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近藤雄生

近藤雄生/ライター

子どもができると夫や妻は「親」になる。 海外で5年間、放浪の旅を続けて帰国した「遊牧夫婦」が、やがて「遊牧家族」に変わっていく日々を。

第10回 左の腕は覚えている。

 今年も早くも夏である。早すぎる。すでに7月というのが信じられない。
 ついこないだまで「おっぱい、おっぱい」と言っていた次女がもう2歳となり、あれこれ話すようになっているが、1年がこれだけ早ければそれもまた当然だと納得できる。
 長女と次女が二人で何やら話しながら遊んでいる様子を見ると、人間が4人いるという実感が増す。いよいよわが家も一つの「社会」になりつつある。

 長女は2歳のときにはすでに保育園に行っていたが、妻がいったん仕事を離れたため、次女はまだ行っていない。だが最近、諸々の事情で、長女が通う保育園の「一時保育」に次女を半日だけ預かってもらうということを2度経験した。

 その1度目の朝、長女とともに次女を保育園へと送っていくと、着いたときは特に泣きはしなかったものの、いざぼくが別れを告げると、まるで大人のようにじんわりと涙を溜めて「うっうっ」と嗚咽した。
 初めて知らない人の中に一人放り込まれるのである。しかも、どうして自分が置いていかれるのか、いつまた身近な人に会えるかもわからないことを考えると、不安の大きさは想像に難くない。
 でも、これも成長の新たな一歩である。乗り越えてくれと、心の中で言いながら、ぼくは次女に「バイバイ!」と手を振った。
 その日の様子をあとから聞くと、そのあとは比較的すぐに泣き止んで、保育園ではそれなりに楽しくやっていたらしかった。よかった、とぼくはほっとした。



 そして、その1カ月ほど後、すでに初夏の陽気となった6月下旬のある日、2回目の一時保育の機会が訪れた。1回目と同様に、朝、娘二人をぼくが保育園に送り届け、昼ごろにぼくが次女を迎えに行って午後を二人で過ごすことになっていた。
 朝の別れ際はやはり、前回と同じように泣き出した。すぐに泣き止むだろうと思っていると、1回目よりも激しく抵抗しながら泣き続けた。先生の手に渡ってからも、ギャーと叫んで地面に降りて、匍匐前進をするように必死にこちらに手を延ばす。
「いや~、いや~、おとうさ~ん!」
 泣き叫ぶ姿に胸が詰まった。

 おそらく少しは勝手がわかっているだろうから前回よりはスムーズにいくだろうと思っていた。しかし実際には、勝手がわかっているからこそ、嫌で仕方ないのかもしれなかった。
 かわいそうで申し訳なくも思ったけれど、自分がいなくなればすぐに気持ちも切り替わるだろうと、「バイバイ!」と言って振り返らずに自転車に乗った。次女もがんばっているんだから、この時間を大切に一生懸命仕事をしよう。そう考えて、ちょっとうるっとしながら家に帰って、原稿執筆に精を出した。

 そして3時間後。
 娘のおかげか、思っていた以上に仕事は進んだ。少しほっとした気分になって、12時半ごろ再び保育園へと自転車を走らせた。
「こんにちは」と窓を叩くと、中からは子どもの泣き声が聞こえている。その声に、「あれ、もしや」と思っていると、やはり次女だった。
「さらちゃん、おとうさん、きてくれはったよー。よかったね」
 先生がそう言い、カーテンを開けてくれると、顔をくしゃくしゃにして大泣きしている次女がいた。彼女はぼくの姿を見ると、その泣き顔のまま両手を前に伸ばし、ドタドタドタと不器用に足を動かしながらぼくのところに駆けてきた。
「どうしたよ~。がんばったなあ」。すぐに抱き上げ、左腕でお尻を支えながら抱きしめると、次女は小さな泣き声を上げながら、ぼくの肩に頭をうずめるようにして身をゆだねた。涙で肩がしっとり濡れた。

 先生は言う。
「さらちゃん、ずっと泣いてはってね」
「え、朝からずっとですか?」
「はい、そうなんです。お話をしたら聞いてくれはるんですけど、でもまたすぐに泣き出して。ご飯もたべなくて……。スープとお茶は飲んでくれたから、水分はとってもらえてよかったですけど」
 断続的ではありながらも、3時間以上ほとんど泣きっぱなしらしかった。そんなことは予想すらしていなかった。
「そうか、そうだったのかあ、ごめんなあ」
 と言って頭をなでると、顔を肩にうずめたまましゃくりあげながら少しずつ泣き止んだ。

 お世話になりました、ありがとうございました。先生に挨拶をして園を出る。そして、「がんばったなあ。食べてないならお腹減ったろ。何か好きなもの食べに行こ」と言い、自転車の後ろのチャイルドシートに載せようとすると、娘は身体をこわばらせた。
「いや、だっこがいい。だっこのままがいい」
 そう言って自転車に乗ろうとしないのだ。

「え? 抱っこのまま自転車乗るのは無理やって。抱っこひも持ってきてないし。後ろに乗ってくれないと、自転車こげないよ」
 1歳のころは、後ろの席は危なっかしくて載せられなかったが、いまは長女がいない場合は後ろに載せる。次女も、バネのある後ろの席に乗るのが好きなので抱っこひもは要らないはずだった。しかし、本当に寂しかったのだろう。ぼくの身体にぴたりと身体をくっつけて一切離れようとしないのだ。こんなことは初めてだった。
 こうなるともう説得は難しい。お菓子があれば状況も変わるが、それもなかった。もうこのまま行くしかない。
「わかったよ、じゃあ、抱っこしたまま行くよ」
 大丈夫かな、と思いつつ、次女を左腕に抱えたままでサドルに座り、右手だけでハンドルを握った。さすがに慎重になった方がいいと思い、最初は足で地面を蹴りつつゆっくりと進んだが、その状態では若干の傾斜でも全然前に進まない。そのため途中からそろりそろりと漕いでみると、ゆっくりであれば行けそうだった。そうして、左腕から肩にかけて2歳の次女を密着させて抱えながら、恐る恐る漕ぎ続けた。



 ちょうど昼ごろで日差しは強く、途中から猛烈に暑くなった。
 腕が辛くなってくる上に、全身から汗がにじみ出る。娘も、右手の中指と薬指を口にくわえてぼくの肩に身体を預けながら、随分汗をかいている。まだ6月なのに、もう、真夏じゃないか。間もなくやってくるだろう京都の猛暑を想像しながら娘に言った。
「お父さん、腕が痛いし、暑いよ……。さらも暑くない? 後ろ座る?」
 と何げに促してみるが、微動だにせずに、
「いや」
 と、短くひと言返してくるだけであった。

 大通りを通るときは、さすがに少し緊張した。これは普通に危ないなと思い、何度か降り、ときどき休んだ。
 行きたいと言っていたガチャガチャのある回転寿司チェーンは、この状態では遠くてとても行くことはできない。行きたいのなら後ろに乗って、と言ってみるがそれもだめ。結局、つめたいものが食べたいというリクエストに応えて、コンビニで冷やし中華と寿司を買って家で食べることにして、そのまま15分ほどかけてゆっくりと家まで帰ったのであった。

「だいじょうぶか?」
「うん」
 時々声をかけながらゆっくり自転車を漕いでいると、いま、とても貴重な時間を過ごしていることが実感できた。娘を片腕に載せながら自転車に乗ることなんて、おそらく二度とないかもしれない。来年の夏ごろには、片腕で抱えるのも随分大変になるだろう。いま娘は、暑かろうがなんだろうが、きっと何の心配もせずに安らかに過ごせているに違いなかった。そう思うと、こうして娘にすべてをゆだねられた状態で暑さと疲れを感じている時間が、とてもいとおしいものに思えてきたのだ。



 家に戻り、床に座って二人で食事を始めると、次女は納豆巻きの納豆を豪快にこぼしながら勢いよく食べ続けた。とてもお腹がすいていたらしい。そして急に饒舌になったので、保育園のことを聞いてみると、「さら、ちょっとだけないた、ちょっとだけないた」と言いながら、けらけらと笑った。すっかりいつも通りになっていた。

 窓の外には庭が見える。温かい日差しの中、白と紫のアジサイが満開に開き、深く鮮やかな緑色をしたブラックベリーの葉が瑞々しく茂っている。
 食事のあと、そんな生命力あふれる外の世界からいったん離れて休むため、ブラインドを下ろして部屋の中を暗くした。暑さのせいか、自転車で神経を使ったせいか、ぼくも急激に眠くなった。座布団をつなげて二人で並んで横になり、お気に入りの絵本を読み聞かせると、すぐにぼくの方がうとうとし、寝ぼけて勝手なことをつぶやいてしまう。その度に次女は、「ちゃんとよんで」と突っこんでくる。
 そんなことを繰り返しながらふと気づくと、彼女はうつ伏せになり、静かに寝息を立ててぐっすりと眠っていた。

 暑くて、あったかい、夏の午後が、こうしてまた過ぎていく。
 娘にとっては冒険の一日だったのだろう。
 ぼくにとっては思い出の一日になるような気がした。

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