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近藤雄生

近藤雄生/ライター

子どもができると夫や妻は「親」になる。 海外で5年間、放浪の旅を続けて帰国した「遊牧夫婦」が、やがて「遊牧家族」に変わっていく日々を。

第6回 旅ゴコロ、ふたたびの点火!

 4月からある媒体で、隔月で海外に行って紀行文を書くというとてもありがたい連載の仕事をいただいた。
 2008年の秋に5年半にわたる妻との長旅を終えて帰国してからは、ほとんど海外に行くことができず(一度、友だち夫婦とお互いに子連れでグアムにバカンスに行ったのみ)、「久々に旅をしたいなあ」とよく思うようになっていたので、願ってもない依頼だった。
 行き先は依頼主によって決められ、自分で選べるわけではないものの、海外に行けるのならどこでもいいという気持ちだった。そして1年間、6回のラインナップを見たときには、心躍った。特にその中に「上海」の文字を見たときは、あの長旅が急に蘇ってくるような気持ちになった。

 上海は、2006年から07年にかけて1年半ほど妻と二人で暮らした町だ。日本を出てから3年ほどがたち、ちょうど30歳になろうというころのことだった。ぼくはようやく「ライターです」と人に言えるくらいには仕事が得られるようになり、妻はここで就職し、中国人の中で働くという新たな経験を得ることになった。
 旅の中で一番長く滞在した町でもあり、だから、ぼくにとっても妻にとってもいろんな思いが上海にはある。
 当初、上海は連載の中ではまだ先の予定だった。だが6月、連載の2回目に行く場所の候補としてドイツかアメリカがあがっていながらなかなかはっきり決まらずにいると、急遽告げられたのだ。
「突然ですが、次回は上海になりました」と。



 7年ぶりの上海は、一見当時とまったく変わっていないように見えた。客引きががなりたてる大きな声、クラクションを鳴らしながら横断歩道に突っ込む車、道端に小さなテーブルを出してご飯をかきこむ人たち。豊饒な音とニオイが湿度の高い空気と絡み合い、アジアらしい熱気を生み出していた。
 おお、やっぱり中国だなあ……。そう思いながら、ぼくは早速懐かしの場所を巡って歩いた。当時暮らしていたマンションはそのままあり、そのすぐそばの、よく仕事をしに行っていたスターバックスも記憶通りの姿だった。そしてそのスタバの前には、妻が勤めていた会社が入っているビルがある。あのころの自分たちの生活は、まさにこのあたりを中心に動いていた。当時とほとんど同じ風景を見ながら、感慨深い気持ちになった。

 その一方、同じ場所に立ちながら当時といまの状況の違いを思い浮かべると、改めて時間の経過を実感する。
 あのころは本当に身軽だった。二人ともそれぞれ自分の分だけ働いて稼げばそれでよかった。ぼくは保険にも入ってなかったし、日本の住民票も抜いていたので税金も払っていなかった。日本に定住して2人の娘を育てる親となったいまから振り返ると、やたらと自由だった気がしてくる。
 けれど自分の仕事面で言えば、当時はいまよりずっと不自由だったことは間違いない。一応仕事はそれなりに増えつつあったものの、仕事がほとんどない月もあったりして、極めて先行き不透明な日々だった。
 しかしあの不透明感は、決して悪いものではなかった。ときどきあまりにも先行きが見えなくてぐっと落ち込むこともあったけれど、あの浮き沈みする感触は、自分にとってある種の原動力になっていたとも感じるのだ。
 久々に上海に来てあの当時の日々を思い出すと、再び、あの不透明な状況に陥ってみたいという気持ちになった。知らない町で一から新たに生活を築き、紆余曲折を経ながらも徐々にその町の住民になっていく。その過程がぼくはなんとも好きなのである。

 このコラムで前にも一度書いたことがあったが、遠くない将来、子ども2人を連れて4人で再び年単位の長い旅をしたいと思っている。
 ただもちろん、旅といっても前と同じようにはいかないだろう。子連れでずっと移動し続けるのは容易じゃない。だから、どこかに住むことが必要になるだろうとは思うけれど、知らない土地で暮らし、そこを拠点にさらに知らない場所へと移動していく、そんな日々を実現させたいと考えている。じつは住む場所のイメージは概ね決まりつつある。
 ぼくは以前はトルコのイスタンブールに住みたいと思っていた。けれども妻は、大きな都市に住むことには興味がないという。そこでもう一つ別な提案をしてみた。

「ギリシャの、エーゲ海の島に住むっていうのはどう?」
 これも興味を示さないのではと思っていたら、意外な答えが返ってきた。
「住めるんだったら住みたいなあ……。でも、そんなの無理やろ?」
 前向きな返答ではないか。それならとりあえず、ギリシャに住むことを目指そうじゃないか。そう思った。
 無理だろうと妻が言うのは、子連れだとぼくらが共に働くことができないからだ。つまり、ギリシャの島に住みながら、ぼく一人ですべての生活費を稼ぐのは難しいだろう、ということだ。
 確かに容易ではないかもしれない。しかし、それは考えていてもわからない。ぼくは、行ってみたら必ず方法があるはずだと思っている。
 ――行けば必ず道は開ける。それこそが、5年の旅の末に確信したことだ。とにかく、第一歩を踏み出してしまえばなんとかなるに違いないのだ……。

 上海でぼくは、ときどきそんなことを考えながら過ごしていた。
 何人かの旧友に会い、彼らの人生がそれぞれに動いていることを知った。当時仲良くなっていた老夫婦を訪ねて再会を喜び合った。
 上海のランドマークといえる高層ビル群の迫力に圧倒され、公園で太極拳や合唱やトランプに興じる老人たちの姿を幸せな気持ちで眺め続けた。そうした日々を送りつつ、あの当時を思い出すと、きっと再び新たな未知の世界へと飛び込んでいけるような気がしてくるのだ。

 ただ、実現させるならタイミングはとても重要だ。娘たちもいつまでも何も言わずについてきてくれるとは限らない。はっきりと理由もなく行くのだから、「なんでそんなところに行かなあかんの? 行きたくないし」と言われるとなかなかつらい。小学校の高学年にでもなれば、学校のことや友だちのことなど、行きたくない個々の事情がいろいろ出てくることもあるだろう。
 ぼくも妻も、もし実現できたらきっと子どもたちにとってかけがえのない体験になるはずだと信じている。だからなんとか説得したい。
 そのときのためにも、いまから娘たちを手なずけておかないといけないのかもしれない。しかしその点では時すでに遅しの感もある。娘たちはもう4歳と1歳。父親の言うことなど全然重要視していないのだから。

 しかし1週間の上海旅行から戻ってきたとき、少し光が見えた気がした。4歳の長女は走ってよってきてくれたし、1歳の次女は、一瞬忘れていたようだが、すぐに「はっ、この男は……」と思い出してくれたようだった。
 挽回の余地はまだありそうだ。

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