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江 弘毅

江 弘毅/編集者

住まいと街の健全な「交通」が行われてこそ人がハッピーになる、 という街的生活者の住生活充実コラム。今日も「ごきげんなネタ」てんこ盛りで。

第2回 出刃庖丁で鯛をおろす、に挑戦。

 家で料理をする、というのは結構微妙なことだ。
 前回、切れる庖丁を使うようになると、切ることが楽しくなってきて、刺身もサクで買ってきて切るようになるし、キャベツもネギもあらかじめ切られてパックになったのは買わなくなる、というような話をした。
 ただ料理ということでいうと、鯛を1尾買ってきて出刃庖丁で三枚におろして、身を刺身にして頭と骨部分はアラ炊きにとか、カレーをつくるのにスパイスを乳鉢で擦って粉にするとか、ハンバーグのデミグラスソースを小麦粉を炒めて…とか、そういうことはわたしはしない。

 それで思い出したのだが、出刃庖丁を買ったので、ぜひやりたくなったことが魚をおろすことだ。
 どうせやるならやっぱり鯛だ。市場の魚屋へ買いに行く。
 天然物か養殖物か。全体の色はどうか、目玉が透き通っていて新鮮か、尾ビレの切れ込み具合を見て比べたり、幸い神戸は明石鯛のええのが安いので、こういう瞬間がとても通っぽくて楽しい。

 「目の下5寸」つまり30センチぐらいの鯛を買って帰って、さっそく買ったばかりの出刃庖丁でおろすことにする。インターネットで「鯛 さばく」と検索すると、すぐさまYouTubeにヒットする。魚料理の本もあったはずだなあ、と本棚をさがして引っ張り出す。

 鱗を引き、エラを掻ききり、カマの下部分から腹を開こうとする。ああでもない、こうでもない、この辺を切り離すのかなあ、おっと危ないなどと、なかなか思い通りにはいかない。
 内臓を掻き出し、その腹の中を小さなタワシで洗う頃には、もう鯛はぐだぐだの状態だ。それから三枚におろそうとするが、なかなか鮨屋で見ているようには到底いかない。
 いくはずもない。もう頭を落として内臓を…というところで正直ギブアップ、「やめといたらよかった」などと思う。
 まな板の回りは内臓や血や骨や細かくちぎれた身で無残極まりない。
 頭を落とし何とか身をおろすところまでいったのだが、刺身まではほど遠い。
 最悪なのは、それこそ食べる身の3倍はある、内臓やアラや鱗が悪臭を放ち始めて、小さなキッチン回りがわやくちゃになってしまったことだ。
 この臭いにはほんとうに泣きそうになってしまうし、まな板、シンク回りをきれいにするのは大変だ。
 要するに出来ないのである。

 それ以来、わたしはだし巻きを焼いたりチャーハンを炒めたりとか、そういうものが料理だと思っている。
 出刃庖丁は出番が少なくなってしまって、ズワイガニを捌くためだけのものになってしまった。ちなみに小アジやイワシは、たまに南蛮漬けや煮付けにすることがあるが、頭や内臓を取る場合はペティナイフのほうがやりやすい。
 結果的に一番よく使うペティナイフは、刃渡り15センチのものと12センチのもの2本持っていて、たとえばグレープフルーツを切る場合とレモンを切る場合で使い分けている。

 けれども料理教室にはなんだか行きたくない気がする。
 魚をおろすことも、キャベツの千切りをすることも、「庖丁さばき」というのは、きっとコツのようなものがあると思うのだが、やはり慣れだと思うからだ。
 庖丁を巧く使いこなすことは、楽器を上手に演奏することに似ていて、それは芸術に近いのだと思う。芸術などといえば天賦の才能とかいわれたりするが、絵でも音楽でも芸術はみんなに開かれているものだ。
 やはり練習がものをいう。だからこそ道具はすぐれたもの、楽器はいい音色のものでないと使うことが楽しくない。
 稽古が楽しいから、日常これ稽古であり、知らぬ間に上達していて、よけい楽しくなるのだと思う。

 考えてみれば、筆や画材、ギターやサックスを持っていて、家でいつも絵を描いたり演奏してるというのは珍しいのだろう。
 わたしはコンガやカバサやマラカスといったラテンパーカッションをやっているのでそれらの楽器を家に置いているが、遊びに来た友人たちはびっくりしている。

 けれども庖丁は、どこの家のキッチン、台所に2〜3本は普通にある。
 その自分の家にある料理道具としての庖丁が、果たしてどれだけよく切れるかどうかというのは、よその家、他人の庖丁を使ってみないと分からない。
 それ以上に、鯛をおろして刺身に、頭をアラ炊きに…、というのが出来ればどんなけ楽しいのか、酒がうまくなるのかと思うが、いやはや難しい。

 2回目は小さな20センチぐらいの鯛を買ってきて、さばいて身を三枚におろそうと再度挑戦したが、内臓だけ取ってやめてそのまま鯛めしにした。
 結構うまかった。
 IHの炊飯器の性能が良いのだった。

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