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江 弘毅

江 弘毅/編集者

住まいと街の健全な「交通」が行われてこそ人がハッピーになる、 という街的生活者の住生活充実コラム。今日も「ごきげんなネタ」てんこ盛りで。

第3回 ナマコを切ることと季節について。

 今回も食べものの話。
 季節が変わったんだなあ、という実感は、初雪が降ったり暑くなって半袖のポロシャツを出してきたりという体感よりも、季節の食べものがフェードアウトしていくときに感じられるものだ。
 それは、どこに行っても空調が行き届いているとかコートが要らないとか、家にこもってインターネットばかりをしているから季節の変化がわからないなどというのではなく、ナマコが出回らなくなって、おお、春になってしまった、と実感する。

 たとえば、梅雨が明けて鱧が出回るようになって「本格的な夏が来た」というのはとても食通な感じで、京都へ旅行に行って「(東京弁で)この時期、京都では鱧なんだよね」などと求めるのはちょっとイヤらしい。
 けれども日々普通に暮らしていて、牡蠣やナマコが食べられなくなったことを感じることは日常的ゆえいとおしくて、ふとしたときに次の冬が待ち遠しくなる。
 失われたもの、過ぎ去ったことの美学みたいなものだ。

 グルメ情報をがんがんとインプットして、それに見合うお金を準備し、店や食べ物を追い求めるように片っ端から食べていくことは、消費社会の下では確かに快楽であることに違いないが、そういうスタンスとはちょっと違う、「食」に対してのある種のスタンスだと思う。

 今年は例年になくナマコを食べたのかもしれない。
 ナマコは家で食べるに限る。などと、わたしは思っている。
 大阪や神戸では魚屋やデパ地下、スーパーでも、厳冬期になるとナマコが出回る。
 わたしはいつも一つまるごと買ってきて、それを捌いて食べる。

 デパ地下やスーパーに行くと、パック詰めにされたナマコを見つけて「お、ナマコや」となるのだが、たまに7時以降の閉店間際に行くと「半額」とシールが貼られた立派なナマコがある。値段を見ると850円だから425円。
 これは安い。いっとこう。そういうことが今年多かった。

 ナマコの良いところは、もちろんうまくて酒のアテにいいというのもあるのだけれど、手早く料理が出来ることだ。
 これほど簡単な料理はない。
 両端を切り捨て、柔らかい側から庖丁で開き、中の腸やら筋やらをかき出して、切れば終わり。

 もちろんポン酢か三杯酢、それにわたしの場合は上から一味をぱらり。
 オレンジ色の腸は捨ててもいいけれど、指や割り箸で挟んで砂や汚れを絞り出すようにしてきれいに掃除し、適当な長さに切って塩を振っておけば、珍味コノワタの出来上がり。
 状態がいい場合は、盃の半分ぐらい取れて、酒なら1合は十分にいける。

 とまあ、こんな感じだが、実はナマコを刺身庖丁で薄く切るときの切れ具合が絶妙なのである。
 ナマコを縦に2つに割って、ちょっと塩を振って洗って庖丁で切るのだが、ぎゅっと縮こまった硬いナマコをよく切れる刺身庖丁で切るのはとても楽しい。
 魚介のなかでもマグロのサクや鯛の切り身を刺身に引いたりするよりも、剣先イカを細く糸造りに切ることの方が気持ちがいいが、その最上級がナマコだと思う。

 ナマコを切りたいがために魚屋やスーパーの売場でそれを見つけてしまう、というのは言いすぎかも知れないが、あらかじめ切ってあってパックに詰められて売られているナマコは買う気がしない(買ったことはない)。
 同様に出刃庖丁を買ってから、ズワイガニもまるごと買ってきたり、ナマを家で湯がいて捌くようになった。

 よく切れる庖丁が「切れ止んだ」とき、つまり食材を切っていて「あれ」と思ったときは、すぐに砥石で研ぐようになった。
「すぐに」というのは、正確には料理の手を止めて庖丁を研ぐのではなく、ご飯を食べて食器を洗い終わってからなのだが、楽しく切っていて「あれ」となったら切ること自体が面白くないので、そうなる前に研いでおくことになる。

 といっても庖丁を研ぐのは1カ月にせいぜい2回ぐらいだが、この冬はナマコのおかげで回数が多くなった。

 和庖丁は砥石があって初めて道具になる。
 そういうことは「使えなくなったら買い換える」消費財的な道具、あるいはパン切りやチーズ切りナイフのように「それ専用に買い足す」便利雑貨を志向している限り、なかなかわからない事柄だ。

 砥石で庖丁を研ぐなんて、やろうと思えば別に大層なことではない。
 砥石はホームセンターやスーパーでもどこでも売っているし、それを買ってきて使う前に水に浸けて、布巾や雑巾を下に敷いて安定させれば、あとは研ぐだけだ。
 研ぎ方はYouTubeで検索すればいくらでもヒットして、「おお、これならやれそうだ」と自分に合った動画を見て真似すればいい。

 砥石を使うようになって劇的に変わるのは、庖丁の「切れ味」を知ることであり、人間にとってよく切れる庖丁で「切る」ことがどんなに楽しいかを実感することである。

 それは大げさではなく、「食べること」についての楽しさの再発見でもある。
 切るのが楽しい食材はきっと美味いに決まっている。野菜や果物を切れば旬がわかるし、そうなると市場に出かけるのも楽しみになってくる。

 気がつけばナマコも終わった。しかしまた冬が来ると、ナマコの美味さとともにあの庖丁の気持ちのよい切れ味を思い出す。
 もっと早く言ったらよかったんだけど、とくに2月3月の季節というのはそんなものだ。冬になったら、ぜひ思い出してほしい。ほんま楽しいから。

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