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近藤雄生

近藤雄生/ライター

子どもができると夫や妻は「親」になる。 海外で5年間、放浪の旅を続けて帰国した「遊牧夫婦」が、やがて「遊牧家族」に変わっていく日々を。

第29回 卒園式のサプライズ

 ネットを見てもテレビをつけても、新型コロナウイルスの話題ばかりが目に入るし、人と会えば挨拶のように新たな感染者数などの話になる。自分を含めおそらく多くの人がそんな日々に不安や疲労感をためている中で、今回は、コロナに触れずに書きたいなと思っていた。
しかし、3月末に志村けんさんが亡くなったことに自分でも想像しなかったほどショックを受け、さらには京都のよく行く場所で次々と感染者の報告を聞くようになって、もはや意識の中からコロナを追いやって原稿を書くのは難しく、それならばと、素直に感じていることから書くことにした。

 仕事の上でも、複数のものが途中で止まってしまったり、お金が払われなくなりそうになったりと、どこまでがコロナの影響なのか判然とはしないものの、そうした事例が急にいくつか重なったため、少なからずいまの状況が関係しているのだろうと思っている。しかも、日々の仕事場としている大学の図書館も使えなくなった。他の同業者たちがどうしているのかも気にかかる。

 そして広く知られている通り、小学校は3月初旬から一斉休校が始まって、この春で小5となる長女も、3月1週目からずっと休みだ。妻の職場に連れていったり、祖父母の家で過ごしたりしながらなんとか3月はしのいだものの、4月以降、学校がどうなるかは不透明で、生活がどうなるか、先行きは見えない。ちなみにそんな状況を、いまのところ長女自身は、長期休みが降ってきた感覚で楽しんでいる感じではあるけれど。


 自分は文章を書く身として、いまの状況に対して何かできることはないものかと思うものの、ほとんど役に立つことはできないままで、忸怩たる思いを抱えている。ただただ膨大で不確かな情報に追われ、あれこれ考えているだけの自分自身が残念だ。その一方で、だからといって焦らずに、とにかく自分がやるべきこと、つまり、日々の生活を進めるためにできることをやっていくのと、ウイルス対策として個人としてできることを粛々とやっていくしかないのだろうとも思っている。

 ただ、そのように気分の晴れない日々の中でも、子どもたちの姿を見ると、ふっと気持ちが解放される。持て余したエネルギーを発散させようと家の中で動き続ける娘たちや、保育園で走り回る子どもたちの姿には、すべてが止まってしまいそうにも見えるこの世界も、いや、ちゃんと動き続けている、先に未来が広がっている、と感じさせてくれる力がある。今回のコロナ騒動について何か救いを見出すとすれば、それは、子どもたちへのリスクがさほど大きくはなさそうなことだと思っている(少なくとも4月1日現在では)。


 さて、身近で最もそんなことを感じさせてくれる6歳の次女が、先日、保育園を卒園した。

 この連載でも書いたように、昨年は保育園に行けない時期も長かった次女だが、11月ごろからなんとか行ってくれるようになり、年が明けて保育園生活も残りわずかになってからは、それまでのことが嘘のように毎日普通に通ってくれた。時々、「行かなかった時期なんて、はて、あったっけ?」というような発言もするようになり、「おいおい、あの大変な4〜5カ月を忘れてしまったのか…!!」と突っ込みたくもなるものの、以前よりも明らかににこにこと笑う時間が増えた娘の様子を見ていると、何かを乗り越えた雰囲気があり、ただただ、よかったと思うのである。

 卒園式は、3月半ばに行われた。大学の卒業式の中止などが相次いで発表される中、どうなることかと思っていたが、時間を短縮する形で、なんとか行われることになった。娘たち28人の卒園児は、大切な節目の日をみなで迎えられることになったのだ。

 式では、一人ひとり順番に前に出て園長先生から卒園証書を受け取って、その後くるりと振り向いて、つまり、保護者や先生たちの方を向いて、大きくなったら何になりたいかを言う流れになっていた。娘はかなりの照れ屋というか人見知りで、普段は人前で話したりする機会をとにかく避けようとするタイプのため、大丈夫かな……と、どきどきしながら妻と長女と見守ったが、彼女の番になって担任の先生に「近藤さらさん」と呼ばれると、「はい」としっかり返事をして立ち上がった。そして卒園証書を受け取ると、拍手が鳴るなか振り向いて、落ち着いた様子でこう言った。

「おおきくなったら、しょうせつかになりたいです」

 堂々としたその姿は、最後の最後まで保育園でも「抱っこして」としがみつき、ほとんど誰にも挨拶もしないいつもの次女とは別人のようだった。保育園で過ごす日中の時間に、きっと親には見えないところで、こちらの想像以上に多くを考え、成長してきたのであろうことが感じられた。

 そしてぼくにとってはやはり、「小説家」というところになんとも言えない感慨があった。本好きの長女の影響でよく本を読むようになり、長女が「小説家になりたい」と言っている影響で次女もそう考えるようになったようだが、自分が本を書いてきたことと少なからずつながっていて、ちょっと嬉しくなったのである。とはいえもちろん、強い思いがあって言っている感じではないし、どこまでちゃんと理解しているのかもわからない。数か月後には全く別なことを言っているかもしれないし、それはそれでどう変わっていくのかが楽しみだ。いずれにしても、いまもまだ小さな幼児の印象である次女が、ひとまず自分自身の将来について言葉にし、自分の道を歩き出そうとしている様を見て、10年後、20年後の、彼女の姿を想像した。

 卒園式が終わってからさらに2週間ほど保育園に通ったのちの3月31日、いよいよ本当に保育園生活最後の日がやってきた。次女は担任の先生にこんな手紙を書いて渡した。
「さらはりっぱなしょうがくせいになるよ。せんせいもりっぱなおとなになってね」
 ぼくは笑い、そして思わずこみ上げた。先生は、次女をぎゅっと抱きしめながら涙を拭いた。


 翌4月1日には小学生となり、早速、長女とともに学童保育に通い始めた。長女と一緒にいられることがきっと大きな安心になっていて、ひとまずスムーズなスタートを切れている。しかし今後、学校が再開するのか休校が延びるのかはわからないし、入学式などのイベントも、軒並みなくなっていきそうな気もする。先が見えないことばかりである。

 それでもいつか、この騒動も落ち着く時がくるはずだ。いつになるかはまだ誰にもわからないが、落ち着けばすぐに、子どもたちはみな一斉に、外へと駆け出していくだろう。その時、自分も一緒に思い切り駆け出せるように、いましっかりと備えたい。

※4月8日追記 
次女の入学式は、短縮はされたものの本日無事に行われました。
辛抱のいる日々が続きますが、みなさま引き続き気を付けてお過ごしください。

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