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三島邦弘

三島邦弘/ミシマ社代表 編集者

今をときめく出版社「ミシマ社」のオフィスは会社というより家である。 なぜ「家」なのか? 家だと何が違うのか? へっぽこ代表兼編集者のコラム。

第3回 結界を越えて!

 本年(2013年)3月末、ミシマ社城陽オフィスは京都市の真ん中にオフィスを移した。

 烏丸三条のマンションの一室を借り、4月1日より正式に、「京都オフィス」と名乗りはじめた。
 引っ越しは、業者に頼まず仲間うちでおこなった。
 怒涛の引っ越しだったといっていい。
 のちにミシマは、「清水の舞台を飛び下りる覚悟だった」と回想している。
 なにをおおげさな、と思われるかもしれない。
 しかし、ミシマにとって京都にオフィスを置くというのは、それほどに覚悟の要る行為でしかなかった。
 たしかに、誰にとってもなじみのない土地で仕事をするにはそれ相応の覚悟がいる。
 だが「清水の・・・」と表現するのはあまりに大仰に過ぎよう。
 もちろん、ミシマは真剣である。本人は一切の誇張なく言っているつもりである。
 ではいったいなにゆえそれほどまでの覚悟が要ったのか?

 なにもむずかしい話ではない。
「こわかったんです・・・」
 インタビューなどで訊かれるたび、いや、訊かれてもいないのに、進んでみずからの心境をミシマは語っている。事実、その通りなのである。
「きょ、京都って魔界の街じゃないですか。・・・そ、そんなところで仕事ができるのかなって。ま、ま、魔物に食いつぶされてしまうかもしれないんですよ!」
 ミシマのイメージはこういうものであった。
(京都の周りには結界が張られている。中心部に近づけば近づくほど、結界の威力は増していく。その結界を無視し、下手に一歩踏み入れようものなら・・・あとは、魔物たちのいいように餌食になるだけだ)
「だから」とミシマは考える。
「だから、きっと無意識のうちに城陽を選択していたんです。ふつうなら東京以外の場所に、たとえば関西に出版社のオフィスを置くとなったら、京都か大阪を考えるでしょう。三宮もあるかもしれない。けれど関西の郊外のなかでもメジャーとは決していえない城陽という選択肢はない。ふつうに考えたら、ない。にもかかわらず、そうしていたのは、ひとえに結界に遮られたためです」
 こう言い切る男に、なにを言っても無駄というものだろう。「まぁ、あなたがそう思うのは自由ですが、経営者として、〝結界〟を理由に行動するのもいかがなものでしょ」などと言ったところで暖簾に腕押し。なぜなら、そう信じ込んでいるのだから。

 それよりもなぜミシマがこう考えるに至ったかを、追いたい。
 いや、本題と関係ないだろうと思わないでいてほしい。
 ミシマが京都市内のワンルームをオフィスとしたことで、「家が職場」でなくなったわけだから。
 つまり先の問いは、本連載タイトルである「家が職場、職場が家」という考えをミシマは捨てたのか、というふうにも置き換えることができるのだ。
 とすれば、本連載は打ち切らなくていけない。そこまでしなくてもいい、と編集部のN氏から、ありがたい要請があるかもしれない。しかしそれでも改題は欠かせないだろう。
 その意味で、連載中止あるいは改題を賭けて、本命題を追う必要がある、と筆者は考えている(なかなかたいそうなことになってきたぞ)。

 ミシマは、京都を恐れていた。その恐怖心は、ひとつはもともと京都に住んでいたということが、遠因としてある。
 いや逆だろ、と思われる節もあろう。
 住んでいたのだからなじみもあって、恐れることもなかろうに、と。
 京都に住んだことのない身であればミシマも同じように思ったかもしれない。
 だが、住めば都となるように、住めばこその恐怖というものもある。その恐怖は東京よりも京都のほうが強い。すくなくともミシマはそう感じている。
 それもこれも、京都で仕事がしたことがないからだ。
 そう、ミシマが京都にいたのは学生までで、京都での仕事の経験はない。
 ちなみにミシマの父は岐阜から単身京都に出てきて、ミシマが小学生のときに独立した。が、すぐに体を悪くし、結局ミシマが東京に行った年に商売をやめている。
 子どもの頃から、そういう父の姿を見ていてたいへんそうだ、という思いだけが残っていた。
 東京で15年近く仕事をするうちに、いつしか、「父は京都でたいへんそうだった」という記憶が「京都で仕事をするのは大変なのだ」という恐怖心へと変質した。
 京都で商売をするのはむずかしいにちがいない。
 こんな思い込みが身体化されてしまっていたのだ。

 それに自身の仕事は出版の仕事である。京都の出版といってミシマの脳裏に第一に思い浮かぶのが、なぜかバッキー井上氏だった。多くの著名な作家の方々をおしのけて、なぜか・・・。
 バッキー井上――。京都、錦市場の漬物屋。夜な夜な京都の町を練り歩く酒場ライター。
 彼の初の著書『たとえあなたが行かなくとも店の明かりは灯ってる。』(140B)の略歴を見てみる。すると、「画家・踊り子を経て」という一文が目に入る。
 この本のなかには、井上氏の小説も掲載されている。タイトルは「診察室には女医がいた。」である。詳細は省くが本書には、小説にもコラムにも、京都を舞台にしたぬめぬめしたことがいっぱい書いてある。
 そういう書き手が、街の代表として君臨している。
 ミシマの中のイメージがこういうものである以上、京都を、魔物が棲む街と見なすのはもっともなことであった。

 それでも、結界の内部へ飛び込んでいくしかない。
 でないと、仕事が成り立たないのだ。
 結局のところ、城陽にオフィスを置きながらも、ミシマは京都市内に出て仕事をすることが多かった。たとえば何か書き物をするときも市内のカフェを頻繁に使い、打ち合わせも市内まで出ることがほとんどであった。
 むしろ城陽にいることで、本来すべき打ち合わせが距離的な理由などで流れてしまうようなこともあった。文字どおり、仕事が成り立たなくなっていたのだ。

 そういうこともあり、ミシマは京都市内にオフィスを移すことを決断する。
つまりそれは、結界を飛び越えていくという選択であった。

 2013年3月7日――。
 城陽からワゴン車1台、軽トラ1台に荷物を詰めこみ出発した。
 目指すは京都市内のど真ん中。烏丸三条のマンションである。
 車は何事もなくちょうどお昼頃に着いた。
 ミシマたちは閑散としたワンルームの空間に入った。部屋が8階の東の角にあるため、窓からは東に大文字と比叡山の頂上が見える。
 それ以外は特にとりたてて特徴のない、フローリングのただのワンルームの部屋だ。
 結界には何事もなくあっさりと入ることができた。過剰に恐れていただけだったのかな、とミシマ自身思ったほどに。

                     *

 オフィスを市内に移して半年が経った。
 今のところ、ワンルームにも、周辺にも、京都市内のどこにも、魔物の姿を見ていない。

 魔物など妄想でしかなかったのか。
「すべては自分の恐怖心から生まれたものだったのかな」
 と思いつつも、「ただ・・・」とミシマは考える。

 ただ・・・市内にオフィスを移して数週間、やけに部屋に落ち着きがなかった。
 ところが、ちゃぶ台が部屋に届き、それを置いたとたん落ち着いた。
「これでようやくオフィスになった」としみじみ思った。
 ちゃぶ台といういかにも「家」的なアイテムを空間に置いたことで、オフィスっぽく(もちろん、通常の意味ではない。あくまで、ミシマ社のオフィスっぽく)なったのだ。

 その点において、筆者はほっと胸をなでおろさないではいられない。
 ちゃぶ台を置いてオフィスがオフィスらしくなった。
 それはなにより、このことを証明していると言えるのだから。
 ――どこに行っても、「家が職場、職場が家」。
 これで連載も続けられるだろう。

 ともあれ、ちゃぶ台を置いたことでオフィスっぽくなったことを思うにつれ、「もしや」とミシマは考えざるをえない。
 もしや、ちゃぶ台が救ってくれたのか、と。
 たしかに、魔物代表ととらえていたバッキー井上氏と急速に仲良くなったのも、ちゃぶ台を置いて以降である。わずか半年のうちに、『人生、行きがかりじょう』著者としてミシマ社から本を出してもらえるほど急接近した。
 それもこれも、バッキー氏がミシマ社にやってきてちゃぶ台を囲んで話をしたのが始まりである。
 とすれば、このちゃぶ台は、たんに「家的」なアイテムにとどまらないとも考えうる。
 つまり・・・。
 開かれたパンドラの箱を塞ぐ存在、あるいは解かれた結界を封印する重石――。
 そう言えなくもないのでは?
 とミシマは考えてみたものの、あまりに荒唐無稽な発想に自らおかしみをおぼえ、首をふった。

 本稿を終えるにあたり筆者は、ミシマが気づいていないもうひとつの可能性に言及しておきたい。
 それは、もうすでに魔物に取りこまれているのかもしれない、という可能である。
 そうとは知らず、魔物などいなかったと魔物の掌中で思っている、あるいはちゃぶ台が重鎮してくれている、などと思っているだけかもしれないのだ。
 ほうれ、よく耳を澄ませてみたまえ。
 ぐぐぐぐっ。
 ちゃぶ台の下から魔物のほくそ笑む声が・・・・・・

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