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近藤雄生

近藤雄生/ライター

子どもができると夫や妻は「親」になる。 海外で5年間、放浪の旅を続けて帰国した「遊牧夫婦」が、やがて「遊牧家族」に変わっていく日々を。

第7回 長く、壮絶な夜を越えて

 9月末に、1歳の次女が「断乳」することになった。娘の命を1年間つないできたおっぱいを、いよいよやめるときが来たのである。

 妻はこれまでずっと、夜中に必ず何度か「おっぱい~、おっぱい~」という次女に起こされていて、それが体調的にだいぶしんどくなってきているということがまずあった。また10月には妻の姉が京都で里帰り出産する予定で、「赤ちゃんが母乳を飲んでいるところをさら(次女)がそばで見たら、きっとやめるのが難しくなる」(妻)ということもあった。他にもいま断乳すべき理由がいくつかあり、決行することになったのだ。
 
 断乳のためには、乳首にわさびを塗るとか、アンパンマンの顔を描くとか、「突然おっぱいが姿を変えてしまった!」と思わせるという涙ぐましい手法がよく聞かれる(実際にそうやっている人がどれだけいるのかはわからないけれど)。その他、やり方はいろいろあるようだが、いずれにしても、大好きだったものから引き離されるのは大人でも辛いので、赤ちゃんにはそれなりに工夫がいるのは言うまでもない。

 ちなみに上の子のときは、2歳になってから断乳した。そのときもある程度工夫は必要ではあったもの、少しずつ遠ざけていくとそれほど大きな混乱もなくやめていってくれたらしい(「らしい」というのは、長女の赤ちゃん時代が、だんだんと次女のそれに上書きされてしまい、記憶が薄くなっているためです。いやはや、情けない記憶力)。

 だが今回、次女の場合は、こちらの都合もあり若干急ぐ必要があったので、さあ、今日から断乳してもらおうという感じで割と急激な変化を強いなければならなそうだった。
 とはいえ、わさびやアンパンマンは、「いままで一番好きだったものが急に怖いものになってしまうのはかわいそうで忍びない」との妻の言葉で実行はせず。とりあえず断乳数日前から、「もうおっぱいバイバイやな」「今日で最後な」などと妻が言い聞かせ、なんとなくそういう雰囲気を作り上げていくという、たぶん、もっともオーソドックスな方法でいくことになった。

 当日。
 日中、妻が再び「もうバイバイやな」と言い聞かせると、次女は多少不可解ながらもなんとなく納得している様子でもあった。急に「おっぱいおっぱい」と言わなくなったのだ。「これは案外すんなりいけるかもしれへんなあ」と妻。

 そして夜。今度は自分の出番となる。次女を寝かしつけるのはもともとぼくの役割で、寝る時はすでにおっぱいなしでも問題ない。しかしこの日は、夜中に起きたときもうおっぱいはもらえないということをわかってもらうために、いつもは妻の隣で寝る次女を、ぼくの隣で寝かせることにした。
 日中の様子から、もしかしたら状況を理解していて、起きてもそのままあきらめて寝てくれるのではないか、という若干の期待もあった。多少泣いたとしても、自分がちょっとあやしたらさっとまた寝息を立ててくれるのでは……。
 しかし、そんなにうまくいくはずもなかった。

 夜中2時過ぎ、いつもながらの泣き声が聞こえ出す。
「ふへ、ふへ……」というかすかな声から始まり、いつしか「うえーん、うえーん!」という甲高い泣き声に変わっていく。そして泣きながら助けを求めるように「おっぱい……、おっぱい……」と娘は声を上げだした。
 いつもなら、何度かそう言えばすぐにおっぱいをもらうことができる。ゴクゴクと喉を鳴らしながら飲み、呼吸を落ち着かせたらまたすぐに眠りに落ちていく。

 しかしこの日は、そうはいかない。娘はときおり瞬間的に泣き止んで、「あれ?」という顔をする。目から真ん丸の涙をポロリポロリとこぼしながら、暗闇の中、ゴロゴロと寝返りをうって移動して、手探りで母親を探す。でも見つからない。これはおかしいと目を開けると、なぜか隣にはヒゲの親父が……。それに気づくと娘は、異国で巨額の詐欺に遭ったことに気づいた人のような絶望的な顔になり、さらに声のボルテージを上げて泣き叫んだ。
「おーーっぱい! おーーっぱい! うぎゃーー!」

 ぼくは彼女の胸のところを、「大丈夫だよ、大丈夫だよ」と言いながらトントントンと叩き続ける。しかし、全く大丈夫ではないことは明らかだった。その手を押しのけて、娘はさらに声を大きくして叫ぶのである。
「おっぱい、お~っぱい! オーッパイ! オッパイーー!」
 そして、足をじたばたさせ身体を反り返られながら声の限りに泣き続けた。

 妻はこの一部始終を聞きながら、ちょっと離れた別のベッドで次女に見つからないように身を潜めている。ぼくの逆隣りに寝ている長女は、次女の泣き声の大きさに目を覚ましかけている。ここで長女も目を覚ますと状況はさらなる複雑系へと進化してしまうので、とりあえずそれは避けなければならなかった。

 ぼくは、次女を抱えて誰もいない隣の部屋へと移動した。そこでじっくり、抱っこして揺らしながら寝かしつけようとした。
 普段であれば、腕の中でゆらゆらと揺らしているといつしかガクッと力を抜いて眠りにつく。しかし今回はやはり、そう簡単には寝てくれない。寝室から出されたことに気がつくと、寝室に向かって手を大きく伸ばし、「ねんね! ねんね! ねんねーー!!」と連呼する。他の部屋に連れてこられたことが気に入らないらしく、まずは寝室に戻してくれ、という意志表示だ。ここでは話にならないぞ、と。

 何度も大きく反り返り、暴れ回り、全身でぼくの腕からの脱出を試みる。まださすがに力負けすることはないものの、しかし、数か月前に比べて力は確実に強くなっている。ちょっと気を許すと、そのまま床に落としてしまいかねない巧みな身体捌きに唸らされる。
 強烈なねんねアピールに、「じゃあ、とりあえずベッドに行ってお父さんと寝ような」といいながら寝室へと近づくと、とたんに今度は「おっぱい! お~っぱい! オッパイー!!」となる。いろいろわかっているのである。

 このまま寝室に戻れば結局ふりだしだろうと、今度は居間へ。そしてまた隣の部屋へ。しかし、状況はまるで変わらない。
 まるで薬物中毒患者の禁断症状のようだった。本当に耐えがたい苦痛を与えてしまっているのかもしれないとかわいそうになってくるが、しかし、ここであきらめてしまってはいけないのだ。

 だが、そんな様子が20分も続くと、ぼくはついに次女の様子を見ているのが耐えがたくなってしまった。寝室に入って妻を呼んだ。
「ちょっとかわいそうだよ。今日はもうやめようよ」
 妻からは特に反応がない。そこでもう一度「ねえ、起きてよ」と呼ぶ。
「ずっと起きてるよ。あきらめるの早いし……」そう言いながら、妻が起き上がった。次女は、絶叫しながら妻の胸に飛びついた。妻はあくまでもおっぱいはあげず、ただぎゅーっと抱きしめた。

 すると次女は、ピタリと泣き止んだのだった。それ以上「おっぱいおっぱい」ということもなく、ただ、しゃくりあげながら、母親の胸の中にうずくまった。目を覚ました長女は、何も言わずにじっと次女の様子を眺めていた。そして自分もと、そっと次女と母親に身体を寄せて、しばらく3人でかたまっていた。その横で、ぼくは自分の無力さをひしひしと感じていた。

 次女がようやく落ち着いて、再びベッドで寝しずまると、長女はその上にそっと毛布を掛けてから自分も再び布団の中にもぐりこんだ。
 その後、次女は再び何度か目を覚まして泣きだしたものの、もはや泣く体力も残ってないのか、すぐに力尽きたように寝息を立てた。
 そして朝起きると、次女は全く何事もなかったように笑顔で起きた。「パリパリ、パリパリ」と、いつもながら大好きなシリアルをぼくに求めてきたのである。

 その日、午前中はそのままにこやかに過ごしてくれたものの、昼になり眠くなると猛烈に泣き出した。しかし、その一度の号泣を経た後ではもう激しくおっぱいを要求することはなくなった。そして夜も、昨夜とは打って変わって、一度も目を覚まさずに朝までぐっすりと眠り続けてくれた。
「夜中一度も起きなかったの、生まれて初めてやったな」
 妻が安堵したようにそう言った。ぼくも、あの禁断症状の夜が今後数日は続くものと思っていたので、一日で終わったらしいことに驚き、そしてほっとした。
 その後まだときどき思い出すことはあるようだが、そうして無事に次女は断乳を達成したのだ。

 母乳をあげることによる身体への負担、毎晩夜中に何度も起きなければならず常に寝不足でいることの辛さ。ぼくはその大変さを、身を持って感じてきたわけではないけれど、次女が母乳を終えることは、自分にとってもなんだか感慨深いものがあった。妻にとっては一つの大きな区切りに違いない。ぼくは妻に聞いてみた。
「母乳もうあげなくていいってうれしい?」
 すると妻はこう答えた。
「ううん。寂しい」

 そんな会話をしているときにふと気が付いた。2008年に日本に帰ってからこれまで過ごしてきた期間が、ちょうど僕らの長旅の期間と同じぐらいであることに。そう考えると、いまとても大きな節目を迎えているような気になった。
 これからまだまだ子育てが大変であることには変わりはない。でも、なんとなく、いまから新たな5年が始まるような気分でもある。
 次はどんな5年になるのだろうか。
 ぼくはふと、ギリシャの島に暮らしている自分たちの姿を想像した。

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