思ってツイッターを見たら、ご受賞のニュースが。

 もらわれる可能性がけっこうあるのはわかっていましたけど、それがいつかは予想のしようがありません。それに、こういうのだけは下駄をはくまでわかりません。ノーベル賞の前哨戦ともいわれる米国のラスカー賞では、どうしてかわかりませんが、今回いっしょにノーベル賞を受賞されたジェームズ・アリソン博士だけで、本庶先生は選ばれませんでした。

 まさかノーベル賞ではそんなことなかろうと思ってましたけれど、万が一そんなことになったらどないしてくれんねん、という気持ちもありました。あまりに嬉しくて、「駄談会」では、つい、ここには書けないようなエピソードまでお話ししてしまいました。

 早速、マスコミ何社かから携帯に電話がありました。日経新聞からは、以前にもらったコメントを載せたいのですがよろしいか、とのこと。はいはい、もちろんオッケーですけど、どんなことを言うてましたっけ、と念のために尋ねたら、

“研究では厳しい指導でも知られた。「とにかく厳しい。弟子はみな『一日も早く辞めたい』と思っていた」”

 というところを使いたいという。微妙やんか……。悪く言うてるようにもとられかねないじゃあ~りませんか。

「ちょっとそれだけではよろしくないような気もいたしますんで、記事にするのなら、ちゃんとバランスをとってくださいね」とお願いした。

 翌日の朝刊社会面には300字ほどの短い記事が出ました。冒頭が上記のコメントで、最後はとってつけたかのように、
“研究を離れると厳しさとは違った一面も。「面倒見がよく、弟子から慕われる存在だった」”
 と結ばれてました。う~ん、バランスとれてますやろうか。まだちょっと足らんような気がするんですけど。


 厳しかったのは事実で、今なら、アカハラとかパワハラとかに認定されかねないというてもええでしょう。しかし、時代が違います。当時は、そんな研究室は山ほどありました。かくいうわたしもずいぶんと厳しくて、大学院生とかに恐れられてましたから、たぶん今ならアウトです。

 しかし、本庶研のメンバーには救いがありました。というのも、隣の故・沼正作教授(ぬま・しょうさく/1929〜92)の方がはるかに厳しかったからです。
 ネット検索をしていたら、「沼研の伝説的なエピソード」というホームページ(http://scienceandtechnology.jp/archives/9655)を発見しました。興味のある人は読んでみてください。あまりのことに、コントみたいに思えて、笑ってしまわれるかもしれません。

 本庶先生はここまで厳しくありませんでした。それどころか、取材を受けながら記憶をたどってみても、どう厳しく指導されたかがよく思い出せないのです。あまりに辛かったので、無意識のうちに記憶から消し去ったという可能性がなくはありませんが、少なくとも、わたしの記憶では、細かく指図されたことはほとんどありません。

 研究の方向性についての指導(あるいは注文付け)などはされますが、あとは、スタッフや大学院生たちが、いい研究をしなければならない、というプレッシャーを自らにかけて、日夜精進、切磋琢磨しいていたような印象です。そういう雰囲気の研究室が自ずとできあがっていた、というのが正しいところでしょうか。先代の故・早石修先生(はやいし・おさむ/1920〜2015)から続いた、さすが日本を代表する一流研究室でした。


 しかし、そのプレッシャーはきついものでした。本庶研に参加してからの2年ほど、まったくデータがなかったときは、鬱状態に近く、研究をやめようと何度思ったかわかりません。しかし、やめたらそこでおしまいです。研究成果が出てないのですから、辞めても、次に雇ってくれるところなどありません。

 辞めるためには、いい研究をしなければならないのです。そのことがまたプレッシャーになって、というように、プレッシャーがどんどん大きくなっていきました。押しつぶされる前に、幸運に恵まれていい研究成果が出始めたからいいものの、いやはや、やっぱり厳しかったですわ。そのころの思い出は、ずいぶん前ですがブログに書いたことがあります。あまりおもろいというような話ではありませんが、ご興味があればこちらをば。
http://www.fbs.osaka-u.ac.jp/labs/nakano/essay_006.html

 40~50人もが研究していたのです。運・不運もあれば、向き不向きもあります。それぞれの努力の度合いも違います。だから、必ずしも、全員がいい業績をあげてハッピーに研究室を出て行けたわけではありません。
 しかし、研究とは、そして、一流の研究室とはそういうものだと割り切らなければしゃあないのです。そういったことも、しっかりとたっぷりと学ばせてもらいました。

 ちょうど鬱状態だったころに、PD-1の遺伝子がクローニングされました。まったく機能がわからなかった遺伝子が、がんの画期的な免疫療法の礎となったのですから、世の中わからんもんです。オプジーボの作用機序とかは、あちこちで紹介されてますし、ほかでも書きました(http://s-scrap.com/2740 など)ので、ここでは割愛します。

 オプジーボも含め、特定の分子をターゲットにして、その機能を制御——多くの場合は阻害——するお薬を分子標的薬といいます。いまではたくさんありますが、その歴史は長いものではなくて、たかだか20年ほどです。その開発基盤は生命科学の進歩。自分が貢献した訳ではありませんが、ちょっと誇らしげに書いてみました。

 従来のお薬に比べると特異性が高いので、正常な細胞に及ぼす影響が少ない、すなわち、副作用が少ない、という利点があります。ただし、ひとつ大きな問題があります。それは価格です。オプジーボは保険適用された当初、年間1人あたり3,500万円でした。8月に3回目の値下げがおこなわれ1,090万円に下がったとはいえ、まだ高額です。


 イメージとして、なんとなく、生命科学が進歩したので、それにつれて薬剤の開発費が下がってくるように思っておられないでしょうか。ナイーブにもわたしはそう思い込んでいました。ところが、現実は真逆なのです。

 1950年からの60年間、研究開発費10億ドルあたりの新薬の数を調べた人がいます。その結果、9年ごとに半分になっている。いいかえると、9年ごとに新薬開発のコストが倍々に増加していることがわかったのです。これって、すこし意外とは思われませんか。

 半導体の世界では、その集積率が18カ月で倍々になっていく、という有名な経験則があって、Moore(ムーア)の法則という名でよく知られています。それとは逆、ということで、新薬開発費の高騰はMooreを逆にして、Eroom(イールーム)の法則と呼ばれることもあります。

 ダイレクトではないとはいえ、開発費は薬価に繁栄されます。いつまでもという訳ではありませんが、これからも新薬は出続けますし、多くの分子標的薬の対象疾患である悪性腫瘍は、高齢化にともなってまだ増えていきます。

 こういったことから、日本の国民皆保険制度は、遠からず破綻するのではないかと考えられています。より正しくいうと、関係者は皆、そう確信しているはずです。もちろん、保険額や税金からの補填を増やせればいいのですが、それにはおのずと限界があります。

 ですから、何らかの制限をかける必要がでてきます。あの人はええ人やから保険適応とか、この人は悪人やから保険適応外、とかは、おもろそうな気もしますが、そんなもの公平に決めようがありません。

 どうなるか、というと、おそらく、お金と年齢しか線引きをできる尺度はなさそうな気がします。そんなことけしからんと思われるかもしれませんが、他にやりようがあるでしょうか? こういった議論は日本人のメンタリティーに合いにくいとは思いますが、ちゃんと議論しとかんと、とんでもないことになってしまいます。


 諸外国では、お金、もう少し詳しくいうと、医療の費用対効果が真剣に検討されています。ひとりの人間の健康な1年を「質調整生存年(QALY)」といいます。完全に健康な1年が1QALYで、40%健康な人だと2.5年が1QALYです。しかし、何%健康とかいうのって、割り出すのが難しそうですけどねぇ。

 そして、1QALY伸ばすために必要なコストを「増分費用効果費(ICER)」といいます。さて、ICERはどれくらいだと思われるでしょう。「アホなことを聞くなっ。人命は地球よりも重いんやぞっ!」とお怒りの方もおられるかとは存じますが、とりあえず考えてみてください。

 もちろん「適正価格」は、あってないようなもんです。こういったことの先進国である英国では、2,000ポンドから3,000ポンド、すなわち300万円からせいぜい500万円弱とされています。さて、あなたはこの金額を妥当だと思われるでしょうか。

 自分なりにICERについてはかなり厳しい考えを持っていたつもりですが、最初にそれを知った時、そんなに安いんか、と思いました。希少疾患とはいえ、保険収載されている治療薬には年間4千万円くらいかかるものもあるのです。なので、1~2千万円くらいかと想像してたのです。

 正直なところ、費用対効果とはいえ、命に値段なんかつけられるんか、という気がします。たぶん、そうではなくて、それくらいなら、制度として国がなんとかできますよ、という金額と考えるのが妥当なのでしょう。こういった制度が適用されると、それくらいの金額までは保険が支払われるけれど、それ以上は自己負担ということになるのでしょう。

 ここに、年齢による係数をかけて、ゆるやかに線引きすることも理屈の上では可能でしょう。しかし、それこそ、「年寄りには死ねというのか」という議論が巻き起こって、収拾が付かなくなるような気がします。

 オプジーボを中間点に、おめでたいお話からちょっと暗いめの話へと、どんでん返しみたいな展開になってしまいました。でも、後半の話題はむちゃくちゃ重要なことです。ぜひ、みなさんもいっぺん、自分の命の値段はどれくらいかと考えてみられてはどうでしょう。

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