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小林明子

小林明子/ライター

物心ついた時から家には動物がいて、ペットというより「家族」だった。 一緒に暮らすのは大変だけど、意外な発見の連続で離れられなくなる。

第2回 玄関扉一枚の攻防

 それは、春が開けきる前のこと。
 朝から数か所を巡り、撮影や取材やインタビューを重ねた一日の終わり。資料やらタブレットやらが満タン入った5~6キロはあろうかというバッグを肩に、右手には晩ご飯用の食材、左手には撮影済みの試食用食品を詰め込んだエコバッグを提げ、ヘトヘトになりながら、私は自宅にたどり着いた。今、思えば、心身共に弱っていたのだ。そんな状態で門扉の前に立った時、心の隙をつくような愁いを帯びた声が聞こえた。

「お腹が空いてフラフラです。何か食べ物くれませんか? この2~3日何も食べてないんです。ノドもカラカラで、もう声も出ない……」
 消え入りそうな声。この飽食の時代に、食べるものがないなんて……と思ったものの、こちらも気力体力充実している時なら、
「はぁ~~? 自分の面倒ぐらい、自分で見たら?」
 て感じになるのかもしれないが、何度も言うようだが、その時は心身ともに弱っていた、いや疲れすぎて凹んでいた。世の中世知辛い、お互い、つらいね~、と共感してしまったわけだ。

 取り急ぎ、玄関に荷物を放り出し、食べ物と水を持って表に取って返す。ザラザラザラ~~と小皿に……、そう、ザラザラ~~とキャットフードを小皿に入れてやったのだ。
『フガッ、フガッ。ニャッ、ニャ』~~ありがとう。恩に着ます~~
 私「そないにあわてたら喉に詰まるえ」
『フェ、ニャッ』~~だって、お腹空いてたんですもの~~
『ニャニャ』~~このご飯、上等ですね~~
 私「うん、うちのシャンコさんは腎臓弱いから、フランス製の治療食しか食べられへんねん。高いんよ、これが。ま、毎日フランス料理てわけやね」
『ウニャ、ニャ』~~幸せな方なんですね~~
 気安く撫でさせるペルシャ系の雑種は人慣れしていて、明らかにどこかの飼い猫といった風情。引っ越しシーズンゆえ、飼えなくなって捨てて行ったのか、はたまた迷ったのか。気の毒には思うものの、我が家にはシャンコがいる。おいそれと他猫(たにん)様を上げるわけには行かない。
 私「さ、食べたら家にお帰り。私は晩ご飯作らんとアカンから。ほな、さいなら」
 と、後ろ髪を引かれつつも玄関ドアを締めて中に戻った。

 翌朝のゴミ出し時。扉を開けると、
『ニャ、ニャ』~~おはようございます~~
私「あれ、あんた、まだ居たんかいな」
『ンニャ、ニ』~~はい。昨日の美味しいご飯、もう一度くださいな~~
私「仕方ないなぁ、昨日も言うたけど、あれ、フランス製やから高いねん」
『ウグ、グニッ』~~そんなこと言わないで、お願い、お願い~~
 シナを作り、涙ぐまんばかりにねだりながら、私の足に頭を押し付けてくる様子に根負け。また、シャンコの餌をおすそ分けした。
 以降、私たちの仲は急速に深まった。そのころは朝晩異常に冷え込む日もあったので、段ボールで囲いを作って中に毛布を敷く。シャンコの餌ばかりでは彼女の食欲からして財布が痛いので、取り急ぎ100円ショップで購入。それもすぐに空になったので、今度はスーパーで大袋を買い……そして、2週間ほどが経ったある日、私たちはついに一線を越えてしまった。

 玄関前の段ボールハウスの横でいつものように餌をやり、水を変えようとしゃがんだ瞬間、彼女はごく自然に私の膝に乗ってきた。ああ~~、もう後戻りはできないとばかりに、頬ずりしあい、濃密な抱擁を交わし合う二人、もとい、一人と一匹。人目も憚らずジャレ合った。お互いの欲望を満たすと、
 私「じゃ、アタシには家庭があるから」
『ウニャ、ニッ』~~そんな冷たい、帰らないで~~
 と食い下がる彼女を振り切り、玄関ドアを開けて入った途端、
<ニァーーーーーーーーーーーーーーーーン>
 かわいい顔に不似合いな、シャンコの野太い声が響き渡った。板子一枚下は地獄ならぬ、玄関扉一枚の向こうは修羅場。低いうなり声すらあげながら、私の足元を嗅ぎまわる。
 ~~あんた! これは誰のニオイ?? 浮気したね?? きぃーー、腹が立つぅ~~
 背筋が凍りつく。そして、自らの潔白を主張すべく「気のせいやって」と言い訳を連ねて毛づくろいをし、好物のヨーグルトを与え、ひたすら下手に出る。罪滅ぼしにブランド物を買い与える、世の亭主族の気持ちがわかった痛いほどわかった瞬間だった。

 でも、だからといって簡単には止められないのがアヴァンチュール。
「ペルシャの雑種みたいだから、ペル子ちゃん」と名前までつけ、年甲斐もなくはしゃぐ私の様子を見た高校生の息子も、
「オレはハンラブ子と呼んでいる。意味? ハングリーラブの省略。愛に飢えてるから」
 などと言いながら、満更でもない様子。どうやらペル子は息子にも愛想を振りまいているらしい。「尻の軽い小娘め」と私は苦々しく思いながら、説教してやらねばと、表に出ると
『ニャギ、ニャ』~~あなたーん、寂しかったわ~~
 とすり寄ってくるものだから、ついまた気を許し、つかの間の逢瀬を楽しみ、自宅に戻っては本妻に<ぎゃーーーーーーーおーーーーーーーーん>と喚かれ。愛人を持つのも楽じゃないわい、ヤレヤレと言いつつ逢瀬を思い出してニヤリ。
 この様子に批判的だったのが大学生の娘。毎日、ペル子の横を通りながらも、餌も水もやろうとはせず、さわることすら拒否。「うちにはシャンコがいるのに」と、あからさまにおかんむり。
 そうか、そもそも男という性は浮気に寛大で、女という性は手厳しいものなのだ。なら、私はもはや男? 流行りのオヤジ女子ならぬ、オヤジ女史? そういえば髭が生えて来たかも…?

 しかし、そんな蜜月も長くは続かなかった。ペル子がぷっつりと姿を消したのだ。事故に遭ったんじゃないか、喧嘩に巻き込まれて怪我でもして動けないんじゃないか、迷ったんじゃないか、日に何度も玄関を出て探し回る私に、
 息子「もともと野良なんやし。次の誰かの所に行ったんやろ」とケロリ。お前、それはあまりにドライ過ぎひんか~~と怒る私を尻目にリビングに寝ころび、シャンコを撫でつつ、無遠慮な笑い声をたてながら漫画に読みふける始末。
 本妻であるシャンコは、~~フン~~と一瞥をくれて後は知らん顔。
 娘に至っては「あ~せいせいした」と。
 猫好きでは私に負けず劣らずの、日ごろお世話になっている関西某月刊誌の敏腕編集者K嬢は、事の顛末を話して嘆く私に「餌が安物だったからじゃないですか?」。こちらも冷たい…。
 それにしてもいったいどこに…、と心配すること1週間。さすがに案ずる気持も薄くなりつつあったある日、帰宅すると玄関ドアの前にペル子がお行儀よく座っていた。
『ニャ、ニ』、以前のように短く鳴く。
~~ただいまー、ちょっと旅行に出かけていました~~
「あんたー、どんだけ心配したか」と駆け寄り、抱き上げた私の腕の中でゴロゴロと喉を鳴らし目を細める。私たちは何事もなかったかのように、またジャレ合い、愛を確かめたのだった。

 翌朝、餌をあげようと勢い込んでドアを開けた私の目に飛び込んで来たのは…、
 家主のいない、からっぽの段ボール箱。あの『ニャ、ニ』は、
~~ただいまー~~ではなく、
~~短い間だけどお世話になりましたぁん。もっと環境の良いお家を見つけたので、お引越しします。ではさよなら~~という挨拶だったのか? 多頭飼いができる住宅環境になかったことを悔やんだが、それは後の祭りだった。

 以来、ペル子の姿を見ることはないが、ひょっとして、の思いが捨てられず、たまに餌と水を補充してみる未練たらたらな私を、シャンコは冷ややかな目で眺めつつも、
~~本当に、ダメな人ね、あなたって~~、と本妻の貫禄で懐深く見守ってくれている。人生最初で、多分最後? の浮気は、様々な思いを私の胸に残し、思い出になろうとしている。実は戸の開け閉めに邪魔なのだけれども、まだ玄関前に置いたままの段ボールハウスを見る度に、ピリリと感じる胸の痛みは、やがてシャンコが癒してくれることだろう。

ペル子。 



誰かと新しい愛を育んでいてくれることを祈っています。

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