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近藤雄生

近藤雄生/ライター

子どもができると夫や妻は「親」になる。 海外で5年間、放浪の旅を続けて帰国した「遊牧夫婦」が、やがて「遊牧家族」に変わっていく日々を。

第25回 平成最後の春に想う

 ここ5、6年にわたって取り組んできた仕事が終わり、1月末、1冊の書籍となった。『吃音 伝えられないもどかしさ』(新潮社)である。

 吃音(きつおん)、つまり、どもりは、自分にとって10代から20代にかけての最も大きな悩みだった。その当時も、一見して他の人にすぐ症状がわかるようなものではなかったけれど、ぼく自身にとっては就職するのを断念しようと思うほどの問題だった。自分が学生時代を終えたのち、どこにも所属せずに文章を書いて生きていく道を選んだのも、もとはと言えば吃音があったからだとも言えるのである。

 15年以上前、ライターとして初めて取り組んだテーマも吃音だった。そして以来、いつかじっくりと取材してまとまったものを形にしたいと思い続けてきた結果、2014年~17年にかけて『新潮45』誌に不定期で連載する機会を得た。それをまとめて大幅に書き直して出来上がったのが、この書籍なのだ。

 吃音は自分にとって何よりも切実なテーマであり、自分ならではのテーマだという気持ちが強くあった。世に訴える価値が大きいことにも疑いがなかった。そして取材対象者や編集者の多大なる力添えもあって、一点の妥協もないと思えるところまで力を尽くして書き上げた一冊であるからこそ、何としても多くの人に読んでもらい、吃音という問題について社会に一石を投じることになる本にしたいという思いが強かった。

 だから本が完成して、発売するまでは本当に緊張したし気をもんだ。広く読んでもらえるのだろうか。あまり見向きもされないまま、消え去っていってしまうのではないか……。 

 そして実際に発売になると、想像していた以上の反響を得ることになった。発売直後から、連日多数の感想が届き、取材依頼もこれまでにないほどいただいた。様々な媒体で紹介していただいて、今なおその流れは続いている。

 一人コソコソ自宅そばの大学の図書館で悩みながら書き続け、もう完成できないのではないかと途方に暮れた一時期もなんとか乗り越えて出来上がったものが多くの人に読まれているということに単純な喜びがある。

 さらに何より、伝えたいと思っていたことが伝わった実感があり、吃音について広く語られる場が増えているらしいことが感慨深い。ただ逆に、広く読んでもらえているからこそ、この本に登場してくださった方たちに思わぬ負担をかけているかもしれないこと、また、もしかすると当事者の方たちに何か予期せぬ負の影響を与えている場合があるかもしれないという懸念もあり、出版後、そんな不安が頭をよぎることも続いている。
 そうした点に書き手として真摯に向き合うとともに、かつ、当事者の一人として、これからも自分にできることをやりたいと思っている。

 その一方で、この書籍が完成し、長年の仕事にひとまずの区切りがついたいま、次に自分はどんなテーマに取り組んでいくべきかということをいまよく考えるようになっている。


 今回の本を書き上げるのに5年ほどの時間がかかっている。また、この本の前にぼくは、旅をテーマとした作品を書いているが、こちらの場合はシリーズ全3巻でではあるものの、やはり仕上げるのに約5年の時間がかかっている。

 つまりここ10年間についていえば、5年1テーマというスパンで、自分にとって軸となる仕事が進んでいるという感触がある。もしこれからも同様に、テーマを決めて取材をして書く作品的なものを仕上げるのに一つ5年かかるとすれば、あと4作も書けば自分は60代に入っている計算になる。6作で70代……。

 そう考えると、自分が残りの人生で書けるものは決して多くはないように思えてくる。20代、そして30代前半ぐらいまでは、新しいことにとりあえず挑戦する、ということが大事だった。そうすることで新たな世界をどんどん開いていかなければならなかったし、様々な力を身につける必要があった。実際にそうした結果、30代の後半から40代の前半という時期にかけて、自分にとって最も大切なテーマについての本を、自分なりに納得いく形で仕上げることができたように思っている。

 しかし40代に入り、人生の残り時間を少なからず意識するようになったいま、これから新たに取り組もうとすることに対しては、かなり違った気持ちがある。手あたり次第に新しいことに挑戦する時期は終わったように思っているし、少なくとも自分としては、吃音の後にじっくり取り組んでいくテーマについては、今後の人生の5年を費やしても後悔がないと思えるものをしっかりと見極めて動き出したいと考えている(逆にそう気負いすぎるとフットワークが重くなって、かえって無為に時間が過ぎていってしまいそうな気もしているのだけれど)。

 自分にとって切実であり、自分が書く意味が見出せて、かつ社会にとっても意義があるテーマとはいったい何か。旅と吃音以外で、そのようなものがあるかといえば、いまのところ具体的には見出せていない。
 一応、次に取り組もうとしているテーマは決まってはいて動き出そうとしてはいるものの、現状、そこまで自分にとって切実なものかと言えば正直まだ、そのようには思えていない。もちろん、取材していく中で切実になっていく可能性もあるし、何かしらそういう部分を見出せるのではないかという期待があるからこそやりたいと思っているのであるけれど、しかし、何かもっと切実なテーマもあるのではないかという思いもまた消えずにある。

 そのように考えたとき、意識に上るのはいつも、「子ども」であり、「家族」である。テーマ、というにはあまりにも漠然としているし、一般的に過ぎるのだけれど、長い旅で得た経験や吃音で悩んできたことと同じくらい、いまの自分に深く関わりがあり、かつ世に問うのに意味がある事柄であることに疑いはない。そして自分自身、これ以上なく切実な対象であると感じられるのだ。

 昨年11月、兵庫県稲美町で、4人家族が自宅でバーベキューをした日の夜中に家が火事になり、小学生の子ども2人が亡くなるという出来事があった。その出来事があまりにも痛ましく、いまもずっと頭から離れずにある。両親はいまどうしているのかとふと想像することもある。そしてその後、火事がそれまでになく怖くなり、時に自分でも病的と思うぐらいにストーブを消したか、ガスを消したかが気になって、家に戻ったりするようにもなった。

 ちなみにある日のこと、5歳の次女を朝、保育園に送るとき、自転車をこぎながら、ふと家の火のことが気になった。そして次女に「さっきお父さんストーブ消したよね?」と確かめると、次女は言った。
「わからん。見てへんし」
「そうか……。うん、でもたぶん消したよな。消したと思う……」と自分に言い聞かせるように言ってみると、次女はこんなことを言う。
「『思う』でええんか? 『思う』ってことは、消したかわからんってことやろ」

 いや、参った。その絶妙な返答に驚かされつつ笑うとともに、随分成長したものだなと改めて実感した。そして「そんなこと言わないでくれよ~。絶対に消したし!うん、覚えてる……」などと言いながらも、その後どうしても気になって、次女を保育園に送り届けた後、確認するために自宅に戻ったのであった。


 さて、その件はともかくとしても、子どもの変化を感じるととても心を動かされるし、子どもに関するニュースなどには、かつてなかったほど感情移入するようになり、すぐにこみ上げてきたりもする。子どもに関わる問題は、自分にとって切実だと確かに言える。そしてだから、この連載に書いてきた文章も自分にとってとても大切なものになっているのだ。

 もちろんこのテーマで年単位の時間をかけて何かを書いていくとすれば、「子ども」といっても、より明確なテーマを持たなければならないが、日々、変化していく娘たちを見る中で、彼女たちの人生に重なるテーマであれば、確実に、5年なりの期間を費やしても後悔はないだろうと思えるのである。

 最近、娘たちと接しながら、彼女たちの人生にこれから何が待っているのかとよく考える。今年10歳となる長女は、すでに成人となるまでの半分近い時間を生きている。巣立っていくのも決して遠い先のことではない。ぼくにはそう思う親としての気持ちがまずあるが、同時に、書き手としての思いもある。その2つが重なる何かがあれば、それこそ、自分にとって次なる切実なテーマになるのだと思う。

 そんなことを考えながら、娘たちに、今回の本の出版に関連して自分が載った新聞などを見せてみる。
「お父さん、出てるよー」
 最初は、「わー、ほんまや」などと驚いていたものの、いくつか見せていくうちにあきてしまったようだった。
「もう、前に見たし」「あ、そう、よかったな」
 ……反応がどんどんそっけなくなる。娘たちは、ぼくがどんな仕事をしているかはそれなりに知ってはいるが、しかし興味があるとはいいがたい。

 幼い子どもたちにとって、親が何をしているかというのはひとまずあまり考えることはないのだろう。自分も幼いときには親に対して、親としての役割以外についてはあまり意識することもなかったように記憶している。
 しかし、子が何をしているか、子がどう生きていくかということは、少なくとも自分にとっては、何よりも気になる。自分の場合、それは決して、娘にこう生きてほしいとか、このようになってほしい、ということではない。ただ変化する様子を見ていると純粋に心が動く存在であるということに気づかされるのだ。

 そのように心が動かされることを書いていきたい。新たなテーマを考えながら、ふと、そんなことを思う平成最後の春なのであった。

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