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仲野 徹

仲野 徹/大阪大学大学院医学系研究科教授

大阪が生んだ「世界一おもろい生命科学者」が、みんな知ってるようで意外に知らない「カラダと健康」についてフレンドリーな語り口で明らかにしていきます。

第31回 『養生訓』を読んでみた
:その3

「『養生訓』を読んでみた」シリーズ、これまでの二回で第五巻までを紹介してきました。残すところあと三巻であります。

 第六巻は二つに分かれていて、「病を慎む」で病気の予防について、そして「医を択(えら)ぶ」で医師の選び方について、です。どうしてこの二つが一緒にされているのかはようわかりません。
 第七巻は「薬を用う」で薬の使い方。第八巻が「老を養う」と「幼を養う」で老人と小児の養生について、そしてさらに「鍼」と「灸法」についてのお話があって、おしまいです。

 この順に紹介すべきところではございますが、「医を択ぶ」は医学教育に通じるところもあって、えらくおもろいので、次回に詳しく紹介する所存にございます。ということで、今回は残り三巻のうち、「医を択ぶ」以外のところを読んでいきます。


「無病の時、病ある日のくるしみを常に思いやりて、風・寒・暑・湿の外邪をふせぎ、酒食・好色の内慾を節にし、身体の起臥動静をつつしめば病なし。」

 なにしろ病気にならないのがいちばん。そのためには、病気になったらつらいで、ということをいつも頭に思い浮かべて、予防に努めましょうと説いています。お酒、好色を慎めというのは、これまでの教え通りです。まことにおっしゃるとおり。とはいえ、たとえわかっていても、そう振る舞えないのが人間の業(ごう)であることは行動経済学の教えるところであります。

 行動経済学とは、「経済学の数学モデルに心理学的に観察された事実を取り入れていく研究手法(ウィキペディア)」で、人間は合理的な行動をとるという前提に立った古典的経済学と違って、心理学のエビデンスを入れた理論で解釈していきましょうという考え方です。まぁ、ひとことでいえば、人間っちゅうのは、理屈ではわかってても、必ずしもそのとおりには行動しませんのや、について研究する学問といったところでしょうか。

 その行動経済学に「現在志向バイアス」という用語があります。将来の利益よりも目先の利益を優先してしまう心理のことです。肥満していたら生活習慣病のリスクがあがるのに、なかなか節制できない、とかいうのもこれにあたります。こういったことがあるので、なんぼ病気のことを考えても節制は難しいでしょう。まぁ、貝原益軒先生は儒教の精神を貴び厳しい生活をものともしない感じですから、ご本人はやっておられたのかもしれませんが。

 いくら節制しても、まったく病気にならないなどということは不可能やし。とか言いたい気もしないではありません。が、節制は間違いなく好ましいことであります。しかし、たとえそれがわかっていても、病気のつらさをイメージして節制するというのはちょっとイヤですわなぁ。なんか、こう、もっと爽やかに楽しく節制したくなる方法とかあったらええんですけど、思いつきません。スンマセン。


 病気のことなどあまりわかっていなかった時代なので、個々の病気について詳しく書かれているわけではありません。それでも「中風」は例外的に結構きちんと取り上げられています。

 ちゅうぶ、ちゅうふう、ちゅうふ、とかいろいろな呼び方があるようですが、大阪では、というか、すくなくとも我が家では昔「ちゅうぶ」と言うてました。最近はめっきり聞かなくなりましたが、「あそこのおばあさんはちゅうぶで」とか、年寄りがよう言うてましたわ。

 いまでいうところの脳卒中です。どうして中風というのか知りませんでしたが、「中風は、外の風にあたりたる病には非ず。内より生ずる風にあたれるなり。」とあって、外の風ではなくて、体の中に生じた風によっておきる病気と考えられてたようです。体の中の風ってなんやねんとツッコミをいれたくなりますが、外因性ではないという程度のことでしょう。

「つねに酒を多くのみて腸胃やぶれ、元気へり、内熱生ずるゆえ、内より風生じて手足ふるい、しびれなえてかなわず、口ゆがみて物いう事ならず。」

 ですから、基本的には酒飲みの病気であると解説されています。う~ん、そんなことないと思うけど。当然ながら、ここでも酒は慎めとひつこく勧めていただいております。

 下戸でも中風になる人はいるけれど、そういう場合は肥満の人が多いとされてます。とはいえ、ダイエットして肥満にならないように、とかは書かれていません。栄養状態があまりよくなかった時代なので肥満が少なかったせいもあるでしょうが、このあたり、今と考えが違っているようでおもしろいです。

 そういえば、新築のお風呂にいちばんに入ると中風になりにくい、というまじないもありました。確か、我が家でも風呂を五右衛門風呂からガス風呂にやり替えた時、近所のおばあさんが来られたのを覚えてます。

 最近は迷信もすっかり聞かなくなってさみしいような気がします。夜に笛を吹いたら蛇がくる、夜に爪を切ったら親の死に目にあえない、ミミズに小便をかけたらおちんちんが腫れる、とか、よく言われたものです。ご飯を残したら目がつぶれるもおなじみでした。最近はダイエットを考えて、外食時にごめんなさいしながらご飯を残してしまうこともあるのですが、そのたびにこの迷信が思い浮かびます。

 食べてすぐに寝たら牛になる、というのもありました。茶柱が立つといいことがあるともよういうてましたけど、ここ何年も茶柱なるものを見たこがありません。復活させて、「幸福を呼ぶ!立つ茶柱入りペットボトル銘茶」とかあきませんかね。

 霊柩車を見て親指を隠すようなことはなくなりましたが、いまだに「箸渡し(箸から箸へ食べ物を渡すこと)」なんかはようしません。けど、平気でやる若い人がけっこういてて、縁起の悪い奴やなぁと密かに心配してあげています。

 常々、明治時代にくらべて今の日本人が劣ってるのは、迷信を信じることができる能力ではないかと考えています。科学を生業にしてるのにそんなことを言うなとお叱りをうけるかもしれませんが、害悪がない限り、根拠のないことを信じる能力って、ある程度は必要やないですかね。その方が絶対におもろそうやし。


『養生訓』に書いてあることも、当時は信じられていたのかもしれませんが、どう考えても迷信にすぎないようなことがたくさんあります。たとえばこれなんかもそうです。

「冬至には一陽初めて生ず。陽気の微少なるを静養すべし。労動すべからず。この日、公事にあらずんば外に出ずべからず。冬至の前五日・後 十日、房事を忌む。」

 一陽来復、冬至は春がやってくる初めの日で、陰の中にようやくかすかな陽気がきざしたところなので、できるだけ動かない方がいいということのようです。仕事はするな、外へは出るな、房事(性交)もするな、と説いてます。どれくらいの人がこういうことを信じて実行したんでしょうね。かなり気になります。

 冬至にはかぼちゃを食べたらいい、とか、ゆず湯にはいりましょう、とかは書かれていません。冬至にかぼちゃを食べると中風になりにくいとされていたようですが、益軒先生はこれを迷信と見なしてたんでしょうか。ご意見をうかがいたいところです。江戸時代からゆず湯もあったそうですが、できるだけ活動を控えるように書いてるくらいですから、冬至にはゆず湯どころかお風呂は入らんほうがええと考えてはったんかもしれんですけどねぇ。

「薬をのまずしておのずから癒る病多し。これをしらで、みだりに薬を用いて、薬あてられて病をまし、食をさまたげ、久しくいえずして死にいたるもまた多し。薬を用ゆる事、つつしむべし。」

 このように、薬については、できるだけ服用しないように。もしするのなら、いいお医者さんに処方してもらうべきで、藪医者の薬は飲んではいかん、と指導しています。江戸時代のことですから、今みたいにたくさんのお薬はありませんでしたし、効く薬もそんなになかったはずです。なのに、薬の毒性が強調されているのは不思議な気がします。

 ただ、漢方として、ヒ素やトリカブトなどは使われてました。どちらも、使い方を間違えれば健康を害すどころか死にいたります。藪医者、時々そんな薬の量を間違えたりしてたのかもしれんですね。こわすぎますけど。

 そんな危険なものを使ってたのか、と思われるかもしれませんが、これには理由があります。そういった毒物は、からだに明らかな影響をおよぼします。それを「治療効果」と間違えて解釈していた可能性が多分にあるからです。その頃の多くの「薬」は目に見える効き目がなかったのですから、いたしかたありません。これは、我が国や中国に限らず、西洋でもそうでした。

『世にも危険な医療の世界史』(文藝春秋)という面白いというべきか、恐ろしいというべきか、紹介するときにどう言うか迷うような本があります。ここには、水銀、アヘン、ヒ素、コカインなど、かつて用いられた信じられない治療法がたくさん紹介されています。

 医者というのは、患者さんが来たら、つい何かしたくなるものです。患者さんだって、目に見えるなんらかの「効果」があれば嬉しいはずです。だから、そんなトンデモ治療法が試みられたのです。

 迷信があったら面白いのになぁというのと同じで、エビデンス万能の世の中というのはいまいち面白くないような気がします。が、こと医学に関しては絶対にそんなことはありません。ぜひこの本を読んで、EBM(根拠に基づく医療、Evidence Based Medicine)の時代に生きている喜びをかみしめてください。


 最後の巻、老人と子どもの養生についてはたいしたことが書かれていません。年寄りはおとなしくして短い老い先を大事に暮らしましょうとか、子どもには贅沢させたらろくなことがない、といったところで、あんまり気合いがはいってないような感じです。益軒先生、最後は疲れてこられたんでしょうか。鍼・灸についてもごく短くて、一般的な注意が書いてあるという感じです。

 あと「医を択ぶ」が残ってますが、これは、他の部分とはちょっと違う感じで、養生というよりも、医者はどうあるべきとか、どんな医者を選ぶべきとかのお話です。それ以外のところ、三回にわたって紹介しましたが、タイトルのとおり、何しろ養生をすることが大事というのが趣旨です。ちゃんと養生してたら、(あまり)病気をしない暮らしができますよ、という、このエッセイのタイトルみたいな内容ですな。まぁ、江戸時代のことですから、大病をしたらもうあきらめるしかなかったんで、なんとかそうならないように、ということやったんでしょう。

 では、次回の「『養生訓』を読んでみた」最終回、お医者さんをめぐる話は今に通じるところもかなりあって、けっこう笑えます。お楽しみに!


※原文は「貝原益軒; 貝原守一. 養生訓Kindle 版」より

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