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近藤雄生

近藤雄生/ライター

子どもができると夫や妻は「親」になる。 海外で5年間、放浪の旅を続けて帰国した「遊牧夫婦」が、やがて「遊牧家族」に変わっていく日々を。

第8回 いつか、冬が来たら思い出す。

 5歳の長女が、このごろ急激に自分のことを頼ってくれるようになった。
「自転車、お父さんの後ろに乗るー」
「お父さんと一緒に行きたい」
「お風呂お父さんと入るー」

 そんなことをよく言うようになったのである。いざというとき、いやそれ以外にも、相変わらず母親でなければだめな場合は多いのだけれど、以前のことを思い出すとこれはかなり大きな変化なのである。
 1歳のときにはすでに、ぼくが風呂にいれると大泣きして嫌がった。またそのころ、妻が仕事で夜家に帰れず1週間ほど自分が寝かしつけをしたときがあったが、一見問題なく過ごせているように見えていたのに最後にはストレスが原因らしい激しい皮膚病を発症してしまった。1年くらい前までは自転車は妻の後ろにしか乗りたがらなかったし、「お父さんに似ている」と言われて泣いてしまうこともあった(残念ながら、圧倒的に妻よりぼくに似ている)。

 自分は仕事柄、一般のお父さんよりも子どもと一緒に過ごす時間は長いと思う。0歳のときは、妻の仕事の関係で週1回は日中を完全に長女と二人で過ごしていたし、朝も夜も、少なからぬ場合、家で一緒に食事をしている。それなのにこんなに距離をとられるのはなぜだろう。正直なかなかつらいものがあったし、似ているのがいやだと泣かれたら、こっちが泣きたくもなってしまった。
 そんなだったからこそ、自分に近づいてきてくれるようになったことは、正直びっくりであった。しかし言うまでもなく、とてもうれしいのだ。
 一時の気まぐれじゃないのか。そう思うときもある。これまでのことを考えると、またすぐに元に戻ってしまうのではないかという気もする。とりあえずここ数か月はたまたま距離の近い時期というだけなのかもしれない。それでも、大晦日と正月に、妻の実家で集まって食事をしたとき長女が「お父さん、となりにきてなー」と言うのを聞くと、思わず顔がほころんでしまうのである。

 さて、長女とのそんな「蜜月時代」の到来を喜んだこの新年、京都は元旦から大雪に見舞われた。3日の朝起きてみると、目の前の家々から遠くの山まで、外は一面の銀世界となっていた。寝室のベランダのブラインドを開けて外を見た長女は、興奮しながら声を上げる。
「うわあー、みてー! ゆき、すごいで!」
 ちょっと遅れて窓際に立った1歳の次女も、長女の真似をして、
「うわー、うわー」
 と声を出す。その前日に庭に作った雪だるまは、体の半分が雪の中に埋もれてしまい、それを見た長女がまた、「雪だるま、見えへんくなってるし! ははー!」と大笑いする。
 京都の冬はいつもなかなか厳しいけれど、こんなに雪が積もったのは見たことがない。それもそのはず、今年は61年ぶりの大雪だというのである。

 京都は、夏は暑いし冬は寒い。日本の中でもおそらく四季がはっきりしている方だろう。子どもは季節の変化とともにどんどん成長していくため、その過程は季節とともに記憶に残る。
 たとえば、次女は数か月前から〝二語〟の短文を話すようになったが、その様子はいつかぼくの中で、冬の景色とともに蘇る気がする。というのもこんなことがあったからだ。
 12月のある寒い朝、いつも通り長女を保育園に送り届ける時、事情があって次女も一緒に連れていかなければならなかった。長女は後ろの席に乗せ、次女はぼくの胸の抱っこひもの中。寒さに震えながら自転車をこいでいると、自分の身体に密着している次女がこう連呼する。
「て、いたい。て、いたい」

 手、痛い。抱っこひもに押さえられた腕が痛いのかと思い、腕の位置を変えてやった。しかし、そういうわけでもなさそうである。いくら手が自由に動くようになっても、「て、いたい」と言って泣くのである。どうすればいいのだろう。考えると、ふと妻が少し前に、次女が自転車の上で「あまりの寒さに泣いてしまった」と言っていたのを思い出した。そうか、手が痛い、というのは、寒さのことなのではないか。身体を刺すようなこの空気の冷たさを、寒さだとはわからないのだろう。確かに痛いのだ。

 そうか、と思ってぼくは自分のダッフルコートのトグル(留め具)を一つ外し、次女の小さな手をコートの中にそっと押し込んでやった。すると少しずつ泣き声を弱めた。「これで痛くないか?」。次女は何も答えない。でも少なくとも「いたい」とは言わなくなった。そしてそのうち、目に涙をいっぱい溜めたまま、静かに寝入ってしまったのである。こうした経験を積み重ねることできっと、寒さとは何か、「さむい」とはどういう意味かを身を持って知っていくのだろうとぼくは感じた。

 一方そのとき、後ろの席に座っていた長女も、寒さのせいで静かになっているようだった。「寒い?」と聞くと、「さむい」と言う。意気消沈していそうだったので、「元気か?」と声をかけると、娘は突然、大声を上げて笑うのだった。
「げんきやでーー! わーーーっ!」
 次女と長女の、それぞれの反応を微笑ましく感じながら、きっとこの場面は、寒さの感覚とともに、記憶の中に長く残っていくのではないかという気がしたのだ。

 話を再び新年へ――。
大雪が積もった新年3日目の夕方、ぼくは何枚か年賀状を買い足す必要があったため、長女を誘って近くのコンビニまで行くことにした。
 雪はだいぶ溶けてすでに地面が見えている。手をつないで滑らないように気をつけながら歩いていくと、長女は当然のように、雪が残っているところをたどるように歩こうとする。
「シャリシャリ、って音するで」
 そう言って、半分凍った箇所を見つけては飛び乗って、イチゴ柄の長靴が立てる音を楽しそうに聞いてニコッと笑う。と、すぐに
「あ、あっちはもっとシャリシャリやで!」
 と、ぼくの手を思い切り引っ張って今度は別の方向に走りだそうとするのである。そんな娘の手を握りながら、ぼくはわずかに感傷的になっていることに気がついた。

 自分にとって、いまこの瞬間がとても貴重なものだというのがよくわかる。でも娘には、そんな意識はおそらくみじんもない。ただ雪があって楽しい。それだけだろう。すべての瞬間をそうやって過ごせる娘のことが、なんだか羨ましくも思えてくる。
 娘は父親である自分のことをどのような存在として見ているのだろうか。どういう流れから、自分との距離感を変えるのだろうか。この光景を、娘がいつか、ああ、お父さんと雪道を一緒に歩いたなと思い出すことがあるのだろうか――。

 考えてもわからないことを、思わずふと考えてしまった。すると娘が突然言う。
「もう、つかれた~。だっこしてー」
 20キロになろうかという彼女を抱っこするのはなかなか大変だし、見た目にもいよいよ奇異な感じがしてきている。だから
「えー、自分で歩きなよ」
 と言ってみるが、かまわず飛びついてくる娘を、ぼくはうれしい気持ちで抱え上げた。そして、その重さを実感しながら彼女が生まれたころを改めて思い出す。腕の中にすっぽり入りそうだった小さかった身体がもうこんなに大きくなったのだ。身体も精神も本当に成長した。こうして抱えて歩くことができるのももうわずかな期間だけであろう。
 そう思うと寂しさもある。でも、こうも思うのだ。きっと期間が限られているからこそ、いまのこの喜びがあるに違いない、と。
 次の冬は、もしかしたら、娘はまた父親のことを嫌になっているということもあるかもしれない。しかし、それはそれでいいのである。時間がたち、関係が変わっていくからこそ面白いのだ。そうしてその時々の関係や感情を積み重ねる中で、きっと親子の関係は強くなっていくのだろう。

 娘の身体の重みを全身で受け止めながら、ぼくはそんなことを考えていた。そして、寒さの中に確かにある温かな幸せを感じながら、溶けた雪を一歩ずつ踏みしめるように歩いていった。

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