住ムフムラボ住ムフムラボ

三島邦弘

三島邦弘/ミシマ社代表 編集者

今をときめく出版社「ミシマ社」のオフィスは会社というより家である。 なぜ「家」なのか? 家だと何が違うのか? へっぽこ代表兼編集者のコラム。

第7回 左京区ビギナー、ずっとビギナー。

 ミシマ社の京都オフィスは、6月末から左京区にある。川端丸太町下ルという場所は、西にある鴨川を渡って北に行けば上京区、南に行けば中京区(なかぎょうく、と読んでくださいね。ミシマ社の自由が丘メンバーの一人は「ちゅうきょうく」と電話で誰かに伝えてました・・・)となり、ちょうど左京区の西南端あたりに位置する。
 大学は左京区にあったものの、住む・働くということでいえば、生まれて初めて左京区に来た。
 ということにミシマは最近気が付いた。

 これまで、上京区で生まれ育ち、昨年4月からこの6月まで中京区(烏丸三条)のワンルームにオフィスを構え、自身の住まいは北区にある。つまり、これまで一度も左京区に自分の場を置いたことがなかった。
 それが、どうした。
 なんてふうに言わないでいただきたい。
 ほかならぬ、左京区、なのである。
 そのことの持つ意味は大きい。京都に住んでいる人以外には、なんのこっちゃ、と思われるかもしれないが、実はとても大きいのである。

 その証拠に、京都を2週間と離れたことがないというバッキー井上氏は、先日、あるトークイベントでこんなことを言っていた。ちなみに、そのイベントが行われた恵文社一乗寺店もまた左京区にある。
 バッキー「ぼくねぇ、昔から左京区が憧れなんです」
 ミシマ「憧れですか?」
 バッキー「憧れです」
 2人、無言。
 ミシマは待てどバッキー氏から「つづき」がないことを悟ると、「どのあたりが憧れなんですか?」と訊いた。するとバッキー氏は言った。
「左京区はねぇ……」。しばしの沈黙を経て言葉が続けられた。
「オモロイんです」
 左京区はおもろい。
 なるほど言い得て妙である。「昔から左京区はオモロイんです」。重ねて言ったバッキー氏の発言が、不思議な重みをもって伝わってきた。

 たしかに、思い当たるのである。左京区に越してきてまだ4カ月にすぎないが、日を経るごとに、左京区と中京区はちがう、ということが意識化されていく。その実感はミシマのなかで、こんなふうなとらえ方へと展開する。
「左京区にビジネスは皆無。経済もあまりない。ただし文化はいっぱいある」
 文化とはつまるところ「違い」があるということだ。
 違いがあるのは、それを許すという風土があるからだろう。もっとも、許すという発想自体が、東京的なものかもしれない。左京区的には、「違って当たり前」に過ぎない。
 平川克美さんの言葉を借りれば、「銭湯経済」の地というふうにも言えようか。
 銭湯経済――徒歩3km内で完結する仕事と暮らし。その中心に銭湯があり、商店街があるという循環経済――。
 そういえば、バッキー氏は先のイベントに最後にこうも言っていた。
「いまね、中京区には湯気がないんです」
 もちろんそれ以上の説明は、氏の口からは出なかった。が、それを口にしてしまったら、無粋の極み。立つ湯気も立たぬというものだろう。

 その意味でいえば、京都オフィスの一軒家自体が、実に「湯気」をはらんでいる。その具体例は前回のコラムで詳しく述べた。
 内田樹先生が訪れてくださったとき、その第一声は、「ここは変だよ!」であった。
「ミシマ君、ここはそうとう変だよ。いるよ」

 この発言を受け、前回のコラムの最後でこんなことを書いた。

 皆さんのご意見のとおり、おそらくここにはなにかが「いる」。
 (略)仕事相手にせよ、パートナーにせよ、何かを誰かと一緒にするときの心得は変わらない。もちろんそれは、働く場所とて同じである。
 互いに気持ちのいい時間を過ごすこと。
 そのために、礼儀や場を清めるといったことが欠かせない。
 そういうことを日々、教えてくれる建物に出会った。

 
「礼儀や場を清めるということが欠かせない」
 たしかに、そう書いた。
 にもかかわらず、怠っていたのである。むろん、砂利道の雑草を抜き、庭の手入れもした。
 が、そもそものところでミシマは横着をしてしまっていたのだ。日々の掃除は欠かさずにおこなっている。
 6月の終わり、中京区の烏丸三条から左京区の川端丸太町へと引っ越した。そのことは何度も記したとおりである。
 だがすでにこの時点で、大きな失態をやらかしていたのだ。

 おわかりだろうか?
 烏丸三条から川端丸太町へ移動したのである。
 お手元に京都市内の地図があれば、ぜひご覧いただきたい。
 烏丸三条から川端丸太町へ一本の線を引いてみる。すると、右上へと線が延びることになる。東西南北でいえば、ちょうど北東へと引かれるわけだ。
 北東、つまりそれは、丑寅の方角である。
 いうまでもないが、鬼門である。
 ミシマはそのことに引っ越し先を決める直前に気がついていた。だが、「まあ、大丈夫だろう」という判断をくだしていた。
 まったく愚かというほかない。

 京都ほど、東西南北がはっきりとわかる土地はないのではないか。
 どこにいても、自分が碁盤の目のどの位置に立っていて、どっちへ向かおうとしているかが、瞬時にしてわかる。その「わかる」は身体でわかる。頭で理解するのではない。
 理屈を抜きにして、東西南北を身体が意識する。意識するというより、感知してしまっている。そういう土地が京都なのだ。
 よりによって、そんな土地で鬼門を無視するとは……。これぞまさに「失われた感覚」による判断といえよう。

「暗くなった時分に、『今宵この御殿は、内裏から中神の塞がっている方角に当っております』と人々が申し上げますので、『そうであった』とお気づきになります。そういえば、いつもお上がお忌み遊ばす方角なのでした。『二条院も同じ筋に当っているが、どこへ方違えをしたものか、えらく大儀でならないのに』と仰せになって……」(谷崎潤一郎訳『源氏物語』一)

 引用にある通り、源氏の君の方違えは引っ越しではなく、一夜における移動をさしたものである。とはいえ、平安時代よりこの地では、方角が行動をいかに規定していたかを窺い知ることができる。千年の時を経たとはいえ、その理を無視する理こそあるまじき、であろう。
 というわけで、遅まきながら、2014年9月11日、ミシマ社も方違えを敢行した。
 鴨川の東に位置する一軒家から、少し北にいった川の西岸へと移したのである。
 川べりオフィス。
 もちろん、イベントではない。本気でやらねば意味がない。
 当日、ミシマはツイートをした。

「おはようございます。諸事情により、今日よりミシマ社京都オフィスを一時的に移転します。鴨川を渡り少し北西に行ったところへ。関係者の皆様にはご迷惑をおかけしてすみません。お電話は携帯か自由が丘オフィスまでお願いできれば幸いです。新オフィスは決まり次第お知らせいたします!」

 ツイート直後から「何があったのですか?」と心配の声をいただいた。なかでもすばやいリプライを飛ばしてくださったのは、内田先生だった。「やっぱり出ましたか?」と。
 先生には、「出る前に、自分たちが出ました」とお伝えした。実際そうなのだ。「出る」気配を察知して、ギリギリのタイミングでの方違えだった。
 そうして4、5日後に、あらためて元の一軒家へと移った。東南の方角への移転であった。

 これが効を奏したのかどうやら、その前後に入社したトリイ(左京区在住)が、新しい風を持ちこんでくれるようになった。まさに左京区的な風を。
 その象徴的な出来事が、[ミシマ社の本屋さん]の復活である。
 2014年1月末に、京都府城陽市でオープンした[ミシマ社の本屋さん]。出版社の中に「本屋」があるという珍しさもあったのか、多くの方々に足を運んでいただいた。
 けれど、残念ながら、オフィスを京都市内に移したこと、スタッフ不足などが重なり、今年の3月から休店状態になっていた。
 その「本屋さん」が、場所を京都市内に移して復活。[恵文社一乗寺店]や[ガケ書房]など個性的な本屋さんが点在する左京区の一角で、再スタートを切ったのだ。といっても毎週金曜日、週1回の開店ではあるが。

 それでも、湯気はたしかに立ち始めた。
 自転車で来店されるお客さんも多く(実に銭湯経済である)、靴を脱いで畳にあがるせいか、お客さんの滞在時間がとても長い。そしてよく話す。あんなに「話し声」のする本屋さんは、管見の及ぶかぎり、知らない。
 そんな時間を週1回体感する。
 すると、それ以外の時間においても場が活気づく。不思議なことに。
 裏を返せば、「出る」気配がどんどんなくなっているということだ。
 空気の流れが反対方向になったということだろうか。

 その意味では、先日おこなった[ミシマ社の本屋さん]のこけら落としイベントこそ象徴的であった。
 「ホホホ座がミシマ社から本出すってほんま?」
 と題したイベントをおこなったのだが、中身については今回は割愛する。
 ただひとつ。
 ホホホ座のメンバーは、実に濃かった。
 メンバーのみ紹介しておく。山下賢二(ガケ書房)、松本伸哉、早川宏美(以上、コトバヨネット)、加地猛(100000t)。
 ついでにいえば、「左京ワンダーランド」(という催しがあるのだ)の打ち上げがその日、クラブ[METRO]であったのだが、自分たちの打ち上げも兼ねて顔をだした。それはそれは濃かった。ここではとても書けないほどに、ディープであった。
 何がいいたいかといえば、この左京区には、「へんな人たち」がうようよと棲息しているということだ。つつけば次から次へと、とめどなく出てくる。そのことを、その夜、ミシマは知ったのであった。
 同時に、自分がいかに「左京区ビギナー」であるかも痛感した。
 左京は底なし、ズブズブであった。

 こうして、左京区にめざめたミシマだが、ビギナーを自覚してからは、ふつう、「脱」を図るものだろう。いつまでも初心者と呼ばないでくれ、と言わんばかりに。
 ところが、ミシマはどうやら染まっていくつもりはないようだ。
 嫌いだからではない。むしろ、好きである。おそらく、とてつもなく好きな世界である。が、それでもずっとビギナーでいたい。と思っている。
 ディープなのは左京区の人々に任せて、自分たちは「出版社」、つまりメディアでいたいと考えているからである。
 メディアであるとは、文字通り、媒介者であるということだ。
 底なし沼に入ってしまっては、何も、誰も媒介できまい。
 
 なるほど。
 そう思って再び、このオフィスを見渡せば、いたるところに結界が張られている。……ように思えてくる。
 砂利道に入るところでまず石段がわずかに盛り上がっており、家屋のなかには意味不明な隠し扉がそこかしこにある。トイレの位置や風呂の狭さなどは、異常とも言える。
 しかし、見方を変えれば、こうした「仕掛け」はすべて結界であるのかもしれない。

 とすれば、左京区的なるものの流れを呼び込み、それでいて、自らはそこに染まらない。
 相矛盾するふたつを同時にかなえる場。
 それが、この忍者屋敷さながらのミシマ社京都・新オフィスといえやしないか。
 湯気が適度に立ち上がる程度に、結界が張られ、その結果、火事になることも、砂漠化することもない。
 そのような・・・。

 答えはこれからのミシマ社京都オフィスの活動を見ていただくしかないのだが、直接、見て感じたい方は、ぜひお越しを。
 毎週金曜日(11時〜17時)、[ミシマ社の本屋さん]でお待ちしています。

コラムニストから選ぶ

PAGETOPへ