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近藤雄生

近藤雄生/ライター

子どもができると夫や妻は「親」になる。 海外で5年間、放浪の旅を続けて帰国した「遊牧夫婦」が、やがて「遊牧家族」に変わっていく日々を。

第28回 お母さんが死んだらどうしよう

 長女は昨年10歳の誕生日を迎え、今春からは5年生となる。いつの間にか、小学校の終わりが見える年齢になってきた。

 このくらいの年になると、生活の諸事は別として、気持ちの面ではだいぶ自分たちの手元から離れてきた感じがある。それゆえに、この連載で長女について書く場合も、彼女自身の気持ちについて考えなければと思うようになっている。

 保育園児の次女については、不登園の話でもなんでも、まだ自分の判断で書いていいだろうと思ってしまう部分があるけれど(ちなみに次女の不登園は11月ごろにほぼ解消しました。先のことはわからないものの、とりあえずホッとしています)、長女については、もはやそのように考えられなくなりつつある。

 その境目をどの辺に置くべきなのかは定かではないが、長女の場合、あまり自分のことを人にさらけ出したくないタイプに見えるため、その気持ちを尊重しなければならないと思っている。親である自分からしたら、人に話しても問題ないように見えることでも、本人にとってそうであるかはわからない。特に学校でのハプニングなどについて書くことには、慎重にならなくてはと思っている。

 この連載は今回で28回。丸7年となるこの回で、2020年の初回を迎えた。連載を始めた当初は、子育てを始めたばかりの自分自身を、日々変化する娘たちの姿とともに描き出すような内容であったのが、だんだんと、成長していく二人の人間をそばから眺める視点になりつつあることに気づかされる。7年という期間は、そのように人が育ち、変化するだけの期間であるのだと改めて感じている。


 そういったことを踏まえつつ、最近の長女について、書いても差し支えないだろう話として思い浮かぶことが一つある。それは、彼女がここ数カ月ほど、
「お母さんが死んだらどうしよう」
 と、よく言うようになったことだ。妻が少し体調を悪そうにしていると、「大丈夫……?」ととても心配そうな表情をする。妻が定期健診的な検査で病院に行くときにも、「何か病気だったらどうしよう」と表情を曇らせる。そして時にふと、「ああ、お母さんが死んだらどうしよう……。いややなあ」と言い出したりもするのである。

「大丈夫やって。まだまだ何十年も死なないから。いまからそんなこと心配しんときや」と妻が言う。ぼくもやはり同じようなことを言うのだけれど、長女の思いを聞きながら、よくわかるなあ、と感慨深い気持ちにもなる。というのも、ぼく自身もちょうど娘と同じころに、まさに同じように考えたことがあったからだ。


 自分の場合、その対象は母親ではなく、祖母だった。祖母は、ぼくが生まれる前から同じ家に暮らしていて、自分にとっては第二の母親のような存在だった。おそらく祖父母の常として、親のように叱ったりする必要がなく甘やかすだけでよいためもあり、ぼくは母よりも祖母になつく、いわゆるおばあちゃん子として育っていった。

 兄も妹も、少なからず同じだった。父方の祖母だったこともあり、母にとっては様々な難しさや辛さもあっただろうことがいまになっては想像できるが、母に怒られると祖母の部屋に逃げ込んだりと、何かといえば、ぼくは祖母を頼っていた。母ではなく祖母の死についてまず気がかりに思ったのは、そんな関係性ゆえだった気もするし、年齢的に祖母の方がより死が近いはずであることがわかっていたからだったとも思う。

 いずれにしてもその祖母が60代に入ったころ、一時的に、遠方に住む叔母家族と暮らすために、半年ほどぼくらの家を離れることになった。それはぼくが小学3年生くらいのときのことで、祖母がしばらく家を離れることを知らされたときは、さみしくて泣いた。そして急に、祖母もいつか死ぬんだ、ということがすごく心配になったのだ。半年離れるだけでもこんなにさみしくて辛いのに、いつかおばあちゃんが死ぬとき、自分は耐えられるのだろうかと。おばあちゃんが死ぬまでにはきっとまだ20年ぐらいはあるだろう。そのとき自分は30歳近くになっている。それだけ大人になっていれば、耐えられるのだろうか、いや、どうなのだろう……。

 ある日、校舎の壁に寄り掛かって一人そんなことを考えたのを、いまもその風景とともにはっきりと思い出せる。身近で大切な人の死という問題を初めて真剣に考えた経験は、きっとそれだけ大きなことだったに違いない。

 しかしその後は、特にそのような心配をすることはないままに、一年また一年と過ぎていった。そして次に思い出すのは、確か高校時代のある日のことだ。心身ともに若干の不調を訴えるようになっていた祖母が久しぶりに作ってくれたカツ丼を見て、胸が締め付けられるような気持ちになったのだ。

 祖母は料理がとても上手で、時々、母に代わってご飯を作ってくれるときには、いつもきめ細かく調理した。カツ丼を作るときは、小さなフライパンで一人分ずつカツを温め、最適なタイミングで卵をかけてさっとご飯の上に載せてくれた。そして「さあ、熱いうちに食べなさいよ」と言って出してくれたのが印象に残っている。

 だがその日、久々に台所に立った祖母が作ってくれたカツ丼は、見るからにかつてのものとは大きく違った。さらに祖母自身がそのことを認識しているのかどうかが定かではない様子が、ぼくにはすごくショックだった。当時はまだ70代に入ったばかりで、いま考えると決してそんなに高齢というわけではない。しかし祖母は、おそらくそれだけ心身に困難を抱えていたのだろうと思う。久々に作ってくれたカツ丼がそのことを強く印象付けた。そしてそれから数年後、75歳になって間もなく、祖母は突然この世を去った。

 そのときぼくは22歳で大学3年生だった。かつて想像したよりもずっと早く、祖母の死が訪れたことになる。しかしその時すでにぼくは、その悲しみを受け止められるほどには成長していた。そして、祖母の死について考えたあの日のことを思い出し、「ちゃんと耐えられるようになっていたな、自分は随分大人になったんだな」と思ったことを覚えている。


 母親の死について心配するようになった長女を見て、あのときの自分と同じ気持ちなのだろうなあと想像する。それはおそらく、彼女が一定の成長を遂げたことを示している。いずれ直面する身近な人の死について考えられるようになるためには、様々な知識や想像力が必要となるはずだからだ。

 長女はいよいよ、幼少期と呼べる時期を終えようとしているのだろう。これから青春と呼べる期間に入っていき、その後いずれ、自分自身もいつか死ぬということをはっきりと自覚する。そしてその時、青春期も終えることになるのだと思う。

 自分の腕の中に収まる大きさだったのがついこないだのことのように思い出されるが、すでに随分遠くまで来たのだなと実感する。もはや何でもかんでも父親に書かれるのを嫌がるようになったとしても当然だ。いや、むしろそれが自然なことなのだろうと思う。

 妻の死を心配する長女に、ぼくは後に付け足した。
「うん、そうだなあ……いつかどうしても、その時はやってくるよ。でも大丈夫。きっとその時には、耐えられるようになっているよ」
 何十年後かはわからないが、必ずやってくるそのときの、娘たちの姿を想像した。

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