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近藤雄生

近藤雄生/ライター

子どもができると夫や妻は「親」になる。 海外で5年間、放浪の旅を続けて帰国した「遊牧夫婦」が、やがて「遊牧家族」に変わっていく日々を。

第9回 桜がおしえてくれること。

 今年もまたこの季節がやってきた。
 卒業式、入学式、そして桜。
 木々や植物に疎い自分はこの時期いつも、あの木もこの木もみな桜だったことに気づかされ、日本にはなんと桜の木が多いことかと感じ入る。しかし桜が散るとすぐそのことを忘れ、来年再び、ああ、こんなに桜が、とまた思うのである。毎年それを繰り返している。
 学生時代を終えて長女が生まれるまでの7年ほどは、その大部分を海外で過ごしていたせいもあるが、4月だから何が変わるということはほとんどなかった。しかし、日本で暮らし、子どもの成長を日々見ていると、春が明確に一年の節目となっていることを実感する。

 昨年5歳になった長女は、この4月から保育園の年長組。小学校入学を来年にひかえ、すっかり女の子らしくなった姿を見ると、保育園に通い出した4年前が遠い昔に思えてくる。
 当初まだ1歳4カ月だった彼女は、朝、保育園で先生に預けると、いつも気が狂わんばかりに大泣きした。まだはっきりとした言葉にはならないながら、
「おとうさんー! おとうさんーー! いやー! いやーー!」
 と言うように暴れ回る。その娘を両腕でしっかりと抱きかかえた先生が「大丈夫ですから、お父さん、行ってくださいね。そよちゃん、お父さんにバイバイしよー」と見送ってくれる。すると娘がさらに「いやー!」と泣き叫ぶ。その様子に後ろ髪をひかれ、申し訳なさを感じながら、ぼくは胸がいっぱいになったり、少し涙ぐんだりしたものだった。

 しかし数カ月もするうちに状況は変わった。泣くこともあるものの基本的には笑って別れられるようになり、そのうち別れ際に見向きもされないようになる。成長を感じて嬉しくなるが、同時に、若干の寂しさを感じたりもするのであった。
 そうして次の春がやってくると、長女は、橙組から白組へと学年が上がった。その次の春には白組から緑組へ。さらに翌年に緑組から青組へと進級し、いよいよ今年青組を終えて、4月から最終学年の赤組になった。
 年を重ねていくほどに、そのときは忘れるはずがないと思っていた記憶がいつの間にやらあいまいになっていく。
「あれは何組のときのことだっけ?」
 もはや橙組時代と白組時代はあらゆる出来事が記憶の中で混ざり合い、しかも次女の記憶が重なり出したことで、もはや誰のことだったかすらわからなくなることも出てきてしまう。
 自分の記憶のいい加減さをそうして日々実感し、そうであれば桜の木のことを忘れるのも致し方ないと思ったりもする。

 そんな自分の記憶について情けなく思う一方、驚かされるのは、娘の記憶のあり方である。
 最近の出来事について、長女は信じられないほどいろんなことを覚えている。
「お父さん、あのときこのTシャツ着てたで」
「あの日一緒に公園に行ったのは、○と△やろー」
「違うで、あのときお母さんが食べたのはこのドーナツやで」
 まるでビデオでも見ているかのように鮮明に記憶を辿れる様子に、やっぱり子どもはすごいなあと思うのである。

 しかし、ぼくが驚かされるのは、彼女がよく覚えているということではない。最近のことをはっきりと記憶しているのと対照的に、年単位の過去のことを時に完全に忘れ去ってしまうことである。
 特に呆気にとられるのは、1年間あんなに毎日お世話になった保育園の先生について、先生がやめてしまったりすると、記憶から完全に消えてしまうらしいことだ。
「○○先生って、いまどうしてるんだっけ?」
「誰? 知らん」
「え、覚えてないの? ○○先生だよ。大好きだったよね?」
「覚えてへん」
「ほんとに忘れたの? ほんとに?」
「うん。知らんって……」
 真顔でそう言うのには絶句させられた。
 娘が極端なのかと思えばそうでもないらしい。秋の運動会のとき、前年度の担任で春に退職された先生が見に来てくれたとき、多くの園児が、全く知らない人のように完全にスルーしていたからだ。
 1年間、精魂込めて接してくださった先生としては、かなり切ないのでないかと思う一方、この年齢の記憶とはこういうものなのかと妙に納得させられた。

 自分のことを振り返ってみると、幼少期についておぼろげながら思い出せるのは、5歳くらいのときからである。そのころの幼稚園の先生のことはいまもはっきり覚えているし、幼稚園での出来事も断片的にだが思い出せる。仲良かった友だちや好きだった超合金のロボット、または親に怒られた記憶なども、限られてはいるが映像として思い浮かぶ。ここ数年の出来事だって忘れていることが無数にあることを思えば、自分は5歳くらいから、いまと同じように記憶するようになったのではないかと考えられる。
 長女も同じだとすれば、彼女はようやく最近、経験したことを将来まで記憶することができる年齢になったのかもしれない。つまりこれからは、一緒に過ごしている時間が一生彼女の中に残り、自分の行動も彼女の人生により大きな影響を与える可能性があるということになるのかもしれない。

 であるとすれば、逆に、もしいま何らかの理由で自分が娘たちの前から姿を消すことになったとしたら、自分のことはほとんど娘たちの記憶に残らないということになる。次女は間違いなくそうであろうが、これだけ日々コミュニケーションをとっている長女に将来、「お父さん? 全く覚えてへんわ」などと言われることを想像すると、あまりにも悲しくなる。そんな想像は、悲観的すぎる気もするけれど、しかしゾッとできるぐらいのリアリティはある。そして、それだけは、何があっても絶対に避けたいと思うのである。

 と、そんなことを考えていたら、ふと思い出したことがある。
 妻は、長女を出産したとき、生まれ出たその姿を見た瞬間、自分はおそらくこの子の一生を最後まで見届けることができない、ということがとても悲しくて涙が出たと言っていたのだ。出産のまさに直後のことである。
 それを聞いたときぼくは、何か母親と父親の、子どもとのつながりの確固たる違いを見た気がした。自分が、記憶に残してほしいなどと考えるのは、そもそものつながりが脆弱だからなのかもしれないと思うのだ。

 前回書いたように長女との「蜜月時代」もやってきて、娘たちとの距離が縮まっていくほどに、根本的なところでの母親との違いを感じてふと寂しくなることがある。いくら距離が縮まっても、自分には決して近づきえない領域がある気がするのだ。
 これが世の父親みなに共通する感覚なのかはわからない。ただ、たとえば自分自身と自分の父親との関係を思い返しても、もしかするとぼくの父親も同じように感じていたのかもしれないなとは想像できる。

 桜の木の記憶から、話は随分違うところに来てしまった。

 いや、案外そうでもないかもしれない。
 桜が咲きだそうとしている時期にすでに、散った後の寂しさのことを思い浮かべてしまうというのと似ているのかもしれないなと思った。

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