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江 弘毅

江 弘毅/編集者

住まいと街の健全な「交通」が行われてこそ人がハッピーになる、 という街的生活者の住生活充実コラム。今日も「ごきげんなネタ」てんこ盛りで。

第5回 家でのパソコン。YouTubeで音楽レッスン。

 別にパソコンもインターネットにも詳しいというか、リテラシーに長けているわけではない。
 けれどもいつもカバンの中に入っているiPad miniを含めると、多分起きている半分以上の時間、それらを操作したり、ウェブ上で何かを調べたり、ブログやTwitterを読んだり書いたりしている。
 電車に乗ったり一人で飲食店に入って座るや、メールやTwitter、iCalを開けてチェックしている。
 スケジュール管理もiCalを使っていて、打ち合わせや会議の日程が決まればすぐに間近なパソコンやiPadをかちゃかちゃとさわって入力するし、飲みに行く約束や用事の日程も同じようにiCalに入っている。
 もちろん2台のパソコンとiPadは同期させている。これで手帳の類は持たなくなった。

 さて前回予告した、家でのインターネット周辺について。わたしの場合。

 家では5〜6年ぐらい前の白いプラスチックの側のMacBookと、薄くて軽いMacBookAirを使っている。
 古いMacBookは電池がダメになっているので、いつもコンセントに繋ぎっぱなしにしてないと使えない。けれどもMacBookAirはCDを入れられないから、音源をiTunesに入れておいてそれを選曲してCDに焼いたりするときに使っている。2週間に1回ぐらいか。インターネットには繋いでいるが、メールのアカウントは停止している。使わないアプリケーションやフォントも「ゴミ箱を空にする」で捨てた。

 こういうことはマニュアルを読んだり、「こうすれば良いよ」などと誰かに聞いたりした結果、そうしているのではない。
 なんとなく軽く(?)しておくと、ストレスなく快適に使えると思うからだ。
 しかし「ストレス」とか「快適」とか、これらは実生活の様子を表すありふれた言葉である。けれどももはやパソコン用語になっている。
 確かにインターネットとつながったパソコンやモバイルは自分の身体の一部になっているようだ。それも熟練した大工の金槌や板前の包丁など道具が手や腕の拡張なのに対し、インターネットとつながったパソコンやモバイルはいわば中枢神経系の拡張である。
 
 辺見庸さんは『しのびよる破局』でこう書いている。

 なかなか携帯がつながらなかったり、メールをうまく受信できなかったり、あるいは自分のパソコンの調子が悪くて起ちあがらなかったりしたときに、非常に不機嫌になってしまう。逆に、携帯もパソコンも非常に快調に受信し発信できているとき、検索もスムーズにいくとき、なにか妙に朗らかになったりする。つまり、自分の生体というものがデジタル機器の端末と化している。その好不調で自分の内面の色あいが決められている。それはおかしい。        「端末化する生体」p47

 大量のスパムやジャンクメールも時にうっとうしい。
 これは自分でもどうかなと思うのだけれど、こと小さな家電、カメラまわりのものや、輸入物の調味料や酒類などはAmazonや楽天で買うことが多い。前にも書いたが、音源のCDはほとんどがAmazon経由だ。
 テレビや冷蔵庫、洗濯機といった家電を実際に近くの量販店で見てきて、そして家に帰ってネットで検索して価格の安いネットショップから買う、などということはしないまでも、品番とサイズが分かっていて以前買ったことのあるポロシャツや靴などは、検索して値段を見比べて楽天で買ったりする。ラコステのポロシャツとかクラークスのデザートブーツとかがそうだ。
 なんだか申し訳ない。「街的」だなんだかんだ言ってるのに全然違う。これじゃ家では「ネット的」である。

 家のMacBookAirは、こちらの棚あちらのテーブルに放ったらかし、といろいろとさまよってきたが、アンプやCDプレーヤーを並べて置いてある横長の棚が定位置となった。
 アンプに繋いでiTunesやYouTubeで音を聞くことが多くなったからだ。YouTubeについては、動画はもちろんパソコンで見るのだが、音声はオーディオセットで増幅再生して聞いている。

 このところYouTubeで頻繁に見ているのが、むかしの音楽番組やコンガやパーカッションのレッスンだ。
 楽器をやっている人にとってはこれは有難い。わたしなどはサイドバーのブックマークをクリックすれば、左のタテのメニューのところに、「salsa」「samba」「rumba」などとネーミングしたフォルダーに、YouTubeから集めたコンガのレッスン動画集をそれぞれに編集して入れている。

 中南米やニューヨークからの名前を知るミュージシャンが丁寧に教えてくれる動画も多くて、見ながら練習できるのだ。質問したり会話したりができないだけで、彼らから(ただで)直接レッスンを受けているのと何ら変わりない。ヒジョーに便利、いや有難い限りだ。

 YouTubeがこういうふうになろうとは、数年前まで予想もしなかった。
 ところで、こういうようなインターネットの使い方を何て言うのだろう、「ネットサーフィン」とは全然違うはずだが。

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