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近藤雄生

近藤雄生/ライター

子どもができると夫や妻は「親」になる。 海外で5年間、放浪の旅を続けて帰国した「遊牧夫婦」が、やがて「遊牧家族」に変わっていく日々を。

第5回 思い通りにならないひと

 長女がウクレレを習い出したことを前回書いた。それから3ヵ月。状況は大きく変わった。手つきもそれっぽくなり、先生にはこう言われた。「普通4歳ではこんなには弾けない。すごいうまくなる素質がある」
 そんな言葉を真に受けて、私たちも娘も、ますますやる気になってしまった。マホガニーの木目がきれいな、より本格的なウクレレも購入した(それでも全然値段が張らないのがウクレレのうれしいところ)。それを手にした娘を見て、このまま一気に上達街道を突き進むかと一瞬思った。
 しかしそううまくは運ばない。娘は、なぜかその後すぐにやる気をなくし、3月上旬を最後に、習うのをやめてしまったのだ。
 買ったウクレレは私が愛用しているので無駄ではなかった。ひそかに私が上達を続けている……というのは妄想かつ余談だけれど、それにしても、ものごと思い通りにはいかないものだなあと実感する経験となった。

 さて、件の長女の最後のウクレレ・レッスンの日、彼女がウクレレをやめるのにもかかわらず、私たち家族は浮かれていた。翌日から友だち一家と3泊で沖縄旅行に行くことになっていたからだ。
 異変が起きたのは、その夕方のこと。ウクレレはまだ弾けず、見ると即座にしゃぶりつく0歳の次女が、急に発熱したのである。
「38度ぐらいあるで……」。妻がそう言った瞬間、沖縄行きが絶望的になったことを理解した。夜になったら急にケロッと回復して、ということもあるかもしれない。しかし、淡い期待もむなしく、むしろ状況は悪化した。
 そして夜、21時頃だったろうか、熱が39度近くまで上がっていた次女は、私の腕の中で突然全身をこわばらせた。電気ショックでも受けたかのように身体を何度もブルッブルッと震わせる。目は焦点が合わない状態で中空を見つめている。
「え、けいれんしてるよ……。わ、わ、わ……」
 子どもが高い発熱とともに起こすいわゆる「熱性けいれん」のようだった。そうであればあまり心配することはないと知ってはいても、実際目の前にするとやはり冷静でいるのは難しい。私も妻も相当焦って、土曜の夜だったこともあり、急病診療所にかけこんだ。するとインフルエンザであることが発覚した。

「インフルエンザでけいれんを起こした場合は、インフルエンザ脳症という深刻な病気の可能性も考えなければならない」。そう話した医師の勧めでそのまま大きな病院へ移り、今度は血液検査を行った。次女は検査のたびに激しく泣き叫び、その姿を見るたびに妻も私も胸が痛んだ。待ち時間も含め2時間ほどを病院で過ごしたあと、私たちは大きく胸をなでおろした。特に深刻な病状ではないらしいことがわかったからだ。
 病院を出たのは夜中1時を回ったころ。タクシーに乗り込み、祖父母の家に預けていた長女を迎えに行った。そしてそのタクシーで自宅に戻ってきたのはすでに2時を過ぎたころだった。
「4時頃に起きて準備をして空港に向かう予定だったのにね。まさかこんな展開になるなんて」
 妻と二人、ぐったりとしながら、顔を見合わせて笑ってしまった。
 沖縄は完全に遠のいた。その上、その後、私と妻が順に次女からインフルエンザをもらってしまい、結局みなで5日ほどの自宅療養を余儀なくされたのであった。

 それから4週間がたった3月末のことである。沖縄旅行の一件はすでに過去のことになり、今度は次なるイベントを目前にして、私たちはまた浮かれていた。10年来の友人の結婚式がもうすぐだったのだ。
 オーストラリアでイルカボランティアをしていた時代に知り合ってその後ずっと仲良くしてきた女性で、とくに妻にとっては親友とも言える存在だった。妻はスピーチを頼まれていた。また、結婚相手がオーストラリア人ということもあり、私は、妻のスピーチをはじめ要所要所で通訳することを頼まれていた。だからもちろん、娘たちも一緒に4人で参加する予定でいた。

 式当日の2日前、妻がスピーチの文面を考え、私もそれを見ながらざっと英語の言い回しを考えた。そしてボランティア仲間たちとの久々の再会をあれこれ想像していながら眠りについた翌朝5時のこと。まだ暗い中、起き上がった妻がこう言った。
「さら(=次女)、熱があるみたい……」
 私は一瞬凍りついた。おい、マジかよ……。夜まで普通に元気にしていたし、突然熱を出すことなんて考えてもみなかった。いやな予感をさせながら、急いで体温を測ってみると――38度。今回は、あと1日余裕があったとはいえ、“終わった”ことを一瞬で悟った。たとえすぐに熱が下がったとしても、さすがにその翌日に0歳の子を電車に乗せて大阪まで連れていくのは気が引けた。

 朝、明るくなってから病院に連れて行くと、陽性反応は出なかったものの、インフルエンザの可能性はぬぐえないとのことだった。解熱剤を使ったものの、熱が下がる気配もない。結婚式は厳しそうなことがいよいよはっきりとした。ただ、妻はスピーチがあるし、大の仲良しでもあるので、行った方がいい。そこで妻が長女を連れて行き、私が次女の看病をしながら留守番ということになったのだ。
 結婚式当日の朝、妻と長女を送り出すと、私は次女をかかりつけの医師のところへ連れていった。すると幸い、インフルエンザではないことがほぼ確実となり、血液検査にも異常はなかった。よくある突発性の発熱だろうと診断された。私は再びほっと胸をなでおろした。そして落ち着いた気持ちで、もうすぐ妻のスピーチが始まるのかな、長女はおとなしくしてるかな、と結婚式の様子を思い浮かべた。ああ、自分も行きたかったなという気持ちをやはりどこかに持ちながら。

 この原稿を書いているのは、まさにその結婚式当日のことである。そしていま、眠りについた娘を、胡坐をかいた足の間に入れて寝せながら、キーボードを叩いている。
 娘は私の脚の上でほっぺたを真っ赤にして、片手の指で髪の毛をつまみながら眠っている。苦しそうな呼吸音と高い熱が足を通じて伝わってくる。苦しみをまだ言葉で表現することのできないそのいたいけな娘の姿を見ると、胸が締め付けられるような思いがする。
 娘が私たちの予定を知っているはずはないけれど、しかし2度も続くこのタイミングを考えると、もしかすると本能的に「行きたくない」「行ってほしくない」と訴えているのではないかと想像したくなってくる。
 いや、おそらく娘にそんなつもりはないだろう。もしこれが偶然でないとすれば、それは親である私たちが、イベントを前に娘の不調で行けなくなることを恐れるばかりに何かいつもと違うことをしてしまった可能性の方が高いだろう。
 ただ、その原因がなんであれ、私はこう思わざるを得なくなった。「思い通りに」という意識はもう捨てなければならないな、と。

 子どもというのはつくづく思い通りに行かないものだ。当然といえば当然だ。心も体もすでに一つの人格として自分の意思で生きている存在が、こちらの思い通りに動くはずがない。思い通りにしようと思った時点で、むしろ自ら問題を難しくしていることに気づかされる。子どもの状態や選択を含めて、そこには自分たち親が想像できない広がりがあり、そのすべての可能性を視野に入れ、流れに任せることをもっと覚えなければならないな、と。

 などとわかったようなことを書いてみると、妻にこう言われそうな気がしてきた。
「そんなん当たり前やろ。いまさら気づいたん?」
 いや、なんとなくわかっていましたが、ようやく、実感を持ってわかったということで……。
 いや、逃げるわけではない。しかしいまふと、自分の幼少期のことを思い出した。

 私は、小学3年生まで指しゃぶりをやめることができなかった。恥ずかしいということはよくわかっていた。だから人前では決してしなかった。夜、帰宅したあと一人静かにジョニ黒をコポコポと一杯やるように、当時の私もまた、一人になったときにだけ、静かに親指の先をチュルチュルと吸った。
 兄には、「言うことをきかなかったら、指しゃぶりのことを言いふらすぞ」と脅され続け、また、いまだったらすぐに「○○症候群」とか病名を頂戴しそうな状況だったが、両親は、特に何も言わずにいてくれた。そして3年生の誕生日に、いよいよこれ以上はやばいだろうと、その日を境にやめたのだった。
 小学6年生のときは、ようやく重い腰を上げて塾に入ったものの、私は行くのがいやでいやでしかたがなかった。そして塾に行く直前になると庭の隅で一人さめざめと泣いていた。そんな自分を見て母親は、まだ1週間しか行ってなかったのに「そんなに辛いならやめなさい」と言って、やめさせてくれた。

 ああ、きっと自分も、全く思い通りにはいかなかったに違いない。あのとき両親は、どんな気持ちでいたのだろうか。いまならなんとなく想像できるような気持ちになった。

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