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三島邦弘

三島邦弘/ミシマ社代表 編集者

今をときめく出版社「ミシマ社」のオフィスは会社というより家である。 なぜ「家」なのか? 家だと何が違うのか? へっぽこ代表兼編集者のコラム。

第29回 コロナ渦の著者——続・パルプ・ノンフィクション(前編)

 目下、コロナ、コロナの大合唱である。「コロナ禍」と表現する人も多いが、個人的な実感としては、「コロナ渦」の渦中にいる気がしてならない。

 3月、4月、5月……今日現在に至るまで、仕事をとりまく環境は激変した。

 前回のコラムで、『パルプ・ノンフィクション』という本を河出書房新社さんから上梓する。と記したが、期せずして、この数ヶ月は、その続編のような日々であった。

 出版の未来に光をなんとか見出したい。ひとことで拙著を説明すれば、その目的に向かってもがき、奔走した記録だ。つまりは、今自分がいる業界はこのままだと光がなくなるのでは、という私の危機感を前提として書かれた。私の皮膚感覚でいえば、「こんなに問題だらけなのに、どうして同じ枠組みのまま動かそうとするの! 機能不全だらけじゃないの!!」である。

 そういうままならぬ実態に、当事者としてどう向き合い、動いていけばいいか。この5、6年、個人、そして一社ができる範囲で、実験をくりかえし、もがき、迷走をくりかえした。だが、そうした動きによって、何かが改善したのか、すこしは後退の速度が弱まったのか。自分ではまったくわからない。ただ、大きく変わることはなかった。

 ところが、「コロナ」によって、すべてが可視化された。5、6年遅々として動かなかった諸々が、一夜にして(!)白日のもとに晒されたわけだ。

 奇しくも、このタイミングで、「編集者」「出版社の経営者」という通常業務にくわえて、コロナ渦の真っ只中に本を出した「著者」にもなった。もちろん偶然でしかない。が、偶然とはいえ、この三者を同時に味わうという稀有な経験をしたことは確かである。

 そして今、この偶然をとてもありがたく思っている。
 今回、その理由をこの間の行動をふりかえりつつ記したい。
 まずは、著者として私はどのような行動をとったのだろうか?


『パルプ・ノンフィクション』の発売日は3月18日(水)だった。その翌日、大阪府の吉村知事が府民に対し、3月20日(金)〜22日(日)の3連休の間、兵庫県との往来自粛を要請。24日(火)には、東京五輪の開催延期が発表される。
 まったく、「コロナ」本とでもいいたくなるタイミングでの発刊だった。

 事実、あらゆる販促計画が、「コロナ」によって破綻した。
 私としては、ひそかに次のような意図をもっていた。
 河出書房新社さんという創業130年を超える老舗の中堅出版社と、創業13年にすぎない小出版社(ミシマ社)とのあいだに、何かブリッジを築きたい。それが叶えば、それ自体、出版の新しい可能性を見つけたことになるだろう。新旧をつなぐ回路は確実にある。たとえば、こういうものだーー。

 販促活動がひと通り終わったあと、こうした発表ができれば最高だな、と目論んでいた。くわえて、尽力してもらった担当の編集さんに部数でも報いたい、強くそう思っていたのは間違いない。
 ところが……。販促どころではなくなった。

 時系列で追ってみよう。
 3月19日(木)夜、発刊イベントを[渋谷パブリッシング]でおこなった。今から思えば、奇跡的な時間だったとしかいいようがない。

 3月の初旬には、「すべてのイベント中止」を版元である河出書房新社さんは決めていた。そのなかでなぜ決行できたのか。といえば、河出さんは一切タッチせず、あくまでもミシマ社の主催という形をとったからだ。渋谷パブリッシングさんが当初から熱心に開催を希望してくれていたので、「中止」にはしたくなかった。それを受け、起死回生気味で思いついたグレーゾーン開催だった。もちろん、客席を半分に減らし、間隔をしっかり空けるなど、感染を防ぐ配慮は最大限払った。

 イベントは大盛況だった。そして、現時点では、これがリアルで開いた最後のイベントとなっている。

 翌週の3月25日(水)夜。東京都の小池都知事が「感染拡大 重大局面」なるフレーズを連呼した。いやが応にも「恐怖」の感染が拡大した。

 そんななか、翌日の26日(木)に私は東京へ行く。本書の著者インタビューなどが決まっていたためだ。いわゆる「パブ」、パブリシティというやつである。現在の出版市場では、パブが出るのと出ないのとでは、本の売れ行きがどうしても違う。紹介したいと言ってくれる媒体の依頼を受けるのは、著者として当然の判断であったし、嬉しいことにほかならない。

 だが、感染のリスクを冒してでも? と問われると答えに窮す。
 細心の注意を払っての出張であったのは言うまでもない。同時に、「やっぱり今回はキャンセルするほうがいいだろうか」と当日の朝まで逡巡していたことを記しておきたい。

 そうしたこちらの心を見透かされたわけではないだろうが、4件予定されていた取材のうち2件がキャンセルとなった。1件は新聞社。会社側から自宅待機の命令がくだったという。そして、もう1件は、当日の午前9時頃、記者の方から、コロナ感染の疑いがある、と連絡がきた。文字通り、コロナはそこまで迫ってきていた。3月27日(金)夕方、2件の取材を終え、ウイルス絶対不可侵の結界を張って京都への帰途に着いた。以降、東京には行けていない。

 というものの、緊急事態宣言が出る、出ないと噂が飛び交うようになった4月一週目。私はまだ、翌週の7日(火)に東京へ行こうとしていた。FM東京のピーター・バラカンさんのラジオ番組「The Lifestyle MUSEUM」に出演し、延期になった某新聞社の取材を受けるつもりでいた。新聞取材は、絶対に対面でお願いしたいと先方からの要望があった。11日には福岡に移動し、[ブックスキューブリック]での発刊イベントに行くつもりでもいた。

 ところが。
 4月6日(月)夜、緊急事態宣言を出すという政府の方針が発表された。この日を境に、「これまで」の景色が一変する。それまで店を維持するためにもイベント開催に前向きだった[ブックスキューブリック]の大井実さんから、「11日はむずかしいね。延期しましょう。中止ではなくあくまで延期に」と連絡があった。むろん、異存などあろうはずがない。

 ちなみに少しだけミシマ社のことに触れれば、7日(火)から8日(水)にかけて、東京、大阪、福岡などの大都市の書店がぞくぞくと休業を発表する。書店と直取引をするミシマ社にとって大打撃となった。「一冊入魂」と謳い、精魂こめてつくった本を卸すことができない。文字通り、緊急の事態となった。そして、これを書いている現在もまだ、その渦中にいる。それゆえ、まだ会社のことを客観視できる段階にない。できれば次回に書ければと今は考えている。そのときには渦中を抜け出しているという期待を込めて。現時点では、著者としての動きに限定して述べるのが精一杯だ。


 話を戻す。
 書店イベントは中止となり、当然、東京での取材もなくなった。そもそもラジオ局は局に外部の人が入ること自体が禁止となっていた。
 こうして発刊から2週間弱で、すべてのパブ活動は終息を迎えた……わけではない。ここから事態が急展開する。

 FM東京からはSkypeでの出演打診がくる。NHKラジオからは電話出演を要請される(前週までは頑なにNoと言われていたのだが)。そして、「取材の基本は人と直接会って」と新人の頃に叩き込まれたという某新聞の記者からは、「オンラインでお願いします!」と連絡がきた。「初めての試みなので、緊張しますが」とエクスキューズ付きで。

 決死の思いで東京出張に行こうと考えていた前週までの自分が、すこし滑稽にさえ思えてきた。
「取材とは」「ラジオとは」、こういうものである——。疑うことなく自分たちが拠って立ってきた土台が根本から覆された。文字通り、一夜にして!

 むろん、私たちの仕事も例外ではない。
 オンライン取材、オンライン対談・鼎談は「ふつう」となった。
 その流れで、著者としての動きも大きな変化にさらされる。
 11日(土)はいったん中止となった書店イベントだが、17日(金)に予定した恵文社でのイベントは決行することにした。いうまでもなく、オンラインで、だ。

 社としても個人としても初めて、オンラインイベントを体験することになった。4月17日19時〜 空間を共にしない全国から集まった約80名の人たちと2時間を共有した。

 こちらから顔は見えない。が、ふしぎとこちらの熱が画面の向こうにいる人たちに伝わっていく。そのたしかな感触を得ることができた。

 オンラインには「身体性」がない。そう思い込んでいた自分の固定観念が、またもや一夜にして見事に塗り替えられた。
 その確かな感触を頼りに、翌々日、森田真生さん、甲野善紀先生による「この日の学校」をオンライン開催。100名近いお客さんから、「開催してくれてありがとうございます」「いろいろと不安にさらされていましたが、久しぶりに、目の前が明るくなりました」といった声が多数寄せられた。

 4月25日(土)には、絵本専門書店[メリーゴーランドKYOTO]と共催で藤原辰史さんによる「パンデミックを生きる構え(指針)」というオンライン講演を開催する。歴史学に基づく事実に根ざしたお話に、130名の参加者のみなさんが感動された。

 このふたつのイベントが自分のなかで決定的な体験となる。
 待っている人のもとへ、確かな言葉を届ける。しかも、空間的制約から解放されて。
 これが出版の「原点回帰」であるなら、ふたつのオンラインイベントはまさにそれであった。

 冒頭で偶然著者であったことも感謝していると述べたが、パブ、プロモーションの行き詰まりに出会ったそのとき、自らオンラインイベントを実行し、「これはいける!」と実感をもてた。それがとても大きかった。つまり、自信をもって、自社の著者の方々にもオススメできると思えた。

 こうした経験を経て、「出版メディア」として、新しい世界へとしっかりと踏み入れる決意がかたまった。
 この個人と自社における体験とともに、業界にもたらした変化がもうひとつある。

 それは、冒頭で「5、6年遅々として動かなかった諸々」のことだ。いよいよ、大量生産、大量消費モデルが成立していないことが白日のもとにさらされた。具体的には、書店が休業、短縮営業を余儀なくされ、オンラインショップへの切り替えが当然のように進んだ。その流れで、次のような悲鳴が書店から発せられる事態に至る。

 いくつかの出版社が送料無料でオンライン販売を始めた。それを受け、いくつかの書店が「そんなことされたら、書店はもたないだろ!」と反論の声をあげた。書店の利益は約2割、オンラインショップで送料を負担し、ネット決済手数料を払うと、へたすると赤字になる。このような反論である。

 ここでは双方の言い分の検証はしないが、はっきりしているのは、「書店利益2割」の枠組みが問題であるということだ。それを触らぬまま、いろいろと動かそうとすれば、こうした問題があがるのは当然といえる。

 裏を返せば、この誰が見ても「無理」と判断できる問題を長年(少なくとも20年以上!)先延ばしにしつづけてきたのだ。
 コロナによって起こったことの大半は、悲しいことでしかない。ただ、そのなかで隠されがちだった問題が衆目の集めるところとなった。それだけはせめてもの救いであると思っている。
 一夜にして動き出したこうした流れは、なんとしても次の時代の流れとなるまでパスしていきたい。


 むろん、すべては目の前の危機を乗り切ってこそ。コロナ渦に飲み込まれずに、生きてこそ、である。
 拙著『パルプ・ノンフィクション』のサブタイトルは、「出版社つぶれるかもしれない日記」となっている。今、まさに、会社はその渦中にあるといっていい。三ヶ月後、本コーナーで「コロナ渦の出版社」を書くときは笑顔でいたい。当然のこととして、切にそう思う。

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