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小林明子

小林明子/ライター

物心ついた時から家には動物がいて、ペットというより「家族」だった。 一緒に暮らすのは大変だけど、意外な発見の連続で離れられなくなる。

第8回 別れても心の中に…いつも

 深夜、床について、スマホでメールチェックをしていたら、妹から「悲しいお知らせ」と題された1通が届いた。何だろう、と深く考えず開いたそこには、本当に“悲しい知らせ”が認められていた。
「実家のちーちゃんが亡くなったそうです…」と。

 話は35年前に遡る。
 当時、小生意気な大学生だった私は、所属していたサークルの会合に参加すべく学生会館に向かっていた。仲間が居る部屋の扉を開けると、真ん中に輪ができ、後輩たちがワイワイと騒いでいる。
「何?」と輪の中心を見ると段ボールが。中に1匹の小猫が怯えた様子でうずくまっていた。ひとりの男子学生が「部屋の前に居ったんで、抱き上げてみたらヒゲが切られてたんですよ~」。よく見ると、針金で巻くタイプの荷札が首に食い込み気味に結わえられていて、そこには「学友会常任 赤いローザ」と書かれていた。瞬間、カーッと頭に血が上り、「この子、私が連れて帰るわ」。
「え?学友会の人が怒ってきたらどうするんですか?」と後輩たち。「そんなん、バレるわけないし。私、学友会なんてどんな団体か知らんし、ちっとも怖ないし。それより、これは立派な虐待やん。連れて帰る!」。あっけにとられるサークルのメンバーを尻目に、箱を抱えて学生会館を後にした。

 段ボール箱を原付バイクの荷台に括り付けた。中で“赤いローザ”はミーミーと不安げに鳴いていた。「ちょっとだけ我慢してな。すぐに家に連れて帰ってあげるから」となだめながら、いつもの激走を封印。時速10キロ程度、道を舐めるようなスピードで慎重に慎重に原付を走らせた。
 家に着いた頃、少し冷静になった自分が居た。
 「うちのオヤジ、猫嫌いやったよな…」
 とはいえ、女に二言は無いし後戻りもできない。えーい、ままよ。我が亡き後に洪水は来たれだわと、箱を抱え、自分の部屋に直行した。
 年子の姉と3歳下の妹を呼び、箱を開けて見せる。「わ~~、可愛い!」、叫び声を上げそうになる2人を「しーっ」と押し留め、その瞬間から普段仲が良いとはとても言い難い姉妹が一致団結。秘密の共有が始まった。
 姉が台所から味噌汁でゆるめたご飯を。妹が洗面所から水と毛布を。もちろん、針金の荷札はていねいに外した。「名前どーしよー」、3人で頭をひねっていたところ、ガチャ、部屋の戸が開いた。何かにつけて鼻の利く母が入って来たのだ。

 「コソコソしておかしいと思ったら…。可愛い猫やん」。オヤジと違って娘時代から猫好きの母。慣れた手つきで抱き上げ「ご飯食べるか、ちーちゃん」とノタマワッタ。
「ちーちゃん? ちーちゃん? なんで?」「私が娘時代に飼ってた猫が、ちーちゃんやったから」「はー、何、その理由?? 私らがせっかく名前考えてたのに、ちーちゃんって! トンビに油揚げも甚だしいわ」と憤慨する私たちにはお構いなし。“ちーちゃん”と呼ばれた、さっきまでの“赤いローザ”は「にゃーん」。先刻までの不安そうな声とは打って変わって、安堵の甘え声を発したのだ。その様子を見て、「し、仕方ない。じゃあ、ちーちゃんで…」。私たちは力なく同意した。

 呼び名はともかく、ちーちゃんとの甘い生活は魅力的だった。今まで犬は飼っていたものの、「動物は家を傷める」という父の方針で、あくまで番犬として。家の中で、しかも自室で、膝に乗せて長く過ごす、さらに一緒に寝るなんてのは全くの初体験だったので、3日ほどは家から1歩も出ず、新婚カップルのように濃密な生活を送ったと記憶している。
 が、いくら不良学生とはいえ、たまには講義にも出ねばならないし、バイトにも行かねばならない。仕方なく、部屋に水と餌をたんまり用意し、扉の下にある通風用の隙間を毛布で塞ぎ、「お願いやから大人しぃしといてや」とちーちゃんに言い含めて外出。この後の展開は、皆さんの想像通り。帰宅すると、母が台所から飛び出してきて、口の動きだけで「バレタ…」と。父が陣取る居間に行くよう、アゴで指示された。
 父は居間でテレビを観ていたが、私が行くとスイッチを切った。「今日は早めに仕事が終わったんや。で、本を取りに行こうと廊下歩いてたら、お前の部屋の扉の隙間から、毛じゃらけの腕がニューと出てきてな。しかもニャーって。ホンマにびっくりしたわ。で、どうするんや」。思ったより優しい声だった。「飼いたいです。いや、飼ってます」と答える私に「そうなんやろうな。家は傷めんようにちゃんとシツケしろよ」と言い、再びテレビをつけた。

 このちーちゃんは、私が結婚して家を出た後は両親の猫になり、計18年間を実家で過ごし、意外にも父の膝の上で息絶えた。「何やかんや言うても、可愛がってはったんよ」と母はポツリと呟いた。その母をペットロスが襲う。子どもたちもすでに独立していたし、心に穴が開いたようだった。そこで父が「猫もらおうや」とまたもや意外な提案。二人で「猫、もらってください」との新聞広告を吟味し、ちーちゃんに似た猫をもらってきたのだ。
 「可愛いやろ。このちーちゃん」、目を細める母に、大反発したのが先代ちーちゃんを溺愛していた妹だった。「ちーちゃん、またちーちゃんって! 私にとってちーちゃんは、この前亡くなったちーちゃんだけや!」とふくれっ面。そんな妹を意に介す風もなく、母は2代目もちーちゃんの名で呼び通した。

 2代目ちーちゃんはものすごく人見知りな子で、特に子どもが苦手だった。うちの息子などは追いかけて抱っこしようとするものだから、声が聞こえただけで脱兎のごとく、いや、脱猫のごとく逃げてしまう。息子曰く「ナマで見たのはお尻かシッポの先ぐらい」ってな有様。常に押し入れに隠れてしまう子だった。
 この私でさえ抱っこは未経験。せいぜい数回撫でたぐらいの間柄。さらに、ここ数年はやれ歯が抜けたとか、食欲がないとか、毛づやが悪いとか、調子の悪さを漏れ聞くばかり。「せやったら病院に連れて行ったら良いやん」と妹は激しく勧めるものの「けど、ちーちゃん病院嫌いやから…」と母。「いや、病院嫌いなんはこの子じゃなくて、お母さんやん」と妹。この応酬の連続。出口と答えと打開策の無い状況が続いていた。

 そこに届いた件のメール。ここ数日はすでに階段も登れない状態になっていたらしく、夜の廊下で吐血してうずくまっていたところを母が見つけたが、もう呼吸は弱く…。そのまま抱いて、「ちーちゃん、ちーちゃん」と呼びながら背中を撫でて、1時間を過ごすうち静かに息を引き取ったそうだ。
 そこから母は強かった。いつもは自分というものがなく、付和雷同・優柔不断な人なのだが、父を起こすこともなく亡骸を手近な箱に納め、朝になるのを待って動物専門の葬儀社に電話。遺体を引き取りに来てもらい、荼毘に付してもらった。
 そしてまず妹に連絡。ショックで、どこにも連絡する気になれなかった妹は、さらにその翌日私にメールして来たのだった。そこには前述したように“実家のちーちゃん”と記してあった。あんなに頑なにちーちゃんと呼ぶ事を拒否していた妹のせめてもの弔意が、私の胸には沁みた。
 「母は気丈にふるまっているが、きっと気落ちしていると思うから、慰めてあげて」と書き添えられていた通りに即実行。でも、電話の向こうの母は存外明るかった。「私の腕の中で逝けて良かったと思う。あんまり苦しまなかったし。病院で注射打たれたり薬飲まされたりするの、嫌いやったと思うし。何より、私より先に見送れてホッとしている」と。

 十数年前からガンを患い、抗がん剤の効果で今は安定期にあるものの、いつ我が身に異変があっても不思議ではないと覚悟を決めている、齢78歳の母の衷心からの言葉だった。いつも自分の意見を持たず、親や夫や子どもや世間に流され、己を出さずに生きてきた昭和の女である母の、初めてに近いような凛とした自我を見た気がして、私は不謹慎だけど何だか少し嬉しくなった。
 後日、妹にメールを送った。このコラムに載せたいから、ちーちゃんの写真を送ってと。数日後、妹から返事。「ちーちゃんjrの写真送ります」。呼び名が少し昇格していた。
 ペットとも、もちろん家族とも、別れはいつか必ずやって来る。それは避けようがないけれども、せめて共に暮らす時間は豊かでありたい。動物たちは小さな体で、そして無言で、そんな当たり前のことを教えてくれる。

 いま、母の自室の和箪笥の上には、小さな壺に入ったちーちゃんの骨と位牌が飾られている。

 恥ずかしがり屋だったので、こんなピンボケ写真しかないの。許してね。
                          (Byちーちゃん)
 ちーちゃんの冥福を祈ります。

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