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小林明子

小林明子/ライター

物心ついた時から家には動物がいて、ペットというより「家族」だった。 一緒に暮らすのは大変だけど、意外な発見の連続で離れられなくなる。

第3回 ♪めぐる季節の中で~♪

 異様に暑かった夏がようやく終わったと思ったら、秋を通り越して冬がやって来た。半袖の翌日は長袖の重ね着になってしまい、年頃の娘なんぞは「秋服が着られなかった」としきりにぼやいている。私は毎朝、朝ごはんと息子のお弁当、晩ご飯の支度を一気に片づけるので、6時前後に起き出すのだが日を追うごとに暗くなってきて、布団のぬくもりから離れがたく、なかなか起きられない。そうして、季節の移り変わりを知るのだが、我が家にはもう一つの目安がある。愛猫シャンコのふるまいだ。

 今年の酷暑は彼女にとっても間違いなく試練だった。何せ、毛皮の一張羅のみ。脱ぐわけにもいかず、少しでも涼しい場所をと徘徊し、ダイニングテーブルの下でバタン、廊下でドタン。フローリングが温まると移動し、至るところであおむけにひっくり返っては、ふかふかで純白のお腹をさらす。あまりの無防備さに、娘や息子の撫でたがり病を誘発してしまい、「シャンコちゃーん」と顔をスリスリされてしまう。すると迷惑そう~~な顔をして、力ない猫パンチを繰り出しては、また涼める場所を探してヨロヨロッと移動。その姿はまるでジプシーのよう。そんなシャンコの唯一のはけ口は…“スワレル”ことだ。

 私がクローゼットを開けてソレをガラガラッと引っ張り出すと、どこでどんな格好で寝こけていようが犬のように耳をピンと立て、「うぎゃぁ」と叫びながらすっ飛んでくる。そして、いつもの定位置、半世紀ほど前に我が祖父がシルクロードから持ち帰った緞通(だんつう)の上に、五体投地よろしく身を投げ出し、目的が達せられるまで「うぎゃあ、うぎゃあ(早く、早く)」と催促を続けるのだ。
 ソレとは掃除機。普通、あの音を聞くとたいがいの動物は逃げていくはず。実際、実家にいた猫は、姿を見ただけで押し入れに飛び込むほど掃除機が嫌いだった。が、シャンコは掃除機を出すと、パブロフの犬のように目を輝かせる。
 一通り掃除が終わるまで焦らしておくのが常。「うぎゃあ」が1オクターブ上がり、叫び声に近くなった頃、やおら近づき「スウ?」と聞くと「ニャー(スウトモサ)」の返事が返ってくるのを合図に、腹や背中を撫でさすり、抜けた毛をどんどん掃除機で吸い込むのである。

 赤ん坊猫の頃からシャンコは掃除機に恐れを抱かなかった。夏前、リビングのあちこちに毛玉がふわ~と浮遊する。我が家のフローリングは色が濃いので目立つことこの上なく、掃除機をかけてもかけても、どこからかふわ~とやってくる。いっそ本体(しゃんこ)を吸ってしまおうと悪戯心で試みたところ、本猫(ほんにん)は愛撫されているのだと思い込んだらしく、大人しく吸われるままになっていた。清涼感も味わえるようで、いつの間にか催促するまでに。吸われたい者と吸いたい者、お互いの利害が一致し、この奇妙な行為はルーティンとなった。
 熱帯夜が続く頃は、掃除機をかける私の足元にまとわりついて「うぎゃあ(すって)、うぎゃあ(すって)」と、実に五月(うるさ)猫(い)いのだが、秋風が吹き、朝晩は羽織物が欲しいかなと思う頃になると、毎日だった催促が1日おきになり、2日おきになり…1週間に1回程度、「うにゃぁ(ちょっくら手入れしとくかね~)」と起きだしてくるように。その頃には一張羅の毛皮は冬に備えてふかふかになり、抜け毛は極端に減る。理に叶ってもいるのだ。

 因みに、盛夏の頃、シャンコは畳をゴロゴロしながら、あお向けで大の字になって眠りにつく。鈴虫が泣き始めると、うつ伏せになる。長袖を出そうかな、と思う頃にはテレビの後ろでカタツムリのように丸くなる。そして、木枯らし1号の便りを聞く頃になると、ペット用ホットカーペットが敷かれた、カマボコ型の屋根付きボアベッドに入り込む。ちょうど今がこの状態だ。そして終日のたりのたり。起き出したと思ったら食餌して水を飲み、ついでにトイレを済ませてまたベッドへ。時にイビキをかいたり、寝言を発しながら日がなまどろむのである。
 面白いのは、暖かな小春日和の時。ベッドからはなかなか出てこないが、少し暑いな、と感じることもあるようで、そんな時は後ろ足だけを、ボア状のカマクラの入り口から天に向かってニュッとつき出して体温調節。それがまた可笑しくて、可愛くて、娘や息子の撫でたがり病を誘発してしまう。戸外から帰りたての冷たい手をベッドに差し込み、「シャンコ、あったか~い」とかやられるのだからたまったモノじゃない。迷惑そうに、時に彼らの指をガブリと噛んでおられます。
 さらに雪がちらつく頃になるとストーブの前に貼りつくように。私には決してかかって来ないが、息子がストーブの前で暖を取っていると、「ぎゃへっ(退いて!)」とばかりにアタックしに来るとか。早朝、熟睡しているシャンコを確認してから、リビングのストーブに火をつけ、台所に向かいざま振り返ると、すでにストーブの前に馳せ参じている姿を発見する時がある。寒さはピークだな、と私も気構えるのである。
 このように私たちは、シャンコの居場所と態度を見て季節の移ろいを知る。彼女は体感気温よりも、日の出・日の入り時間で行動を変えるようで実に正確。そこには野性のカンらしきものも感じられる。まさに生きる天気予報だ。

 最後に。春の訪れは目に見える。折にふれ、多くの猫が繰り返す、後ろ足で耳の付け根をカッカッカッとかきむしる行為。これを始めると、毛の塊がふわ~~、フローリングの上を飛び始める。
 それを見て、私はこの寒さもあと少しの辛抱だと、折から届いた春物カタログのページをめくり始める。膝の上のシャンコを撫でながら。









なに焦らしてんの、はよ、すうてぇな。

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