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仲野 徹

仲野 徹/大阪大学大学院医学系研究科教授

大阪が生んだ「世界一おもろい生命科学者」が、みんな知ってるようで意外に知らない「カラダと健康」についてフレンドリーな語り口で明らかにしていきます。

第32回 新型コロナの困ったところ

 今回は「『養生訓』を読んでみた:その4」の予定でありました。それも、GW前のあわただしい時に執筆になったらあかんので、かなり前に原稿はほぼできあがっています。が、「(あまり)病気をしない暮らし」を名乗っておきながら、新型コロナウイルス一色の世の中でそれを語らないのは、義を見てせざるは勇なきなり。というほどたいそうなことはないけれど、やっぱり新型コロナウイルスのお話をすることに。もう語り尽くされてるから、いらんわアホ、とか言われたらあかんので、できるだけ違う切り口でわかりやすくいきまする。


 まずは不明を恥じとうございます。新型コロナウイルスが最初に報道されたころ、完全に見くびっておりました。言い訳をするわけではありませんが、と言いながら言い訳をしますが、これは私に限ったことではございません。周囲のほとんどの医師たち、かなり専門家に近い人でさえ同じような意見だったのでございます。さらに言いたいのは、単に見落としていただけかもしれませんが、いまのような状況を予測するような記事など読んだ記憶がないということです。

 あなどったのにはいくつも理由がありますが、まず、コロナウイルスというのが大きゅうございました。このコラムの第23回「風邪の対策、これで万全!(かも)」にも書いたのですが、コロナウイルスというのは、基本的に風邪の原因ウイルスです。なので、ちょっと厳しいくらいの風邪ではないかと、誤解する理由になってしまったのであります。

 考えてみたら、20年近く前に恐れおののいたSARS(重症急性呼吸器症候群)だってコロナウイルスです。それに、国際ウイルス分類委員会による新型コロナウイルスの正式名称は「SARS-CoV-2」、すなわちSARSコロナウイルス2型、です。名付けられたのは2月の初旬。新型コロナウイルスとか言わずにSARS-CoV-2と報道し続けてくれたらもうちょっと緊張感があったかも。とか言うても、あとのまつりですわな。でも、ここでは、新型コロナウイルスなどというちゃっちい(?)名前ではなく、恨みをこめて(?)、SARS-CoV-2と呼んでいきます。


 3月初めくらいまでは例年通りに開かれていた定年記念などのパーティーでも、何年かたったら普通の風邪引きくらいになるでしょうねとか、暖かくなったら大丈夫でしょうからせいぜいゴールデンウィークまでには収束でしょう、とかいう会話を同僚教授らと交わしていました。それが今やゴールデンウィーク。まったく収束の目処などたっていないどころか、緊急事態宣言が延長です。孫の聡(さとし、3歳8ヶ月)でさえ、「きんきゅうじたいちぇんげん」を気にするくらいの状況です。

 もうひとつ、目算が違っているのはSARS-CoV-2についての情報であります。新型なのですから、最初は皆無なのはわかります。しかし、ウイルスが見つかってから半年近くもたてば、いろいろなことが明らかになって、対処しやすくなるのではないかと思っておりました。それがどうでしょう。いまだに正確な感染率はわからないし、免疫が成立するかどうかすら確証がありませぬ。いやはや困った状態でございまする。

 SARS-CoV-2そのものの情報がなくても、他のウイルスについての知見を外挿して考えることは可能です。まずは、人類最大の敵といってもよかった(過去完了形です)天然痘を例にとって考えてみましょう。


 ご存じのように、天然痘は1980年に撲滅が宣言された、唯一、人類が打ち勝つことのできた感染症です。なぜ、撲滅することができたのでしょう。それは、ワクチン(種痘)があったこと、症状を呈さない感染である不顕性感染がないこと、そして、人間以外に感染しないこと、が三つの大きな理由です。

「第17回 黴菌との闘い(その4)」に書いたように、抗ウイルス薬もありますが、ウイルス感染に対する最大の武器は、その発症を予防するためのワクチンです。いまのところ、当然、SARS-CoV-2に対するワクチンはありません。それどころか、厳密には、ワクチンができるかすらわかっていない状態です。

 あるウイルスに感染すると、免疫により、そのウイルスに対する抗体というタンパクができます。ある抗体は、その抗体が認識する特定の物質―多くの場合はタンパクです―にしか結合しません。なので、たとえば天然痘ウイルスに対する抗体が準備されていると、天然痘ウイルスにだけ結合して天然痘は発症しなくなります。その目的のために、種痘が開発されました。種痘とは、ヒトの天然痘に似たウイルスである牛天然痘ウイルスを接種して、それに対する抗体を作らせるという方法です。ヒトと牛の天然痘ウイルスはよく似ているので、牛天然痘ウイルスに対する抗体はヒトの天然痘ウイルスにも効くわけです。


 SARS-CoV-2による感染症、新型コロナウイルス感染は、COVID-19というのが正式名称です。その検査について、簡単にお話しましょう。まず、PCR検査というのは、原理はともかく、粘膜にウイルスが存在するかどうか、感染しているかどうかを調べる検査です。もうひとつが抗体検査です。抗体が作られる原理から考えたらわかるように、あるウイルスに対する抗体というのは、過去にそのウイルスに感染したかどうかの目印であって、その時点で感染しているかどうかはわかりません。また、十分な抗体が作られるには10日以上かかりますから、初期の感染を知るための検査としては不適切です。

 ついでにもうひとつ、抗原検査が報じられています。抗原というのは、抗体が結合する物質のことを言います。SARS-CoV-2だと、このウイルスが持っている何らかの物質です。PCR検査と同じく、ウイルスがあるかどうかを調べる検査ですが、PCRに比べるとはるかに感度が低いものです。なので、抗原検査が陽性であれば感染しえると確実に言えますが、陰性でも感染がないなどとはいえません。「偽陰性」が多すぎますから、PCR検査による確認が必要です。

 ワクチンができるかどうかわからない、というのは、SARS-CoV-2の感染では再感染があるのではないかとも言われているからです。再感染する、ということは、とりもなおさず、SARS-CoV-2に対する免疫能を獲得できていないということになります。ウイルスの種類によっては有効な抗体ができないこともありえます。これについては、SARS-CoV-2がそのようなウイルスでないことを祈るしかありません。


 不顕性感染すると、知らない間に免疫能が獲得されます。症状が出ずに免疫がつくのですから、ありがたいことです。たしかに、その個人にとってはありがたいことですが、不顕性感染している本人が知らぬ間に周囲の人たちに感染させるリスクがあります。実際のところ、その率がどれくらいあるかはわかっていませんが、SARS-CoV-2の場合は大きな問題と考えられています。そのせいで、周囲のみんなを感染者として見なさねばならないのです。

 考えてみてください。多いとはいえ、日本中の感染者数をみたら絶対数としてはまったく大したことありません。日常生活で感染者に出会おうとしても困難なくらいの数です。それでも、三つの密を避けねばならないのは、不顕性感染、あるいは、感染したけれどまだ症状が出ていないタイミングで周囲にうつす人がたくさんいる可能性があるからです。

 ワクチンを接種して免疫が成立した人は、もう、そのウイルスに感染しません。これが個人防御ですが、ワクチンにはもうひとつ、集団防御という側面があります。全体の6~7割に免疫能が獲得されると、集団感染が抑えられるのです。ひょっとしてSARS-CoV-2で不顕性感染がすごく多くて、知らない間に集団免疫が成立してないかと密かに期待していました。しかし、ニューヨークでの抗体検査では、予想以上に高かったといっても十数パーセントでした。集団免疫には遠くおよびません。


 SARS-CoV-2については、ウイルスの遺伝子解析から、おそらく元々はコウモリに感染するウイルスだったのではないかといわれています。最初に問題になった武漢の市場でも売られていたそうです。そんなもん売るなよと言いたくなりますが、食習慣なので仕方がないのでしょう。その市場と武漢のウイルス研究所が近いので、その研究所から漏れ出たのが最初の原因ではないかという噂もあります。しかし、そのような施設では病原体に極めて厳重な装置が備え付けられていますので、きちんとしていたら外部に漏れるようなことはありえません。

 それよりも、市場のような人の集まる場所の近くに、そのような研究所があることには驚きました。日本なら、猛烈な反対運動がおきて、建設されることなどあり得ないでしょう。中国という国家と人民の関係は、日本などとはまったく違うようです。

 中国が作った生物兵器ではないかという噂もありますが、それもないでしょう。もし、あなたが生物兵器ウイルスの開発者だったとします。まず何をされますか? リスク管理として、まずワクチンの開発です。それがなければ危険すぎます。ナイーブすぎるかもしれませんが、その一点をもって、生物兵器説はなかろうと思っています。まさか、中国がすでにワクチンを隠し持っているなどということはないでしょうから。


 急速に重症化する、ということがいわれています。不思議だと思っていたのですが、そのひとつの理由は、肺炎が進んでいるのにあまり息が苦しくならない。だから、自覚的に大丈夫と思っていても、危機が差し迫っていることがあるためのようです。

「第4回 大きく息をはいてみよう」でも書いたことがあるのですが、人間は、血液中の酸素が少ないからではなくて、二酸化炭素が多いから息苦しさを感じます。ふつうの肺炎だと、酸素濃度の低下と二酸化炭素濃度の上昇がよく相関するのですが、SARS-CoV-2の肺炎では、血液中の二酸化炭素濃度があまり上昇せず、息苦しさを感じない「サイレント(無症候性)低酸素症」という酸素欠乏状態が引き起こされます。ですから、急速に重症化するのではなくて、より正確には、重症化に気付かないまま病状が進行しているということなのです。知っていてもしかたないかもしれませんが、納得できます。


 いやぁ、SARS-CoV-2、まことにしたたかです。中には、賢いウイルスと思っている人もおられるかもしれません。間違いとは言いませんが、ウイルスには賢いもなにもありません。偶然の遺伝子変異によって、そんなウイルスがたまたまできた、ということに過ぎません。しかし、結果として、非常に広まりやすいウイルスになったということは間違いありません。

「利己的な遺伝子」というリチャード・ドーキンスの歴史的な名著があります。ちょっと難しいのですが、生物というのは遺伝子の乗り物に過ぎないという考えです。その本では、自分と同じものを作り出す性質をもった「自己複製子」が成功するかどうかは、どれだけ効率的に自分と同じものを作り出すことができるかどうかにかかっていると論じられています。

 自己複製子は、遺伝子でも、ウイルスでも、細菌でも、植物でも、動物でもかまいません。ですから、人間は地球において非常に成功をおさめた自己複製子である、という言い方も可能です。その生命を脅かすSARS-CoV-2、自己複製子として異常なまでの成功をおさめ、人類に恐怖を与えつつあるわけです。


「(あまり)病気をしない暮らし」的には、ワクチンが1日も早く開発されることを祈りつつ、三つの密を避けながら、マスクをして小まめに手洗いをする、に尽きます。それから、咳エチケットも忘れずに。ウイルスごときの自己複製子に対して、「闘う」といっても、それくらいしかできません。これでは、「闘う」じゃなくて「逃げまくる」ですよね。なんだか悔しいけれど、しかたありません。

 緊急事態宣言が延長されて、がっくり来ている人が多いでしょう。しかし、ここは気持ちを強く持って生きていくしかありません。宇宙船という狭い空間に長期間にわたって閉じ込められていた宇宙飛行士たちは、口をそろえて、制限された環境では規則正しい生活をと勧めています。早寝早起き、それから、散歩とかで生活のリズムを作る。そして、養生訓にあるような節制もして、苦難の日々を健全に乗り切りましょう!

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