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近藤雄生

近藤雄生/ライター

子どもができると夫や妻は「親」になる。 海外で5年間、放浪の旅を続けて帰国した「遊牧夫婦」が、やがて「遊牧家族」に変わっていく日々を。

第4回 娘がウクレレを習いだしたが…

 昨年11月、間もなく4歳になろうという長女が初めての習い事をはじめた。ウクレレである。そう、あの小さなギターのような、ウクレレだ。

 幼いころから習い事をさせることに自分はあまり積極的ではない。なんとなく英才教育的な連想が働いてしまい、私はそれが感覚的にあまり好きにはなれないためだ。
 一方妻は、英才教育的なことには自分同様興味はないものの、自身の経験から、楽器や語学などは、子どもの意思とは別に親が環境を作ってあげることがあとあと子どもにとっていい場合があるはずだと考える。

 妻の考えを聞いているとそれなりに納得するところもある。また、近くに住む姪っ子は1歳のときから水泳を習い始め、6歳となったいまやすっかり上達して、毎週とても楽しそうに通っている。その様子を見て、本人が興味を持つのであれば、幼いころから何かを習うことは悪いことではないのかもしれないと私も思うようになった。そして何よりも長女自身が、姉のように慕うその2歳上の姪っ子を見ながら、「自分も何か習いたい」とほのめかすようになったので、躊躇する理由はなくなった。

「何をやりたい?」
 長女に尋ねると、「ギター」と言う。「ギターなんてなんで知ってるの?」と聞くと、保育園の担任の先生が時々みなの前で弾いてくれるのだという。その先生のことが大好きな長女は、自分も先生みたいに弾けるようになりたいようなのだ。
 早速妻が調べてみると、偶然にも家のすぐそばにクラシックギターを教えてくれる先生がいることが判明した。ギターの先生が歩いて数分のところにいるなんて、何かの縁のような気もしてくる。ただ幼い頃からピアノを習ってきた妻は、経験から、楽器をやるなら家にあって毎日触れないとなかなか上達しないというので、ギターがうちにないことがネックになった。いきなり買っても娘がすぐに飽きてしまうかもしれないし、そんな無駄なことをする余裕はない。すると、妻が言った。
「この先生、ウクレレも教えてくれるみたいやで。ウクレレ、どうかな?」

 妻がそう提案したのは、ウクレレなら家にあったからだ。数年前、まだ長女が1歳にも満たない頃、私たちが友人の結婚式の内祝にもらったカタログから妻が選んだのがそれだった。カタログ内に特にそのときほしいものがない中、何か楽器らしいものがあれば子どもにとっていいかもしれないというのが妻の意図だった。
 ピンクという色、そして思っていた以上に小さかったことから、ぼくも妻も、このウクレレは子ども用のおもちゃだろうと考えた。娘は少し大きくなってから、時々喜んで触っていたものの、ジャランジャランと何度か弾いたぐらいで間もなく飽き、他の多くのおもちゃ同様にほったらかされるようになっていった。
 その存在が今回、突如思い出されたのだ。

 娘にも聞いてみると、「うん、ウクレレ、やる!」と目を大きくして顔をほころばせた。本気かどうかはわからないものの、とりあえずいやではなさそうだった。家にあるウクレレはおもちゃっぽいし、そんなんじゃだめですと先生に言われるかもしれないけれど、子どもがまず初めにやるのだったら、いいのかもしれない。とりあえず話だけでも聞きに行こう、ということになった。そしてある土曜日に、娘は三輪車をキコキコと走らせ、妻とともに先生のもとを訪ねたのだ。

 妻は帰ってくるなりこう言った。
「おもちゃじゃないって。あれで大丈夫だって」
 なんと、ウクレレは本当にあのぐらいの大きさらしかったのだ。
 先生も感じのいい女性だったという。私は娘に聞いてみた。
「ウクレレ、これからやりたい?」
「うん、やる!」
 間髪入れずにそう答えた。そうして娘にとって初めての習い事が、月に2回のペースで始まることになったのだ。

 レッスンにはいつも妻と娘で行く。私は次女と留守番だ。
 1回のレッスンは45分だが、その大半は雑談で終わるという。なぜかといえば、3〜4歳の集中力はものの10分も持たないからだ。ただ、雑談をしながらもああだこうだその時間楽器を触ってジャカジャカとやっていることに意味があるのだろう。一方、当の娘は、レッスンの一番の楽しみはビスコとジュースがもらえることだとはっきりと言う。2回目のときにはすでに、先生のところに着くや否や「お腹減ったなあ」と何気なくつぶやいたらしい。

 しかしそうはいっても、毎回宿題をもらって帰ってくる。家ではなんとかそれをやろうとしている。ウクレレに名前を付ける、弦をただジャカジャカやる、「メリーさんのひつじ」のリズムに合わせてジャカジャカやる、Cコードを押さえる、G7コードを押さえる、といった具合に少しずつその内容も高度になっていく。

 毎日10分でもいいから練習をしよう。そう言って毎晩、寝る前にちょっとだけでもウクレレを触るように促していると、娘も徐々にそれっぽく弾くようになってきた。だがそのうちに、だんだんと私自身がウクレレをやりたくなってきた。「ちょっと貸して」と、見よう見まねでやってみると、2つ3つコードを覚えるだけで、「メリーさんのひつじ」や「うさぎとかめ」の伴奏ができてしまうではないか! これまで楽器に縁のなかった自分はそのことに感動してしまった。音楽を奏でられる楽しさをいまさらながら実感し、私がはまってしまったのである。

 毎晩、娘が練習するのを横目でみながら「早く弾きたいなあ……」と思い、娘があきるや否や、「お父さんにやらせて」といって私が弾きだす。さすがにこのくらいのレベルだと、大人の方がぱぱっとできるため、娘がCコードの音を鳴らせるようになって「見てみて!」と得意気になっている間に、私は3,4つのコードを使って簡単な曲を弾くことができるようになっていた。

 娘としてはそんな自分のことが面白くないのかもしれない。その上、G7のコードを押さえるのが彼女の指の長さ的になかなか難しい(同時に3本の弦を押さえないといけない)こともあるのだろうか、ときに全然やりたがらず、私ばかりがやっているようなときもある。そしてふと見ると娘は、ウクレレには目もくれず、塗り絵をしたり、人形を出したり、次女にちょっかい出したりと、全く別な遊びに興じている。
 一方私は、自分の好きなジャック・ジョンソンの曲の伴奏がウクレレで簡単にできることを知って、ユーチューブでチュートリアルの動画を見ながら、「2014年のはやいうちに、“Better Together”を弾き語れるようになろう」などという、かつて思ってもみなかった年始の目標を立てたりしているのである。

 そんなとき、「そよ(長女の名)にやらせてあげや」と妻のシャープな声が聞こえてくる。娘は気にしてなさそうながらも若干視線が冷たい気がする。それに気づくと私はすかさず、「ほら、G7、もう一回やってみな」と娘に促すが、そのころにはもう娘はやる気を失っている。
「今日はもうやらへん」
 京都弁で娘が言い、「お母さ~ん」と大声を上げながら妻のもとへ行ってしまう。

 自分だけが東京弁のアウェー感。母と娘の間に割って入れない孤立感。
 そういった若干の寂しさを抱えつつ、私はウクレレをかき鳴らす。そして最近、こんなことを少しだけ夢見てる。娘と自分がウクレレをやり、妻がピアノを。次女にも何かやってもらって、いつか小さな演奏会なんてできたら素敵だな、と。

 そのためには娘にウクレレをがんばってもらうとともに、自分も上達しないといけないな。そんなことを考えていると、結局自分も、自分自身の勝手な思いを娘に託していることに気づかされる。本質的には、英才教育をする親と気持ちの上では何ら違わないのではないか。娘たちを将来、長期の旅に連れていこうという計画も、目指している方向が違うだけで、やっていることは同じなのではないだろうか……。

 うーん、しかし。
 子育ては結局、親自身が信じるようにやるしかないのだと思う。こうすればいいというセオリーはない。何が幸いするかわからないし、何が幸いしないかもわからない。とにかく、子どもと真剣に向き合って、自分たちがいいと思うことをやっていくしかないのだろう。
 そして私は思った。とりあえずこのままでいいのかな、と。
 ウクレレと旅。
 なんだか楽しそうな10年後が想像できるからである。

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