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小林明子

小林明子/ライター

物心ついた時から家には動物がいて、ペットというより「家族」だった。 一緒に暮らすのは大変だけど、意外な発見の連続で離れられなくなる。

第9回 アンタは一番下やねん、ウフッ。

 あちこちに猫カフェを見かけるようになった。
 ご存じない方のために軽く説明すると、猫カフェとは、15分とか30分単位の滞在料金を支払い、飲み物などを別途注文し、室内を気ままにうろつく猫さんたちと交流を図る、日本独特の施設。近頃では、海外からの観光客が猫カフェ訪問を目的のひとつに来日する、なんて現象もある人気ぶりだ。

 昨年のこと、我が家にはシャンコというお姫様がいるのは承知の上で、賃貸住宅で猫が飼えない猫好きの友人に連れられ、よその猫とも戯れてみたいという誘惑には抗えず足を運んでみた。
 店によってルールは異なるようだが、多くが、人間は猫たちの楽園に居させてもらうというスタンスになっており、猫を抱き上げたり、無理矢理囲い込む、寝ているところを起こすなどの行動は禁止されている。店長や看板娘的な役割を与えられている人馴れした猫さんもおり、一応労働条件もあるようで、休暇中の猫は写真だけが飾られていることも。とにかく猫好きにはたまらないパラダイスだ。

 まるで、別嬪の若妻がいるにも関わらず、気のあるそぶりを見せてはうまくかわす、プロのテクニックに触れてみたくて夜の蝶の世界にフラフラと足が向く殿方の如し。シャンコの拗ねた瞳を脳裏に思い浮かべつつ、いやいやこれも社会勉強、原稿ネタのためですやんとか、誰に聞かせるでもなく呟く。
 膝の上に乗りに来ては愛想を振りまき、「にゃ~ん」と甘い声で鳴く三毛ちゃんやトラ子ちゃんやシャムちゃんに悪い気がするはずもなく…。正妻であるシャンコにバレたら「えらいことや」とは怯えつつも、時間待ちの際などに時折、利用させていただいている。


 古今東西、猫は意匠のモチーフとして愛されてきた。『動物のお医者さん』という猫が主役の漫画や、『魔女の宅急便』といった猫が重要な役を務めるアニメ映画など、私たちが愛を捧げているキャラクターは数多い。
 さすがに高校3年生の息子はもう持ちたがらないが、私と娘のハンカチや傘、文房具といった持ち物にはかなりの確率でそういった猫たちが描かれている。誕生日プレゼントや土産は、猫モノであればまず間違いないだろうとの計算がお互いに働くぐらいで、私たちの居室には猫モノがあちこちに置かれている。そう、けっこうミーハーである。

 洋服と男の趣味は全く合わない私たちだが、キャラの好みはよく似ていて、あまりコミカルなタッチは好まない。写実的、もしくはシルエットで表現された黒猫の後ろ姿などがよろしい。私の場合に限れば、萌え度マックスになるのは肉球モノだ。
 肉球を模した携帯ストラップ、ハンディマッサージ器、消しゴム。肉球マシュマロや肉球まんじゅうをネットで発見するや即注文。私にとって何より大事なのは、あの独特のプニュプニュ感だ。
 ちなみに肉球に関しては猫以外もベリーウエルカムで、北海道の旭山動物園にて、頭上の檻内に寝そべるユキヒョウの肉球を何とか触ろうと画策し、飼育員さんに注意を受けたこともあるぐらい。
 同じく旭山動物園で、ガラス越しにではあるが、ホッキョクグマの黒々とした肉球で頬をドン!された時は、そのデカさと力強さに驚くと同時に、生でさわりたい!と悔しがり、息子に呆れられたことも。


 話がそれてしまったが、猫モノも大好き、そしてミーハーな私たちが最近夢中になっているのが、猫画像・猫動画自慢だ。
 仕事の合間に、可愛い子猫やイタズラ猫の様子を撮影して投稿した画像や動画をSNSやYouTubeで見つけては、帰宅した娘と報告し合う。
「今日、こんな可愛い猫見つけてん」と私が自慢すれば、「私もそれ見た!」だの「もっと可愛いの見つけた」だの、他人様の猫自慢大会が始まる。

 もちろん我が猫撮りも。私が原稿を書く横で、シャンコがスーピーと鼻息をたてながら寝こけたり、お腹を見せてひっくり返ろうものなら、すかさずスマホで撮影。LINEで娘に送信する。社会人2年目、毎日身を粉にして働く娘は「癒された~」との言葉とハートだらけのスタンプを返信してくる。
 逆に私が出張中の折には、娘が「母の部屋の戸をこじ開けて勝手に入り、布団の上で熟睡するシャンコ」などとタイトルをつけて、萌え萌えな画像を送ってくれる。良いコミュニケーションツールになっているのだ。

 まぁ、そんな親バカな私たちだから、他人様が投稿された愛らしい画像や動画に一時はキャピキャピ騒ぐものの、最後は「でもぉ~、シャンコの方が可愛いよね!」で締めるのが決まり。そして、フランス製キャットフードのおかげで、ぬいぐるみも舌を巻くほどフカフカ、絹のように光り輝くお腹に顔を押しつけ、至福の時を得るのである。


 さて、この、わが家では恒例になっている、シャンコとの愛を確かめる「腹スリスリ」。背骨に守られた肩から腰にかけてと違い、無防備に等しい腹側は言わずもがなウィークポイントだから、むやみやたらに顔をスリスリされるのは、シャンコにすれば迷惑な話だ。
 けれども、シャンコにとって母であり、給餌者である、絶対権力者の私を拒むことはできるはずもなく、「え~、また来たん? だいぶ暑ぅなって来たし、ちょっとうっとおしいんやけど…。とはいえ、アンタを拒むわけにはいかんわな」と愚痴るような顔を見せながらも、いつもよりは明らかに控えめに喉を鳴らし、私の気が済むまでは腹を差し出してくれる。
 娘の場合は、「アンタもかいな。アンタにはあんまり義理はないんやけど、まぁ、言うたら姉妹?やし? ちょっとだけやで」と、10秒ほどさわらせた後、「こんでエエやろ」とばかりに体をクルッと翻し、「何やファンデーションとかついたんちゃうか~。きれいにせな」てな風情で、さわられたところをていねいに毛づくろい始める。

 傑作なのは息子の場合。「シャンコ~」と声を出して近づいたとたんに、後ろ足を「お前はダメ」とばかりに、近づく息子の鼻にドン! 一旦、顔を引き、再度トライしようとすると、また絶妙のタイミングでドン! 形状記憶合金ならぬ、形状記憶シャンコ。何度も繰り返される光景は腹を抱えて笑うほど面白い。
 この時、90%ぐらいの確率でツメは格納されているらしいが、5〜6度目ともなると、最後通告とばかりにツメを露わにさせ、自分の鼻にもシワを寄せ、「グルル~」と威嚇する。
 メゲない息子が急襲をかけると、その時は最初からツメを剥きだして、捻りを利かせた猫パンチが入るため、息子の顔は流血…。
 「何で? 何で俺だけ、モフモフさせてくれへんの?」と鼻の頭に血をにじませながらベソをかく息子に冷たい一瞥をくれながら、優雅に毛づくろいするシャンコ。その胸中を代弁すると、「なんでアタシより格下のアンタに急所をさわらせんとアカンねん。味噌汁で顔洗って出直しな」ってところだろうか。


 そういえば、前回お伝えした実家の猫。私が大学で拾ってきた「ちーちゃん」も、命の恩人であるはずの私に喉を鳴らしたことがなかった事を思い出した。
 当時は、猫と暮らし初体験だったため、母が「アゴを撫でてやったら喉を鳴らすやろ?」という言葉の意味が私には理解できなかった。母は「聞こえへんか、ゴロゴロって」と言うのだが、私には聞こえない。だからその程度の音量なのだろう、猫の喉が鳴る音は。と勝手に思い込んでいたが、大間違いだった。
 個体差はあるだろうが、横に居ても聞こえてくるほどの音量なのだと、シャンコと暮らすようになってわかった。ちーちゃんは母にしか喉を鳴らさなかったのだ。

 拾い主にもかかわらず、喉を鳴らしてすらもらえなかったかつての私と我が息子。猫は給餌してくれる、トイレ掃除をしてくれる人を“主”と定め、それ以外の家人は我が基準で順列をつけていく。仕方ない自然の摂理なのか。
 シャンコが我が家に来た当時5歳だったチビ息子も、今や図体だけはデカくなり、見た目はオッサン。とはいうものの、シャンコにはいつまでも格下のチビスケに映るらしい。

「そうそう、アンタはずーっと、そしていつまでも格下なのよ」
 毛づくろいを一瞬止めてシャンコがニヤッと、愚息を嘲笑った気がした。いや、確実に嘲笑った。

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