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近藤雄生

近藤雄生/ライター

子どもができると夫や妻は「親」になる。 海外で5年間、放浪の旅を続けて帰国した「遊牧夫婦」が、やがて「遊牧家族」に変わっていく日々を。

第14回 春から夏。人間は刻一刻と変化する。

 4月から、2人の娘がそれぞれ新生活をスタートさせた。
 6歳の長女は小学校に入学し、3歳の次女は保育園に入園した。

 長女が小学校に通いだすと、3月まで5年間続いた保育園時代はあっという間に遠い過去となってしまった。
 保育園で仲の良かった友だちとは自然と疎遠になっていくし(本人同士で連絡を取る手段がないのであるから当然ではあるけれど)、小学校では新しい友だちができていく。それに伴い親同士の付き合いも変わっていき、なんとなく娘周りの人間関係は、この春で大転回を迎えたような感じになる。

 自分の幼少期から児童・生徒・学生時代を思い返すと、学校を卒業して次の学校に進むたびに、人間関係がいつも大きく変化したことを思い出す。小学校で仲良くても、中学が違えば疎遠になり、中学時代に仲良かった友だちも、高校で分かれると連絡は途絶える。そして高校で毎日をともに過ごしたような友人も、大学が違えばもう全然会わなくなったりするものだ。

 それがいまは、組織に所属していないこともあり、毎日会って濃密に一緒に過ごす人がほとんど皆無で、この人ばかり、となることがない。それゆえ誰とも、突然疎遠になったと感じることもほとんどない。
 いろいろな人とただフラットに、つかず離れずに付き合う感じで、学生時代の友だちと急にたまたま縁があって会うようになってまたすぐに会わなくなったり、仕事を通じて知り合って気が合った人と別の機会に再会したものの、その後気づいたら2年ほど会ってなかったりと、付き合いはだんだんと細く長くなっていくような気がするのである。

 自分はそういう現状に若干の寂しさを感じているからなのだろうか、娘たちが毎日、仲のいい友だちと濃い関係を築いていることがときどき、ふと羨ましくなる。
 そして同時に、入学・入園して3カ月近くがたち、ようやくそれぞれの新生活に慣れ、楽しそうに通学・通園するようになった娘たちを見送りながら、毎朝ほっとするのである。

 入学したての4月、長女はひとまず順調に学校に通い始めた。朝の集団登校が慣れないようで、家を出る前にはいつも「おなかがいたい……」と顔をしかめたりはしていたものの、とりあえずは時間通りに家を出て行く。帰ってくると決まって「学校楽しかった!」と笑顔で言い、その日習ったことなどを陽気に教えてくれるのだった。

 長女は朝8時前には集団登校の待ち合わせ場所に行かないといけないので、まずは彼女を送り出す。薄紫色のランドセルを背負い、水筒を肩からかけて、家の前から商店街への曲がり角までの数十メートルを頼りない足取りで歩いていくのを、妻、次女、自分の 3人で見送る。それから30〜40分したあとで、ぼくが仕事に行く足で次女を保育園へと送っていく。

 楽しげに学校に通いだした長女とは逆に次女は、4月は毎朝のように泣いていた。引っ越した関係で長女とは異なる保育園であるため、ぼくと妻にとっても新たな環境だったのだが、生まれてから3年間ずっと家で妻と過ごしてきた次女にとって、一人保育園に放り出されることは、きっと世界がひっくり返るような変化だったに違いない。

 毎朝、起きるとすぐに「いきたくない」と泣き始める。「行ったら楽しいよ、すぐに好きになるよ」などと言いながら着替えさせ、朝食のパンやスープを少しでも口に入れさせて家を出る準備を進めるものの、さあ、行こうという段になるとさらに激しく「いや、いや!」と泣き叫ぶ。なんとかなだめて保育園まで自転車を走らせ、コアラの子どものようにしっかりとしがみついているのを先生に引き剥がしてもらいながら預けようとすると、ぼくの服を渾身の力で引っ張って「いやあ~!」と三度激しく泣くのである。

 そのたびに、長女が保育園に通いだした頃を思い出し、別れ際、ぼくもいつもぐっと来た。「楽しく過ごせよ!すぐ迎えに来るから!」。そういって振り切るようにして保育園を後にするのだった。

「最初だけですよ。大丈夫ですよ」
 保育園の先生がそう言うように、そしてぼくらもそう信じていたように、次女もそのうち落ち着いていった。行かざるを得ないことがだんだんとわかってくる。と同時に仲良しもできてくるし、先生が自分の味方であることも理解してくる。
 次第に涙は減っていき、ひと月も過ぎると、朝は「はやくほいくえんにいきたいなあ。○○ちゃんときょうもあそぶー」と言い、帰りには「もうちょっとあそびたい」と帰りたがらないようなことも増えていった。
 よかった、やっと慣れてくれた。

 5月に入ったころ、そうしてようやく一息つけた。これで2人とも安泰か、そう思った。しかしそうはいかなかった。今度は長女がぐずりだしてしまったのだ。まさに5月病というやつなのか、GWが終わると急激に学校がいやになったようだった。
 行きたくないと言っては朝泣いて、それを妻と2人でなだめて学校へ送り出すのが日課となった。時に自分が集団登校の集合場所まで連れて行き、あるいは妻が学校まで一緒に行った。学校に行っても、やはり帰りたいということで、先生から電話があり、妻が迎えに行って早引きして家に帰ってくることもあった。

 長女にしても次女にしても、こうして少しずつ家を離れ、母親から離れ(残念ながら父親と離れるインパクトはあまり大きくない模様だけれど)、自分たちの足で歩き始める春から初夏の日々となった。2人を見ていると、それが彼女たちにとっていかに大きな挑戦であるかが感じられる。娘たちがともに、どちらかと言えば内気でシャイな性格のせいなのかもしれないけれど、いずれにしても、社会の一員としてこれから長い人生を生きていく最初のステップを、それぞれに必死に踏み進めようとしているのだ。

 そうした悩ましげな時期を経ながらも、しかし2カ月が経ち6月に入ったころには、ようやく2人とも楽しそうに、それぞれ小学校と保育園に行くようになった。
 6月から妻が仕事に復帰したため、長女は学童保育にも通いだし、年上の友だちもできるようになった。友だちと一緒に帰ってきたり、寄り道をしたりもするようになった。家と学校の周りの空間を把握して、自分たちがいなくともある程度好きに行動できるようになったことに、すごく大きな成長を感じるのだった。
 次女もまた、迎えに行くと、先生や友だちと離れたくなくてなかなか自分に近づいてこなくなった。父親としては少し寂しくありつつも、とても頼もしくうれしく思う。 

 自分は、仕事で京都にいない時以外はほぼ確実に家で食事をしているため、おそらく日々の8割以上は、朝食も夕食も4人である。これまでは2人とも「おかあさんのとなりがいい!」と、食事の時間ごとに座る場所の取り合いを繰り返していたのだけれど(一度決めても、なぜか毎日そうなってしまう)、最近は長女と次女が互いに隣同士で座りたいと言うことが増えてきた。必ずしも母親の隣でなくてもよくなってきたのだ。
 寄せ合った二つの小さな木の机を4人で囲んで、毎日同じように食事をしながら、いよいよ自分たちも家族らしくなったなあとこのごろ思う。つまりそれぞれに自意識を持った4人の人間が集まっている雰囲気が、「族」と呼ぶのにとてもしっくりくるのである。

 そういう時間をすごす中で、もう一つ気づかされることがある。それは、いまの自分にとってこの家族こそが、学生時代の友人たちのように、意図せずとも毎日会って一緒に過ごす唯一の相手なのだということである。娘たちと妻と4人で食事をしながら、ときどきふと学生時代に戻ったような気持ちになるのである。
 とすれば、学校を卒業してみなと疎遠になるように、いつかまたこの関係も変わっていくのだろう。
そう思うと寂しかったり、うれしかったり。
 でもいまはただ、この時間が愛おしい。

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