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三島邦弘

三島邦弘/ミシマ社代表 編集者

今をときめく出版社「ミシマ社」のオフィスは会社というより家である。 なぜ「家」なのか? 家だと何が違うのか? へっぽこ代表兼編集者のコラム。

第8回 もしも太宰治が・・・

 本コラムのタイトルは、「家が職場、職場が家」である。
 編集担当の中島さんが考えてくださった。
 たしかに、「一軒家」がミシマ社という出版社のオフィスである。つまり職場は、どっからどう見ても、「家」にしか見えない。
 その意味で中島さんの考案されたタイトル通りである。
 しかし、いわゆる家そのものが職場になったことはない。ミシマの自宅は、創業以来8年のあいだ、ずっと「別」のところにある。

 創業時、自宅は川崎市にマンションを借りていた。その頃、オフィスは自由が丘のワンルームだった。
 オフィスを築50年の古民家に移してほどなく、自転車通勤のできる都内のある町に引っ越した。
 東日本大震災から1年ほどが経ったタイミングで、約15年ぶりに関西人へ戻った。自由が丘に次ぐ第2の拠点・城陽オフィス(京都府城陽市)のすぐそばに一軒家を借りたのだ。この時点で、自宅、オフィス二軒の三棟すべてが、一軒家となった。
 2013年10月には、自宅を京都市内に移す。オフィスも、城陽から京都市内へ移したとき、いったんワンルームを借りたものの、昨年6月に築年数不詳の日本家屋を見つけそこへ移っている。
 こうして、職場の二拠点プラス自宅のいずれも、古民家という「理想形」ができたわけである。

 そう、それは理想形なのだ。
 その理由はこれまで述べてきたので詳しくは述べないが、主に、空間的な理由を挙げてきたように思う。地面に近い、だの、畳だと足裏でもフィール(feel)しているわけで全身の感度が上がる、だの、床の間などの「無駄」と思われる空間こそが生命力を喚起する、だのと。
 たしかに、その通りだと今も思っている。
 ただ、理想という大仰な言葉が口をついて出たのは、なにも日本家屋だからだけではない。おそらく、自宅兼オフィスではないことが、理想なのだった。そのことにミシマは最近気づいた。
 

 
 「女には、幸福も不幸も無いものです」 
 「そうなの? そう言われると、そんな気もして来るけど、それじゃ、男の人は、どうなの?」
 「男には不幸だけがあるんです。いつも恐怖と、戦ってばかりいるのです」

                        (太宰治「ヴィヨンの妻」)

 職種にかかわらず、働く人、とりわけ男は、ふたつに分けられると思う。すなわち、家庭向きの人とそうでない人に。
 その視点にたてば、太宰は家庭向きではなかったのかもしれない。しかし、家族がいないと生まれない文学でもあったようにも思う。むろん、正解はない。あらゆることに正解がないのと同じである。
 ただ、実際にはなかった過去を想像すること(@内田樹『街場の戦争論』)を通して、現代に生きる我々が学ぶことは確実にあるように思う。
 たとえば、もし太宰が家庭をもっていなかったら、を想像してみよう。
 そのとき果たして、こうした言葉は太宰から出てきたであろうか。

「子供より親が大事、と思いたい。」(「桜桃」)
 
 太宰の絶筆となった「桜桃」の冒頭である。今年、40歳にならんとするミシマは、この気持ちがようやくわかるような気がしている。しかし、「子供」だったころのミシマにはその気持ちは皆目わからなかった。
 これにつづけて太宰は書く。

「何、子供よりも、その親のほうが弱いのだ。少なくとも、私の家庭に於いては、そうである」 
 
 幼年期をふりかえって、「少なくとも、私の家庭‘も’そうだった」と思われた方は少なくないのではないだろうか。
 子供には子供の視点しかない。親の内面的「不幸」など知るよしもない。「ヴィヨンの妻」にせよ「桜桃」にせよ、主人公である父親はしばしば、子育てに必要なお金をもって外に出る。そしてそのまま帰ってこない。という事実を、子がすんなり理解することなど不可能だろう。
 ちなみに、「桜桃」の主人公は、外に仕事場をもっている。必ずしも自宅で執筆しなければいけないわけではない。ましてや、「妻子を見殺しにして平然、というような『度胸』を持って」もいない。だが、「お前や子供たちをよろこばせてあげたくてならぬが、しかし、おれには、どうしてもそこまで手が廻らないのだ」。そうして、子守もせず、家を出たまま一週間も帰ってこない。

 もしも−−−−。
 もしもの話、主人公がもっと広い場所に引っ越していたとしたら? それによって、「よろこばせてあげたくてならぬ」という思いが少しでも軽減されていたとしたら。
 そしてまた、「仕事場」が一人でこもるところではなく、シェアオフィス、とまでいかずとも、緩やかな会社のような組織に属し、何人かが集まるようなところで執筆できたなら?
 いくぶんか気は紛れただろうか。気が紛れた分、集中力も散漫になっただろうか。集中力が減った分、執筆が雑になり、さらにストレスをかかえたろうか。そうして本末転倒、さらなる悪循環の渦に巻き込まれただろうか。
 結論、この「もしも」は労力の無駄。
 ……と断定する前に、もう少しだけ探らせてほしい。どうであれ、太宰の運命は変わらぬものだったとしても。
 
 もしも、である。
 もしも、自宅であれ仕事場であれ、何部屋もあるような広い家であったなら?
 たとえば仕事場が日本家屋の古民家で、3〜5人ほどが集っているとする。一番大きな部屋には、共同で使う大きなデスクがあり、そこでそれぞれ作業をおこなうことができる。それ以外に部屋が複数あり、集中したいときはこもることができる。そんな場所を太宰が仕事場としていたら? 
 適当に気を紛らせつつ、執筆の集中力を損なわれることもなかった。かもしれないし、そんなことはまったくないかもしれない。ただ、無闇に借金を重ね、ツケで飲み歩き、身をつぶす行為に走るといったことは、少しは緩和されたのではないだろうか。
 周りに人がいる。それは、気を紛らわすこと以上に、極端に走らないための「抑止力」になる。生活面で極端に走ることのなかったエネルギーは、筆の方面において極端に走っていくことへと振り向けられる。それは、ない話ではない気がする。



 いずれにせよ、太宰は戻らない。戻らないし、そもそも我々は太宰ではない。生活の破滅と引き換えに、文学的傑作を残すわけでもないのだ。
 では、そんな我々凡人が、先の「もしも」から学ぶこととは。
 それは、せめて太宰のようにならないこと、ではないだろうか。
 太宰の描いた悲哀はおそらく誰にも思い当たるはずだ。その悲哀を抱えつつ、太宰にはならない。
 そのひとつの可能性を、「もしも」という仮定のもと、建築という視点から考えてみた。その結果、ひとつの答えを得るに至った。

 そのひとつは、自宅と職場が別にあることである。そしてその別々の建物が古民家であるということである。
 なんのことはない。安いからである。
 つまり、古民家であればそれほど無理なく移れる(ミシマ社の場合も、東京、京都どちらも、ワンルームから一軒家に移ったが、「広さ4倍強、家賃は数万程度の増」)。
 現在の建築基準でいえば、古い日本家屋は資産価値がほぼゼロ。バリアフリーの対極的建築であり、耐震・免震はきわめて弱い。それゆえ大家さんも高くは貸せないのだ。

 人口減、空き家増。さらに時代状況的に、地方再生は急務。
 環境はすでに整っている。
 住宅メーカーのサイトで書くことではないが、新しい家に引っ越す必要はない。少なくとも一度は、古い家に住み、働き、その良さを身体化してみてからでも遅くないはずだ。
 なにより、このひとことを吐かないためにも。

 「家庭の幸福は諸悪の本(もと)」(@太宰治「家庭の幸福」)。合掌。

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