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近藤雄生

近藤雄生/ライター

子どもができると夫や妻は「親」になる。 海外で5年間、放浪の旅を続けて帰国した「遊牧夫婦」が、やがて「遊牧家族」に変わっていく日々を。

第2回 「わが家の一番長い日」から3年半

 5年に渡る長旅を終えた1年後に娘が生まれた話を前回書いた。それから3年半が経った今年4月、第2子が誕生した。
 その直前のこと――。

「赤ちゃんがお母さんのお腹から出てくるところ、一緒に見ようか?」
「うん! 見る!」

 長女のそよはすでに3歳になっている。できることなら彼女も出産に立ち会わせたいと思っていた。長女が生まれる瞬間に立ち会った経験は自分にとってとても貴重なものだったし、自分がどうやってこの世に生まれてきたのかを自分の目で見ておくことは娘にとっても決して無駄ではないはずだと、私も妻も考えていた。3歳というのは、本当になんでもわかる年齢なのだ。
 ただ病院が許可してくれるかどうかは気にかかった。というのも、一人目が帝王切開だったため、今回も帝王切開ということが最初から決まっていたからだ。さすがに3歳の子は、手術の現場には入れてもらえないかもしれないと思っていた。
 でも大丈夫だった。

 「全然問題ないですよ。すごい泣いたりするようだったら外に連れて行ってもらうようにお願いすることもありますけど、小さなお子さんはみな大抵、静かに見ているものですよ。お父さんよりも落ち着いてるときもありますからね」

 医者は笑いながらそう言ってくれた。よし、それならば、と娘を立ち会わせることにした。

 手術当日。
 手術室に行く妻を見送ってから40分ほど後に、看護師から声がかかった。
「お父さん、どうぞ入ってください」
「よし、そよ、行くぞ」
 娘を抱きかかえ、二人とも手術衣に帽子とマスクをつけて手術室へ行った。手を消毒して中に入ると手術台に横たわった妻がいる。彼女の頭の上の方から入ってきた私たちに、仰向けの妻は首を後ろにねじるようにしてこっちを見て、娘に向かってにっこり笑う。
「ほら、お母さんだよ」
 妻は酸素マスクを着用し、身体は青いシートに覆われている。シートはすでに血で汚れ、その周りを知らない人たちが取り囲み、何やら一生懸命やっている。いつもとはあまりにもかけ離れた姿の母親との対面に、もしかしたらいきなりここで大泣きするのではないかともちょっと思った。しかし娘は、神妙な顔を保ちながら無言のまま妻を見た。ひと言も声を出さずに、ただ静かに見つめていた。これから何が起こるのか、それなりにわかっているようだった。
「もうすぐ赤ちゃんが出てくるよ。楽しみだね」
 手術台に近付くと、血だらけになっている妻の腹部がそのまま見える。事前に看護師に聞いていた通り、すでに皮と脂肪は切ってあり、さあこれから子宮を切る、という段階で私たちは呼ばれたようだった。
 あまりにもオープンにすべてが見えているので、さすがにこれは娘には見せない方がいいだろうと、手で視界を遮った。しかし娘は、母親のお腹が真っ赤に染まっている様子が気になって仕方がないらしく、私の手をかいくぐるようにして何度もそっちを覗こうとした。すると間もなく医者が言った。
「もうすぐ出ますよ」
 何かをぐいっと引っぱり上げるような強い音が何度かしたあと、抱きかかえられながら赤ちゃんが姿を現した。小さな赤黒い身体は羊水にぬれ、全身に血もついている。
「赤ちゃん、生まれました!」

 長女は、何も言わずじっと赤ちゃんを見つめている。手術台から離れ、その横の台で看護師が赤ちゃんの身体を拭いたり、私がへその緒にはさみをいれたりした。娘は私の身体にしっかりとつかまりながら、一つも見落とさないぞ、という顔でその様子を凝視する。そして一方、やはり気になるのだろう、子宮や腹部を縫い合わされている母親の方を、何度も何度も振り返った。

「そよもこうやってお母さんのお腹から出てきたんだよ」
 3年前、長女が生まれ出たときの風景と感情が一気に鮮明に蘇った。私は再び立ち会えたこの誕生の瞬間に胸がいっぱいになりながら、長女の様子を見て、3年という時間の長さを実感した。たった3年前に同じようにして生まれてきた人間が、いまそれをじっと見つめ、自分なりに状況を把握しようとするまでになっているのだ。

 生まれてきたばかりの次女も、3年もたてばこんな風になるのだろうか。ぼくはそんな想像をしながらこの世に生まれ出たばかりの赤ちゃんの姿を、長女とともに見つめていた。そして、この二人を生み出してくれた妻に心から感謝した。

 そうして家族は4人になった。



 今年で私たち夫婦が5年の旅に出てからちょうど10年となる。
「もう10年になるなんて、本当に早い」
 とも思う。しかしその一方で、この10年で自分たちの環境がとても大きく変化したことを考えると、10年というのはやはり長い、とも思う。

 妻と二人でオーストラリアのシドニーに降り立ったのは、2003年6月のことだった。
 1か月後にどこで何をしているかもわからない生活が始まったとき、私は一瞬でも10年後の自分を想像したことがあったかどうかわからない。
 おそらく、なかった。きっとそんな遠い先のことよりも、ただ、その日その日を最大限に生き切ることが私たちにとっては大切だった。

 これからの10年もそうありたいと思っている。

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