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三島邦弘

三島邦弘/ミシマ社代表 編集者

今をときめく出版社「ミシマ社」のオフィスは会社というより家である。 なぜ「家」なのか? 家だと何が違うのか? へっぽこ代表兼編集者のコラム。

第4回 少年よ、あわいの力を取り戻せ。

 人はいつ住まいと職場を分けたのだろう?
 と、ミシマはふと考えた。しかし残念なことにミシマの持ち合わせの知識でははっきりしたことはわからない。ただ、想像することはできる。なぜならミシマは編集者であるからだ。
 学者は調べる。編集者は感じる、そして妄想する。ミシマの解釈では著者と編集者の特性の大きな違いは、こうなる(世間的には逆と思えなくもないが)。
 このときもミシマは職業上の癖として妄想のほうに走った。
 数十年前と思しき日本のとある家庭の風景を――

「お父ちゃん、なんで友だち連れてきたらあかんの?」
「今日は仕事初めや。挨拶まわりに来はるんや」
「何それ?」
「アホ」
「アホちゃうわ」
「新年の挨拶せなあかんやろ」
「けどなんで家で遊んだらあかんの」
「だから、あいさつに来はるしや」
「けいちゃん家、そんなんない言うてたで」
「サラリーマンの家やからな」
「サラリーマンって何なん?」
「会社づとめや」
「お父ちゃんはちがうの?」
「お父ちゃんは家で働いてるやろ。むかしはサラリーマンやったけど、今は独立してやってるんや」
 そう返答した「お父ちゃん」はどこか得意そうだった。
「ふーん、ようわからん」
「いつかわかるわ」
「そんなんより、家で遊べるほうがええわ」
 少年は、家で父が働くこと自体はイヤではなかった。けれど、家では「ふつうに」いつでも友だちたちと遊びたかった。だから、少年は思う。「自分が大きくなったときは家で働くのはよそう」と。

 ミシマは遠い目をしていた。妄想した内容が他人事とは思えなかったからだ。
(これはまるでわが事ではないか・・・)
 ミシマの場合、父子ともに京都弁がこれほどきつくはない。が、ミシマがわが事と錯覚するのももっともな思い出がある。
 毎正月、田舎から祖母と従兄妹が京都のミシマの自宅へ遊びにきた。たいてい二〜三泊するのだが、最終日のころには父の仕事が始まることが多かった。
 ちいさなちいさな自宅。そこで父は自営業を営んでいた。一階二階ともに二部屋あり、いちおう一階の前の部屋が仕事場になっていた。一階の奥の部屋と、二階が自宅である。けれど玄関が分かれているわけでもなく、空間全体が家であり、同時に職場であった。毎年、新年の4日か5日に、仕入先の方があいさつ回りに来られた。当然、一階で少年が遊ぶスペースはない。遊ぶとしても二階である。だが、二階にも商品をはじめとする仕事関係の書類などがどっさり置いてある。たとえ学校が休みであろうと、挨拶まわりの初日に、遊んでいる場合ではなかった。
 しかし少年ミシマは納得できなかった。「みんなみたいに遊びたい、ふつうに」。当時、そんな表現を知る由もないが、もし知っていたら少年はこうつぶやいたにちがいない。
「こんなん理不尽や」
 理不尽――。少年の心によぎったこの感覚は、これまでいったい幾人の人類が抱いたことだろう。
 家庭と仕事は切り離すべし。
 家は家、仕事は仕事。そうすれば不要な軋轢はなくなり、家庭円満が訪れよう。仕事もより効率的になるだろう。無数の人たちのこうした切なる思いが、職住分離をもたらしたのかもしれない。

 いつからかオンとオフという言葉が使われるようになった。働いている時間がオンで、そうでないときがオフ。「オンとオフの切り替えとバランスが大切です――」。いまでは、多くの人が当たり前と信じて疑わない発想である。
 だけど、とミシマは違和感をおぼえないではいられない。
「だけど、そんなふうに人間はふたつに切り分けることができるのだろうか?」
 自身の経験に照らしてみると、「否」といわざるをえない。
 ミシマもかつてオフィスビルという場所で働いたことがあった。

 そこは東京の都心部にある高層ビルの11階にあった。その複合ビルにはおそらく十数社がオフィスを構えていた。10台ほどあるエレベーターのどれかに乗り、オフィスへと向かう。エレベーターの箱のなかに入ると、さまざまな国籍のさまざまな人たちと一緒になる。多くは無言である。ときどき言葉を交わす人がいるが、英語であることが多い。そういう人たちは不思議とみな、コーヒーカップを片手にもっている。11階までのあいだ、ミシマの呼吸は浅くなる。密室にて、見知らぬビジネスパーソンたちと無言のときをすごす。気圧の変化を体感する。その時間、ミシマの身体はどうしても麻痺してしまう。エレベーターを降り、オフィスのほうへ歩を進める。扉の前で立ち止まる。社員証兼用セキュリティカードをかざす。かざさなければ、入ることができないから。ピッという音がしたら扉を開ける。席に座る。オフィスの窓は全面ガラス張り。窓の近くへ行けば、東京を眼下に望む。ほぼ全方位、空。そして下方には東京の街。もちろん、街には市井の人たちがいる。その人たちを、いま自分は見下ろしている。いつから自分はそんなにえらくなったんだろう? ミシマはときどき吐き気をおぼえる。気密性の高さと建物の高さと両方に対して。地に足がついてない。文字通りに。なんだか不自然じゃないか。自分はワーキングロボットか。人間でいることを許さないような空間設計ではないか。いったいなんな・・・――。

 たしかに、そうしたオフィスビルに「家」の温かみは皆無である。完全に家と切り離す形で、オフィスはオフィスとしてのみ、存在している。
反動かどうかはわからない。
 その後ミシマがオフィスとした場所は、自由が丘であれ、城陽であれ、京都であれ、どこもかしこも「家」であった。自由が丘と城陽は文字通り、一軒家の家である。京都オフィスのマンションの一室には、ちゃぶ台という「家」的アイテムを置いた。ちゃぶ台を置いたとたん、そこはオフィスとなった(ということは前回書いたとおりである)。

 遠い目をして過去の思い出と現在の境遇を見比べたミシマはいま、あらためて思わざるをえない。
 家と職場を切り離したい。少年のときの思いは、極端な形でいっとき実現した。高層のオフィスビルで働くという形で。もちろん、極端な形と表現したその形は、実に「現代的」な形でもある。いずれにせよ、そうした場にわが身を置いてみたとき、ミシマは、全然快適でないことを痛みとともにまなんだ。
 いまはその理由がよくわかる。
 そこには、安田登先生の言う「あわい」がなかったからである。

 オンとオフ。プラスとマイナス。表と裏。うちとそと。家と職場。・・・現代社会では、そうしたもろもろが完全に機能分化してしまった。
 安田先生によれば、かつての日本家屋には「縁側」があった。その縁側は、うちから見れば「うち」であり、「そと」から見れば「そと」でもある。つまり、そこは「うち」でもあり「そと」でもあるという「あわい」の場であった。日本文化には、そうした「あわい」の場があちこちに散りばめられていた(詳しくは『あわいの力』をご覧いただきたい)。
「あわい」があるからこそ、うちとそとの交流が生まれる。生と死も行き交うことができる。卑俗な効果でいえば、だからこそ、パワーも沸いてくるというものだろう。重なるところ(あわい)がなければなにも行き交うことができないのだ。
 家で回復した身体を職場で活かすのも、そこに重なり(あわい)があってこそだ。
 オンの時間にオフィスビルで疲れきった身体を、オフに回復させる。そうして再び、ロボと化す気力と体力を取り戻す。そのくりかえしを週単位でおこなっている。それが、現代の職住のあり方であろう。そして、いつかそのくりかえしに疲れきったとき、あるいは週末の自分から平日のロボへ切り替わるための身体のスウィッチを押すことにくたびれたとき、人はちがう人生があったのでは、と目を向ける。そうして田舎暮らしを考えだしたりする。

 けれど、そもそも、とミシマは思う。
 その二者択一でいいのだろうか、と。
 結局、都会ではなく田舎暮らしを、という発想は、表から裏へ、都会から地方へ、うちからそとへ、という点で、レイアーの変化はない。つまり、その時点でこれまで同様、不自然である。結局は切り分けたうえでの発想にとどまっている。
 そうではなく、日々のなかに、行き交う場所を設けることではないのか。
 職住混在。
 たとえオフィスと家が場所的に離れていたとしても、職のなかに住や家があり、住のなかに職がある。そういう状態でないと、いきいきと働き、日常を送ることはできないのではないか。

 いまミシマは、理不尽と感じた少年時代の自分に会うことができたら言ってやりたい。
「ええねん、それで」
 きょとんとしたら、重ねて言ってやろう。
「少年よ、想像したまえ。君の感じている理不尽の種をすべてなくした世の姿を――。君はロボットになりたいか。それとも人間でありつづけたいか。その選択を迫られているんだ。人間でありながらにしてロボットになることも、人はできるんだから」

 最近、ロボットが街に増えているような気がする。そんなふうに感じているのは私だけだろうか。
 ここまで考えたとき、ようやくミシマの視線が近くへと戻った。

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